倶楽部メモ(563)
平成21年11月 8日〜11月10日



投稿者 くらやみのまろ
投稿日 2009年11月 8日(日)04時51分39秒
タイトル C54と715レ、「ゆのくに」の客車
>マロネロ38様
自分は昭和30年代の在来形客車全盛期には残念ながら全く縁のない世代ですが、マロネロ38様の貴重な証言と写真とで、
その当時の光景を想像するなどして、いつも楽しませていただいております。
C54牽引の715レですが、個人的にC54という形式が特別に好きなこともあって、こちらの写真を拝見できて嬉しく思います。
また、スロハフ31の使用列車は、快速「おいらせ」や中央線での使用と、
スハフ格下げ後の東海道線での使用くらいしか知らなかったので、関東の車という印象が強かったのですが、
福知山線の715レに連結されていたことがあったというのは少し意外でした。

また、「ゆのくに」にオハ31やスハ44なども使用されていたというのは驚きです。
同じ三等車でありながら、設備の差が大きすぎます…。
この2形式が、同一編成内に組み込まれる場合もあったのでしょうか?
もしそのような事もあったのでしたら、ますます驚きです。



投稿者 コスモス
投稿日 2009年11月 8日(日)09時01分55秒
タイトル 友部駅
▼雑魚さん:

橋上駅になる前は常磐線上りホーム(1番線)に立ち食いソバ店がありました。
サイドメニューでいなりずしがあったかもしれません。
冬期限定でけんちんうどん、そばがありましたが、これを食べながら、JTや太平洋セメントの
専用線へ貨車の入れ換え作業を見たのを思い出します。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年11月 8日(日)09時27分41秒
タイトル 715レとC54
スロハフ31は一度だけ大阪駅で見かけただけです。スロハフ30が検査か何かで
借用していたのでしょうか?
「ゆのくに」のオハ31は一度走行中に見ただけですので、スハ44との混結かどうか?
は存じません。故野村董氏も一度見たと言って居られました。
シーズンになると普段予備車になって居る優等車などが、方々の客車区で見られ
ましたし、たった2両だった東シナのスロフ31を大ミハで撮影したり、高松→阿波池田
間で、臨時準急に連結されていたのに乗車しています。
一度1レ「つばめ」にW屋根のスシ3757が入っていたのを米原で見かけましたが、
鹿カコの表記に驚いた事がありました。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年11月 8日(日)11時51分57秒
タイトル 祇園精舎の鐘の声・・・
 おはようございます。昨日、「札幌ドーム」で惜涙にくれた「ED76109」でございます。

 雑魚様
 >湘南電車の下り便から一瞥した、田町車セの現況です。

  幼い頃に「トカホセ」で西下する時、「田町」を通過して上り線と離れて右側に広がった「東京機関区」。
そして、「品川客車区」と奥に広がる「田町電車区」・・・。旅心広がる風景だったのに、あ〜あ・・・。
「EF58」から「EF65500代と1000代」、そして「EF66」と、
「ブルトレ牽引機」が走馬灯のように流れますねぇ〜(感涙)。
「113系静岡行や浜松行」も今は昔・・・。昭和の時代は、本当に「過去」となってしまったのですね。

 マロネロ38様
 >天王寺を前夜22.00に発車した新宮経由の名古屋行きです

 後年の「南紀(のちの「はやたま」)」でありますね。
海岸線の黒潮が洗う「紀勢本線」から、旧客レが鬼籍入りして早四半世紀。
「DD51」や「EF58」のホイッスルが響いていた「紀伊佐野」辺りの風景が脳裏を過ります・・・。
小生の知りえぬ写真を、いつもありがとうございます。

 赤マント様及びくらやみのまろ様

 全くデータ等がないため、当てずっぽうのレベルの話でありますが、
時期的には「修学旅行シーズン」であることから「修学旅行列車」ではないでしょうか。
「青森」や「秋田」の高校では、まだまだ「航空機利用」がポピュラーではないようであります。
当地はすでに「航空機利用可(原則はJR)」ですが・・・。
かといって「エルム」はないし、「函館」と「青森」で2度乗り換えて「日本海」に乗るには、
生徒たちが「また、乗換え?」となるでしょうし・・・。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年11月 8日(日)20時49分58秒
タイトル 修学旅行
ED76109先生
北海道は航空機利用OKですか?「日本海」が函館まで来ていた頃は札幌から乗り換え1度
で済みましたがね。実は「北斗」と「日本海4号」で(社内旅行)札幌から帰阪しま
した。
青函トンネルが開通して暫くして-----でもこれ鉄道ファンでもシンドイですよ。
JALが神戸撤退でスカイマークが新千歳便を出すそうですから修学旅行に利用出来
そうですね。
神戸迄飛んでバスで須磨、舞子、明石,大阪、奈良,京都コースもよいでしょう。先生
だけは梅小路機関車館???これ必須条件でしょう。来年は姫路城が残念ながら大修理
でTVの時代劇に度々出てくる姿が見られませんが。今「日本海」が一本ですから函館
まで、出来たら「トワイライト」の補完に札幌まで食堂車付きで入れたら良いのにです。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年11月 9日(月)10時48分43秒
タイトル 駅の美食
▼下総守こみや様:
> 常磐道友部SAにあるようです。

一昨年に地元食材の活用を謳い登場したのですね。SA自体は時々利用しているのに、
不覚にも全く気付きませんでした。伊東と川之江のそれも結構有名な存在の様ですね。
川之江の場合、駅に近い陣屋跡らしき場所に大岡八幡宮がありますが、その関係かな。
高速道の要衝となったとは云え、伊予三島と併せ「四国中央市」とは実に壮大ですね。

> 天○一品のこってりラーメン(^^)

大阪(特に梅田界隈)で飲んだら、最後の腹ごしらえは、やはりこれですよね(^^)

▼コスモス様:
> サイドメニューでいなりずしがあったかもしれません。

水戸駅はどうだったかなぁ。友部駅固有とすれば、笠間稲荷に肖った感覚でしょうね。
一方、パック納豆を丸ごとブチ込む「納豆ソバ」は、水戸駅以外にあったでしょうか。
鉄仲間に聞いても「そんな作風、水戸だけだろう」と 一笑に付されるのですが(^^)

> これを食べながら、JTや太平洋セメントの専用線へ貨車の入れ換え作業を見た

隣の内原駅にある貨物側線(ここも太平洋セメントの関連)は、電留線建設に先立ち、
本線から完全に孤立しましたが(線路自体は健在)友部駅のそれは、縮小気味ながら
現役稼働中ですね。内原側の引上線と本線との傾斜差を見ると、あの辺りの常磐線は、
一見平坦地ながら、実は微妙に傾斜しているのか、などと勘ぐります。友部も内原も、
本線と事業所の間で何度か「切替し」を要する配線になっており、本線列車に対する
安全対策上の緩衝措置かも知れませんね。ちなみに「グーグル」の空撮映像によると、
土浦側からJT工場西側を掠める様に急曲線で分岐する貨物線の跡らしきが窺えます。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年11月 9日(月)11時22分27秒
タイトル 田町の今後
▼ED76 109様:
> 昭和の時代は、本当に「過去」となってしまったのですね。

上下線の間に車両基地が割って入る構造(外側線を往来する列車への干渉を最小限に
抑える意味で、幾何学的に最も合理的な形態と感じます)は、我が地元の常磐線でも、
我孫子、土浦、内原で見られますが、車両の陣容や規模において旧東京機関区を含む
田町の基地は、やはり圧倒的な存在感がありましたね。

線路の撤去具合から、東海道下り線を西側に移設して、空いた東側を再開発に充てる
構図が窺えますが、新幹線は現行の侭として、開発地と高輪、港南の双方の地区との
道路接続をどの様にするのかも、興味深い処です。

新幹線の車両基地引込線に並行する東海道貨物線も、東京貨物ターミナル〜浜松町の
いわゆる「大汐線」では近年、列車の運行実績を耳にせず、直ちに上記再開発に絡む
話ではありませんが、こちらも、趨勢が気になります。逆に、羽田空港ハブ化構想の
進捗次第では、旅客化構想もあり得るかも知れず、浜松町から地下に潜らせ、新橋で
横須賀〜総武快速線に繋げば、羽田〜成田の連絡体制強化にも繋がるか………などと、
根拠の無い想像(妄想)ばかりが膨らむ昨今です(^^)



投稿者 客車
投稿日 2009年11月 9日(月)19時45分16秒
タイトル Re田町の今後
田町地区再開発は4,5年前から以下のように聞いています。

目的・・田町地区の陸側を再開発用地にしてビル用地を生み出す。
その為、田町〜品川間に山手線の新駅を設置。
東海道線〜山手線まで線路を全て海側へ集結。
支障する田町地区車庫は廃止し、東京〜上野に急勾配で新幹線上部に在来線複線を復活させ、
東海道線は東京駅をスルー運転として替わりの車庫を大宮あたりに設ける。
車庫を廃止して、事業で大金をつかむのは何処なのでしょうね。
JR東は土地売却代金で線路移設工事をするとか。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年11月 9日(月)19時50分24秒
タイトル 復活運転していたとは・・・
くらやみのまろ様。
貴重な情報ありがとうございました。団臨で復活運転が計画されていたとは、知りませんでした。
青森配置車両数を考えますと、予備車をかき集めてもこの6両あたりが限界でしょう。
訓練運転に供されている尾久の金帯を借りても、10両がやっとで、
改めて客車が最低両数を残すまで淘汰されてしまった現実に、愕然とします。
そんな中、尾久の定期運用なしの24系は、野ざらし日ざらしで放置などという無責任な真似はしておらず、
きちんと洗浄線で手入れがされています。
また、オハネ25 238は4月に6年ぶりの全検出場を果たしました。
前回6年前の全検のオハネ25 231も状態は良好。
2006年全検のオハ25 503は屋根にややサビ色が出始めましたが、まずまず。
遊ばせておくにはもったいなく、復活列車や企画列車に使えないものかと、惜しい気持ちです。



投稿者 くらやみのまろ
投稿日 2009年11月 9日(月)22時12分33秒
タイトル 「ゆのくに」のオハ31
マロネロ38様
ご回答ありがとうございます。
「ゆのくに」でのオハ31とスハ44の混結は不明だとしても、
オハ31が戦後の準急で使用されたのを目撃されていたのは貴重な記録と感じます。
個人的には、鋼体化ハザが定期急行で使用されたことがあったのは雑誌などの記録で知っていましたが、
オハ31の戦後の優等列車での使用となると初耳でしたので…。
それにしても、現在では考えられないような、広域での客車の借用には改めて驚かされると共に、興味深く感じられます。



投稿者 くらやみのまろ
投稿日 2009年11月 9日(月)22時42分24秒
タイトル 団臨「はくつる」について
赤まんと様
ED76109様
少々説明不足でしたので、団臨「はくつる」についての「えきねっと」のページのアドレス(PDFファイル)を載せておきます。
 えきねっと(JR東日本) びゅう 「はくつる」「北海」で行く北海道への旅
 http://jreast.eki-net.com/oshirase/pdf/hakutsuru.pdf

最近の青森と尾久の予備車がどれだけ残っているのかは存じなかったのですが、そこまで減ってしまっていたとは驚きです。
やはり今回の「はくつる」は予備車をかき集めて編成されたものだったのですね。
できることなら、このような臨時列車を運用できる両数を、今後も維持してもらえたらありがたいのですが…。
そんな中で、尾久の定期運用なし24系が、きちんと手入れされているというのは幸いです。
また、今回の「はくつる」の各車の番号を知りたいと思っていましたが、
結果的に赤まんと様の記録のおかげで知ることができまして、感謝いたします。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年11月10日(火)09時40分29秒
タイトル 更に田町の今後
▼客車様:
> 田町地区の陸側を再開発用地にしてビル用地を生み出す。

成る程、再開発地を新幹線と在来線で挟むより、余程合理的ですね。田町駅の南側の
曲線で錯覚しがちですが、新幹線側に集約したほうが、僅かに距離が短く済む様です。

> 田町〜品川間に山手線の新駅を設置。

山手・京浜東北線も移設となると、京浜東北線(北行)が山手線を跨ぐ箇所と、新駅
設置の整合性をどう取るかが注目されますね。いっそ、件の交差箇所を品川駅南側に
移設できれば、品川駅でも方向別複々線が確保出来て(その場合、日中の京浜東北線
快速は田町通過扱い?)利便性が増しますが、掘割気味の区間に、京急本線や道路の
陸橋が相次ぐ事を考えると、これも妄想の域を出ませんね(^^)

何れにしても、基地機能の相当部分が尾久に移るでしょうから、車両の動力分散化で
捻出できる客車用の側線スペースは、田町管轄分への転用で、差引丁度という事には
ならないでしょうか。それなら赤まんと様が仰る「有効利用」を講じずに済みますし、
そもそも、上中里が近いとは云え、緩行路線網から「孤立」した尾久に、品川界隈に
相当する様な商業集積性は期待すべきではないと、元北区民としては感じるのでした。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年11月10日(火)19時35分12秒
タイトル 修学旅行雑感
  失礼致します。寒暖の激しき日々に体調管理がつらい「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >北海道は航空機利用OKですか?
 教育長令では「原則としてJR利用とする(但し、航空機利用も可とする)」とありまして、
殆どの道立高校は「航空機」で「しょっぱい川」を渡っております。
先輩の話では、昭和50年代の校内暴力盛んなりし頃、「八甲田丸の甲板」で「番長同士の大乱闘」を収めた
「武勇伝(!?)」を伺ったことがございます。
小生は、残念ながら昭和63年に初引率だったことから「青函連絡船での武勇伝」はございません。

  >「日本海」が函館まで来ていた頃は札幌から乗り換え1度で済みましたがね
 「鉄」旅等では何度かお世話になりましたが、「修学旅行の引率」では平成2年に乗ったのみです。
しかし、生徒が「富山」で「大阪車掌区のカレチ」さんと一悶着を起こして、生徒と共に平謝りした苦い記憶が・・・。
翌日謝罪した上に、「オレンジカード」まで進呈いただき恐縮の限りでありました。
しかし、遅れやウヤに係る「大阪車掌区のカレチ」さんの対応は感心しきり。
ユーモアばかりでなく、お客本意の対応は「JR一番」ではないでしょうか。
それにしても「日本海の函館再延伸」。「新幹線札幌延伸」よりも復活してほしいものであります。

 >先生だけは梅小路機関車館?
 高校時代の「修学旅行」のグループ研修で訪問し、「スワローエンゼル」に感動しました。
引率では訪問の経験はなく、「交通科学館」に3度ほどお邪魔致しました(グループ研修の連絡・待機場所としてです)。
小生の個人的な趣味では「神戸」が好みで、「異人館」や「南京町」によくお伺いしました。
平成8年の際は、「鉄」教師ということで「原爆ドーム」見学を希望した「グループ」を「広島」まで引率。
待機時間には「113系」で昼間の「セノハチ」を訪れることができました。

 やみのまろさま
 初めまして。「ED76109」であります。産は「東京」なのですが、現在「札幌市内の高校」に勤務しております。
「出水」に伯母が在していたことから、幼い頃から「はやぶさ」や「霧島(桜島)」に親しむことができ、
「鉄」親父の薫陶を受けて「戯言」を好き勝手に述べさせていただいている「中年客車鉄ちゃん」であります。
どうぞ、宜しくお願い致します。

 長々と失礼致しました。
以上、今年度の「修学旅行」で、またまた「大阪環状線外回り」で「USJ」へ向かった生徒たちに「古典」を教える
「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 コスモス
投稿日 2009年11月10日(火)21時12分4秒
タイトル 友部のデルタ線
▼雑魚 様

友部駅北側は橋上駅化にともなって,駅前広場が整備されましたがGoogleの空中写真では,
ご指摘いただいた以前の線路敷地の跡と思われる線形がみてとれますね。
これは,水戸方と小山方と両方向につながるいわゆるデルタ線の跡の一部のようです。
電化前の蒸気機関車時代には、ターンテーブルのない友部終着で小山方向へ折り返す
客車列車の牽引機を方向転換するのにこのデルタ線を使っていました。
国土交通省のホームページで古い空中写真を見ることができますが,
昭和49年撮影のものではGoogleのものよりも跡がよりはっきりしているように思えます。
駅構内に広い場所が必要なデルタ線を内蔵していた駅は,そう多くないとおもいます。
長崎本線の肥前山口にもかつてはあったということのようです。


 
 
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