連投失礼致します。「ED76109」でございます。
前述のとおり、多忙の中で「鉄旅」の望みが少しずつ薄くなっており、フラストレーション一杯であります。
そこで、久しぶりに「戯言」を記させていただきます。
いつものように先達の皆様方の話題として取り上げていただければ幸甚の限りであります。
1 平成6年の盛夏、九州乗り鉄の帰路に「東京」まで「はやぶさ」にお世話になりました。
さすがに「西鹿児島」からはガラガラの車内で、小生が持っていた「遠軽」までの「乗車券」のお陰で
「博多車掌区」のカレチさんと盛り上がっておりました。
すると、「湯浦」で臨時停車した途端、20分以上も立ち往生。
カレチ氏の話では、「踏切を暴走トラックが通過して、ECつばめが立ち往生した」とのこと。
ところが、その「25分」の遅れが列車交換やら、「内側線」運転(どこのことかお分りですね)やらで、
翌朝は45分の遅れで「トカホセ」を東上する羽目になりました。
結果、「東京」に後続の「みずほ」と「さくら」を優先させて入線させるため、
「はやぶさ」は「品川」で「1時間以上停車」することに・・・。
小生を含む数名の乗客のみを乗せた「はやぶさ」は、1時間55分遅れの「12時05分」に「東京」に到着。
灼熱のホームで「本当にご苦労様でした」とカレチさんと苦笑いしながら、
約23時間の「はやぶさ」の旅が終わりました。
2 平成7年の盛夏、山陽乗り鉄の帰路に「小郡」から「さくら」に乗車。
すでに車内は減灯されており、最後尾1号車「スハネ14」は閑散としておりました。
しかし、小生の下段の反対側は老齢のご夫妻がいらっしゃり、「東京まで宜しくお願いします」と一言。
翌朝、お話を伺うと佐賀から横浜の娘さん夫婦に会いに行くということで、
お孫さんの写真を「下関車掌区」のカレチさんたちと眺めながら、旅の話が弾みました。
特にご主人は、仕事の関係で「静岡」まで「さくら」で出張する機会が多かったとのことで、
大雨でまる1日「さくら」が遅れた経験などを伺い、
往年の九州ブルトレの栄光を直に知ることができた貴重な旅を味わえました。
3 小生、以前に「新得」に在していた話をいたしました。
当時は若い教員が多く、何かあれば直ぐに酒宴となり、いつも午前様になるまで大騒ぎをすることが・・・。
その時、いつも帰宅するきっかけとなるのは、今は無き「下りPCまりも」の「新得到着時刻」。
実は「帯広市内」から通勤していた同僚が一人おり、
「まりも」で「帯広」まで帰ることが何度かありました(帯広着は3時過ぎ!)。
ある時、「ホームで見送るべし!」と女性教諭も含めて、
夜中の2時過ぎに「新得駅のホーム」で酔いに任せて万歳三唱(!)をしたことがあります。
そんな時、必ず件の同僚は最前部の自由席に必ず乗り込んでいましたので、
「DD51」のホイッスルが深夜の田舎町に威勢良く響いた記憶がございます。
長々と失礼致しました。
しかし、考えてみれば上記の列車はすべて「鬼籍」入りしていることに、
一抹の淋しさを禁じ得ない「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |