おはようございます。旅に出られぬイライラが募る「ED76109」であります。
Uzu様
関係資料及びサイト等を精査致しましたところ、次のようなことが判明いたしましたので報告致します。
昭和32〜同33年、「客車の近代化改装工事」によって「側窓のアルミサッシ化」と「室内灯の蛍光灯化」が施され、
同36〜39年にかけて、「スロフ53」が誕生の運びとなりました。
しかし、「冷房化改造」を実施されなかったことから、
「オハ41」や「オハフ41」へと「ロングシート化」されてしまったもの、
「マニ37」や「スユニ61」として「郵便車・荷物車」に改造されてしまったものもございました。
改造を免れたものも、同50年までに廃車されてしまい、「スロフ53」は鬼籍入り。
なお、最後まで在籍したのは「スロフ532025(元スロ53 4」であり、
同46年「松任工場」で「側廊下14畳敷」に簡単な「供食スペース」を備え、
側窓下にかつての「三等車」を意味する赤帯を巻いた「お座敷食堂車」に改造。
同49年秋から運転されていた能登半島観光列車「ふるさと列車おくのと号」に連結され、
同48年9月の列車廃止まで運用に就いたとのことであります。
小生の推察ですが、以上のことから最終所属は「金サワ」ではないかと考えます。
長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |