倶楽部メモ(605)
平成22年 6月 7日~ 6月15日 |
機関車製造拠点の現況 ・ 歌登町営軌道
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2010年 6月 7日(月)16時09分47秒 |
タイトル |
機関車製造拠点の現況 |
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昨日、日製の水戸工場で、関係者やその家族、地域住民などを対象としたと思われる、
恒例のイベント開放があり、技術者として勤務する知人の招待で、久々に訪れました。
鉄道車両(主に電機?)も手掛けていた同工場では、勝田駅から国道六号線の際まで、
専用線が延々と続いており、海外向車両に対応した複合軌間の電化路線が、雑木林や
草地にあって、独特の「トワイライト・ゾ~ン」を形成していました。この専用線を、
BL牽引の従業員輸送列車(確か、東急ステンレス電車風味の車両でした)が往来し、
イベントの際には一般開放されるなど「鉄」には実に魅力的な事業所でもありました。
しかし
その専用線は、敷地北側の
2~300mを残して線路が剥がされ(跡地に新規に
建物が設けられた箇所もありました)常磐線から、完全に孤立した「残存区間」では、
試作機と思われる電機や電車
2、3両が留置されたままで、鉄道車両の製造は
山口県
下松市の笠戸工場に集約した様です。ちなみに、常磐線から分岐して工場敷地に続く
線路は、現在も残っていますが、途中にある踏切は、線路側が柵で閉鎖されています。
元々が機関車主流と聞く同工場のライン・ナップにあって、昨今の動力分散化傾向を
考慮すれば、然もありなんですが、往時を知る者としては、やはり寂しいですね。尚、
常磐線に接続する特定事業所の貨物専用線で、現役稼動しているのは、福島臨海鉄道
関連を除けば、友部駅に隣接するJTと、日製の日立工場くらいかも知れません。
少し感傷に浸りつつ帰宅、昼食を取りながらTVを点けると「噂の東京マガジン」で、
週刊「現代」特集記事関連として「東京都港湾局専用線」が紹介され、私にとっては
御馴染みの、京葉線との並びを含む越中島貨物駅や晴海運河の橋梁が映っていました。
こうした専用線の廃止もまた、機関車の製造拠点を縮小せしめた要因なのでしょうね。
この番組で十数年前に、出身校の事実上の校門として機能している水郡線の跨線橋を
取り上げた事があり、施設がJR、茨城県、水戸市の何れに属するのかが曖昧なので
補修も侭ならず、老朽化する一方であるのは問題だとされました。放映直後、直ちに
車両通行が制限され、長らく膠着状態だった懸案事項が、新規架橋に向けて、一気に
動いた次第で、つくづく、TVの影響とは大きいものですね。
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投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2010年 6月 8日(火)10時12分1秒 |
タイトル |
日立製作所の車 |
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国鉄機関車のNO.1が多かったですね。C621もそうでした。以前の日立は独創的で家電
でも「野暮ったくて値段が高いが、丈夫で長保ちする日立」でした。DF901が「北上」
専用?でしたが、機関士曰く「C62よりも力が出るから回復運転しやすい」。惜しむら
くはSGが付いていなかったので試作に終ったみたいで惜しかった機関車です。
家電でも我が家の「マイコンからまん棒」洗濯機がなんと25年近く使えました。
故障はベルト切れ2回だけ。
阪急電鉄の9000,9300が日立ですが、屋根の形が何となく「旧満鉄客車風」と言う満州
育ちの鉄友が居ます。
食堂車もナシ2051-2057が間接照明で。何となく「船の食堂」の雰囲気で好きでしたが、
ウエイトレス連中が、カーブした部分にスカートが引っかかると言い出して増備しな
かった---といわれていますが、実際にはそんな事なかった様で、これは(日本車輌の
逆宣伝)だなと----。 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2010年 6月 8日(火)12時55分59秒 |
タイトル |
鉄道車両の海外輸出 |
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日製が手掛けた海外向け機関車は、1929年、英領だったマレーシアに輸出した鉱山用
蒸機が嚆矢と聞きます。現在、W杯で盛り上がる南アフリカにも、十数年前に電機を
輸出したそうで、これが、プレトリア~ケープ・タウンで運転される、世界最高級の
豪華列車「ブルートレイン」の牽引機だとしたら、豪気な事ですね。
国交省の肝煎りの下で、新幹線技術の輸出が模索される中、日製では近年、JR九州
885系「かもめ」に通じる
丸いフォルムの、英国向け高速鉄道用車両を手掛けた事が
話題ですが、先の総選挙を経て誕生した英国の連立政権が、歳出削減策の一環として、
いわゆる「事業仕分け」を打ち出し、一兆円と云われる当該事業の発注を取り止める
可能性が出て来たと先日報じられ、早速、日製の株価に相応の影響が出ている様です。
この鉄道事業は、現地の銀行ないしゼネコンと日製が共同出資で設立した合弁会社が
優先交渉権を獲得した事で、進められましたが、銀行が撤退した為、新たな出資者を
探しているとも報じられています。英仏海峡隧道の運営会社が、開通から十年少々で
1.5兆円もの負債を抱え
破綻した事もあり、英国における鉄道事業の評価は、厳しい
側面もあるのでしょうね。 |
投稿者 |
ユーラシア鉄道 |
投稿日 |
2010年 6月 9日(水)01時55分31秒 |
タイトル |
ユーラシア鉄道・客車工場紹介 |
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こんばんは。
夜分失礼致します。
鉄道関連のネット検索で、ユーラシア鉄道(ロシア国鉄)の客車工場
のサイトを見つけました。
言葉は分からぬとも、製造客車の紹介、新型客車の使い方など詳しく
ビデオ案内もございます。
日本の車両メーカーのサイトでもここまで詳しく紹介しておらず、そ
の他のボンバルディアやシーメンスと比較しても、面白い内容です。
一度、物は試しでサイト拝見に、トライなさってみて下さい。
客車工場名:トベリ客車工場
http://www.tvz.ru/?action=7
上記アドレスから、初期工場案内画面につながり
画面左下の赤字表記
Видеоинструкция
к
вагону
61-4440
(新型客車61-4440型・使用ビデオ案内)
の画像進行▶をクリックで約10分の映像です。
トイレ、洗面、ベッドの使用方法など「ロシア美人」
による懇切丁寧な案内です。
資本系列 :トランスマシ・ホールディングス
http://www.tmholding.ru
コロムナ・ディーゼル機関車工場
ノボチェルカッスク電気機関車工場(機関車設計図公開)
なども閲覧できます。
冷戦時代とはうって変わった「情報公開」に驚愕します。 |
投稿者 |
ユーラシア鉄道 |
投稿日 |
2010年 6月 9日(水)02時03分13秒 |
タイトル |
再投稿・失礼致します |
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先刻のトベリ客車工場(モスクワ北方150km)のサイトは、
以下の方が「製造客車一覧」に入れるので面白いと思います。
http://www.tvz.ru/?action=6
何度も申し訳けございません。
失礼致します。 |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2010年 6月10日(木)00時09分15秒 |
タイトル |
「北の鉄名所」はいかがですか? |
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おばんでございます。「ED76109」でございます。
「水無月」ももうすぐ半ばというところ、そろそろ「夏旅」をお考えの先達の皆様方に
「北の大地」の「鉄関係」の情報をお伝えいたします。
「戯言」調ですが、何かの話題の1つにでもして頂ければ、幸甚の限りであります。
1 札幌から「スーパー宗谷」で約2時間半で、「美深」に到着いたします。
「美深」は先達の方々には、ご存じの駅でございましょう。
この「美深」を起点とした「オホーツク海沿いの枝幸町」を目指して建設されていた「美幸線」は、
宗谷丘陵の南端を走っていた盲腸線。
「営業係数4,780」は、当時「日本一の赤字ローカル線」を象徴しておりました。
現在、「旧仁宇布」から美深方向5㎞ほどの線路が「トロッコ王国美深」として活用されております。
保線用のエンジン付きのトロッコで「往復10㎞」の鉄路を、自分の運転で走行できます。
森林沿いの鉄路の途中には、6カ所の「踏切」と「橋梁」が健在。
1,200円也で、森林浴を兼ねたストレス解消はいかがでございましょうか。
2 札幌から「オホーツク」で約3時間10分で到着しますのは、大雪の山懐「丸瀬布」であります。
ここには、「丸瀬布森林公園いこいの森」に森林鉄道蒸気機関車「雨宮21号」が動態保存されております。
「雨宮21号」は、昭和3年に「東京深川」で製造され「武利意森林鉄道」で活躍した「北海道遺産」。
そして、お伴を勤めるのは「北見営林署から木曽森林鉄道」に譲渡された「やまばと号」と
「岡山県の井笠鉄道のホハ13及びホハ19」であります。
両車両とも、車体整備工事を受けて「現役時代」にほぼ近い姿に整備されております。
公園内に敷設された森や小川に囲まれた「2㎞の鉄路」を、1時間ごとに走る姿はなかなかの迫力であり、
近くの温泉と併せての「鉄スポット」。意外と「撮り鉄」の方々に人気のようでございます。
3 1で取り上げた「美深」から、さらに北へ進みますと
「旧天北線との分岐駅」である「音威子府」に到着いたします。
既に「JR天北線(国鉄と言いたいところですが・・・)」は鬼籍入りして20年以上の歳月が流れております。
しかし、「スーパー宗谷1号」に接続する「転換バス」は、往年の「天北線」の雰囲気が味わえます。
宗谷丘陵をぬって走る「浜頓別」までは完全な山道ですが、
道床跡を右に眺めながら「キロポスト」が残っている箇所もあり、往年の面影も楽しめます。
そして、「浜頓別」から一路北へ向きを変えて、オホーツクブルーの空の元、
広大な草原の道を「稚内」へと辿る約三時間半の旅。
さすがに「小石・曲淵」のような雰囲気はありませんが、ローカル線のムードは十二分に堪能できる旅であります。
「北の大地」への「ブルートレイン」は、「新幹線新函館延伸」に係る「江差線・函館本線」の状況如何では・・・
といった状況であります。
往路か復路に「トワイライト」や「北斗星、カシオペア」をご利用されては。
「お盆時期」を除いて、上りは「Bコンパート」を中心に余裕がございます。
この夏は「セピア色の鉄の想ひ出」を辿る「鉄旅」はいかかでございましょうか。
長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2010年 6月11日(金)11時14分11秒 |
タイトル |
遥かなる丸瀬布 |
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▼ED76
109様:
>「オホーツク海沿いの枝幸町」を目指して建設されていた「美幸線」
仁宇布有縁の延長予定区間では、同様に枝幸を目指していた歌登町営軌道(後述)と
重複する為、建設用地としての供出を求めた事が、町営軌道廃止の契機だそうですね。
しかし美幸線自体も、結局は廃止されてしまい「諸行無常」の観も一入です。
>「営業係数
4,780」は、当時「日本一の赤字ローカル線」を象徴しておりました。
その事を宣伝文句に、美深町長が銀座で宣伝活動を行った事がありましたね。当時の
設立区分が国鉄だった事を考えると、現在なら元「クラリオン・ガール」に「仕分け」
されかねない内容かも知れませんね。
>
保線用のエンジン付きのトロッコで「往復10㎞」の鉄路
遊覧施設としては結構な距離ですね。安全対策上、全区間一閉塞とした場合、一日に
捌ける来客数はあまり多く無さそうに感じます。踏切の類はあるのでしょうか?
>
公園内に敷設された森や小川に囲まれた「2㎞の鉄路」
渡道する度に「今度こそ」と思いつつ、結局は訪問出来ず終いなのですが、如何せん、
公共交通の導線が脆弱過ぎますね。丸瀬布駅におけるバス便やタクシー常駐の有無は
判りませんが、石北線が極端な閑散ダイヤなので「オホーツク」「きたみ」に加えて、
北海道中央バスが一日に四往復運行する「高速えんがる号」を併用しないと、丸瀬布
界隈の滞在時間帯そのものが、大きく制約されます。
この「丸瀬布いこいの森」を訪ねる方々は「えんがる号」にも供されているであろう、
事実上の高速道と思しき「旭川紋別自動車道」を経由して、旭川方面から乗り付ける
マイカー客が殆どではないかと推察します。
>
意外と「撮り鉄」の方々に人気のようでございます。
確か、道内時刻表の表紙を飾った事もあった様に記憶します。
>
宗谷丘陵をぬって走る「浜頓別」までは完全な山道ですが、
この区間では、14系時代に何度か利用した急行「天北」がホームから大きく逸脱した
小頓別駅が思い出深いですね。さすがに、廃止から既に十年以上が経過していた歌登
町営軌道の面影は、殆ど見受けられませんでしたが。
>
さすがに「小石・曲淵」のような雰囲気はありませんが
鬼志別(猿払村の中心部)と声問(稚内空港の最寄)を結んだ直線との比較において、
国道
238号線は宗谷岬を経由して大きく北側に、天北線は沼川駅付近をピークとして
大きく南側にと、対称的な迂回経路を形成していたのが特徴でしたね。
宗谷岬前後における厳寒期の気象を考えると、両者を短絡する国道バイパスの構想が
あっても不思議ではなく、地形的にも極端な隘路は無い様に見受けますが、そうした
兆候が見られないのは、両者が直線距離で30km近く離れており、一帯が「稚内市大字
宗谷村」で一括りされる程に人口が希薄である為かと推察しています。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2010年 6月11日(金)20時18分10秒 |
タイトル |
歌登町営軌道 |
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北海道庁振興部殖民軌道時代に北見枝幸まで繋がって居たのではありませんか? |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2010年 6月12日(土)07時27分52秒 |
タイトル |
歌登町営軌道枝幸線 |
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おはようございます。昨晩はゆっくりとお休みいただけましたでしょうか。「ED76109」でございます。
雑魚様
>現在なら元「クラリオン・ガール」に「仕分け」されかねない内容
毅然としたかつ端正なお顔で、
「5往復程度のディーゼルカーを何人の乗客が利用されるのでしょうか。バスではなぜだめなのですか・・・。」
等々と言われてしまえば、「鉄ちゃん」である「国土交通大臣」もきっとやりこめられてしまうでしょうね。
>踏切の類はあるのでしょうか
「3か所」とのことであります。正直、この辺りであれば「農道」でしょうから、
地元の方々の車両が1日に「10回(!?)」程度利用されると推察いたします。(ほとんど利用されることは・・・)
>公共交通の導線が脆弱過ぎますね
公共交通機関利用では「オホーツク1号」で「遠軽」まで向かい、「オホーツク4号」で「丸瀬布」まで折り返し
(「オホーツク1号」は「丸瀬布」通過)。
そして、遠軽町営バスで「公園」まで行き、「4時間の滞在」の後に「バス」で「丸瀬布」へ。
「下り特別快速きたみ」で「遠軽」、そして「最終のオホーツク8号」で帰札というコースになります(日帰り可能)。
小生であれば、「遠軽」で「レンタカーを借りて移動」が1番便利であると思います。
とにかく「人間が少ない」地域ですので、この有様であります。
「宗谷岬付近の国道計画」のお話も件の話と等質の問題でありましょう。
マロネロ38様
>北海道庁振興部殖民軌道時代に北見枝幸まで繋がって居たのではありませんか
御意。「歌登町営軌道枝幸線」が、「歌登経由」で「枝幸」まで辿っております。
「歌登町営軌道」は昭和4年12月に組合運行を開始して「小頓別・歌登」が開通。
同5年9月に「拓民軌道枝幸線(馬が人や貨物を牽引したようであります)」として延長されております。
その後、「道庁拓民軌道」から「村営(その後町営)軌道」と名を変えて、
同46年までオホーツクの開拓の一翼を担ったのでありました。
「枝幸」までの路線は同24年8月に廃止されてしまい、
「枝幸町」に「鉄路」があったのは20年弱ということであります。
長々と失礼致しました。
以上、「見よオホーツクの空の許」という校歌の一節がある「遠軽高校」に勤務していた
「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2010年 6月12日(土)10時04分34秒 |
タイトル |
歌登町営軌道 |
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▼ED76 109様:
>
バスではなぜだめなのですか
経営上の一体性と運賃の通算制、そして市街区間における渋滞回避が確保されるなら、
むしろ、機動性が効くバスの方が、ローカルな利用実態には即するかも知れませんね。
>「農道」でしょうから、地元の方々の車両が1日に「10回
(!?)」程度利用
………という事は、元々、警報機を備えた本格仕様では無かったという事でしょうか。
>
公共交通機関利用では「オホーツク1号」で「遠軽」まで向かい、
朝の下りと午後の上りが丸瀬布を通過するのが隘路ですね。2005年、遠軽町広域化で
発展解消する直前の丸瀬布町の人口が二千人では、それも止む無しですが。
>「歌登町営軌道枝幸線」が「歌登経由」で「枝幸」まで辿っております。
おっと失礼、美幸線の開業時期(1964年)に惑いましたが、1930~51年に、枝幸まで
確かに到達していたのですね。1951年に歌登以遠を廃止したのは、興浜北線における
戦時休止が解除された影響らしく、経路上は有利に思える歌登町営軌道が、浜頓別を
迂回する国鉄の後塵を拝したのは、直通性の有無と、狭軌ゆえの列車速度(小頓別~
枝幸に三時間程度を要したとか)の産物なのでしょうね。
一方、興浜北線は1936年に開業している為、十数年の間、それぞれの駅の位置関係は
不明ですが、枝幸の街には、鉄道二系統が達していた事になりますね。
>「見よ、オホーツクの空の許」という校歌の一節
海岸からは少し離れた遠軽での、こうした歌詞は「オホーツク」の名称が、そもそも
ハバロフスク地方の街に由来する事をも考えると、少し意外な気もしますが、同地の
オホーツク海に対する思い入れが、それだけ強いという事なのでしょうね。
校歌では、地域性(地理)を謳うのが一般的ですが、その一方「烈士」「帝国」など、
時代を感じさせる言葉を配しつつ、地域性に全く触れない事で、事情が分からないと
校歌とは気付かない、ウチの様な例もあります。もし、世間一般的な作風とするなら、
往年のアニメ主題歌に乗せて「♪廃線跡に囲まれた、本丸跡に建っている~」などと
行きたい処です(^^)
遠軽ですと、僭越ながら、特撮主題歌で「♪スイッチ・バック!!
1・2・3!!」という
具合でしょうか(^^)どなたか、フル・コーラスで 考案して頂ければ幸いです(^^) |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2010年 6月13日(日)09時54分43秒 |
タイトル |
歌登町営軌道 |
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本当に一度歌登と鶴居には乗って見たかったです。
歌登-北見枝幸が廃止されたのが、興濱北線の再開との理由は本当でしょうか?北線は
南線の雄武まで延長計画がありましたが、「浜頓別」は天北線からの興濱北線分岐駅で
歌登軌道とは余り関係なかったかと?
それから昭和30年代の時刻表に歌登-志美宇丹の路線が出ていますが、この方が美幸線
の影響を受け易いかと??なんだか羆に衝突しそうな感じの支線?? |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2010年 6月14日(月)00時05分2秒 |
タイトル |
再びの簡易軌道 |
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おばんでございます。「ED76109」であります。
マロネロ38様
>昭和30年代の時刻表に歌登-志美宇丹の路線が出ています
ご指摘の「歌登町営幌別線」は、昭和8年に全線開通へとこぎつけております。
しかし、同27年に運転を「休止」しており、同40年「ガソリン機関車」により再開されて
「歌登線」よりも2年早く、同44年5月に廃止となりました。
以前、道立図書館で目を通した「歌登町誌」や「枝幸町誌」及び関係史料等によれば、
「美幸線」の建設に係る「用地」等確保のため、
軌道の一部を鉄道建設公団へ譲渡する目的で廃止されたという話もございます。
「美幸線」は同39年10月に「仁宇布」まで開通しており、
当時「歌登」を経て「枝幸」へとオホーツク海を目指して建設されていました。
また、「歌登町営軌道」は全国版時刻表にも掲載されたことから、
「鉄」の先達の先輩方には知られるところであったことは「釈迦に説法」でありましょう。
「日本鉄道旅行地図帳・北海道編(新潮社・平成20年5月刊」には、「同軌道」の馬に牽かれた「馬車」の姿
が掲載されております。
>なんだか羆に衝突しそうな感じの支線
石北線の「DCオホーツク」は、年数回程度「エゾシカや熊」に衝突してニュースになります。
現に小生一家が平成5年の帰省の折、「安足間」で「オホーツク」に「エゾシカ」が衝突して20分の延着。
「札幌」で「北斗星6号」に乗り換えるために、小生が愚息とバックを、駅員氏が愚娘を抱えて一家で階段を疾走。
間一髪で乗り換えたということがございました
(ちなみに、先行の「DC北斗」は「白石」に臨時停車して接続という羽目になりました)。
「常紋信号所」付近も「熊のメッカ」。
最後の「DD51補機」撮影の「撮り鉄」の皆様、ぜひ「笛」や「CDプレーヤー」等の「音物」が不可欠であります。
雑魚様
>同地のオホーツク海に対する思い入れが、それだけ強いという事
小生の個人的な見解では、地域の方々はあまり意識はしていないように思います。
ただ、遠軽高校は「野球」及び「ラグビー」の強豪校であり、「野球部」は「高校野球北北海道大会決勝」に
平成17及び18年連続出場していることから、「甲子園」で「件の校歌」を響かせたいという希望がございます
(「鉄」から離れて申し訳ございません)。
長々と失礼致しました。
以上、道北の懐かしき「簡易軌道」の姿に、開拓民の苦労が偲ばれる「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2010年 6月14日(月)09時32分2秒 |
タイトル |
美幸線 |
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▼ED76 109様:
>
当時「歌登」を経て「枝幸」へとオホーツク海を目指して建設されていました。
美幸線の延長予定区間と歌登町営軌道の、それぞれの経路、そしてオホーツク海岸の
位置関係が曖昧だった事から(手元資料が断片的なので十八番の「ウィキ」を中心に)
改めて調べると、仁宇布~歌登は、宗谷線やオホーツク海岸と共に「川」の字を描く
線形だったのですね。
町営軌道の経路との位置関係は、線路施設が一旦完成していた歌登までが、志美宇丹
発着の支線(幌別線?)その先が本線跡(枝幸線の廃止区間)を踏襲したという事に
なるのでしょうか。
つまり美幸線の構想は、美深~浜頓別において、宗谷・天北線の東側に
2~30km程度
間隔を置いて並行する格好だった訳ですね。そもそもの敷設動機が「改正鉄道敷設法
別表」にあり、道路地図から窺う限り、枝幸に浜頓別と同程度の市街展開があったと
思われるにせよ、天北線の東側に「バイパス」に相当する経路の路線を新設する事は、
当該地域全体の人口分布から、無理があった事と思います。ちなみに、美深の分岐は、
旭川側から美幸線へのスルーができない構造でしたね。
美幸線の延長予定区間は、仁宇布から直接オホーツク海岸を目指す様な、漠然とした
イメージを長らく抱いていましたが、これは実際には着工されなかった大曲~音標の
計画支線なのですね。音標では「南北分断区間」を繋ぐ興浜線に接続する予定でした。
いわゆる「オホーツク縦貫線」の構想では最後の未成区間となった雄武~枝幸のうち、
音標以北は着工、以南では新幹線用の寒冷実験路線の誘致に建設動機を求めるという
ユニークな模索もあった様ですが、結局、縦貫線も全て廃止されてしまい、これまた
諸行無常の趣です。 |
投稿者 |
コスモス |
投稿日 |
2010年 6月15日(火)20時33分54秒 |
タイトル |
バスか鉄道か |
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ED76 109様:
>
バスではなぜだめなのですか
「バスより鉄道のほうが、男女通学生間における交際に発展する割合が高く、
少子化の対策として有効性が認められるので鉄道が望ましい。」などと言っても
元クラリオンガール女史には認めてもらえそうにありませんね。
雑魚 様:
>「♪廃線跡に囲まれた、本丸跡に建っている~」
対抗させていただきますと、こちらは
「♪汽車も見えねー、隣には女子高もねー、あるのは脇の小学校だけ、、、」
ああ情けない我が母校(涙) |
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