倶楽部メモ(538)
平成21年 7月 8日〜 7月13日 |
投稿者 |
ユーラシア鉄道 |
投稿日 |
2009年 7月 8日(水)00時25分30秒 |
タイトル |
シルクロード急行 |
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「ED76109様」
ユーラシア大陸への遥かなる夢。
北京または上海からウルムチへは、おのおの寝台+座席車の列車が設定されています。
車両は25系といわれる中国製主体で、
ウルムチからカシュガルは22系の緑色客車(ロシア客車を参考に中国で製作)です。
またウルムチからカザフスタン・アルマトウイ(アルマアタ)へは、東独製ロシア客車(緑色)です。
ウルムチ以西は出稼ぎ労働者・バザール商人が多く、観光客としての乗車はあまりお勧めでないようです。
(彼らの荷物の多さが尋常でなく観光気分で同乗できないそうです) |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2009年 7月 9日(木)00時41分1秒 |
タイトル |
鉄話あれこれ |
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おばんでございます。「ED76109」であります。
「マロネロ38」様
>米原発軽井沢行が敦賀で敦賀港行に連絡
時代とは言え、広域運用はダイナミックだったわけであり、果たして「米原」から「北陸本線・信越本線」
と歩みを辿るうちに、どのような「出会い」や「旅」があったのか、所要時間はといったことが気になります。
「ユーラシア鉄道」様
>小海線・小渕沢堰堤?でいかがですか
御意。往年の「八ヶ岳51号」ばりの旧客列車であります。背後の「タイガ」(?)が光りますね。
>ウルムチ以西は出稼ぎ労働者・バザール商人が多く
昔の日本でもいた「担ぎ屋さん」のようなスタイルで・・・という映像を見た記憶があります。
まさしく「活気ある鉄道風景」が展開されているようであり、乗れなくとも憧憬が募りますね。
長々と失礼致しました。以上、「4連敗」で意気消沈の「道民球団応援団」の「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
XD1 at Phuket |
投稿日 |
2009年 7月 9日(木)23時03分36秒 |
タイトル |
バンコク駅 |
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これがホームです。ここでも、ホームが日本に比べてかなり低いの、お分かりになると思います。
右側に「1」の数字が入った車両が見えますが、これは1等の2人個室です。
雰囲気、数十年前の上野駅のような。ちなみに、汽車の本数は少ないです。
それもあり、出発のかなり前に入線しています。1時間以上前に入線していることもあります。
この時は、定刻の30分くらい前かな。
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投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2009年 7月10日(金)14時12分8秒 |
タイトル |
阿拉山口 |
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▼ユーラシア鉄道様:
>
ウルムチからカザフスタン・アルマトウイ(アルマアタ)へは、東独製ロシア客車
幼少の頃、学校教材用の世界地図を広げると、中国西部に延びる「壮大な盲腸線」が
妙に印象的で、終点付近の「ウルムチ」という地名は、子供心にも存じておりました。
ここから北疆線が西進し、更にカザフスタンまで鉄道が繋がったとの報道に、感慨を
覚えてから早や20年近く経ちますが、当該国境の通過貨物量は、中国では今や堂々の
第二位とか。一方、国家元首をしてサミットを早退せしめた、ウルムチの情勢を巡る
報道を見ると、政治と経済が極めて流動的に絡み合う、複雑な地域事情も窺えますね。
中国とカザフスタンに軌間差がある為、国境を挟んだ阿拉山口〜ドルジバの10km強は
異軌間による単線並列仕様との事ですが「グーグル」空撮映像で同区間を俯瞰すると、
特に阿拉山口駅と思われる一帯では、夫々の線路幅を以て操車場が複合的に配されて
いるのではないか、と思える様な、重合的な様子が良く判りますね。配線の複雑さも
然る事ながら、貨車と思しき留置車両もかなり多く見られます。
NHK「関口知宏の中国鉄道大紀行」も、さすがにこの辺りは網羅していないかな?
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阿拉山口駅には及ばないかも知れませんが、先日、南千住乗換の合間を縫って、少し
見物して来た、隅田川貨物駅の様子を紹介します。開業以来、旅客営業は皆無ですが、
先頃、話題になった様に「はつかり」のエンド交換に供されていますね。
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投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2009年 7月10日(金)20時45分46秒 |
タイトル |
平斎線と濱洲線の交差点 |
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戦前の時刻表を見てもこれだけは不可解でしたが、グーグルアースで見たら草原の
中で「立体交差」(平斎線が上)なのですね。
それにしても満州国時代に何故近鉄の「八木」みたいな連絡線を建設して、ハルビン
からチチハル方面に直通しなかったのか?今は「紅旗菅駅」から短絡線がありますが、
満洲国時代は一旦満洲里方面へ通り過ぎて「虎虎渓」からスイッチバックで「楡樹屯」
で平斎線に連絡(今でもこの線見えるが)−−−−−当時は「大陸的」と云うか呑気
だったのですね。
尤も交差点から南と北は元々違う鉄道会社だたので、そんな事になったのかも
知れませんが----。当時の時刻表では示されて居なかった新線や短絡線が多数
見えます。
濱洲線から「四平」向きに短絡線が見えますが、これは「大慶油田」(安達=アンダ)
付近の原油を平斎線で運ぶ為?かと想いますが、この辺り「立ち入り許可」が出るなら
写しに行って見たい場所です。
それにしても中国国鉄の時刻表「見難い」ですね。1991-92,1992-1993版を持ってい
ますがあちこち頁を繰らないと---- |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2009年 7月10日(金)23時47分26秒 |
タイトル |
青蔵鉄道もありますよ・・・ |
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おばんでございます。「ED76109」であります。
雑魚様を始めとする先達の皆様方
>NHK「関口知宏の中国鉄道大紀行」
中国やタイ等のアジアの鉄道が取り上げられておりますので、
もう一つ「青蔵鉄道」も小生が「乗り鉄」したい魅力的な鉄路であります。
「青蔵鉄道」は、「中華人民共和国 青海省西寧」と「チベット自治区首府ラサ」を総延長1,956qで結ぶ高原鉄道。
「北京」や「上海」からは、約48時間で直通列車が走行しております。
また、途中区間には、「タンラ山脈」を超える、海抜5,072mの「タングラ峠」があり、
「唐古拉」が海抜5,068mで「世界で最も高位にある鉄道駅」。
ですから、当然客車には空気の希薄な地域に対処するため、与圧設備を持つ「25T型客車」が運行されております。
「軟臥及び硬臥寝台車」には航空機に搭載されている「酸素吸引設備」が用意されており、
吸入チューブが無料で配布されるとのこと(「富士山山頂」から1,300mも標高が高いのですね・・・)。
鉄路は「ネパール」国境を越え、「カトマンズ」まで延伸される計画となっており、
「北京」から「カトマンズ」までの長距離国際列車の夢が広がります。
しかし、「ウルムチ」や「ラサ」の状況を鑑みるに、「中国」が辺境地の開発と実効支配の強化のために
「鉄路」を利用している意図が感じられ、正直複雑な思いに駆られるものです。
「鉄道」が真の平和の使者として、国際社会の話題になるように切に望むものです。
長々と失礼いたしました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
ユーラシア鉄道 |
投稿日 |
2009年 7月10日(金)23時57分13秒 |
タイトル |
新疆カザフスタン鉄道 |
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「雑魚様」「ED76109様」
当路線は、第4の中ソ(当時)連絡鉄道として脚光をあび、現在では開業当時の7倍の物流規模で、
何といってもネックは台車交換とカザフスタンのソ連的税関システムです。
貨物はまだ改善されつつも、旅客はソ連式システム(理由:カザフスタンに入国すればロシアにフリーで入れるため、
国境管理は「ロシア国境警備局<旧KGB>」が執り行っている)につき、入国審査に長蛇の列だそうです。
国境ドルージバ(ロシア語で「友好」の意)の台車交換作業前のTEM2型ディーゼル機関車と
東独製ロシア客車写真を添付します。
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投稿者 |
XD1 at Phuket |
投稿日 |
2009年 7月11日(土)12時39分7秒 |
タイトル |
タイのブルートレイン |
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これが寝台の車内です。
4人が向かい合うような、4人で個室に近い形態になるような、そんな基本構造は変わっていないと思います。
紫色で写っているのは、夜寝るための布団で、夜には車窓さんが白いシーツを被せたりします。
夜の携帯の写真も、後ほどUPします。
なお、背もたれの上部、この写真では小さくなっていますが、マジックテープでカバーを取り付けるようになっています。
あるいは日本では、白いカバーなどが付いていたのでしょうか。
タイでは、この部分にカバーはありませんでした。
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投稿者 |
bell |
投稿日 |
2009年 7月12日(日)08時05分39秒 |
タイトル |
寝台特急 北陸 |
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管理人様、ご無沙汰しております。
昨日、金沢まで出掛けまして『北陸』を記録してまいりました。
14系寝台車もメンテナンスは確り行なわれているようでして、塗装剥離はなかったように思いました
(先般、大阪で記録した『サロンカーなにわ』は塗装のひび割れが目立ちました)。
平成21年7月11日 3002レ 北陸(金沢→上野)
EF81 149 長岡
8 スハネフ14 29 東オク↑ B寝台
7 オ ハ ネ14 63
東オク B寝台
6 ス ハ ネ14 756 東オク B寝台(ソロ)
5 スハネフ14 32 東オク↑ B寝台
4 ス ハ ネ14 755
東オク B寝台(ソロ)
3 オ ロ ネ14 702 東オク A寝台(シングルデラックス)
2 ス ハ ネ14 702 東オク
B寝台(ソロ)
1 スハネフ14 27 東オク↓ B寝台
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投稿者 |
ユーラシア鉄道 |
投稿日 |
2009年 7月12日(日)15時49分42秒 |
タイトル |
日本の客車列車の危機 |
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///若い世代(男女とも)との会話///
1.まず「汽車」という言葉を知らない。
2.旧型客車の写真を見せても???
ただし反応のよい者=銀河鉄道999のメーテル??
3.機関車は貨物列車を牽引するもの。
よって「旧型客車」を知る者も、世代交代の波には抗しようもありません。
従い、JR各社での旅客用機関車も存続の危機に瀕しております。
**客車クラブの諸先輩の皆様へ**
JR各社に「ジョイフル・リゾートトレイン」用として、旅客用機関車が存続できるよう
「オハ35系(オリエント急行同等・車端絞り意匠のため)旧型客車の再製造」を求めたいところです。
命名は「銀河鉄道メーテル」。
再製造にあたりドアの自動引戸等の改善以外はリベット等原型のままとし、
内装はJR九州「リレーつばめ4号車・コンパートメント仕様」や「グリーン車シートの設置」「オープンサロン」など
「外国人観光客」の利用(DD51+旧型客車こそが「日本の原風景」そのもの)も視野にいれて作ってほしいものです。
いずれにせよ、日本から「鉄道の基本」である客車列車が記憶のかなた以外に消滅してしまうのではないか?
との危機感で、いっぱいです。
客車列車を存続できるよう方策はないものでしょうか?
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小生がロシア・旧ソ連諸国の客車列車が好きな理由は?
ヨーロッパで唯一「プッシュ・プルトレイン」を運用していないことです。
特にフランス・スペイン・ベネルクス3国では、これが常態で電車か客車かの区別ができない状態です。
以上長々と恐縮です。申し訳ございませんでした。
ロシア「新型電機EP2型」クラスノヤルスク行・東独製客車10連
(東北本線・急行「八甲田」でいかがでしょうか?)
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投稿者 |
赤まんと |
投稿日 |
2009年 7月12日(日)21時15分25秒 |
タイトル |
私もしっかり、尾久でキャッチしています。 |
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bell様が金沢で記録された11日の「北陸」ですが、前日10日上野発を尾久回送線で編成記録しています。
メモ、ペン一切持たず、暗記という方法です。
Lot
No.4037 7/10
3011レ「北陸」
1↑スハネフ14 27(16-4秋田総合車セ)
2 スハネ14 702(16-4秋田総合車セ)
3 オロネ14 702(16-2土崎工)
4 スハネ14 755(16-6秋田総合車セ)
5↓スハネフ14 32(19-7秋田総合車セ)
6 スハネ14 756(15-12土崎工)
7 オハネ14 63(15-7土崎工)
8↓スハネフ14 29(16-6秋田総合車セ)
EF64 1051(20-10秋田総合車セ)
ご指摘の通り、目立つひび割れ等なく、よく手入れされていますが、
15〜16年全検車はさすがに雨どい部分に腐食めいたものが見られます。
15年全検の個室車はそろそろ検査時期と思われ、現在スハネ14 758が運用離脱しています。
入場中かどうかはわかりません。
全検表記は過去の記録の積み重ねです。
定期的に上野駅に出向いてチェックはしますが。
推進回送で回送線踏切を徐行する際、スハネフのエンジン音がウオーンと高まり、いい雰囲気でした。
タクシーの運転手がほえーっ、と感心した目で眺めていました。
尾久出庫は平日は22:34頃、土日祭日は22:38頃です。 |
投稿者 |
赤まんと |
投稿日 |
2009年 7月12日(日)21時31分0秒 |
タイトル |
対の編成も載せておきます |
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連続になってしまいますが、7/10 3011レの対の編成も押さえています。
Lot
No.4034 7/9
3011レ「北陸」
1↑スハネフ14 31(19-2秋田総合車セ)
2 スハネ14 701(15-3土崎工)
3 オロネ14 703(17-10秋田総合車セ)
4 スハネ14 759(18-12秋田総合車セ)
5↓スハネフ14 28(15-12土崎工)
6 スハネ14 752(18-4秋田総合車セ)
7 オハネ14 82(21-1秋田総合車セ)
8↓スハネフ14 20(17-7秋田総合車セ)
EF64 1053(20-12秋田総合車セ)
ロクヨンラストナンバーが登板しました。よく姿を見せます。
1052だけ13-9土崎工で、いよいよこちらも検査でしょう。
ムーンライト用14系解体の報はまことに残念ですが、一方、こうして齢37年を迎えようとしながら
(「北陸」用の大部分は1972年10月改正用に生まれた車両です)よく手入れされ、
にわかに脚光を浴びていることは心強い限りです。
この夏、撮影や記録を検討されている方は、ぜひとも実行に移していただきたいものです。
間近で見ると、その手入れのよさに感動すること請け合いです。 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2009年 7月13日(月)10時12分46秒 |
タイトル |
時代の必然 |
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▼ユーラシア鉄道様:
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日本から「鉄道の基本」である客車列車が記憶のかなた以外に消滅してしまう
北ヤマ様の御指摘にある様に「ムーンライト九州」が、唐突に完全廃止されましたが、
以前「きたぐに」の例で申し上げた様に、高速運転が覚束ない事によるダイヤ編成も
隘路になった様ですね。日本の様に、物理的事情から国境を越えての直通運転が無く、
自国の方式で自己完結できる状況において、一定の高速化を行おうとすれば、客車の
淘汰は時代の必然かも知れません(個人的には、台湾の状況がこれに近いと感じます)
並行新幹線の延伸に伴い、今後数年以内に「北陸」「はまなす」そして、道内紙にて
取り沙汰された江差線の処遇次第では「カシオペア」「北斗星」「トワイライト」も
廃止かと予想する私としては、車両の経年数をも考えれば、十年後には、残存スジの
電車置換を含め「客レ=多客期のイベント臨」という状況もあり得ると踏んでいます。 |
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