倶楽部メモ(606)
平成22年 6月16日〜 6月23日

空気バネの供給源 ・ 鉄道と女の子


投稿者 高速貨A
投稿日 2010年 6月16日(水)23時10分3秒
タイトル 空気バネの供給源
 オロネ10や改造後のマロネ41など、空気バネ装備の旧型客車について、皆様方にお聞きしたい事があります。
 空気バネに必要な空気は、機関車から供給されるのでしょうか?、
機関車から供給される場合には、専用の引き通し管から供給されるのでしょうか?
それともブレーキ管を通して供給しているのでしょうか?
 専用の引き通し管から供給される場合、空気バネを装備していない(専用の引き通し管を装備していない)
車輌との併結に支障がありそうな気がします。
 ブレーキ管から供給される場合は、本来はブレーキに使用する空気を転用しているので、
車輌の連結両数に制限がありそうな気がします。
 オロネ10やマロネ41は、冷房用発電機を搭載しているので、
もしかしたらコンプレッサーを搭載しているかもしれませんが、実際のところ不明です。
 また、10000系貨車改造のナハ29000形については、今年のGWに「増毛ノロッコ号」乗車した際に、
TR203台車や連結管などを観察しましたが、正直言って何が何だか分からない状態です。
おそらく機関車から供給されているのだろう?と推測しています。
 皆様方のご指導のほどよろしくお願いします。
添付写真はナハ29000形のTR203空気バネ台車です。




投稿者 ED76109
投稿日 2010年 6月16日(水)23時36分5秒
タイトル どうしん鉄道研究会
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 雑魚様
 >その先が本線跡(枝幸線の廃止区間)を踏襲した

 正確なことはわかりませんが、件の「日本鉄道旅行地図帳・北海道編(新潮社・平成20年5月刊」によりますと、
ほぼそのような路線配置であったと推定できます。
特に「歌登・北見枝幸」は、「歌登町営軌道枝幸線」のルートを踏襲する意図もあったことから、
「美幸線」の道床確保のために廃止されたと考えられなくはございません。

 >「オホーツク縦貫線」の構想

 「根北線(斜里・越川〜根室標津」も、「興浜線(浜頓別・北見枝幸〜雄武・興部)」と同様に、
完成前に廃線となってしまった幻の鉄路であります。
現状でオホーツク海が望める鉄路は、「釧網線の網走・知床斜里」間のみとなってしまいました。(嘆息)

   ところで、当地の「北海道新聞のWebページ(http://wwwhokkaido-np.co.jp)」に
「どうしん鉄道研究会」なるコンテンツがございます。
「キハ56」のイラストをクリックすると、全道・全国どころか世界の「鉄」に係る話題が・・・。
最近の「世界の鉄ネタ」としては、「ロシアの新高速鉄道の開かずの踏切」の話題が取り上げられており、
大変興味深く一読致しました。
先達の皆様方も一度「覘いて」みては如何でございましょう。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 6月17日(木)16時25分54秒
タイトル 釧網 「本」 線
▼ED76 109様:
> 現状でオホーツク海が望める鉄路は「釧網線の網走・知床斜里」間のみ

オホーツク海の他、原生花園・濤沸湖・斜里岳・釧路湿原・シラルトロ湖・塘路湖と、
車窓風景は超一級で、繁忙期には観光列車・団体列車も相応の頻度で運転されますね。
団臨では「北斗星」用24系の充当編成もあるそうで、オホーツク海岸区間の御約束の
足場で狙って見たいものです。

一方、沿線人口は極端に少なく(釧路・網走両市を除く沿線自治体の総人口は約六万)
日常的な旅客需要においては、凡そ「本線」には程遠い陣容です。特に冬季運休便を
含めても一日五往復しか運転されない、支庁境界の野上峠の前後は、観光列車の動向
次第で、存廃が左右されるのではないか、と思える程です。

なお、釧網線では網走が下り便の起点ですが、特急の運転頻度や自治体人口、そして
市街規模を考えると、釧路発を下りとした方が分かり易い様に感じます。

▼コスモス様:
> ♪汽車も見えねー、隣には女子高もねー、あるのは脇の小学校だけ

それでは「源氏物語/若紫」よろしく「ねびゆかむさま、ゆかしき人」を見い出して、
生温かい眼で見守るしかないですね(それはそれで問題がありますが)



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2010年 6月17日(木)19時38分36秒
タイトル RE:空気バネの供給源
高速貨Aさま

旧型客車の場合はブレーキ管からの供給です。
ご推察の通り、連結両数には制限(6両だったかな?)があります。
オロネ10形だけでなくTR203を履くワキ8000形も同様に制限の対象でした。
投稿者のホームページ



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 6月17日(木)20時31分0秒
タイトル 斜里−網走
オホーツク海が見えるのは本当にこの区間だけですね。昭和27年夏に父と北海道旅行の
時、川湯からC58の混合列車(ナハやホハばかり)に乗車した時に海側に座っていたので
「オホーツク海だな」と-----。驚いたのは川湯−緑間が40分近く要した事でした。父が
「大変駅間距離が長いのはさすが北海道だ」と----。斜里で30分近く停車したのも驚き
でした。アイスキャンデーを買いに駅前へ出たりで。網走で夕食の駅弁を買ったついで
に駅蕎麦を食べましたが、これが意に反して不味かったです。勿論「インチキ準急」に
乗車したのですが、ED76109先生が居られた「遠軽」でのスイッチバックを知らずに
アレレで---



投稿者 高速貨A
投稿日 2010年 6月17日(木)22時04分58秒
タイトル Re:空気バネの供給源
 竹中@ノーブルジョーカー様、早速の返答どうもありがとうございます。
旧型客車の場合はブレーキ管からの供給ですね。
 連結両数に制限があるということなので、
昭和40年代に運行されていたオール2等寝台(A寝台)の観光列車(ことぶき?)や
TR203装備のスニ41やTR217装備のオユ14が混在した荷物列車も、
それなりに連結両数に制限があったのかな?と興味深いところです。
 最後になりますが、ナハ29000形は10000系貨車の改造車なので、
もしかしたら空気管付密着自動連結器を装備しているのでは?と思っていましたが、
今年のGWに観察した限りでは、通常の連結器でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 6月18日(金)18時24分55秒
タイトル ノロッコ号
釧網線の話題のついでに、同線における準急・急行の歴史を辿ると、準急「摩周」に
端を発すると思われる複雑な変遷に、当時の国鉄ならではの、奥の深さを感じますね。

屈斜路湖岸の和琴半島に因んだと思われる「わこと」を継承した準急「しれとこ」は、
北見まで直通しており、この辺に、旧網走支庁域における北見の拠点性と、釧網線が
網走を下り始発とする必然性らしきが窺えます。

当時、標茶以南では、根室標津発着の準急「らうす」が多層建を組み「しれとこ」が
急行化された1966年に「くなしり」と改称、その後「しれとこ」に統合解消しました。
標津の街からは国後島が間近に眺められますが、現在なお領土問題が決着していない
地域を愛称に用いた辺りは「なは」に通じる感覚が窺えます。

1968年の「ヨンサントオ」以降は、石北線急行「大雪」が釧網線を釧路まで直通する
大技もあったのですね。札幌・旭川のみならず、小樽・函館を始発とする実に壮大な
事例も見られ、電算化される以前の「スジ屋」の御苦労が窺えますね。遠軽以東では
名寄・興部・紋別始発の急行「天都」が多層建を組んだ事もあり、この辺は「ARC
資料室」を見ても、直ちに系統的な理解が困難な程に運転体系が複雑化していますが、
少なくとも1980年までは「大雪」の釧網線直通が行われていた様に思われます。

これらを概観して初めて「釧網『本』線」の必然性が納得出来ますが、函館線急行が、
わざわざ網走を迂回してまで釧路に直通したのは、釧網線の沿線における観光需要が、
バブル期の「リゾート・ブーム」よりも以前から確立されていた為と思われ「斜里→
知床斜里」「川湯→川湯温泉」「弟子屈→摩周」の改称に観光重視の施策が窺えます。

一方、摩周駅の所在地は、弟子屈町の中心地である事、同駅は、屈斜路湖や阿寒湖の
玄関口でもある事、川湯温泉駅も地理的に、屈斜路湖や摩周湖の玄関口になり得る事、
そして、温泉やキャンプ場を擁する屈斜路湖畔の方が、摩周湖畔より行楽性が高いと
見受けられる事を考えると、摩周駅では、何らかの形で「弟子屈」の名を残した方が
良かったのではないか、とも思えます。それでもなお「摩周駅」を名乗るのは「霧の
摩周湖」のヒットに端を発する神秘的な魅力のゆえでしょうか。

こうした釧網線の観光輸送の立役者である「ノロッコ号」は、貴重な客車仕様ですが、
推進運転対策による最後尾の面構えだけは、旧来の客車から逸脱したイメージですね。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 6月19日(土)05時53分34秒
タイトル 道東鉄路点描
 ワールドカップ中継で昼夜逆転気味の俄サポーター「ED76109」でございます。

 マロネロ38様
 >驚いたのは川湯−緑間が40分近く要した事

 同区間(14.5キロ)の「釧北隧道」(549メートル)が、旧支庁境(本州での県境のようなもの)となっており、
「川湯温泉」・「緑」両駅から「知床山地」の外れの峠の頂上(「釧北隧道」付近)まで「25‰の急勾配」が続いています。
 現在でも「キハ40及びキハ54」が轟音を響かせる釧網本線の難所であります。
 なお、蛇足ではありますが、「川湯温泉(旧川湯)」の駅舎は「オンコや白樺の銘木」が端正な駅舎を飾る「名駅舎」。
映画「君の名は」のロケの際、「美幌駅」として銀幕デビューしています。

  雑魚様
  >石北線急行「大雪」が釧網線を釧路まで直通する大技

 件の「鉄」親父との「初渡道」の昭和48年の早春、「網走」から「大雪4号(604D)」に乗車。
「網走」から「G車」等を増結した記憶がございます。
小生、得意の「昭和48年6月度JTB時刻表」によりますと、「上り3本・下り4本のDC急行」が設定されております。

  下り「しれとこ1号」 「根室標津・川湯始発」→「標茶にて併結」→「釧路」
    「しれとこ2号」 「根室標津・北見始発」→「標茶にて併結」→「釧路」
    「大雪1号」   「旭川始発」→「釧路」(日曜・川湯から「摩周観光号」増結)
          ※ 「摩周観光号」は「釧路」から札幌行急行「狩勝」に増結。
    「大雪3号」   「札幌始発」→「釧路」

  上り「大雪4号」   「釧路始発」→「網走」→「札幌」
    「しれとこ2号」 「釧路始発」→「標茶にて分離」→「網走・根室標津」
    「しれとこ3号」 「釧路始発」→「標茶にて分離」→「北見・根室標津」
   ※「摩周観光号」が日曜「川湯」まで運転。(「釧路」まで札幌発「狩勝」に併結)

   >函館線急行が、わざわざ網走を迂回してまで釧路に直通した

 小生の勝手な推測ではありますが、「斜里〜標茶(中標津を含む)」と「札幌・旭川」の道央を
ダイレクトに直通する列車の必要性が存在したのではないかと考えられます。
現在でも「中標津・札幌」との航空便や都市間バスによる「直通便」が存在しており、
観光客以下の需要が認められるものであります。
現に「根室振興局勤務の道教委職員」は、「道庁出張」の折、
「JRの陸路」ではなく「ANAの空路」で「札幌入り」が規定ルートであります。
 ちなみに、「札幌」から「大雪3号」で「標茶」まで行けば、
最終の標津線で「中標津」まで接続するダイヤが設定されております。
映画「家族」の移動経路として「函館」から「DC北海〜DC大雪」のルートであれば、
「函館」からの日着は可能であることが今回リサーチできました。

 >釧網線の沿線における観光需要

  今年、「釧路・網走」を直通する「摩周&川湯温泉足湯めぐり号」(件の臨時直通DC)が運転されます。
途中駅である「摩周」及び「川湯温泉」では、駅前の「足湯」で「行きずりの美女との混浴(但し足湯です!!)」も・・・。
「JR北海道」内では、「先を急ぐ乗客もいるはず」との意見もあり、当初このプランに難色を示したのですが、
地元の観光協会からの強い要望により、「摩周」及び「川湯温泉」での長時間停車(15分程度)が実現したのでございます。

 長々と失礼致しました。以上、「和蘭何するものぞ」と「愛国心」に燃える「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 6月19日(土)18時28分41秒
タイトル 釧路界隈の蹉跌
▼ED76 109様:
>「斜里〜標茶」と道央をダイレクトに直通する列車の必要性(一部中略)

旧根室支庁の「空の玄関」と捉えていた空港が、根室市ではなく、鉄道が廃止された
中標津町に位置する必然性が、今ひとつ不明でしたが、一大観光地である湖沼群への
アクセス事情を勘案した上で、御指摘の事情も踏まえると、成程と感じます。つまり、
釧路と中標津、夫々の空港の守備範囲は、旧支庁界とは必ずしも一致しないのですね。
なお、根室市と中標津町の人口は、どちらも二万台で、空港の有無が、鉄道の存廃に
逆の相関性を以て作用したのではないか、とすら思えます。

その様に考えると、根室線の特急「おおぞら」急行「狩勝」の標津線直通があっても
良さそうなものですが、それらしき事例が見当たりません。旅客需要が釧路で大きく
一段落する根室線の末端区間自体「狩勝」が一時期直通した程度ですね。初渡道した
80年代半ばは、14系夜行急行「まりも」に急行「ノサップ」が接続する体制でしたが、
それなら、急行料金の通算制にも鑑み、座席車のみの段落ちで良いので「まりも」を
根室に直通させても良さそうに感じたものです。

この当時は、釧網線に急行が残っており「乗り鉄」に重宝しましたが、標茶を発車後、
数kmほど並行した標津線の線路が突如、森に隠れて分岐する、正にその時、道内でも
かなり稀少化していた、標津線用の「ハエタタキ」が一瞬現れたのが印象的でしたね。
同時期、標茶町内の 国道391号線を運転中、町営軌道と思しき踏切跡を通過しており、
それやこれやで、標茶界隈には、独特の思い入れがあります。

標津線は、別海町域の原野風景に惚れ込み、厚床→中標津→根室標津→標茶の要領で、
二度、乗りました。特急・急行の経路に供されるなど、他都市への移動目的を伴わず、
既に「消化」した閑散路線を再訪したのは、この標津線のみです。

この頃、東釧路駅における根室線と釧網線の分岐点では、釧路臨港鉄道(太平洋炭鉱
石炭販売輸送)も分岐しており、釧路川南側一帯に、もう少しで循環線を成しそうな
路線がありました。意外や現在も、JRから完全に孤立した 4km区間が健在だそうで、
なぜ市街地の近郊で、こうした路線が存続できるのか、大いに謎です。

太平洋炭鉱といえば、当該貨物線との絡みや現況は不明ですが、やたらと痩身の凸型
機関車を擁する電化線もありました。根室線の釧路川橋梁に近い木材防腐の事業所に
存在したらしい狭軌専用線や、釧路駅から帯広側に分岐した専用線を含めて、当時の
釧路界隈は未だ「美味しいネタ」が結構残っていた訳で、私自身の「嗅覚」の悪さが、
今頃になって悔やまれるばかりです。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 6月21日(月)16時15分30秒
タイトル 鉄道三誌を読む
我が家のエンゲル係数も弁えず(更に、迂闊にも一括全納奨励制度の廃止を知らずに、
住民税ン万円を支払ってしまい、大痛恨)毎月購読している鉄道三誌の今月発売分が
出揃った処で、感じた事を少々。

まず茨城県内と福島県内の違いはありますが、RF・RJ両誌で、個人的に馴染みの
足場を含む構図で、主に「赤い電機」を対象とした常磐線の撮影指南特集が組まれて、
好感しました。特にRJ誌では、むくつけき輩が跳梁跋扈した従来の「鉄」の印象を、
根底から覆しかねない、妙齢の御嬢さんの登場に、拍手喝采(^^)

御嬢さんと云えば、書店で漫画「鉄娘な三姉妹」第三巻も見掛けまして「まだ続いて
いたのか」などと思いつつ、つい購入してしまいました。読み付けると結構、クセに
なりそうな内容です(^^)

関連して 東北線や常磐線での EF510 試験運転も紹介されていましたが、願わくば、
常磐線でも東北線と同様、24系数両を従えて欲しかった処です。六月の後半と云えば、
高崎の12系を仕立てた「矢祭町民号」が御約束で、この際、当該機との組み合わせが
見られないものかと期待しましたが(東北線では試運転で実現した様ですね)生憎と
今年は運転予定が無さそうです。過去の記録を調べると、どうやら隔年運転と思われ、
来年に期待しませう。

RJ誌の糸崎駅特集も興味深く拝見しました。十年前の夏に向日町のボンネット車を
充当して、下り一本のみ運転されたリバイバル「はと」も、糸崎で運転停車しており、
蒸機の要衝としての往年の風格、ここにあり、という雰囲気ですね。

山陽鉄道の暫定開業時期に「三原駅」を名乗るも、直後の延伸で、より中心街近くに
現三原駅が設置された為、運行上の拠点性を残しつつ、優等列車体系上、蚊帳の外に
置かれたという特異な印象を伴う同駅ですが、無煙化後、山陽新幹線が開業するまで
優等列車の停車パターンにおいては、どの様な扱いだったのやら。

RF誌では「式年遷宮」を契機に、伊勢志摩地区発着の新型特急に食堂車を設置する
近鉄の構想も紹介されており、これまた拍手喝采ですね。時勢柄「ケータリング」の
可能性も考えられますが、食堂車営業はある程度以上の運転時間を前提としますから、
この際、懸案だった「近鉄特急の山陽姫路直通」を検討しては どうでしょうか(^^)



投稿者 さくら号
投稿日 2010年 6月22日(火)22時25分47秒
タイトル 大村線
私の最寄りの駅は、大村線での絶景撮影ポイントの近くに住んでいます。
DLけん引のリバイバルブルトレが走る日は「撮り鉄」で大混雑でした。
日頃はここでしか生息していないキハ66+67がのんびり走っています。
キハ220の赤もブルーの中で目だっています。
大村線に撮影に来てください。おまちしています。
昔はC57+旧客も走っていたのですが・・・



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 6月22日(火)23時56分23秒
タイトル 大村線気動車
 こんばんは。
<さくら号様>
 小生も大村線の気動車が好きで、仕事・プライベートでも
何度も乗車し、心底キハ66やキハ220にほれ込んでおり
ます。

 夜行寝台「ながさき」や、松浦線からの旧型客車牽引の、
DD51など、完全なるノスタルジーになりましたね・・

 今となっては、JR九州が、JR各社の中で、一番国鉄の
イメージから遠くになってしまった気がしませんか?

::添付・長崎駅の大村線気動車写真:: ::添付・佐世保駅キハ66国鉄色(再掲)::



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 6月23日(水)01時09分53秒
タイトル 鉄道と女の子
「鉄」の印象を、根底から覆しかねない、妙齢の御嬢さんの登場・・・

 続投で失礼致します。
<雑魚 様>

 ご投稿で仰せの通り、最近では鉄道の「外縁部分」に女の子の「鉄」
に対する意識変化を、以下の3パターンで感じます。

1、旅行時に「撮り鉄」として特急・普通に関係なく、乗車記念的に、
  ヘッドマークや型式番号(キハ云々)を写メール撮影している光景
  をかなり見かけます。

2、先日、兵庫県川西市「アステ川西」でのHOゲージ/Oゲージ公開
  運転会での一コマ。

    ***20才前後の女性軍団***
  「この電車、かわいい・・・」(スーパー雷鳥)
  「この電車で通学したよね・・・」(113系)
  「庭園鉄道やキッチン鉄道もおもしろそうや・・」

  小生が質問?
  「キッチン鉄道って何のこと?」
  女子軍団曰く
  「ドイツのレストランで機関車がソーセージを運んできたのが、
   忘れられへんかった・・・」

3.HOゲージ(中古品)購入後、立ち寄った「ガールズバー」で
  の会話。
  バーテンダーは殆どが女子大生で、小生の模型の箱を見つける
  や否や
  「これみせてー・・・」
  「かっこええやん・・・」(EF58・はと色)
  「これも、おしゃれやんか・・」(ミト座・スロ81x4両)

  EF58とミト座つなげると
  「あー全く<メーテル>の世界や・・」

 今や「鉄」=「ダサイ」「うざい」のイメージは完全に払拭され、
鉄道アイドルまで盛況とは。

<小生の好きな鉄アイドル2人>
1、伊藤 桃さん(青森・野辺地出身・かなりのかわいい系)
2、斉藤雪乃さん(大阪・吹田出身・かなりの美形・女優系)

  時代の変遷、いや鉄路に身をゆだね、鉄道における安定・定時走行
の事実が、混迷を極める時勢に、「癒し」と「頼りがい」「安心」を
自然と女の子達に提供しているのではないでしょうか?

 長文・駄文で失礼いたします。

 平城遷都にあわせ「まほろば気動車」の想い出写真を投稿します。

<嫌われ気動車と春日大社色113系・奈良駅>モノクロ <名古屋行き「かすが」キハ26・奈良駅>
<片町線キハ20型単行・長尾行き・木津駅>モノクロ



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 6月23日(水)08時07分26秒
タイトル 「北の鉄名所」再び
おはようございます。開校記念日で本日休業の「ED76109」でございます。

 まずは「お断り」を・・・。

 (誤)  「上り3本・下り4本のEC急行」→「上り3本・下り4本のDC急行」(管理者注:原文は訂正済です)

    お詫びして訂正致します。

  前回、道東の「鉄」回顧に繋がりました「鉄の北名所」。
 今回も、3カ所先達の皆様方にご紹介申し上げ、何かの話題にしていただければ幸いでございます。

 1 「札幌」から「スーパーとかち」で約2時間半で到着する「芽室」。
 十勝のど真ん中に位置するこの町に、「十勝鉄道(日本甜菜製糖芽室工場専用線)」がございます。
 路線は全線にわたり「JR根室本線」と並行しておりますが、
 ここでは以前「JR東日本」で活躍していた「DE10」が活躍中。
 何の変哲もないと小生は考えるのですが、「撮り鉄」の先達の皆様には、
 「JRFコンテナで統一された美しい貨物」が「日高山脈をバックにした絵」で撮影できるとあって、
 地味ながらも人気なのだそうでございます。
  夏よりも厳冬期の頃が十勝晴れの青空を背景に出来るとあって、
 「重装備で-25℃」の中で撮影される「撮り鉄」の方もいらっしゃるとのことであります。

 2 1の「芽室」から、さらに東へ進むと「旧ふるさと銀河線(元JR池北線)」の分岐駅「池田」があります。
 札幌からの「スーパーおおぞら」ですと、約3時間弱ほど。
 「池田」から「銀河線の転換バス」で揺られ、「釧北峠」の手前である「道内最寒の地 陸別」に入りますと、
 ここには「旧銀河線の運転シミュレーション施設」がございます。
 事前の予約が必要ですが、「横川でのEL運転体験」とほぼ同様の感動が味わえます。
 白樺林に囲まれた「旧銀河線」では財政難で廃線となった後、保存運動を進める町が車両などを買い受け、
 新たな観光拠点として施設整備を進めてまいりました。
  目玉の運転体験では銀河線の元運転士らが付き添い、駅構内の500メートルの線路を時速15キロ以内で走行できます。
 「漫画家松本零士」さんの人気アニメ「銀河鉄道999」がペイントされた車両も運行しております。

 3  そして、「スーパーおおぞら」の終着駅「釧路」にまだ残るのは、
 「雑魚様」のご紹介にもございました「太平洋石炭販売輸送」。日本で唯一の「運炭鉄道」であります。
 現在は「JR」とは接続されていない単独路線ですが、春採湖畔や太平洋など「撮り鉄」の先達の方々には、
 スケール感の溢れる写真が撮影できるようでございます。
  主力機は、電気式DL「DE60」、ロッド式「D401」、そして「D701」と「D801」の合計4両。
 1日に6往復が釧路市内を走行中。
 なお、現在でも「釧路コールマイン」として生まれ変わった「太平洋炭砿」の構内軌道が一部現存しております。
 「610o」のナローゲージに木製の「架線電柱」。
 そして、東芝製のミニ電気機関車と役者は揃っているようであり、
 「1日居ても飽きない」と仰る「撮り鉄」の方々の「名所」であります。

 長々と失礼致しました。
以上、「4連勝」でメイクレジェンドの夢再びの「道民球団応援団」である「中年客車鉄ちゃん」でありました。



 
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから