倶楽部メモ(552)
平成21年 9月 9日〜 9月15日



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2009年 9月 9日(水)05時21分58秒
タイトル 長崎原爆と鉄道
夜分遅く、失礼いたします。

しばらく、ご無沙汰しておりました。

先般、長崎原爆資料館へ行く機会に恵まれまして、原爆投下後の国鉄職員の
方々の大活躍の裏話を聴くことができました。

資料館解説に<原爆投下翌日には救援列車が諫早・大村から駆けつけ云々>
について、小生がガイドさんに質問???

<原爆で線路は溶けるか曲がるかの損傷なのになぜ救援列車が入れたの?>
回答は、なんと

「8月9日・11:06原爆投下後、当日夜より8月10日の日中にかけて、
損傷区間の浦上〜長崎間を、九州全域よりレールを調達し一晩で修復をしま
した。当時力仕事ができるものは兵員に徴集されてたので、中高生や女性の
協力で「根性」でレールを繋げ、苦しむ被災者を助ける一心でした。」

との話を聴き、いたく感動しました。

ただ救援に駆けつけた殆どの善良な人々は、放射能後遺障害になられてるの
だそうです。

あらためまして原爆被災者の皆様には哀悼とご冥福をお祈り申し上げます。


そういえば、阪神大震災でも1月17日に、東海道本線・六甲道駅全壊後、
「根性」で、3月25日には高架完成含め、東海道本線を全通させていた事
も思い出せます。

1月18日から3月25日まで、東海道・山陽の夜行寝台・夜行コンテナは
すべて福知山線経由で、和田山まで上がり、播但線で姫路に下り、山陽方面
に向かっておりました。牽引はDD51でした。(上りはその逆)

当時のJR西日本は、まだ多くのDD51を所持していたので、災害対応が
できたのですが、今またこのような災害が起きれば、ディーゼル機関車や、
気動車の絶対数不足で、どうにもならないような気がいたします。

阪神大震災当時でも、姫路〜大阪間の乗客を加古川線・福知山線では、車両
不足(加古川線=キハ40x2連・福知山線=113系x2連または3連)
で、さばききれず、JR東日本からキハ58x8両を、加古川線に借り入れ
ておりました。

民主党政権で、二酸化炭素の25%削減国際公約なら、鉄道の旅客・貨物の
両面より、本格的復権を政策課題に入れてほしいものです。

先日のNHKニュースによると、小海線のハイブリッド気動車は世界で注目
されているようで、鉄道関連ビジネスが世界中で活気を帯びつつあり、わが
日本は、ハイブリッド気動車や、新幹線技術で世界に貢献できうる鉄道大国
になってほしいと願うばかりです。

ながながと長文で失礼いたしました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 9月 9日(水)21時11分31秒
タイトル 阪神淡路大震災
ユーラシア鉄道様:
長崎原爆後の写真で9600?の貨物列車の写真を見たことがありましたが、その列車が
学生達の努力で復旧した線路を走っていたのですね。もう戦争は懲り懲りです。
阪神淡路の時は、福知山線→和田山→姫路に智頭急行のHOT7000(スーパーはくと)も
使用されました。「特急券無しで乗れる」と乗りに出かけたファンも居ました。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 9月11日(金)00時02分8秒
タイトル 数多くの鉄道員ドラマの存在
 失礼致します。「ED76109」でございます。

 ユーラシア鉄道様及びマロネロ38様
 >阪神大震災

 今年の正月に拙文で記しておりますが、「JR西日本」が「震災時の職員奮闘記」をまとめており、
様々なエピソードが記載されております。
小生が印象に残っているのは、不通区間を迂回運転していた「臨時あかつき・なは」を支えた
「福知山車掌区のカレチさんのエピソード(満席の車内で幼児を連れた母親に土下座せんばかりにして席を譲ってもらった話)」
及び全壊した「六甲道」駅に乗客を避難させた後、線路沿いの民家に急行して崩れた家屋から住民を救出した
「高槻電車区(?)の運転士さん」のエピソード。
とにかく、必死な思いで動脈を支えた「鉄道員」の記録に胸が熱くなったものであります。一読の価値十分であります。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 9月11日(金)10時35分56秒
タイトル 山陽鉄道物語(JTBパブリッシング)
思い切って買って見ました@¥2,550-は高いけれど-----山陽本線沿線に11年住んだ
事がありますので------
前身の山陽鉄道について若干でも調べている者には大変面白くて参考になります。
著者が広島の方なので姫路以西の記述が多いですが、新幹線相当の構想が有ったのも
進歩的な山陽鉄道らしいです。本当に山陽鉄道がズット後世まで在ったとしたら、
山陽新幹線が釣り掛けの電気機関車牽引でも戦前に開業していたかも知れません。

贅沢言えば切りが無いですが、若干記事が飛び飛びなのと、戦後まで残存していた
3等車(大分交通耶馬溪線)や、2,3等合造車だった片上鉄道の客車、それに
光線状態が悪く狭い車庫内で撮影出来なかった、北陸鉄道能登線(廃線)三明終点
奥の車庫に入れてあった山陽鉄道兵庫工場製の2軸マッチ箱、須磨、庭瀬,尾道に残存
の「用地境界石‐‐‐‐山形2本組み合わせ社紋入り」が抜けているのと、播但線
「新井」(にい)駅舎の社紋入り瓦が一枚土地の教育委員会が保存等(旧朝来町)
が述べられて居ない事です。
アレだけ色々な事を明治時代に実行した先進的な会社ですから,全部網羅するのは
至難でしょうが。
それから戦後NHKラジオのドラマ「アチャコ青春手帖」で漫才の花菱アチャコ氏が
歌った俗謡が、本当に当時存在したのなら「日本の企業CMソングの草分け」でしょう。
"山陽鉄道で見せたいものは、備前岡山,須磨、明石、チラと見初めし舞子の松よ”
山陽鉄道の事だから多分「花街」を通じて流行らせたかと-----

長々と失礼しました。



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2009年 9月12日(土)02時26分42秒
タイトル 鉄道復権について
こんばんは、

このたびの民主党・国際公約である二酸化炭素25%削減と、
鉄道の役割について考察させて頂きます。

まず25%削減は、生活水準を1970年代位を思い返して
みる必要があります。

第二に、個々人や事業所(大企業製造現場でのCO2削減は
これ以上は限界)のエコ意識の高揚。

重ね合わせると、自家用車・営業車と鉄道の融合とバランス
よい調和である。

具体的には

1、カーシェアリング
2、100台規模の駅前駐車場設置義務化
3、トラック・緊急車を除く東京・名古屋・大阪中心部への
  乗用車乗り入れ課金化
4、都市交通としての「路面電車」復活(欧州6都市で復活)

特に交通弱者である「お年寄り」「子供」「障害者の方々」
にも「LRT」での、歩道縁石と並列床面のLRTは最高の
福祉的交通手段と考えます。

例えば大都市圏のLRT設置案
(東京)
 新橋ー飯倉ー六本木ー渋谷
       六本木ー表参道ー原宿

(大阪)
 大阪駅前ー淀屋橋ー心斎橋ーなんばーOCAT−四ツ橋
 −肥後橋ー堂島ー大阪駅前の時計回り一方通行。

(博多)
 博多駅前ーキャナルシティーー中州ー天神北ーマリンメッセ
 −祇園ー博多駅前

いずれも、大阪を除き、道路中央での交互対面通行でなく線路
を歩道側に設置し、道路中央「(不)安全地帯」乗降でなく、
歩道側での直接乗降で、お年寄りも大喜び。

副次的効果として、違法駐車ができなくなる。

真剣に鉄道復権を願うあまり、長文・駄文で遺憾、恐縮です。

小生の好きな町「プラハ」の路面電車です。

東欧〜ロシア〜平壌までトラム製造所「タトラ」の路面電車
は、幅広い活躍をしています。

エストニアは全土が公園のように整備されており、添付写真
は「庭園鉄道」ではなく、国鉄線のディーゼル単機回送です。

<プラハ路面電車>
<エストニア国鉄・ロシア製TEP70ディーゼル機関車>

こんなオシャレな電車が、六本木・表参道・御堂筋を走れば
めちゃカッコいいのに・・・・・







投稿者 雑魚
投稿日 2009年 9月12日(土)11時28分30秒
タイトル トラムの話
▼ユーラシア鉄道様:

いわゆる「リーマン・ショック」から丁度一年、景気対策との整合性において、この
25%という数字の評価は立場によって様々でしょうけど、戦後の高度経済成長を支え、
既に一大インフラとして形成されている鉄道の再評価と有効利用(そして欧州出身の
知人が云う処の「駅前文化」復権)は是非、真剣に考えるべき問題ですね。その一方、
水戸駅まで、公共交通機関を介して一時間を要する農村に住む手前、マイカー無しの
生活は考えられない我々こそ、最たる意識改革が求められる層なのでしょうか(^^)

> 博多駅前−キャナルシティー−中州−天神北−マリンメッセ−祇園−博多駅前

コジツケですが「キャナル・シティー」と聞けば、個人的に、アムステルダムないし
ベネチアが「世界最強事例」と感じますね。画像は、前者におけるトラムの様子です。
意外や、運転手とは別に車掌が乗務する場合が多く、かかる人件費をカバーするべく、
運賃は高めですが、それを是とする市民の足として定着している辺りに、政策ないし
欧州ならではの文化的背景を感じるのでした。

> 道路中央「(不)安全地帯」乗降でなく歩道側での直接乗降で、お年寄りも大喜び。

紹介事例では、道路中央での乗降が主流の様です。同地では自転車の普及率が極めて
高い為、車道と歩道の間に自転車専用のレーン(大概、レンガ色で識別)が設けられ、
原付級のバイクも往来する為、歩行者には独自の注意喚起が求められます。

最下段画像は、中央駅における「客レ」の後追い撮影です。頭端式構造でもないのに、
旅客を乗せた列車が推進運転で発車したのは、御愛嬌でした(^^)








投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 9月12日(土)14時04分55秒
タイトル 大阪のLRT
ユーラシア鉄道様:
大阪の場合長らく大阪の職場で働いた者からの希望は:

大阪駅‐淀屋橋‐北浜2丁目‐堺筋‐日本橋‐難波(複線)ですね。
市電時代は直通がありましたが,地下鉄になってからは=東梅田→南森町→
(堺筋線乗り換え)→北濱→堺筋本町→-------と大阪駅前での乗車が先ず遠くなり、
南森町の乗換えが大変混雑します。

北濱界隈は證券取引所もあり株屋街、道修町は薬屋街、堺筋本町はオフイス街、と
商売往来が激しい地域で、大阪駅前から直通LRTがあれば何かと便利です。
地下鉄になってから乗り換えの不便で客が減り,老舗の「三越」が閉店しました。堺筋は
一方通行(北向き)の筈ですがLRTは往復にしないと商用、通勤客には不便です。
この問題がありますが------



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2009年 9月13日(日)01時49分34秒
タイトル LRTを大都市圏に
こんばんは。

雑魚様>  マロネロ38様>

貴重なるご教示ありがとうございます。

小生も大阪淀屋橋界隈での勤務が20年、高校通学含めると23年の
地下鉄の殺人的ラッシュを経験したことになります。

小生が小学校の頃まで、大阪市電があり、御堂筋といえど淀屋橋まで
は線路があり、そこから東西に分かれて、阿部野橋行きと大阪港行き
がありましたね。

もし大都市圏でのLRT復活がかなうならば、マロネロ38様の仰せ
の通り、歩道側での対面がBESTです。

ただ堺筋は北行一方通行路での自動車との接触防止には、南行路盤を
電停以外、一段高くするなどの工夫で、自動車レーンとの棲み分けを
解決すれば、交通事故問題も解決しそうですね。

車両はヨーロッパのメーカー(長崎電気軌道はボンバルディア・本社
ベルリン[カナダ航空機メーカーの鉄道車両部門]の車両を走らせて
います。)のものを輸入すれば、鉄道マニア向け集客にもなり、北浜
野村ビルや、生駒時計店ビル、心斎橋の大丸・そごうビルと、輸入の
路面電車はかなりマッチングすると思われませんか?

運行は3連接で、路面電車1回乗車でエコポイント何点というふうに
工夫すれば乗用車の削減につながると思います。

御堂筋も、左右の側道を自動車走行禁止にすれば、北行電車の運行が
可能となりますね。

LRT大好き「ユーラシア鉄道」でした。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 9月13日(日)10時11分5秒
タイトル ボンバルは??
万葉線が酷い目にあっていたので、ボンバルはどうももう一つですね。
「一両ずつ何処か違うのでさわるのが怖い」とは万葉線からひたちなか海浜の社長に
なられた吉田さんの感想です。
最初の脱線騒ぎはバックフランジが国鉄規格の990mmでないといけないのに、メーカー
が1,000mmで入れたからです。そんなうっかりミスが多いので如何でしょうか?

淀屋橋から大阪港は大阪駅からの直通はありませんでした。それに戦前ですが日銀の
北側から朝日新聞社の北側を通つて、川口の方に行く路線がありました。見たときは
営業していたのかどうか----?でも2軸単車を日銀の北側で見た事がありました。
渡辺橋北側までの広い部分に線路が残っていたのか??もう記憶が薄れましたが。

神戸もLTRで市電を復活して欲しいです。昔の「赤6」系統を神戸駅‐‐栄町通---
三宮‐‐‐加納町‐‐‐‐‐‐上筒井‐‐‐‐‐石屋川→延長して摂津本山駅の
北側まで。
少なくとも三宮から摂津本山はLRTが欲しいですね。



投稿者 てりてり
投稿日 2009年 9月13日(日)22時05分23秒
タイトル 福岡市(中心部)では…
 ご無沙汰しております。こちらの話題に便乗させていただきます。
つい数年前「福岡オリンピック誘致」の時、天神地区に「軌道系交通機関」なるものを投入する話がありました。
恐らくは一種の打ち上げ花火でしょうが…
 それにしても西鉄福岡(天神)駅付近の道路渋滞は嫌になります。
近距離バスでは正直歩くと早い時も暫しですし、天神(博多駅)行の長距離バスで引っ掛ると疲れが倍になります。
信号待ちの車の関係で渋滞するようですが、南北四車線のうち歩道側をバス専用道(一般車乗り入れ禁止・信号も含めて)
出来ないものか…と考えてしまいます。
路面電車の導入も大切ですが、まず今在るものを上手に使えないか…と。
色々と異論はあるかもしれません。曰く、一般車の乗降が出来ない、トラックの荷卸しが…と。
 しかし、遅遅として進まないバスを辞めて天神に向かうも、中途半端な位置にある地下鉄駅からテクテク歩くので
(比較的)ドアからドアのバスのほうがまだマシかな…、と思うばかりです。
 おかしな方向になりました事をお詫びいたします。それでは。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 9月14日(月)14時45分56秒
タイトル 盛岡での焦燥
▼ユーラシア鉄道様:
> カナダ航空機メーカーの鉄道車両部門

高知空港で発生した胴体着陸事故の際、トラブル頻発が取り沙汰された企業ですよね。
買収、再編の結果でしょうけど、鉄道車両部門をも擁しているとは初耳でした。

▼てりてり様:
> 天神(博多駅)行の長距離バスで引っ掛ると疲れが倍になります。

20年近く前、盛岡で同様の状況から、臍を噛む思いをした事があります。仙台始発の
安比高原直通の臨時快速(現「こがね」の前身「グラシア」を充当)にて、スキーに
赴いたのですが、往路は地元路線バスの接続を以て、順調にスキー場に到着。

しかし復路は、事前に電話で確認した筈の安比高原駅接続バスはおろか、タクシーも
見当たらず、指定券を確保した直通快速に乗り損ねて、止む無く乗車した盛岡駅行の
高速バスは超満員。当時は盛岡駅西口のバス・ターミナルが全く未整備で「奥州12年
合戦」に由来する地名と思しき、前九年地区に面した館坂交差点での右折渋滞により、
只でさえ遅れ気味の行程が、更に一時間近く遅延して、この間に「やまびこ」数本が
無情にも発車したのでした。

同夜、私が国分町で自棄酒を呷り、翌日、件の地元路線バス会社に対し、事前確認の
対応不備を巡り、電話で怒りをぶつけた事は勿論ですが(^^)これがトラウマとなり、
以降、スキーへは専ら自家用車となりました。結婚後は、久しく御無沙汰ですけどね。



投稿者 きむたお
投稿日 2009年 9月14日(月)22時10分23秒
タイトル 祝!KATOより14系寝台車発売!
皆様、ご無沙汰しております。
さて、KATOより14系寝台車(「さくら」佐世保編成)がついに発売されましたが、
当方では2セット入手し、1セットは早速格下げ運用に就くべく、
オハネ14のカプラーの交換や行き先幕などを消去→貼り付けの作業に取り掛かっております(^^;;;
そこで、今回は間もなく発売になる14系座席車と一緒に楽しめる急行「能登」号の最末期の編成をご紹介いたします。

H5/2/10富山 602列車 急行「能登」
EF81 77↑
スハネフ14 39↓
オハネ14 104↓
オハネ14 101↓
 オハフ15 25↓
 オハ14 195↑
 オハ14 95↑
 オハ14 126↑
 スハフ14 36↑


*EF81の「↑」は抵抗器カバーのある向き。
*客車の「↑」は洗面所のある向き。
*EF81は塗色が変わりつつあった時期ですが赤13号か、赤2号か記録しておりません。


H5/2/28上野 601列車 急行「能登」
EF62 41(直江津まで)
スハネフ14 38↓(上野→富山:乗車)
オハネ14 103↓
オハネ14 59↓
 オハフ15 49↓
 オハ14 128↑
 オハ14 189↑
 オハ14 199↑
 スハフ14 14↑

 EF63 4 (横川→
 EF62 15 軽井沢)
 EF81 147↓(直江津から)

*こちらもEF81の塗色を記録しておりません。


H5/3/13富山 602列車 急行「能登」
EF81 74↓
スハネフ14 38↓
オハネ14 104↓
オハネ14 59↓
 オハフ15 48↓
 オハ14 128↑
 オハ14 169↑
 オハ14 136↓
 スハフ14 41↑


*こちらもEF81の塗色を記録しておりません。


H5/3/18富山 601列車 急行「能登」
EF81 68↓
スハフ14 39↓
オハ14 196↑
 オハ14 95↓
 オハ14 195↓
 オハフ15 41↑
(富山→金沢:乗車)
 オハネ14 102↑
 オハネ14 101↑
 スハネフ14 39↑


*こちらもEF81の塗色を記録しておりません。
*下り客車急行「能登」最終列車。


写真は、H5/2/28、上野にて。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 9月15日(火)17時14分12秒
タイトル ボンバルのLRT車両
雑魚様:
日本では「新潟トランシス」(旧新潟鉄工所)です。
旧型客車時代新潟鉄工のオハフ33やオハ35は仕上げがよかったですがね。電車は
苦手な様です。バックフランジを間違うなど初期ミス以下の大チョンボですが、

「一両ずつ何処か」が違うなんて蒸気機関車みたいですね?

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ED76109先生:
平取のトマト美味しいです。あっさりしていますね。(脱線で失礼します)


 
 
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