倶楽部メモ(546)
平成21年 8月13日〜 8月16日



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 8月13日(木)09時03分42秒
タイトル フィルム・コミッション
▼マロネロ38様:
> キハ223が先日さよなら運転(指定席制)を終えました。

223が対象でしたか。換装先の222は、先のGWでエンジン不調が報じられ、土壇場で
国鉄色による三連運転が御預けになっていましたっけ。

御指摘の保険会社のCMでは、阿字ヶ浦駅から車止方向に動き出す場面が見受けられ、
往年の海水浴列車に対応した、異様に長いホームならではの芸当ですね(^^)湊線は
文具メーカー「パイロット」CMでも登場します。人事異動で離任と思しき教員役の
相武紗季さんが乗った 222+2005を、教え子達が、中根の前後にて見送る演出ですが、
列車自体は阿字ヶ浦行と見受けられ、なんだ、異動先は「近所」か と拍子抜け(^^)




投稿者 きむたお
投稿日 2009年 8月13日(木)09時59分1秒
タイトル 今朝の「日本海」・「北陸」・「トワイライト」
今日の富山は小雨まじりで暗かったのですが客車列車3本撮影してまいりました。

'09/8/13(富山)、4002、上り「日本海」
EF81 45↓
オハネフ25 117
オハネ24 7
 オハネ24 19
 オハネフ24 15
 オハネ24 20
 オハネ25 216
 オハネフ25 121
 オロネ24 4
 カニ24 25



'09/8/13(富山)、3001、上り(北陸線内)「北陸」
EF81 151↑
スハネフ14 35
スハネ14 701
 オロネ14 702
 スハネ14 755
 スハネフ14 32
 スハネ14 759
 オハネ14 63
 スハネフ14 29



'09/8/13(富山)、8002、上り「トワイライトエクスプレス」
EF81 103↓
第3編成
カニ24 13


トワイライトの電源車以外は固定と思っているのですが、差し替えられることはあるんでしょうか・・・?
(今まで数回メモしていますが変わっていないような)








投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2009年 8月13日(木)12時28分39秒
タイトル ひたちなか海浜鉄道
<雑魚様>
 いつも様々な情報のご教示ありがとうございます。

 先般の阿字ヶ浦駅のキハ20国鉄色写真は福知山線・片町線を思い出します。
また、小生はTVCMの見れる時間での帰宅は少なく「相武紗季さん」出演の
CMは、ぜひ見てみたいです。
 ちなみに、相武紗季さんは福知山線利用者で、高校は川西池田駅西方の有名な
「雲雀丘学園」(阪急なら雲雀丘花屋敷駅)出身です。実家は宝塚市内です。

さて先日、ASO1962に乗車してまいりました。

 往年の名選手に会えた感覚で、熊本ー宮地まで、DMHエンジン音に堪能致し
ました。車内の感想日記にも「レトロな感じが最高」との表現がいっぱいでした。

 運転室内部は以前のままで、福知山線朝のキハ58系8連での高校通学を思い
出し目頭が少しうるむ自分にはっとした日曜日でした。

<キハ28−2401・ASO1962>
<わが家に来たロシア鉄・M62ディーゼル機関車>
<モスクワーソチのサボ>




投稿者 きむたお
投稿日 2009年 8月14日(金)07時47分21秒
タイトル 今朝の「日本海」・「北陸」
おはようございます。
一昨日撮影した4002列車に、カニ24 11亡き今、当方お気に入りのカニ24 23が入っていたので、
今朝も登板を期待して後追い撮影に臨みました。
ひどい雨でしたが、なんとか捕らえられましたので紹介します。

'09/8/14(富山)、4002、上り「日本海」
EF81 48↓
オハネフ25 202
オハネ25 148
 オハネ25 147
 オハネフ24 8
 オハネ25 210
 オハネ25 213
 オハネフ24 7
 オロネ24 5
 カニ24 23


'09/8/14(富山)、3001、上り(北陸線内)「北陸」
EF81 141↑
スハネフ14 27
スハネ14 702
 オロネ14 703
 スハネ14 758
 スハネフ14 28
 スハネ14 752
 オハネ14 91
 スハネフ14 30


4002の牽引機と3001の最後尾以外一昨日と変化ありません。

それにしても薄暗いときにデジタル機は重宝します。
ISO1600相当で撮影していますがRXPの2段増感とは比べ物になりません。
残る問題は今使っている17年物のコンパクトズームのぐにゃぐにゃ感です。
こればっかりは莫大な投資が必要なの解決できません・・・。

もっとも、もう少し明るければ本命のRDPで撮れるのですが・・・。

こちらにしても、高価なレンズ=明るいレンズで使用範囲が広がりますな(涙)







投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 8月14日(金)08時35分33秒
タイトル 昨夜、私が見送った編成ですね
本日は休日シフトに当たっており、きむたお様に続き、自身でも編成を押さえてきました。
「北陸」はまさに昨夜私が尾久で見送った編成で、EF64 1051(20-10秋田総合車セ)が登板しました。
8号車スハネフ14 20が抜け、代わりにスハネフ14 30が入りました。洗面台更新車です。
参考までに、昨夜上野発の「あけぼの」編成を。

Lot No.4062 8/13 2021レ「あけぼの」

1↑オハネフ25 205(17-12秋田総合車セ・レディースゴロン)
2 オハネ25 151(19-12秋田総合車セ)
3 オハネ25 152(18-10秋田総合車セ)
4↑オハネフ25 125(20-11秋田総合車セ・白ペンキ文字)
5 オハネ24 553(19-1秋田総合車セ・白ペンキ文字)
6 オハネ24 552(19-3秋田総合車セ)
7 スロネ24 551(17-9秋田総合車セ)
8↑オハネフ24 19(18-7秋田総合車セ・白帯・銀テープ文字・ゴロン)
 ↓カニ24 112(20-11秋田総合車セ・機関更新車・元「出雲」用)
  EF64 1052(13-9土崎工)

 21:21、70〜80キロ程度で滑るように尾久を定時通過。
 よく手入れされた艶やかなボディに、ホームの蛍光灯が反射し、実にいい雰囲気でした。
 きむたお様お気に入りというカニ24 23と、このカニ24 112は1993〜94年にかけ機関更新されましたから、
列車そのものが廃止になるか、天理臨等派動輸送需要があるうちは、最後の最後まで、廃車を免れるはずです。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 8月14日(金)08時56分9秒
タイトル 今朝も定時でした。
ひきつづき、今朝6時前に起きて押さえた、上り列車二題です・・・。

Lot No.4064 8/14 3012レ「北陸」

  EF64 1031(19-10秋田総合車セ)
1↑スハネフ14 35(18-12秋田総合車セ)
2 スハネ14 701(15-3土崎工)
3 オロネ14 702(16-2土崎工)
4 スハネ14 755(16-6秋田総合車セ)
5↓スハネフ14 32(19-7秋田総合車セ)
6 スハネ14 759(18-12秋田総合車セ)
7 オハネ14 63(15-7土崎工)
8↓スハネフ14 29(16-6秋田総合車セ)
※こちらは、きむたお様投稿から差し替えがありません。
 6:42尾久入庫。定時です。

Lot No.4065 8/14 2022レ「あけぼの」

  EF64 37(15-4土崎工・茶ガマ)
1↑オハネフ24 25(19-9秋田総合車セ・白帯・レディースゴロン)
2 オハネ25 220(19-10秋田総合車セ・銀テープ変形字体)
3 オハネ24 49(18-7秋田総合車セ・銀テープ文字・白帯)
4↑オハネフ24 23(18-5秋田総合車セ・白帯)
5 オハネ24 555(19-7秋田総合車セ・銀テープ文字)
6 オハネ24 551(18-9秋田総合車セ・銀テープ文字)
7 スロネ24 553(21-3秋田総合車セ・銀テープ文字)
8↑オハネフ24 12(21-1秋田総合車セ・元「北斗星」用引戸・ゴロン)
 ↓カニ24 102(20-7秋田総合車セ・銀テープ文字)
※特記以外金帯。
 昨夜「あけぼの」で表記が抜けましたが、個室車はオハネ24 553以外、全て銀テープ文字となっています。
 さらに、オハネ24 554は文字の一部が他と光沢が違うという、細かい差異がみられます。
 6:50、定時より1分早く、朝日を浴びて60キロ程度で尾久通過。いかつい表情のカニ24 100番台も、結構すきです。
 4号車に「日本海」運用主体のオハネフ24 23が入り、びっくりしました。
 2〜4号車がごっそり入れ替わったうえ、カニ24 25が「日本海」に回り、カニ24 102が運用復帰です。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 8月14日(金)09時46分33秒
タイトル さらにダメ押しで
連続投稿失礼いたします。
コイツも定時で上ってくれました・・・。

Lot No.4066 8/14 2レ「北斗星」

  EF81 78(17-2秋田総合車セ)
 ↑カニ24 505(17-2大宮総合車セ)
11↓オハネフ25 215(19-11大宮総合車セ)
10 オロハネ24 552(18-12大宮総合車セ)
9 オロハネ25 501(18-12大宮総合車セ)
8 オロネ25 504(18-11大宮総合車セ)
7 スシ24 506(21-2大宮総合車セ)
6 スハネ25 501(20-7苗穂工)
5 オハネ25 552(21-7**)
4 オハネ25 566(20-6苗穂工)
3 オハネ25 564(21-3**)
2 オハネ25 562(20-2五稜郭車所)
1↓オハネフ25 15(20-7苗穂工)

定時9:02に蓮田通過。運転士の決まりなのか、進入時に鋭くホイッスルを鳴らすことが多く、
今日も高らかに鳴らしながら結構な速さで通過しました。
改正前は、3分後続の湘南新宿ラインに、浦和で抜かれるダイヤでしたが、その後どうなのかと、
「**」表記で担当工場名をごまかしたオハネ25個室車とともに、調査(?)をサボっています。
蓮田〜上野約36キロに約36分かけ、区間表定速度60キロ程度ですから、
やはり地平の浦和ホーム通過時に、高架貨物線を飛ばすE231に抜かれるのは、変わらずなのでしょう。
きむたお様指摘の「トワイライト」編成ですが、カニ以外基本的に固定です。
編成単位で検査入出場を行い、合理化を図っているものとおもわれます。
従って、カニ以外の検査時期は、編成単位で全て同じです。今回の第3編成は19-12網干総です。
その時の工場キャパなどの都合で、網干だけでなく下関での検査にもなり、
時期は同じながら、網干、下関半々、ということもありました。
余談ながら、あまり知られていませんが、2001年春から、2006年頃までは、
おなじ宮原もちの「日本海」「銀河」も組成車両を半ば固定化していました。
こちらは各々車両の検査時期がまちまちだったため、検査に当たった車両を抜き取り、予備を組み込む、
という措置を取っていました。
また、まれに「銀河」にも使われましたが、オハネフ25 136と142は「日本海」4号車限定使用、
2006年5月に下関から奇跡の復活を遂げたオハネフ25 133、140、150は「銀河」2号車限定、というものがありました。
埼玉に住む身には「日本海」「トワイライト」の動向を掴むのは、大阪在住の友人の記録に頼る部分が大きく、
彼は検査時期まで記してくれるため、大いに助けられているのです。
忙しいため、たまにしか送られてきませんが。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 8月14日(金)17時31分50秒
タイトル 宮原線の事など
▼ユーラシア鉄道様:
相武紗季さんは、そちら方面の御出身なのですね。御指摘の「雲雀丘学園」といえば、
同じ兵庫県内の超優良進学校であるK学院やN高校と共に、酒類メーカーに縁が深い
背景事情があり、御盆で酒浸りの田舎オヤジとしては 妙に感慨を深めています(^^)

アル中予備軍の世迷言はさて置き「あそ1962」の愛称に、そういえば「あそ BOY」は
引退したんだっけ、などと今更ながらに思い出したのでした(恥)豊肥線については、
宮地以東の勾配区間から俯瞰する阿蘇谷(内輪山北側一帯のカルデラ盆地)の眺めが、
篠ノ井線から俯瞰する善光寺平の如く、御気に入りで、こうした観光列車が、宮地で
折り返すのは、少し勿体無い様な気もします。

ちなみに、登坂を越えた先の波野界隈は、大分を河口とする大野川水系に属しますが、
行政上は、熊本県に属します。そういえば、久大線から分岐していた宮原線の終着駅・
肥後小国の界隈も、熊本県にあって、福岡・佐賀県境で有明湾に注ぐ筑後川の水系で、
カルデラ火山周辺の複雑な地形が垣間見えますね。

永らく謎だった路線名「宮原」とは、肥後小国駅が所在する地区の名称だそうですね。
その一方、駅名には自治体名「小国」を冠した命名感覚が良く判りませんが、現在も
線路が残る肥後小国駅は、現役時代は、機回し線と側線を擁する一面一線構造との事。
宮原線が肥後小国まで延伸開業したのは1954年ですが、名物のキハ07形の活躍時期は
それより以前からの事で、当時の宮原線における車種の陣容が気になりますね。

そのキハ07、豊後森機関区を経て、現在は門司港駅に隣接する「九州鉄道記念館」に
保存されているとの事。今年春から運行を始めた「門司港レトロ観光線」の試乗方々、
是非、訪ねたい処ですね。この観光線、詳しく調べて見ると、管轄は平成筑豊鉄道で、
愛称「やまぎんライン」は、ネーミング・ライツを取得した山口銀行に由来するなど、
意外尽くしですね。

キハ07の系列は、我が茨城の鹿島鉄道でも稼動していましたが、運行上の都合ゆえか、
あの個性的な面構えが切妻型に改められたのは、趣味の観点からは、残念な事でした。
画像は、上段が 元「道産子」キハ714共々、往年の国鉄ローカル線を思わせる陣容で
霞ヶ浦湖畔を行く廃止前日の様子で、下段は、廃止後の鉾田駅跡での様子です。






投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2009年 8月14日(金)19時32分31秒
タイトル 水郡線について
<雑魚様>
 いつも須らくの造詣のお深さに感服させていただいております。

 まず、あそBOYは現在、熊本ー人吉で「SL人吉号」として復帰
しております。
 あそBOY時代に、立野のスイッチバックを3両の客車を牽引して
躯体に損傷をきたしたとの、宮地駅駅長の談でした。
 確かに、スイッチバックの勾配はかなりなもので(約45/1000)
でキハ58も区間評定15km/hでした。

 さて、雑魚様の水郡線と福知山線は、国鉄時代ほぼ同じ車両では?
と推察する次第です。
 客車列車 :郡山ー水戸で確か3往復でしたよね?
       スハ32などの狭窓車はなく「スハ43系」または
       「オハ35系」の近代化更新車主力でしたね?

 気動車列車:キハ55・26、キハ20・25が主力でしたね?
       嫌われ車両キハ35は入線実績なしですね?

 機 関 車 :DE10(乙線?)ですね?

 要するに福知山線と水郡線の違いは、機関車のみと思われます。

 また以前に、2度の旧客乗車で訪ねた水郡線の景色も福知山線の
丹波路とよくにており、一番の感激は袋田の滝、そして2番目には
オハニ3611に出会えた事。
 ご存知のとおり当該車両は福知山客車区に在籍し、小生の高校・
大学時代に大阪発18:30・福知山行き最後尾に連結されており
ました。白熱灯車っていいですね。

 またキハ26は、急行型ながらも「庶民的」(キハ58はすこし
敷居が高く感じておりました。)な感じや車内中央部の大きな排気
管のところがH1200位で、丁度、荷物(学生かばん)が置きや
すかったことなどで、大好きでした。

 ただ恐縮ですが「DD54」に遭遇できたのは福知山線のおかげ
と思っております。

 1970年代、夏季臨時急行「但馬ビーチ」(12系8連)には
必ずDD54(後にDD51)であったことや、日・祝には(当時
土曜日は勤務日)大阪発8:00頃の、篠山口行きの旧型客車快速
「9735レ」があり、宝塚駅へ見に行くことが休暇中の楽しみで
した。

 「9735レ」の停車駅は尼崎・宝塚・三田のみで、以降は各駅
(ただし当時新三田はなく、草野・南矢代は通過)でした。
 蛇足ですが客車列車はすべて草野・南矢代は通過しており、1日
4本の気動車列車のみ停車しておりました。(いまや丹波路快速が
30分ヘッドで停車してます。

 ちょっと話題をそれまして、福知山線沿線の芸能界情報。
 篠山口=桂文珍 生瀬=藤原紀香 中山寺=相武紗季、南野陽子
 間寛平、川西池田=由美かおる、浦浜アリサ、などです。

 わが兵庫県は神奈川県についで「美人県」で、他にも、松浦亜弥
(姫路)上野樹里(加古川)北川景子(須磨)戸田えりか(六甲)
 などなど。ちなみに小生は北川景子の大ファンです。
 東海道本線下り新快速が大阪駅で乗客が総入替になったあとの、
神戸方面はさながら美人コンテスト会場とおぼしき美人が多く乗車
 しております。
ちょっと頭の柔軟体操に、話題をそらし申し訳ございません。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 8月15日(土)15時07分47秒
タイトル 水郡線 vs 烏山線 ?
▼ユーラシア鉄道様:
> あそBOY時代に、立野のスイッチバックを 3両の客車を牽引して躯体に損傷

改めて立野〜赤水の「段差振り」が窺えますね。肥薩線で復活とは、何よりの事です。

> 客車列車:郡山ー水戸で確か 3往復でしたよね?

私の高校時代は、一日当たり、常陸大子折返しが一往復半で、夕刻の下り二便を翌朝、
長大編成一本で水戸に戻すという陣容でした。常陸太田発着も、朝方のみ一往復あり、
編成がホームに収まらない停留所規格の常陸津田・後台・中菅谷・南酒出・谷河原は
通過扱い。なお、車両は紺色のオハ35系でした。

水郡「本線」も、上菅谷以南では同様の「快速運転」が基本だった為、常陸津田では、
肝心の通勤時間帯に停車する水戸行の便が無く、那珂川を挟み水戸の街が見える様な
立地にもかかわらず、一旦、下り便で下菅谷に北上し、快速で改めて南下するという
もどかしい事例もあった様です(^^)

> 嫌われ車両キハ35は入線実績なしですね?

それが、あったのですよ。私が記憶するのは、水戸発13時半頃の郡山・常陸太田行で、
当時の各停では唯一の多層建でした。当該車両は、郡山行として編成の先頭に繋がれ、
次位が、通り抜け不可の荷物車という事情もあり、比較的、空いていた様に思います。

この列車、隣のホームに下り特急が差し掛かった途端に発車する、意地悪なダイヤで、
その癖、常陸太田行併結の為「快速運転」は無く、上菅谷では解結作業や、上り急行、
それを待避する常陸太田支線の上り便との交換待ちで長時間停車しており、それなら
水戸で特急接続を考慮しても良いのに、と感じたものでした。

> 機関車:DE10(乙線?)ですね?

然様です。一方、2006・07両年の七月末に烏山線で運転された「山上げ祭り」関連の
12系臨時列車を牽引したのは、盲腸線にも拘わらずDD51でした。これも、仁井田で
麦酒工場発着の長大な貨物列車を取り扱っていた名残りですかね。

>「DD54」に遭遇できたのは福知山線のおかげと思っております。

畿内と山陰を結ぶ幹線としての面目躍如ですね。同形式の機関車の紹介写真については、
今にして思えば福知山線、それも武庫川渓谷の辺りでの撮影だった様に思います。

> 客車列車はすべて草野・南矢代は通過しており、1日4本の気動車列車のみ停車

篠山口まで複線化が完成する以前は、両駅とも棒線構造の為、電化後も、普通列車の
通過例があった様ですね。相野・藍本・草野・古市・南矢代駅の周辺は、丘陵気味で
沿線人口も多くなさそうで、件の複線化は篠山の街の為の措置という印象を受けます。
もっとも、篠山口駅は旧丹南町域と、篠山市街からは少し離れており、同駅折返しの
電車便を直通させる形で、篠山線を部分復活したら、結構繁盛するかも(^^)

> 福知山線沿線の芸能界情報。

水郡線というと、白石美帆さんが常陸大宮の御出身ですね。高校が常陸太田ですから、
日々、上菅谷で乗り換えて通学されたのでしょう。なお、旧客列車が残っていた当時、
夕方の郡山行が、何を血迷ったか、上菅谷駅で常陸太田発の接続を待たずに発車する
珍事が発生、乗り換え予定の高校生多数が、ホームで呆気に取られていました。結局、
次の便が来るまでの一時間、上菅谷駅で無為に屯していたのでしょうかね(^^)

上野樹里さんと云えば、やはり、山形鉄道が多々登場する「スイング・ガールズ」を
連想しますが、こうした女子によるジャズ・バンド部のモデルとして映画監督が先ず
注目したのが、上野さんの地元・加古川の近所である高砂高校なのだとか。

画像は水郡線と烏山線、それぞれにおける、同じ高崎12系充当の臨時列車の様子です。






投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2009年 8月16日(日)01時30分4秒
タイトル DD51−847
<雑魚様>
 たびたびのお返事を賜り、深謝申し上げます。

 添付写真で頂きましたDD51−847は、磐越東線の「あぶくま新緑号」に
乗車させて頂いた時のの牽引機で「お召し用」とかで、すごく感激した想い出が
あります。いわき到着後、スパリゾート・ハワイアンズに直行。

 埼玉在勤時、旧型客車列車のダイヤ発表あらば、先に指定券のみ取って、殆ど
乗らせて頂きました。ローカルな駅だったので、小生が駅改札に伺うと「あれ、
今度は何処で客車が走るんですか?」と反対に駅員さんから顔なじみになり聞か
れる始末。
 やはり一番の想い出は、只見線SLでした。C11の喘ぐ登坂時や、併走する
国道のドライバー達が、目を見張っていた光景。
 小生の家族+大阪から両親も呼び寄せての乗車に会津若松区の車掌さんたちが
「遠路はるばる」といって感激して頂いたことなどを思い起こせば、JR東日本
様では旧型客車を大切に扱っているのが羨ましい限りです。

 また高崎線のD51ー498牽引の高崎・水上間の旧客列車が6連が、とても
迫力満点でした。

 さて「ユーラシア」鉄道の話題・歴史編です。

 樺太・これは国際法上「所属未確定」のちにソ連実効支配で、昨年の麻生総理
がユジノサハリンスク(豊原)をわざわざ訪れてのメドベージェフとの会談は、
日本がソ連の不法占領を認知したことになるという、後継国ロシアの術中に嵌め
られた事を、何人の日本人が理解してるでしょうか?

 政治の話はこのくらいで、小生の祖父が戦前に団体観光旅行で「豊原」「本斗」
「大泊」を訪れたアルバムが出てきまして、行程表・客車。機関車の写真をお見
せ致します。

 小生も現在の豊原駅(ユジノサハリンスク駅)と称し、ジオラマで再現致しま
した。ご笑覧ください。
<樺太旅行行程図>
<豊原駅の8630・今の梅小路に在籍車と同じ?>
<ジオラマ再現・今のユジノサハリンスク駅・M62とキハ58交換>



 
 
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