倶楽部メモ(536)
平成21年 6月29日〜 7月 3日



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2009年 6月29日(月)21時45分49秒
タイトル ご反響ありがとうございます。
仙コリ(管理人)様。ED76109様。
1990年夏、個人でソ連(当時)観光訪問時、自由化されつつあるゴルバチョフ時代で、多くの日本人観光客がおり、
みな口々に、特に女性はソ連の客車(当時はロシア号以外は基本的に緑色車両のみ)をこう表現しておりました。
東北出身者=「まるで東北本線のようだね。」関西出身者=「なんか福知山線みたいやんか?」
九州出身者=「由布院へゆく汽車みたい。」
いずれも「旧型客車とのデザイン的・イメージ的近似性」を女性の感性でくみとってたようです。
現在のウラル地方のローカル線の写真を添付します。
仙コリ(管理人)様なら「日中線」、ED76109様なら、釧網本線を連想されましでしょうか?
小生は福知山線のオハフ33とともに大きくなりました。




投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 6月29日(月)22時08分19秒
タイトル オヤ12を初めて見ました。
みなさまこんばんは。
当方ネットトラブルでしばらく観られませんでしたが、12系について質問がございます。
6/19尾久側線に5両編成で「新宿-松本 アルプス」サボ掲出で待機していましたが、
当日前後の詳しい運用、列車番号等、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただきたいのです。
今回オハ12 366が全検なのは雑誌で紹介されましたが、
スハフ12 161も13-12土崎工でしたから、同様に全検なのでしょう。
初めてオヤ12 1を見ることができました。通算4016本目の編成記録、大収穫です。

きむたお様。
カニ24 116全検表示、参考になりました。ありがとうございます。
この10日間、コンスタントに記録を取っていますので、機会を改めまして紹介いたします。
EF64 38が「あけぼの」運用にカムバックしました。
「北斗星」は5号車オハネ25 551、552が全検にあたり、戦線離脱。
2号車にオハネフ24 501、502をあてがい、3〜5号車をオハネ25 560番台にして対応中です。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2009年 6月30日(火)21時12分57秒
タイトル タイ国鉄について
 私が国鉄全体を総括するような事はとても言えませんが、、、

 とにかく国鉄はあります。
東西南北幅広くカバーしているのですが、どうも飛行機と民間の長距離バスに押されて、弱いでね。
実際、電化されておらず、単線区間も多くて遅いです。

 また、特に3等の運賃を政策的に低く抑えているのも、課題を投げかけています。

 そんな訳で、古くて遅いのですが、時間に余裕があれば、のんびりとレトロな気分を味わえると言えるのかも。

 切符は、空席があれば窓口でカタコト英語で簡単に買えます。
もちろん、現地ツアー会社を通じての事前手配も可能です。乗るのは簡単です。

 こちら、国鉄公式サイトの表紙。
http://www.railway.co.th/English/

 こちら、路線図。Trangが南部にあるんですが、分かるでしょうか? 起点となるBangkokから829Kmとのこと。
http://www.railway.co.th/English/network.asp


 長距離列車は、多くが夜行です。一応、全ての夜行には食堂車があります。
ただ、運行時間によっては夜食のみの場合もあります。
食堂車もあるし、ビジネスマンの出張には不向きでも、旅情のある旅が出来るとも言えるのかも。

 画像は、一番古いタイプの3等座席です。これは日本製ではないはずです。まだこんなんも、現役です。




投稿者 ED76109
投稿日 2009年 6月30日(火)22時43分7秒
タイトル のんびりした風景は東西同じですね
 またお邪魔いたします。「ED76109」でございます。

 ユーラシア鉄道様
 >ED76109様なら、釧網本線を連想されましたでしょうか?

 小生の印象では、「釧網本線」よりは「根室本線(釧路・根室、通称花咲線)」といった感じでありましょうか。
しかし、味のあるローカル線の風景であり、昭和の香り(ロシアなのに・・・)がいたします。
 そういえば、「ウラル山脈」越えは丘陵程度で大したことはなく、
シベリアとの境を示す「オベリスク」は線路から離れた位置にあると記述されていた記憶があります。
また「ロシア号」は、「ノボシビルスク」や「ハバロフスク」、「イルクーツク」などの主要都市間の利用も多く、
切符が確保しにくい列車であるという話を聞いたのですが、いかがでありましょうか。逆にお尋ねいたします。

 長々と失礼いたしました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2009年 7月 1日(水)01時19分36秒
タイトル 欧亜連絡鉄道
ED76109様、マロネロ38様、
シベリア鉄道本線には、様々な区間列車の設定もあり「モスクワ〜イルクーツク」「同〜ノボシビルスク」
「同〜クラスノヤルスク」「イルクーツク〜ハバロフスク」「同〜ウラジオストック」など
ロシア号1本ではないのでチョイスできます。ただし夏季休暇シーズンはロシア人は切符がとりにくいのは事実です。
「ベルリン〜ノボシビルスク」の国際列車は、ドイツ・ロシア車両以外にモスクワ〜北京・平壌行きの併結もあり、
ソ連時代とはうってかわり、国際色豊かな路線になりました。
ロシア国鉄の客車は、東独製・ロシア製とも走行音までもが「旧型客車」そのもので、「ガタン」と出発し
(ただしバッファーで以後の衝撃はありません)「ズズン・ゴトン」とした音までも瓜二つの近似性があります。
いままでのロシア鉄道デザインは日本的アジア的
ですが、近年の新製車両は完全に欧州デザインになり、アジア的なロシアらしさがなくなりつつあります。
ED76109様がロシア鉄道のご興味お持ちでしたら、今のうちならまだ昭和の香りを体験できうるかと存じます。
小生の大好きな「M62電気式内燃機関車」写真添付します。
顔=EF58・横顔=DF50ってところでしょうか?(ロシア都市部では日本式高床プラットホームが多いです)




投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2009年 7月 1日(水)09時11分7秒
タイトル 日本製ブルートレイン
 ブルートレインのみ単独で編成されているということではありません。

 従来型の車両の編成に、一部連結されています。
首都であり国鉄の起点でもあるBnagkokから北に向かう列車にもあるようですが、自分は南部ですし確認はしていません。

 南部ですが、前回の路線図にて929km. Hat Yai Junctionとなっている駅があります。
このHat Yaiが南部の交通の要衝ですが、ここには日本製ブルートレインは来ていません。

 Hat Yaiの少し北側で分れる、Trang線に日本製ブルートレインが来ています。
この路線、1日2往復、つまりは2編成あるのですが、その両方に日本製ブルートレインが、

  [寝台]+[座席]+[寝台]

という形で、3両連結されています。画像はその内の1つで、Trangでの撮影です。
1両は、黄色の帯が入っています。左側の銀色車両は、従来からのエアコン寝台です。

 日本では、車両の型式が小さな文字でペイントされていると思うのですが、
塗りつぶされているようで、分りませんでした。

 実はこれでTrangからBangkokへ乗ろうと思ったのですが、ストライキでダメでした。
ストがあるというのも、弱みですね。後日、BangkokからTrangに乗りました。その写真も、後ほどUPします。




投稿者 ED76109
投稿日 2009年 7月 1日(水)22時52分33秒
タイトル 欧亜連絡鉄道の夢
 失礼致します。「ED76109」でございます。

 ユーラシア鉄道様
 >「ベルリン〜ノボシビルスク」の国際列車は、ドイツ・ロシア車両以外にモスクワ〜北京・平壌行きの併結

 確か、「モスクワ・平壌」間の「国際列車」が「世界最長距離列車(約11,000q?)」
だったはずであります。世界平和の暁には、是非挑戦してみたいものです。

 >ロシア国鉄の客車は、東独製・ロシア製とも走行音までもが「旧型客車」そのもの

 ロシア国鉄は、広軌(1524o)ですので走行は安定しているとのこと。
前述の「NHK特集」の番組では、「ロシア号の走行音」が大変心地良く響いていたことが小生の記憶に残っております。

 >今のうちならまだ昭和の香りを体験できうる

 「ロシア号」は主要駅の停車時間が「15分程度の長時間停車」だそうでありますね。
乗客は皆ホームに降りて、駅で売られている「ピロシキ」等の食べ物を散策がてら買い込んで長旅を楽しんでいるようです。
「食堂車」には暖かい「ボルシチ」や「ウオッカ」・・・。
さらに、途中駅から乗り込んでくる「様々な民族」との一期一会の出会い・・・。
う〜ん、できることなら今すぐ「ウラジオストック」へという衝動に駆られます。

 色々とありがとうございます。
以上、「さらばシベリア鉄道」を歌う「太田裕美」嬢の大ファンだった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 STARFLYER
投稿日 2009年 7月 1日(水)23時07分32秒
タイトル Re: オヤ12を初めて見ました。
皆様、こんばんは。

>赤まんと様

 お尋ねの高崎12系ですが、6月20・21日に団臨として
 新宿〜松本間で運転された「急行アルプス」に使用された編成です。
 往路は夜間、復路は昼間に運転されました。

 列車番号ですが、復路(中央線内)は「9414レ ※自信なし・・・」の様ですが
 往路は分かりませんでした。

 ←松本              新宿→
 EF64 39 + 12系5両(オヤ含む) + EF64 1001
 ※HMの取り付けなし。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 7月 2日(木)09時03分11秒
タイトル 亜欧連絡ルート
ED76109先生:
Vladivostok経由も良いですが、私なら邪魔臭くても大連→北奉天のノンストップ快車
(アジア)より30分遅いと話題になった---乗車で北奉天からジャムス行きでハルビンで
泊まり〔市内見物}の後満洲里経由でモスクワまで行きたいです。もとても叶わぬ夢
ですが。奉天も今はシンヤンですね。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 7月 2日(木)14時18分12秒
タイトル 亜欧連絡ルート-2
続行運転ご免なさい。
ED76109先生:
新京「長春」を忘れていましたね。私はあまり興味がない旧首都ですが、北原白秋の
「まちぼうけ」はそこの近くの「寛城子」あたりに伝わる民話を、白秋が現地で
聞いて作詞したとかですね。それから白秋の童謡「ドーナッツ」に−−−赤い夕日の
スンガリー(松花江)”の歌詞があります。(SP盤が奇跡的に残っている)

「アジア」、「はと」、「朝日」,「ひかり」、「のぞみ」、「大陸」、「興亜」等々
昔の憧れの特急,急行はもう見られないですが、ハルビン−満洲里の24時間以上掛った
国際鈍行各等食堂車付き列車など,どんな編成だったのでしょうか?



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 7月 3日(金)00時23分2秒
タイトル 夢広がる国際列車
 ルーティンワーク的にお邪魔しております。「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >「アジア」「はと」「朝日」「ひかり」「のぞみ」「大陸」「興亜」等々

  「釈迦に説法」で失礼致します。(笑)

「朝日」
  戦時中、日本領であった「羅津」(現朝鮮民主主義人民共和国、羅先市)より
「新京」(現中華人民共和国東北地方、長春市 旧満州国の首都)の間を運行。
なお、「上野」から「上越線の急行列車」及び「航路」が接続し、
「東京から新京」の日中連絡輸送の一翼を担っておりました。

「はと」
 南満州鉄道を代表していた優等列車であり、「大連」より「長春」(後の満州国首都新京)間を運行しておりました。

「大陸」
 「釜山」から朝鮮(日本国)・満州(満州国)・華北(中華民国)を経由して「北京」を結んでおり、
華北への貴重なルートを確保していました。
なお、同列車は南満州鉄道の「あじあ」号と同様の完全に密閉されたスタイルの「一等寝台車」や「展望車」を連結して、
37時間30分で走破しておりました。

「興亜」
 「大陸」とは昼夜の運転時間帯を変更したダイヤで「釜山」から「北京」まで運転されておりました。
しかし、「大陸」とは車両設備は対照的であり、「一等寝台」や「展望車」が連結された記録はございません。
また、この列車は終戦間近の昭和20年8月ころまで運行されておりました。

「ひかり」
 「荷物車」・「三等車」・「三等寝台車」・「食堂車」・「二等寝台車」・「一等寝台展望車」の6両編成で、
「釜山」から「奉天」(現中華人民共和国東北地方 瀋陽市)、「新京」(現中華人民共和国東北地方 長春市)を経由して
「ハルビン」(現中華人民共和国東北地方  黒竜江省都)間を21時間で結んでいた急行列車であります。
また、同区間には急行「のぞみ」も運行されておりました。

 いずれの列車も「亜欧連絡ルートの1つ」として、「シベリア鉄道」との連絡等の一翼を担い、
前述しました「東京」から遙か「ロンドン」・「パリ」への当時の「最短ルート」が
確立されていたわけであります。

 長々と失礼致しました。
以上、「中国東北部の広大な風景」に遙かなる大陸への憧憬を感じる「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 7月 3日(金)10時00分47秒
タイトル 旧満鉄線
ED76109先生:
「ひかり」は(あじあ〕廃止の時にハルビン延長になり、敗戦時まで運転では??
「のぞみ」は最初釜山桟橋−奉天で後新京まで延長だった筈です。
満鉄も日本の鉄道省も当時面白い事をしていましたね。
1レ(富士)−関釜連絡1便−1レ(ひかり),上りが2レ−2便−2レ
*3−4レ(さくら)も連絡していましたが----。
7レ(呉線経由各等急行)−7便−7レ(のぞみ),上りが8レ−8便−8レ
(網干追突事故の急行)、京都−下関間に木造展望車連結。
国際列車+海軍御用達の7−8レは洋食堂車でした。急行で洋食は他に東京−神戸間の
17-18レ1.2等急行でした。〔太平洋戦争直前迄)
私は山陽本線の明石までの沿線に当時住んでいたので、早朝の2レ4レ、昼前通過の
7レ、明石操車場(大アカソ)回送の17レ、「つばめ」、「かもめ」を何時も見てい
ました。
「かもめ」1032レには両親と東京見物で神戸から乗車しましたが、今から思えば
増結8号車のマイネロフ37のロだったのが良い経験でした。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2009年 7月 3日(金)10時28分30秒
タイトル もう一つの日本製ブルートレイン
 これがTrang線のもう一つの編成です。Bangkokから乗車して、Trangに着いた時に撮影しました。

 こちらには、黄色の帯はありません。
ところで3両のブルーの内、手前側の1両、色が微妙に他の2両とは異なり、しかも剥げかけていますね。
じつは、この寝台車に乗ったのですが。

 どうしたんでしょう。タイで上塗りをしようとしたものの、やり方が適正ではなかったのか。残念なことです。

 中の廊下、座席、寝台などは、タイのレベルからすると、ちゃんとしていました。
ただ、洗面所の水が出ませんでした。WCの個室内は出ましたけど。
 今までの数回の経験では、従来型の銀色の車体では、洗面所の水もちゃんと出ましたけど。

 また、2という数字も見えますが、これは2等車という意味です。
今の日本とは違いますが、タイでは1等、2等、3等という等級です。そう、昔は日本でもそうだったんですよね。

 1等は、2人個室のエアコン寝台です。
 3等は、前にUPしたようなエアコンなしの座席。
さすがに背に硬くて薄いながらもクッションが付いていいるのもあります。

 2等は、
  リクライニングの座席、エアコンあり/なし
  寝台、エアコンあり/なし
とバラエティーに富んでいます。

 座って寝るには問題ないのですが、整備が行き渡っていない個所が無きにしも非ず、でした。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 7月 3日(金)19時20分1秒
タイトル 旧満鉄線-2
ED76109先生:
「ひかり」のハルビン行は昭和17年11月改正時刻表に出ていますね。まだ「あじあ」が
新京以北スピードダウンして残っていた時代です。
「興亜」は1.2.3等の表記と寝台,食堂の印がありますが------。
新潟から「あさひ」と羅津連絡は北日本汽船ですね?「月山丸」、「白山丸」、
「気比丸」(太平洋戦争直前に旧ソ連が流した浮遊機雷に触雷沈没)---この頃から
スターリンは「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄する気だった様ですね。尼港、
ノモンハン、張鼓峯、と日本と局地戦争が有った後なので-----。



 
 
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