倶楽部メモ(551)
平成21年 9月 5日〜 9月 9日



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 9月 5日(土)10時52分38秒
タイトル 沙流鉄道とトマト
ED76109先生:
脱線話ですが、先ほど当地の大丸ピーコック(スーパー)へ買い物に出かけて「平取」
(びらとり)と発音ですか?製と書いたトマトが1袋中玉6個で¥398-だったので
「沙流鉄道」を思い出して買いました。
昭和26年の時刻表には1日上下4本で所要50分程度、これも比較的早く消えましたね?
産地と鉄道を結びつけて買い物なんて矢張り鉄分濃厚です???



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 9月 5日(土)15時11分11秒
タイトル 「ニシパの恋人」ですね・・・
 失礼致します。「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >「平取」(びらとり)と発音ですか?製と書いたトマト

 「平取」産のトマトは、当地では別名「ニシパの恋人」と申しまして、甘さを兼ね備えた味であり
「トマトジュース」が有名であります。
未確認情報ですが、確か5、6年前「北斗星」か「トワイライト」の朝洋定食に供出されていた
という話を聞いたことがございます。是非、ご堪能いただければと思います。

 >「沙流鉄道」
 いつもの「釈迦に説法」(笑)でありますが、
「沙流鉄道」は「大正13年8月21日」に「沙流軌道」として開通したナローの鉄道であります。
その後「昭和19年8月24日」に「沙流鉄道」となりましたが、「昭和31年12月」に全線廃止となっております。
3年前に、所用で現地の高校へ出張いたしましたが、残念ながら線路跡等の痕跡は認められませんでした。
「平取町内の旧国鉄駅」は「旧富内線振内」であります。
「旧富内線」は一時「道央道東の最短ルート」の一部として、
「苫小牧〜鵡川〜日高町〜占冠〜新得」のルートが計画されましたが、
「苫小牧」でのスイッチバックがネックとなったようで「石勝線ルート」に決定となった経緯がございます。
元々、「富内線」は「北海道鉱業鉄道」を買収国有化したものであり、
「昭和17年11月」まで「沼ノ端」が始発駅でありました。
なお、「富内線」は「昭和61年11月1日」に廃止されております。

 長々と失礼致しました。以上、既に「盛秋」の雰囲気漂う「北の大地」在住の「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ホエ7030
投稿日 2009年 9月 7日(月)11時49分21秒
タイトル 最後のオハユニ71
久し振りに古い客車列車の想い出をご紹介してみたいと思います。
 数年前に一度書かせていただいたことがありますが、
一般旅客営業用としては最後の活躍をする戦災復旧車・オハユニ71の姿です。
 この列車は、水戸線に運用されていた「水2」編成がEF80に牽かれて勝田から水戸に回送されているところですが、
ご覧のように編成の前後にオハユニ71が付いています。
EFの次位が狭窓の7111、最後部が広窓の7120ですが、
後から2・5・6両目にはオロフ33格下げのオハフ53が組み込まれています。
 オハ60やオハ61なども組み込まれていますので、
何も知らないで乗車しているお客さんは、運次第で相当の格差に見舞われることになりますね。
 この2両のオハユニ71は、昭和41年度中に廃車になりました。

*新しい様式になってから初めての投稿ですので、画像がうまく添付できているか不安です。

  回2724レ  S41.3.17  勝田〜水戸






投稿者 ホエ7030
投稿日 2009年 9月 7日(月)12時08分59秒
タイトル 最後のオハユニ71(2)
オハユニ71の活躍が終焉してから40年以上が経過していますので、車内の様子をご紹介してみます。
ニス塗りですが、かなり濃いアメ色という感じでした。
 昭和30年代の中ごろには水郡線で運用されたこともありましたが、全検の際には「はつかり」のDC化で遊休中の
スハニ35が東オクから借入れられて代役を務めたこともありましたので、これもまた相当な格差ですよね。

 オハユニ7120(水ミト)の車内  S41.3.17  勝田にて






投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 9月 7日(月)22時00分49秒
タイトル Re: 最後のオハユニ71
ホエ7030様

これはまた貴重な画像をご開示頂き、誠にありがとうございます。

****************
【皆様へ】この話題が出たのは平成15年7月で、
過去ログ集「倶楽部メモ(204)」および
「倶楽部メモSP」→「特定路線・地域の話題」→「水戸線普通列車のオハユニ71」
に収録されています。
****************

実際に写真で見ると、いちおう国鉄新型電機の一員(?)EF80と戦災復旧車オハユニ71の取り合わせに、
改めて「どひゃー」です(笑)。
また、往年の特急用2等車オロフ33の格下げ車が3両!ということは、総勢5両しかいなかった同系式の
過半数が組み込まれていた事になり、これはまた豪華な編成でもありますね。
オハユニとの設備の格差が何ともはや…

オハユニ71の客室内もまた貴重な資料ですね。
悪名高き戦災復旧客車の中にあって「まとも」な造りのため、最後まで旅客営業用に使われたというだけあって、
これならオハ60より窓が広い分だけマシかな…?と思ってしまいます。
しかし、これの検査代走がスハニ35とは…



投稿者 旧狩勝線を楽しむ会
投稿日 2009年 9月 7日(月)22時36分25秒
タイトル 20系のTR55 3種
20系で検索していたらここにたどり着きました。
貴重な画像を拝見できてうれしく思っています。
当会での20系保存車両の復元の参考にさせていただきます。
このたび下回りの塗装を行っていて、保存車両の3両の台車(TR55)が、すべて違うのに気づきました。
上からTR55(ナロネ21 1958年製)、TR55A(ナロネ22 1960年製)、TR55B(ナハネ20 1965年製)







投稿者のホームページ



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 9月 7日(月)23時14分11秒
タイトル Re: 最後のオハユニ71
ホエ7030様

貴重な画像をありがとうございます。
オハユニ71の車内の画像は初めて拝見しました。
あらためて手持ちの戦災復旧車関連の資料等を見直してみましたが、
客車内の写真はほとんど無かったので、本当に貴重な資料であると思います。

また、列車の写真も貴重ですよね。
戦災復旧車+鋼体化客車+並ロ格下げ車主体の編成ですか!
設備格差を知っていれば乗車するのは基本的に当然並ロ格下げ車でしょうが、
客車ファンにとっては戦災復旧車の存在も非常に気になるところですよね。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 9月 7日(月)23時34分11秒
タイトル Re:20系のTR55 3種
旧狩勝線を楽しむ会様

「20系客車誕生50周年記念写真館」をご覧頂いたのでしょうか?
あの写真館には、ここに集ってくださっている乗客の皆様からご提供いただいた貴重な写真がたくさんありますので
貴会の活動の参考になれば幸いです。

北海道には数回訪れているのですが、札幌・小樽・函館にしか訪れた事がなく、いつの日にかゆっくりと道内各所を
訪れたいと考えているので、その際にはぜひお邪魔させていただきたいと思います。
また、失礼ながら貴サイトの存在を今回初めて知る事が出来ましたので、次回更新時に当サイトのリンク集に
掲載させていただきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。



投稿者 旧狩勝線を楽しむ会
投稿日 2009年 9月 8日(火)00時14分22秒
タイトル こちらこそよろしくお願いします
「20系客車誕生50周年記念写真館」はもちろん拝見いたしました。
なかなか車内の写真が無く細かい部分が拝見出来参考になります。
現在ナハネ20は寝台が全て撤去されており、資料館として公開しております。
ナロネ21、ナロネ22は室内がほぼ廃車当時のままです。
日々痛んだところをコツコツ修復しております。
こちらも一般公開しております。夏季であれば内部見学できますので、北海道にいらした際は是非お越しください。
こちらも現役時代の20系が閲覧できるサイトとしてリンクしますのでよろしくお願いします。
投稿者のホームページ



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 9月 8日(火)00時49分33秒
タイトル 懐かしさで一杯であります!
 失礼致します。「ED76109」であります。

 旧狩勝線を楽しむ会様

 初めまして。「ED76109」と申します。
あまり詳しいことを記しますと、小生の「正体(?)」がばれてしまいますが、
「新得」には平成元年〜平成4年まで高校教諭として在しておりました。
「旧新内駅」には毎年「遠足」の引率でお邪魔しており、件の「20系」を眺めては(特にルーメット)
「乗りたかったなぁ・・・」との嘆息ばかりついておりました。
「旧北海道拓殖鉄道跡」や「畜産試験場」からの「狩勝越え」の眺望など、
「新得」は「鉄ちゃん」教師には想い出の地であります。
また、小生の想い出話などでお世話になるかもしれません。どうぞ、よろしくお願い致します。

 長々と失礼致しました。
以上、新得高校勤務時代、三次会の帰路に「大通の踏切」で「下りPCまりも」に「万歳三唱」ばかりしていた
「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 高速貨A
投稿日 2009年 9月 8日(火)21時29分9秒
タイトル 旧新内駅の20系および狩勝峠
旧狩勝線を楽しむ会様 ED76 109様

私が最近「旧新内駅」を訪れたのは平成19年5月と7月です.
5月の時点では内部公開されていませんでしたが,20系車両は綺麗に再塗装されていました.
9600型蒸気機関車は再塗装中もしくは再塗装前の下準備中状態でした.
元々SLホテルとして利用していたものが,SLホテル廃業によって
このまま朽ち果ててしまうか,スクラップ行きか?と危惧していたのですが
「旧狩勝線を楽しむ会」様の尽力により,見事に復活していました.
 7月に訪れた際は,内部公開していて,今まで写真でしか見たことのない20系車両内部および旧狩勝などの資料を
拝見させていただきました.
 旧狩勝峠については,国道38号狩勝峠展望台等から廃線跡が確認できますが,年月が経つにつれて樹木が生い茂り,
特に夏期は事情を知らない者には識別困難な状態になりつつあります.
しかしながら「旧狩勝線を楽しむ会」発行の「旧狩勝線ガイドマップ」には,非常にわかりやすく説明してありました.
 なお,新得駅から旧新内駅までの廃線跡が遊歩道として整備されているとの事ですので機会があれば廃線跡探訪を
実施したいところです.
 最後になりましたが,平成19年5月に訪れた際に撮影した写真を添付します.




投稿者 旧狩勝線を楽しむ会
投稿日 2009年 9月 9日(水)00時12分11秒
タイトル 少しずつですが
高速貨A様 ED76 109様 はじめまして。
コツコツやっていて少しずつですが修復にがんばっております。
今年はエコトロッコの営業にあわせて客車内部も公開しております。
9月は毎日。10月は土日祝。
今年は愛称幕を一箇所ですが作ってみました。幕を回転させる機構が残っているのが、一両分しかありません。
ナハネ20のみの駐車場側だけですけど、あさかぜ、さくら、はやぶさ、みずほ の4種類のみ回転させて表示が
できるように修復されています。
近いうちに行き先駅名の方も復活予定です。(現在製作中)

旧狩勝線の方は最近キロポストや勾配標など当時保線を担当されていた方が新内駅〜新内トンネルまでの区間に
立ててくださいました。
ちなみにキロポストの124キロ 1/2(大築堤付近)は本物で塗装しなおして立てていただきました。
現在新内駅の駅舎風の建物にある駅名標も本物です。
機会があればまた是非いらしてください。お待ちしております。



投稿者のホームページ



投稿者 秋田のHO
投稿日 2009年 9月 9日(水)00時30分18秒
タイトル 「SLホテル」
久しぶりに書き込み致しますです。

先日、何も知らずに小岩井農場の「SLホテル([D51半流型][ナハネ20][ナハネ20][ナハネ20])」
に宿泊予約しようとしましたところ、今期休業との事でして、嫌な予感がしましたがあえて、
「車輌整備の為の今期休業でしょうか?。」と前向きな質問をしましたところ、
返答は「来期の営業も未定なんです。」との事でございました。
小岩井農場「SLホテル」の先代客車、[ナロネ21500]時代よりもホテルとしましての
使用期間が短い気が致しますが、今を取り巻く諸般の事情により致し方無いのでしょう。
[ナハネ20]の内部はホテル用と致しまして完全に、2人/4人用個室2段寝台に改装
(せめて1区画だけでもオリジナルを残してほしかった)されておりまして、オリジナルの状態ではありませんが、
車輌整備のうえ、SLホテル営業再開となります事を願いつつ、
長文失礼致しましたです。


 
 
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