大村線は、その風光明媚な車窓風景を好感しますが、筑豊地区の印象が強い、キハ66・
67系の運用は意外でした。これは、昼行客レ(50系)完全淘汰を招来した、2001年の
筑豊・篠栗線電化を受け転入「シーサイド・ライナー」にも供される中、第一編成が
急行色に回帰した為なのですね。車内は近郊型、塗装は急行色という仕様に、永らく
炭鉱の印象が強かった筑豊地区との、妙な整合性を感じたものです。
昨年の「富士/はやぶさ」廃止に伴うイベント運用の設定を受けて、九州ではむしろ、
彼方此方で「ブルトレ」が拝める事となり、地元「撮り鉄」には大いなる福音ですね。
大村線も然る事ながら、大村市西部町から湾越しに見える長崎線(旧線)東園前後も、
良い構図が得られそうに感じます。
長崎県は、十数年前、長崎市内とハスウテンボスの掛け持ち旅行以来、御無沙汰です。
投宿先は、長崎駅前のホテル「ニュー越谷」もとい「ニュー長崎」でした(^^)当時、
長崎駅は従前の三角屋根仕様から新装へ移行中でしたが「アミュ・プラザ」建設前で、
事前に「西側上階」と指定した部屋から、期待通り稲佐山を背景に、長崎駅は素より、
長崎港、そして数編成のブルトレが屯する側線群も良く見渡せました。この眺望性は
現在「アミュ・プラザ」上階の「JR九州ホテル長崎」に移行したのでしょうね。
かつて、長崎駅から岸壁沿いに、更に南側へ
1kmほど、長崎港の専用線が延びており、
上海航路に接続するボート・トレインが往来したそうですね。上記訪問時、専用線は
既に撤去済みでしたが、完全に「屋内頭端化」する前の長崎駅では、同線路に繋がる
スルー構造のホームが、電柱・架線もその侭に、線路のみが舗装され、駐車場として
暫定利用されるという、過渡期ならではの「トワイライト」風味が見られました。
長崎→ハウステンボスは、キハ183系
1000番台を充当した特急「シーボルト」で移動。
展望席を確保し、大村湾の眺め、および、大村・川棚両駅にある「謎の電化区間」を
じっくり堪能しました。その数年前は、筑肥・松浦線経由で博多と長崎を結んでいた
急行「平戸」で乗りました。松浦線ならではの迂回経路や、筑肥線電化後の唐津始発
体制など(密かに、姪浜始発体制を期待していました)異色尽くしの存在でしたねぇ。
長崎県といえば、島原鉄道も色々な思い出があります。地元・ひたちなか海浜鉄道で
今年から「急行色」となり、人気を博しているキハ2005形に、期間限定でも良いので、
いわゆる「赤髭」を描き足し「なんちゃって島原鉄道」を演出して欲しいと思うのは、
私だけでしょうか(^^)
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