倶楽部メモ(537)
平成21年 7月 3日〜 7月 7日 |
投稿者 |
客車 |
投稿日 |
2009年 7月 3日(金)20時16分33秒 |
タイトル |
日本の客車、在庫 |
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鉄道図書刊行会から発行された、再版が出るとの噂の「日本の客車」が
東京は神田の神保町交差点近くの古書店に、本日在庫していました。
茶色のケースは付いていましたが、大船付近にて撮影と見られるカバーと透明ビニールカバーは有りません。
¥31,000−也
お知らせです。 |
投稿者 |
仙コリ(管理人) |
投稿日 |
2009年 7月 4日(土)00時32分20秒 |
タイトル |
Re:日本製ブルートレイン |
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XD1 at
Phuket様
タイ国鉄における日本製ブルートレインの使用状況レポートありがとうございました。
ネット上でTrang線の時刻を調べてみたところ、2往復とも夜行運転で、急行列車が所要15時間前後
快速列車が所要16時間前後のようですね。
ご乗車になった車両は2等寝台との事ですが、日本時代の開放B寝台(2段式向い合せ)といった
状況のままでの使用状況といった事でしょうか。
洗面所の水が出なかったとの事で、車両の整備状況には多少問題があったようですね。
ところで、ご乗車になった1両だけ塗装の状態が悪かったとのことですが、私の記憶が正しければ
日本からタイ国鉄への車両譲渡は複数回あったと思いますので、その車両だけタイに渡ってからの
年数が経っている可能性があるのかな?とも思われます。
また、隣の銀色の車両はドアがだいぶ低い位置に付いており、手前のホームもだいぶ低いと思われ
るので、日本製車両にはステップが追加されているようですが、乗降車が少し大変そうですね。
また、タイの鉄道事情を書き込んでいただければ幸いです。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2009年 7月 4日(土)10時23分33秒 |
タイトル |
タイ国の鉄道 |
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圧倒的にPCが多いですが、ローカルにはDCも走っています。
昭和57年にバンコクまで出張で行きましたが,ホテル近くのパヤタイ路に
東部と東南部へ行く線路が「単線並行式」で走っていて、東部行きの方に
キハ35のステンレス車体DCx2連が走っていて、撮影しましたが明らかに
車体も台車も日本製のDCでした。
東南部行きはDL牽引でしたがこれも写しています。客車は当時種々雑多でした。
帰途大雨の高速道路をタクシーで走っていて、チェンマイからの夜行急行が
線路水没で立ち往生していたのを見ましたが、写せませんでしたけれども
20m車や18m車のこれも雑多な客車の編成で、色もまちまちでした。
当時は「客車トイレの垂れ流し」が問題化していて、英字新聞にステンレス製の
汽車便所の写真が出ていました。
タイ国は1mゲージなので日本の客車は車軸変更だけで使えますね。フイィピン
は1067mmなのでそのまま使用出来ますが、どうも両国とも「メンテが悪い」様
ですので------。
以前国労がDD11を一両ベトナムにプレゼントしましたが、あれなどどうなっている
のでしょうか? |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2009年 7月 4日(土)11時46分18秒 |
タイトル |
鉄路の夢は永遠なり |
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おはようございます。「ED76109」であります。
マロネロ38様
>「ひかり」のハルビン行
補足いただきありがとうございます。
「あじあ」号にしろ「ひかり」号にしろ、「新京」から後年「ハルピン」まで延長されて、
南満州鉄道の鉄路を彩った名列車であります。
実は、高校時代の「日本史」の担任教諭の方が少々ユニークな方で、
「南満州鉄道」についての研究をライフワークにされており、「シベリア鉄道」や「亜欧連絡」の知識も豊富な方でした。
小生も多少影響を受けて、中国の鉄道やシベリア鉄道に関心を抱くようになりました。
>新潟から「あさひ」と羅津連絡は北日本汽船ですね
残念ながら、そこまでは確認しておりません。
しかし、「上越線の急行列車」が大陸への連絡の一翼を担っていたことは、
今回初めて「鉄」勉強の中で知り得ることができました。
「ループ線」を通り、大陸への夢を抱いて旅だった方々がいらっしゃったことに小生感動を覚えた次第であります。
しかし、「樺太の鉄道」についての記述で前述しておりますが、
不幸な歴史の中で異国の地で亡くなった同胞の方々には胸が痛みます。
将来、「国際列車」が真の「世界平和」に寄与できるように、小生強く切望するところであります。
長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2009年 7月 4日(土)16時07分4秒 |
タイトル |
「あさひ」連絡新潟−北鮮線 |
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ED76109先生:
確認しましたが,矢張り大阪商船系列の北日本汽船,後の日本海汽船です。
「白山丸」だけが引き揚げて再生し、戦後沖縄航路に入っていました。神戸港で
撮影しています。寒地航路用船を南方に向けたので「船室が暑い」とクレームが
多かったと聞いています。
他に東京→米原(マイロネフ37)を急行併結で敦賀港までの列車が、Vladivostok
航路連絡日だけ運転されて居たのが有名です。(出航前夜東京発の急行に併結)
直航ではなく清津−羅津−浦塩だったので、北鮮地区と満洲の東部、牡丹江や
ジャムス、東寧辺りとの軍事目的が強い連絡航路だった様です。 |
投稿者 |
XD1 at Phuket |
投稿日 |
2009年 7月 4日(土)17時32分45秒 |
タイトル |
ブルートレイン |
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レスありがとうございます。少しでもお役にたてば幸いです。
実は一番言いたいのは、タイ、マレー方面の鉄道の旅は、さほど難しくないということだったりしますが。
数人のグループで、現地の日本語ガイドを手配しておくという手もありますし。
・ 急行と快速と言う違いがありますが、実態としてはほとんど違いのないような印象です。
1等車が連結されているか否か、でしょうか。実際には時刻表よりも1時間近く余計にかかります。
・ 渡タイ後の年数に違いがあるかもしれません。
ただ、前にもお書きしましたように、日本式の型式、番号のペイントが塗りつぶされていたので、、、、。
番号が分れば、どこかの資料から照合可能かもしれませんけど。
・ 座席、寝台は、改造していないものと思います。2段が向かい合わせ、合計4人分で1つの区画という形態でした。
・ 確かに、低いホームからの階段になります。
私個人は、小さなリュックだけでしたし、古くからの車両に乗ったこともあるので、しんどいとは思いませんでした。
荷物が多いと、しんどいかもしれません。ステップの部分の写真をUPします。
・ 整備/メンテは、一部には、うーーーん、及ばぬ点もあります。
・ WCですが、日本製ではない車両で、まだまだ穴から線路の敷石が見えるの、あります。
・ タイの北のラオスの首都との間に、国際列車が通ったそうです。まだ行っていませんが。
これで、ラオス〜タイ〜マレーシア〜シンガポールを鉄道で横断できることになりました。
後ほど、乗車体験記と合わせてBangkok駅、車内の写真なども、UPしたいと思います。
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投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2009年 7月 5日(日)08時31分33秒 |
タイトル |
東京発の国際列車 |
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おはようございます。「ED76109」でございます。
マロネロ38様
>東京→米原(マイロネフ37)を急行併結で敦賀港までの列車
「蟷螂の一刀」(笑)ですが、「鉄」勉強の内容を少々・・・。
「東京・敦賀港」の直通列車は、国際連絡が再開された「昭和4年9月」の段階で、
「下り東京発20時25分急行5レ」、「上り東京着20時特急富士」に併結されました。
直通車両は1両のみ。「米原・敦賀港」は鈍行列車に併結され、
使用車両は「オイロネフ17280形(木造車)」だったとのこと。
その後、「昭和5年10月」に併結列車が「下り東京発21時25分発急行17レ(金曜日)」、
「上り東京着20時25分着急行10レ」に変更され、
使用車両は「マイロネフ37280形(鋼製車)」にグレードアップしております。
そして、「昭和9年12月」に「マロネフ37500形」に変更されました。
この後、数度の時刻変更を経て国際連絡が継続されておりましたが、
「マロネロ38様」御指摘のとおりに、「昭和17年ごろ」までには「北日本汽船」の3船全てが撃沈されてしまい、
運行停止の事態に陥っていたようであります。
参考 「鉄道史を彩る十五の名場面 昭和を走った列車物語(JTBキャンブックス)
小生、車両関係は疎く、「1・2等寝台車」だった程度の認識しかございません。
可能であれば先達の皆様方からの御教示があれば幸いであります。
長々と失礼致しました。
以上、「首位陥落」の恐怖に震える「道民球団応援団」の「中年客車鉄ちゃん」でございました。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2009年 7月 5日(日)10時54分54秒 |
タイトル |
東京−敦賀−浦塩連絡 |
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ED76109先生:
昭和15年10月改正では東京1023レ21.40→米原7.01/608レ7.30→敦賀9.05/1レ9.05→
敦賀港9.11(ロネ連結)
敦賀港2レ9.20→敦賀140レ9.31→(快速)→米原10.36/10レ11.39→東京19.45
(24時間制で表示)この時はマロネフ37500だったのでしょう。
上りは「2等車1両直通」となっており、「昼寝使用」??
連絡船は「北日本汽船」の「ハルビン丸」(時刻表では)5,169トン、17kn,この船は
大阪商船の大阪−神戸−大連航路から系列の北日本汽船に転属。1942年1月海南島三亜
付近で雷撃沈没。敦賀−浦塩間4日の航海。
大連航路に比べてローカル扱いで、中古船ばかり廻していた見たいです。「ハルビン丸」も3連成レシプロ機関です。 |
投稿者 |
赤まんと |
投稿日 |
2009年 7月 5日(日)19時32分0秒 |
タイトル |
お礼が遅れ失礼いたしました。 |
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STARFLYER様ご提供の12系6/20〜21の運用詳細、大変参考になりました。
かつて尾久には12系、14系が大量に配置されていて、見飽きていましたが、
こうして高崎に12系1編成のみになると、勝手なものです。
貪欲に編成記録におさめてしまいます。
久しぶりに眺めますと、車体の波打ちが見受けられ、31年の疲れがわかります。
よく整備されていて、青モケットの維持は嬉しいですね。
bell様ご提供のカニ24 116の検査表記も大いに役立ちました。
後日、友人から大阪駅で「日本海」編成記録を取ったものが送られてきましたが、
やはり21-6秋田総合車セと書かれていました。
現在「あけぼの」には白帯・更新車のカニ24 23と、
元、博多「あさかぜ」や「出雲1,4号」用の金帯カニ24 102が運用されています。
きむたお様
7/3上野着「北陸」編成を添えておきます。
オハネ14に差し替えが生じました。
7/3
Lot No.4028
3012レ「北陸」
EF64 1053(20-12秋田総合車セ)
1↑スハネフ14 20(17-7秋田総合車セ)
2 スハネ14 701(15-3土崎工)
3 オロネ14 703(16-2土崎工)
4 スハネ14 759(18-12秋田総合車セ)
5↓スハネフ14 28(15-12土崎工)
6 スハネ14 752(18-4秋田総合車セ)
7 オハネ14 82(21-1秋田総合車セ)
8↓スハネフ14 30(17-1秋田総合車セ)
オハネ14 89と91が運用離脱しました。交番検査かなにかでしょう。
皆様からの情報提供、大変励みになります。 |
投稿者 |
XD1 at Phuket |
投稿日 |
2009年 7月 6日(月)11時50分26秒 |
タイトル |
タイの鉄道も先ずは切符から |
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とにかくまずは切符です。数年前からオンライン化されており、この様なプリンタでの印刷です。
窓口で、最低限のことを言えば買えるので、外人でもOK。空席さえあれば買うのは簡単です。
ただ、地名などの発音は難しいので、紙に行き先、人数、クラスなどを書いた物を準備しておいた方が良い場合もあります。
DEPARTURE DATEで「24○○ 2(○はタイ文字)」とあります。これは6月24日です。2とあるのは年です。
タイでは公式には仏教由来の仏暦が使われているので、西暦2009年が2552年で、その末尾の2です。
CLASS
COACH
TYPEは「2○○○○ JR]で、これで2等のJRの客車です。タイの切符にJRの文字が。
あと、時刻、号車、座席など、見れば分ると思います。
実際の到着は、あっ、正確な時間を忘れましたけど、30分以上、1時間未満の遅れでした。結構長い時間の乗車です。
お値段は871バーツ。
タイの通貨のバーツは変動が激しいですが、今は1バーツが3円位でしょうか? 3000円を切っているのかな。
ちなみにバスでは、バスターミナルと駅は距離がありますが、12〜13時間で汽車よりも速いです。
エアコン付きの比較的新しい車体で、席の数が多い1等バズでは623バーツ。
VIP24という、24席しかなくゆったりとしているものの寝台ではないバスで約1000バーツです。
国鉄と私企業のバスで、競争が微妙なところです。
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投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2009年 7月 7日(火)00時06分30秒 |
タイトル |
ユーラシア大陸横断の夢 |
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おばんでございます。「ED76109」であります。
「ユーラシア鉄道」様
「シベリア鉄道」を取り上げておりましたが、もう一つ「夢」が・・・。
それは、「北京・ウルムチ(現在、紛争でもめておりますが)」、「上海・ウルムチ」間を3泊4日で結ぶ
「シルクロード急行」であります。「ウルムチ」からは、さらに「カシュガル」行(2泊3日)で西域の奥地へ・・・。
「宮脇俊三」氏の乗車記録を読んだ記憶では、途中「貨物列車」の脱線事故に遭遇して
10数時間の遅れが発生してしたことから、
「ウルムチ」到着後空路直ぐに「北京」へとんぼ帰りすることになってしまい・・・という記述がありました。
「黄河」を遡り「天山北路」の草原沿いに、はるか「天山」や「万里の長城」の先端部を眺める旅は、
魅力的でありましょう。
戦前、「シベリア鉄道」とは別に「天山北路」と「パミール高原の麓」に鉄道を建設し、
中近東を経由させて「ヨーロッパ」と「満州」を結ぶルートを計画があったとの話があったとのこと。
当時は誰もまともに相手にしてもらえなかったようでありますが、
もし、現在実現されるのであれば、「シルクロード」を鉄路で辿る「夢」が叶うかもしれません。
「マロネロ38様」
>昭和15年10月改正では東京1023レ21.40→米原7.01/608レ7.30→敦賀9.05/1レ9.05→
敦賀港9.11(ロネ連結)
昭和17年11月の段階で、「敦賀港」発着の列車は「下り列車」が廃止されてしまい、
「上り列車」も「雄基(現 朝鮮民主主義人民共和国)」からの航路便が到着する日に、
「敦賀港発9時20分→米原着10時36分」の「臨時快速1240レ」のみとなってしまったようであります。
その後、戦火の拡大とともに、亜欧連絡は自然消滅の流れを辿っていったのでありました・・・。
長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でございました。 |
投稿者 |
ユーラシア鉄道 |
投稿日 |
2009年 7月 7日(火)00時58分35秒 |
タイトル |
ロシア客車の旧型客車との近似性 |
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ED76109様・マロネロ38様
本題の「ロシア客車に昭和を見る」で写真添付します。
近似性1.行き先サボ=車両中心部・ウインドウシルの下部に吊下げ
近似性2.車軸発電機=オハフ33等とは設置位置異なるも設計思想は同じ。
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投稿者 |
ユーラシア鉄道 |
投稿日 |
2009年 7月 7日(火)01時57分27秒 |
タイトル |
追伸で登場・申し訳ございません |
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追伸で再登場、申し訳ございません。
ロシア客車と旧型客車の近似性続き
近似性3、ドアは手動、幹線走行時は車掌が施錠。
ローカル線走行時は、開放状態。
近似性4、汚物処理=垂れ流し、駅近くでは
トイレ洗面所は使用不可(車掌が施錠)
ローカル線走行時は、おとがめなし。
近似性5、走行音=スハ43系とほぼ同じで、
オハ35系の軽い音よりも、かなり重厚
なる音程。
先ほどの写真はクリック拡大頂ければ車軸発電機
がよくわかっていただけると思います。
添付写真:M62ディーゼル機関車とローカル客車
(小海線・小渕沢堰堤?でいかがですか?)
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投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2009年 7月 7日(火)10時16分15秒 |
タイトル |
浦塩連絡 |
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ED76109先生
昭和17年7月には米原発軽井沢行が敦賀で敦賀港行に連絡していますね。
上りはお説の通りですが、浦塩,雄基航路入港日運転となっています(汽車汽船旅行
案内)。結局独ソ開戦でモスクワまでの利用しか出来なくなったから東京との間の
ロネ直通も利用者が激減したのでしょう。多分敦賀から港までや港から米原間でも
優等車はスロハ31程度だったと想われます。当時北陸本線鈍行にはオロハ30も多く
使用されていました。昭和16年8月に家族で山中温泉へ行く時に,米原から乗り換えた
ローカルがオロハ30でした。 |
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