連投失礼申し上げます。「ED76109」でございます。
完全に「クモイ103」様の後追いでありますが、「鉄道ジャーナル5月号別冊・列車追跡リバイバル(平成12年刊)」に
「昭和60年4月」の「PC天北」が取り上げられております。
その「客車運用表」を確認致しますと、「下り天北→上り利尻・下り利尻→上り宗谷」に
当該の「G室」が組み込まれた「オハネ14」が連結されております。
当然「利尻」では「2段寝台として使用していた」とのカレチさんのお話も
(「ハネ」はその段階で既に二段寝台だったはずであります)。
なお、参考までに「下り宗谷→上り天北」は「ニセコ」と共通運用となっており、
「大雪」・「まりも」とは別編成として運転されていたようでありました。
件の「G室」は、「後部車端の15・16番席」。
「臙脂のシート」と「シート中央のニス塗りのテーブル」が「応接間」の如くに設えられておりました。
1室「36,800円」也で「道北地区選出の道議会議員」のリクエストによって設定された噂がございました。
事実、「道内時刻表」には掲載されず、「札幌・旭川・南稚内及び稚内」での「窓口売りのみ
(マルスにはデータ入力せず)」では、利用率の悪さは当たり前でございましょうか。
牽引機は「DD51(築)」と「DE10(旭)(天北)」で「ED76」が牽っぱってくれればの想ひも・・・。
小生は、昭和61年の早春に「下り天北」と「上り宗谷」で就職1周年の祝いを兼ねて、
大学時代の友人たちと「道北観光」に出かけましたが、
「天北線内の線路状況の悪さ」から「友人の彼女」が購入した車版のコーヒーが、
「スハネフ14のテーブル」からひっくり返されるという「惨劇」を味わいました。
長々と失礼致しました。以上、「戯言」情報でございました。 |