倶楽部メモ(611)
平成22年 7月 8日〜 7月11日 |
豪雨水害 ・ タイの夜行寝台客車
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2010年 7月 8日(木)12時26分39秒 |
タイトル |
壮大なる エンド交換 |
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▼管理人様:
郡山界隈における二晩続けての水害、衷心より御見舞いを申し上げます。管理人様の
処では、如何だったでしょうか?
▼ED76
109様:
>
札幌−(千歳線)−苫小牧−(室蘭本線)−岩見沢−(函館本線)−手稲
札幌や手稲で、編成の逆転を許容すれば、山線の迂回期間中に上野側から入る編成は、
そのまま山線を折り返せば長万部以南で本来の向きに戻りますから、この方向転換は、
室蘭線が不通になる直前、そして復旧する直前に、手稲にいた編成のみを対象にした
措置と考えるべきでしょうか?
南千歳〜追分〜沼ノ端〜南千歳の方が20kmほど短く、手っ取り早そうにも感じますが、
石炭産業華やかなりし頃の名残で、一部が複線化されるも、閑散ダイヤとなっている
室蘭線の非電化区間を、寝台特急の堂々たる編成が通過する様子は「過去の栄光」を
想起させる様でもあり、豪気な話ですね。
>
件のコースで「半年間」の惜別運転を希望いたします。
個人的には、このテの企画が十八番の高崎支社に寝台車を移籍し、JR九州よろしく
臨時列車を仕立てる一環として、高崎〜新津〜青森に「SL奥利根」「きらきら羽越」
そして「ノスタルジック・ビュー・トレイン」を足して三で割った様なイベント便を
設定して頂ければ、などと妄想しております。
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投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2010年 7月 8日(木)17時36分22秒 |
タイトル |
阪神大風水害 |
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ED76109先生;
小説「細雪」に出てきますね。舞子の自宅で裏山の牧場の池が溢れて柵がバラバラに
なり、我が家の裏塀に穴が開き水が流れ込んで来ました。幸い庭に排水マス2ケ所が
あって流れ出たので助かりましたが。
その牧場の娘さんが作家の筒井康隆氏の奥さんになったとか----
あの時一番早く一部復旧したのが阪神電鉄であったことは「細雪」に出ていますが、
山陽電鉄など山田川鉄橋が(上り側?)が落ちて、当時の大蔵谷電停に非常渡りを特設
して、舞子公園(現在位置ではない)まで単線運転でした。鉄道ファンの大先輩から
水害不通時の住吉駅で,泥に台車まで埋まったモハ43とか、線路を歩く阪神電鉄の乗客
の写真を貰っています。神戸市電の三宮辺りの惨状は「さよなら神戸市電」に写真が出
ています。
それはそうと昨日福島県郡山辺りで豪雨とか---管理人さんご無事ならよいですが。 |
投稿者 |
仙コリ(管理人) |
投稿日 |
2010年 7月 8日(木)22時29分1秒 |
タイトル |
豪雨水害見舞い御礼 |
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雑魚様、マロネロ38様
今回の郡山市の集中豪雨水害に対するお見舞いのお言葉ありがとうございます。
また、先程まで仕事で手が離せず、返信が遅れ更なる心配をおかけしてしまい申し訳ありません。
テレビ報道等のとおり、一昨日・昨日と我が郡山市は豪雨にみまわれ、駅前を中心にかなりの被害があったようです。
こう書いてしまうと被災された方には申し訳ないのですが、幸いにも私の自宅も職場も、まったく被害が無く、
一昨日も大雨警報等が発令され結構強く雨が降っているなとは思っていましたが、夜のテレビのニュースを見て
豪雨で水害?郡山?駅前?と驚いていました。
土地柄、長雨によって阿武隈川が氾濫しての水害や、豪雪被害は何回か経験している郡山市界隈なのですが、
短時間の集中豪雨での水害というと、ほとんど記憶に無いのです。
それほど異常気象であるということで、郡山市をはじめ他の土地で集中豪雨被害にあわれた方々に、あらためて
お見舞い申し上げます。
鉄道に関しては、昨日は郡山駅近辺が数時間にわたり不通となってしまい、昨日の下り「北斗星」はその影響で
函館で運転打ち切りとなった模様で、本日の上り「北斗星」は函館始発で運転されるようです。
ご心配いただきました皆様に、無事であることを報告させていただき、あらためて御礼申し上げます。 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2010年 7月 9日(金)12時52分55秒 |
タイトル |
郡山の 「水」 事情 |
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▼管理人様:
>
長雨によって阿武隈川が氾濫しての水害(中略)は何回か経験している郡山市界隈
郡山と云えば遥々、中央分水界である中山峠を越え、猪苗代湖から安積疎水を引いた
開拓史から、利水上の御苦労を連想しますが、その一方、旧安積町域の日出山地区が、
阿武隈川の旧流路に囲まれる形で、東岸域に迫り出している辺り、治水上の御苦労も
窺えます。東北線では、須賀川市の森宿・滑川地区辺りが「要注意区間」でしょうか。
前述「北斗星」の常磐線迂回を招来した1998年の水害の際は、水郡線も川東の前後や
阿武隈川橋梁で被害を受けた様ですね。起点の水戸では、阿武隈川同様、那須高原を
源流域とする那珂川の橋梁が冠水、上菅谷〜磐城棚倉の久慈川流域は然したる被害が
無かったにもかかわらず、両端の水害で全線不通だったと記憶します。水戸城址から
常陸青柳まで現在「上下関係」が逆転する県道の改修を含む高架切替が進捗中ですが、
これは偏に那珂川の水害対策の産物でしょう。
かなり以前、当掲示板で言及があった様に記憶しますが、郡山駅北側、磐越東西線が
分岐する辺りの逢瀬川橋梁は、盛岡以南の複線化が完了した1967年以降も、単線の侭
残っていた様ですね。渡河に物理的困難を伴う程の河川規模とも思えませんが、実は
強雨時には物凄く暴れるなど、特別な事情があったのか、単線の解消時期と相まって、
ちょっとした謎になっています(青森信号所〜青森駅も、旅客運用面では今でもなお
単線扱いだそうですね) |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2010年 7月10日(土)01時34分50秒 |
タイトル |
異常気象でありますね・・・ |
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おばんでございます。「ED76109」であります。
管理人様
特に被害等がなかったとのこと。胸をなでおろしております。
しかし、今年も「異常気象」なのでございましょうか。まずは、郡山の皆様方にお見舞い申し上げます。
マロネロ38様
>水害不通時の住吉駅で,泥に台車まで埋まったモハ43とか、線路を歩く阪神電鉄の乗客の写真を貰っています
「鉄」から離れますが、「細雪」の作者「谷崎潤一郎」は
「関東大震災」の被災に、地震のない「関西」へ移住した作家であるのですが・・・。
「阪神大水害」に遭遇とは、運命の皮肉であります。
小生の眺めた写真は、泥にまみれた「阪神電気鉄道の春日野道駅(?)」らしき写真と
濁流が流れる「三ノ宮」駅前の写真でありました。
「神戸」は昨年も「大雨」で増水した川で事故が発生するなど、
六甲からの河川が突然姿を変えることが多いようであります。
雑魚様
>この方向転換は、室蘭線が不通になる直前、そして復旧する直前に、
手稲にいた編成のみを対象にした措置と考えるべきでしょうか
御意。
「有珠山噴火」に係る「室蘭本線運転停止」は、確か噴火した前後の「午後2〜3時頃」であったはず(?)であります。
当該コースで「方向転換」したのは、「北斗星1・2号」の「札サウ」編成であったはず・・・。
2、3日後に「山線経由・仙台折り返し」で運転再開。
そして、「北斗星3・4号」はウヤとなり、件の「北斗星5・6号」が「山線経由」の運転だった(?)と記憶。
先達の皆様からの御教示を御願いしたいところであります。
なお、この「有珠山噴火」に係る「鉄話」としては、
「豊浦町の住民」を救出した「臨時スーパー北斗」の逸話があります。
運休中の「室蘭本線・豊浦」まで、逃げ遅れた住民の足として「長万部」から「281系」が「豊浦」まで運転され、
住民を保護して「長万部」まで戻ったというもの。
「TVニュース」で「助かりました。」と感涙に噎んでいた老婆の姿が今も脳裏に残ります・・・。
長々と失礼致しました。
以上、「突発的生徒指導○○」の関係で「北見への出張」が「日帰り往復のRキップ利用」へと化けてしまった
「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2010年 7月10日(土)09時27分34秒 |
タイトル |
谷崎潤一郎と鉄道 |
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ED76109先生:
「細雪」には水害関係の鉄道の描写とか、阪急「芦屋川駅」が木造ホームで復活とか、妙子
を救助に出かけた貞之助が、立ち往生の東海道本線下り急行車内に一時避難とか、
「マンボ」=主に甲子園口−灘間の築堤下にあった、「農業用水路兼人道トンネル」とか、
鉄関係が方々に出てきます。
「マンボ」(オランダ語が語源らしい)は人一人が通れるぐらいの高さで、自転車
ではハンドルに頭を付けるぐらいにかがまないと「ゴツン」のトンネルで、用水路に板を
引いてあります。
甲子園口のは山側が原型に近く、海側は戦時中の川西航空機への引込み線増設でコン
クリートの入り口で残存、西宮のはそっくり残っています。乗用車一台が通れるぐらいの
大型マンボは山陽電鉄の旧歌敷山駅−現舞子公園駅の間に残存しています。阪急武庫川
東岸のはコンクリートに改造で消滅。
阪神間の貴重な鉄道産業遺構ですから、山陽電鉄も含めていずれ皆さんに見て貰う機会を
作りたいと存じます。
出張予定が狂ってがっかりですね。 |
投稿者 |
XD1 at Phuket |
投稿日 |
2010年 7月10日(土)10時16分28秒 |
タイトル |
夜汽車の切符をハジャイ駅で |
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バスでハジャイに着いてお宿で一泊。次の日の夜行列車に乗るのですが、着いたその日に切符は事前購入。
画像の1枚目が、午後5時まで開いている予約の切符売り場。
タイ語と英語のチャンポンですが、
「明日、一人、バンコク、寝台、あるなら下側」
「午後6時、905B」
「OK」
で、直ぐに買うことが出来ます。明朗会計でございます。丁寧に、赤ペンでマークを入れて確認です。
切符の裏面の注記の一番下を見てください。「ANIMALS OR STRONG SMELL FOOD/FRUITS ,,,,,」だって。
直訳すると「動物や匂いの強い食べ物/果物は、エアコン車輌には持ち込めません」となりやす。
匂いの強い果物って、ドリアン? やっぱ南国だなぁ。
エアコンなしの車輌ならOK? 確かにあの車輌なら、犬猫やドリアンとかでどーのこーのは無いわなぁ。
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話は変わりますが、読売新聞のサイトから、バンコク郊外の鉄道の動画です。
http://www.yomiuri.co.jp/stream/m_news/vn100709_1.htm
新鮮市場はレールの上
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投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2010年 7月10日(土)16時32分23秒 |
タイトル |
有珠山 |
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▼ED76 109様:
>
豊浦町の住民」を救出した「臨時スーパー北斗」の逸話があります。
最初の噴火の直後、長万部駅で運転を中止した下り便編成を急遽、宛がった様ですね。
噴火活動の避難に鉄道が利用されるのは珍しいと感じますが、当時、避難先の導線が
西側方向に限られていたであろう豊浦界隈から見た場合、小幌前後の急峻な海岸線に
鑑みて(既述の様に、室蘭線が隧道で抜ける海岸線の断崖地自体が中央分水界なので、
断崖地の北側を並行する胆振国道は、日本海側水系の河川に並行しています)鉄道を
介した避難導線の補強は、然るべき判断だったのでしょう。
この有珠山や「併設」昭和新山に、経路変更を含め翻弄され続けたのが胆振線ですね。
噴煙が成層圏に達した1977年の大噴火に伴う復旧費用が廃止の主因になった様ですが、
胆振縦貫鉄道そもそもの敷設動機と思しき脇方鉱山が閉山されて以降、胆振と後志が
鉄道で結ばれる事にどれ程の意義があるのか、正直の処、懐疑的でした。循環急行が
運転された経緯にも鑑み、鉄道体系上、札幌から遠く離れた印象を受ける旧胆振線の
沿線域も、定山渓温泉から中山峠を越えれば、意外に近いのですね。
▼XD1
at Phuket様:
>
直訳すると「動物や匂いの強い食べ物/果物は、エアコン車輌には持ち込めません」
花形寝台車の「嫁ぎ先」での処遇を含め、毎度、レポートを興味深く拝見しています。
タイの長距離バスを紹介したTV番組によると、冷房を目一杯効かせた車両で厚着を
する事が至高の贅沢とか。暑い御国柄、空調がステイタスの象徴であるのは、鉄道も
同様と思われますが、確かに、車内でのかかる臭気は頂けませんね。
>
話は変わりますが、読売新聞のサイトから、バンコク郊外の鉄道の動画です。
鷹揚と言えば鷹揚で「トワイライト・ゾ〜ン」に通じる雰囲気すら感じますが、一方、
事故(例えば飼育動物の予測不能な動きなど)は無いのでしょうか。 |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2010年 7月11日(日)08時18分37秒 |
タイトル |
阪神間モダニズム |
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おはようございます。昨晩はごゆっくりと御休いただけましたでしょうか。「ED76109」であります。
マロネロ38様
>「細雪」には水害関係の鉄道の描写とか、(中略)鉄関係が方々に出てきます。
次女「幸子」が芦屋に在していた邸宅(倚松庵・モデルは潤一郎夫人)は、
「六甲ライナー」建設に伴う移築保存が平成2年に実施されておりますね。
「修学旅行」のグループ研修の折に、と考えているのですが、食いしん坊の小生は大抵「南京町」方面で・・・
となってしまい、訪問しておりません。いつか「住吉」に降り立ちたいものであります。
小生は、今は改築で姿を消してしまいましたが、「阪急電車の梅田駅コンコース」の絢爛豪華さが印象にの残っております。
あたかも「阪神間モダニズム」の象徴であるかのシャンデリアは、「オホーツクの生徒たち」の度肝を抜かせておりました。
>出張予定が狂ってがっかりですね
最近はやりの「モンスター○アレント」への対応を依頼されて、
解決できた頃には「予定のスーパーおおぞら」にも間に合わず、
「鉄道林近くの駅」で「札幌・北見のRキップ」に変更してもらうはめに・・・。
今年から「生徒指導部長」となり、このままでは「修学旅行」の引率も微妙な立場。
まさしく、「すまじきものは宮遣ひ」であります。
雑魚様
>札幌から遠く離れた印象を受ける旧胆振線の沿線域も、定山渓温泉から中山峠を越えれば、意外に近いのですね
御意。小生のとある同僚の前任校は「喜茂別高校」であります。
しかし、自宅は札幌市の「簾舞(定山渓温泉の麓)」であり、7年間「中山峠」を越えて「所要時間50分」でマイカー通勤。
しかし、同僚は以前記述した「鉄」教師の一人であり、「一度は胆振線に乗りたかったです」と申しております。
小生は、昭和61年の廃止直前に「制覇」しておりますが、
先達の皆様方とほぼ立ちっぱなしで「伊達紋別」から「倶知安」へ・・・。
景色よりも脚の痛みが印象に残る「乗り鉄」でありました。
長々と失礼致しました。
以上、三女「雪子」役の「壇れい」さんの故郷「浜坂」を、
旧客鈍行で共に旅する幻想を夢見た「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2010年 7月11日(日)09時37分15秒 |
タイトル |
師走改正展望 |
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近く、盛岡方面出張の可能性が出て来ました。この際なので、前日に有給休暇を取り、
上野・青森を迂回して「あけぼの」に乗って見るか、いやいや、御楽しみは新幹線が
新青森に延伸されるまで取って置くか、一方「あけぼの」が来年以降も残っているか、
昨夜は、色々と皮算用でした。
これに関連して、新幹線延伸時における「あけぼの」去就に関する言及を、あれこれ
拾っていた処、6月29日付「東奥日報」に
少し気になる記事を見つけました。それは、
新幹線の新青森延伸で八戸〜青森の在来線特急が廃止される事に伴い、青森〜弘前が
通勤型車両による輸送体制となる公算が強まった、というものです。
青森〜弘前は40km弱、特急設定には短い為(四半世紀ほど前「ホワイト・アロー」が
札幌〜旧千歳空港のみで設定された事はあります)増発のバーターとして、通勤型に
集約するという趣旨らしく、観光振興面からこれに反発する弘前側では、特急設定を
必然ならしめる為、大館延伸を唱えるも、当の大館界隈では然したる要望の高まりは
未だ見られない様ですね。
新幹線を介した大館・弘前への移動は、盛岡から高速バスに繋げるのが一般的な様で、
弘前便は新幹線延伸の影響が少なからずあるでしょうが、二戸とほぼ同緯度の大館に、
新青森経由で移動する必然性は、盛岡〜大館の高速バスが一日14往復設定されている
点に鑑みても、大きくないと思われます。
仮に「つがる」相当筋が通勤型に落ち着いた場合、矢立峠を超える定期の優等列車は、
一日六往復となり、寝台特急「昼寝枠」が思わぬ処で重要視される事になりそうです。
しかし、所詮は「昼寝」風情を求める事情通ならともかく、居住性は今ひとつですし、
新青森の在来線ホームが、十両超の寝台特急の停車に対応するか否かも気になります。
大阪〜青森の都市連絡において競合する高速バスが存在しない「日本海」はともかく、
秋田・青森の二都市で首都圏からの輸送導線が新幹線と重複する「あけぼの」の場合、
元々、青森まで通しの利用客は少ないと言われている事から、上記の案件に関連して
秋田で運転系統を区切り、以北を「かもしか」の増発に置き換える可能性はあるのか、
その場合、現行の秋田車両センターは、客車留置に対応できるのかなど、考え出すと、
込み入るばかりです。
また「日本海」と異なり「あけぼの」はJR東日本の管内のみの運転なので、ダイヤ
改正時期の制約も比較的少ないと思われ、それやこれやで年末のダイヤ改正はやはり
要注目と感じる雑魚でした。 |
投稿者 |
XD1 at Phuket |
投稿日 |
2010年 7月11日(日)10時22分19秒 |
タイトル |
駅に入ると 3等客車 |
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当日、つまりは切符を買った翌日、早めに駅に入りました。
ふと見ると、自分が乗る列車ではないのですが、3等客車も見えます。とりあえずこれらの写真をば。
これでバンコクまで走るんですね。一晩これでは、かなりしんどいです。
もちろん、短い区間のみの利用客も居られると思いますが、以前真夜中に3等車を覗いた時は、ほぼ満席でした。
当然、エアコンはありません。
車内は3枚目の画像のような感じです。
既に人も多く、知らない人がはっきりと写るような撮影は自粛しているので、こんなもんでご了承ください。
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雑魚さま
タイという国は、古いままの物と新しい物が奇妙に混在しています。
じつは、日本の東京駅に相当するバンコク駅の近くも、あれほどでもないにせよ、似たような雰囲気の場所はあります。
エアコンも、都心部の新興中産階級の自宅では、かなり普及しています。
もちろん商業ビルなどでも。それでいて3等客車は、こんなんであります。
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投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2010年 7月11日(日)10時39分43秒 |
タイトル |
胆振線 |
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▼ED76 109様:
>
自宅は札幌市の「簾舞」であり「中山峠」を越えてマイカー通勤(一部省略)
簾舞と云うと以前、当掲示板で私が
札幌市営地下鉄の延伸を唱えた(?)地区ですね。
通勤で中山峠越えとは豪気ですが、積雪期の御苦労たるや、想像すら出来ません。
その簾舞に駅を擁していた定山渓鉄道なら、中山峠を越える構想があって良さそうに
感じますが、今の処、そうした記述は見出せません。その一方、北海道炭礦鉄道から
貴賓車両として転入した客車「い
1」が北海道鉄道記念館 改め
小樽市総合博物館で
現存と聞き、一昨年の渡道で小樽を訪ねて置きながら「手宮」を完全に失念していた
自身の間抜け振りに、改めて身を捩るのでした。
>「一度は胆振線に乗りたかったです」
私が初渡道した当時、胆振線は健在でしたが、当時は視線がどうしても道東・道北を
向いていた為、道南のローカル線は廃止と知りつつ「見送った」例が多々ありました。
車窓風景で特に興味のある路線でなければ、廃止になったらなったで消化の義務感や
強迫観念から解放されるだろうという、今となっては不遜極まりない感覚も、一部に
ありましたが、良く考えて見れば、雪の羊蹄山など胆振線にもかなり美味しいネタが
あった訳で、当時の浅学振りに、更に身を捩るのでした。 |
投稿者 |
雪だるま |
投稿日 |
2010年 7月11日(日)22時22分44秒 |
タイトル |
中山峠の旧道 |
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雑魚さま
中山峠は今でこそ舗装され広い道幅の走りやすい道路ですが、
定鉄の廃止されたころはバスがすれ違うのさえ大変な砂利道でガードレールすらない峠路でした。
定山渓温泉より先の延長など考えられない環境でした。
学生の時に訪れた十和田観光電鉄で定鉄の電車を見つけた時にはすぐに乗ってしまいました。
小樽市総合博物館には遠軽にいたスエ78が保存されています。
海が近いのでどの車両も塗装がボロボロなのが残念です。 |
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