倶楽部メモ(530)
平成21年 6月 6日〜 6月11日 |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2009年 6月 6日(土)12時18分33秒 |
タイトル |
昔の想い出話です・・・ |
|
毎度様でございます。「ED76109」であります。
件の「内原操車場」については、詳細は全くもって不明でありますが、
古い話ですので何ともはや・・・といった状況であります。
さて、今回は久々に「北海道の旧客鈍行」の戯言を述べさせていただきます。
昭和の末期でも、このような旅ができました。先達の皆様方の話題としていただければ、幸甚の限りでございます。
1 昭和57年の黄金週間に「納沙布岬」を訪れた帰路、「根室」から混合旧客鈍行にお世話になりました。
荒涼とした肌寒いパイロットファームを、「DL」に牽引されてゴトゴトと・・・。
5月とはいえ、道東はまだ桜が咲くには間がある時期で「厚床」辺りではちらほらと霙が降り出しました。
すると、とある無人駅から学校帰りの小学生のグループが乗ってきたのですが、子ども達の顔は冷気で真っ赤。
釧路車掌区のカレチさんに 「風邪ひかないようにね。」と声を掛けられ、
彼らの「ハイ」という爽やかな一言が車内に響きました。
その途端、隣席のご婦人たちに「寒かったねぇ。」と声を掛けられて「オハフ」の車内に笑顔が広がり・・・。
旧客には、現在では感じられない温もりが感じられ、「交流の場」としての暖かさがありましたね。
2 1で申し上げた「旧客混合」を「厚岸」で乗り捨て、今は無き国鉄バスの「標茶」行(乗客は小生1人のみ)
に乗り換えて「標茶」から「網走行旧客混合」にお世話になりました。
「DE10」に牽引された「混合列車」は長閑なのもので、
薄暮のオホーツクに広がる「斜里岳」の眺めは素晴らしいものでした。
そういえば、当時は「湧網線」や「名寄本線」など「オホーツク沿岸」を走る鉄路が点在していましたが、
今となっては「知床斜里・網走」間のみであります。
今年も「知床半島の付け根」である「釧北峠」を越える「臨時直通DC」が走り始めております。
ようやく、道東にも「夏」が参りました。
3 2の「旧客混合」を「網走」まで乗り通した後、今は無き「PC大雪のオロハネ10」の「ハネ」にお世話になり、
翌日の早暁「岩見沢」で「室蘭本線始発」の「室蘭行旧客鈍行」に乗り換えました。
「DD51」に牽かれた4両の旧客の乗り心地は上々で、車中泊の強行軍からか知らない間に記憶が・・・。
ふと気が付いてみると「追分」らしく、右側の車窓には広大なヤードが広がっておりました。
しかし、昔日の「D51」の姿はなく、ただ無人の線路があるだけで停留されていた車両は皆無。
最後尾のデッキから眺めた荒涼とした眺めが心に残ります。
長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でした。 |
投稿者 |
コスモス |
投稿日 |
2009年 6月 6日(土)18時20分53秒 |
タイトル |
RE:複線化の進捗 |
|
雑魚 様
友部ー水戸間は1904年(明治37年)に複線化されてますので、常磐線の中でも早くから複線化
された区間ですね。常磐、水戸両線の列車が輻輳するので他の区間よりも列車数も多いでしょう
から当然の措置でしょう。
常磐線も私が通学に使い始めた昭和45年ごろはまだ客車列車がけっこう残っていました。
ダイヤ全体もラッシュ時を除く昼間は1時間に1本程度のいわゆる汽車ダイヤでした。
当時上野発下りは12時台と13時台はどちらも客車列車で、土曜日の半ドン授業のときはよく利用しました。
どちらかには郵便車か荷物車が付いていたようでしたが、記録をとっていないので確定できません。
また、土浦駅始発の5時台下り1番列車は客車列車で、当日早朝に水戸から回送の上、土浦で機回しして発車していました。
牽引機はED75で、土浦が同機の運用の南限でした。
1985年の科学万博のときに列車が倍増され、
それ以降は土浦以南は普通列車が時間当たり3〜4本走るようになり利便感が増しました。 |
投稿者 |
TK |
投稿日 |
2009年 6月 6日(土)22時29分6秒 |
タイトル |
20系客車座席車について |
|
TKともうします。
20系客車座席車について少し疑問に思うところがありまして今回お邪魔しました。
こちらの掲示板をご覧の皆様にお伺いします。
某巨大掲示板に書き込まれていたことですが・・・
ナハ20とナハフ20について
ハザの座席は一定方向にほぼ固定されていて、一部を転換させることは不可能でした。
ただ、スハ44の様に固定されていたのでは無く、列車が終着駅に到着し客車区に引き上げた時に、
一番端の座席から順番に方向転換し(一番端からでないと方向は変えられない構造になっていた)
次の運用に備えていました。
ナロ20について
「ロザの座席は、当初こだま型にあわせてシートラジオ設置可能な構造になっていた
しかし、シートラジオ設置を取り止めに決定後の後期製作車は普通のリクライニングシートに変更」
この話を裏付ける資料・文献をご存じの方はいらっしゃいますか?
私は、何かの雑誌で読んだのを記憶していますが(車両設計担当者の談話かもしれませんが)
公式資料では発見できませんでした(大阪・交通科学博物館にて)
大宮の博物館に所有・保管されている資料にはあるかも判りませんが
読んでいて私も疑問に思いまして真相を知るべく書き込ませていただきました。
詳細をご存じの方々からご返事いただければ幸いです。 |
投稿者 |
クモイ103 |
投稿日 |
2009年 6月 7日(日)07時39分3秒 |
タイトル |
Re: 20系客車座席車について |
|
TK様
鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション16「国鉄の客車1950〜60」に、
1958年11月号掲載の「固定編成客車」が再録されています。
筆者は国鉄臨時車両設計事務所主任技師の方です。
それによりますと、ナハ20・ナハフ20の座席は
「常に全員が進行方向に向き,終着駅では客室の一端から順々に腰掛の向きを変えていくもので,
途中の1脚だけの向きを変えて向かい合わせにすることはできない.」
とありますので、TK様の言われる通りと思います。
一方ナロ20の座席については、「ナロ10形式特別2等車に使用したリクライニングシートと同じもの」とされ、
シートラジオに関する記述はありません。
この記事は実際の20系「あさかぜ」デビューとほぼ同時に世に出たものですから、
計画段階や将来構想にシートラジオの話があったかどうかはわかりません。
こんど大宮に行ったら調べてみようと思いますが(1日仕事になるのでしょっちゅうは行けない)、
詳細をご存知の方がおられましたらフォローお願いしますm(_ _)m。 |
投稿者 |
一二等急行弓張 |
投稿日 |
2009年 6月 7日(日)19時29分6秒 |
タイトル |
三軸台車の構造について |
|
三軸台車を写真などで見ると枠よりも外側にハの字型の大きな部品がありますが、
これはどのような意味で付けられているのでしょうか?
初めての投稿で、若輩者の私ですが、どうかよろしくお願いします。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2009年 6月 8日(月)10時18分40秒 |
タイトル |
TR71,73系? |
|
真中の車輪の上が頂点のハ型ですね?両側の揺釣枕上部に繋がっている---
3軸は揺釣枕が2ヶ所あるから荷重を平均化させる為でしょうか??
詳しい方のご解説をお願いします。 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2009年 6月 8日(月)16時40分16秒 |
タイトル |
土浦 |
|
▼コスモス様:
>
常磐、水戸両線の列車が輻輳するので(中略)当然の措置でしょう。
羽越線の複線化が余目〜酒田を嚆矢とするのも、陸羽西線との関連における、同様の
事情が窺えますが、こちらは、新潟都市圏の直流区間を含め、進捗率が未だに50%を
少し越える程度と、立ち遅れた観が否めませんね。乗り合わせた下り「あけぼの」が
上越線内の踏切事故で遅延した際、新津以北は単線が多い事から、遅延の回復は全く
見込めないとした車掌さんの説明も、思わず納得でした。
>
ラッシュ時を除く昼間は 1時間に
1本程度のいわゆる汽車ダイヤでした。
当時ですと、貨物列車のスジとの整合性も、大きな課題だった事と拝察します。現在、
環境重視の観点から、モーダル・シフトが再検討されつつある様ですが、大都市圏の
少なからぬ在来幹線が近・中距離の旅客輸送に重きを置いている事を思えば、輸送の
形態にかかわらず、旅客ダイヤに干渉する可能性が高い貨物列車の増発は、物理的に
困難ではないか、と感じています。
>
牽引機はED75で、土浦が同機の運用の南限でした。
私にとっては「みちのく路」の象徴的な存在とも言えるED75の「土浦南進運用」は、
初耳かつ新鮮ですね。その土浦発着便を捌く土浦電留線は、電車の増発が顕在化した
1980年代後半の設置と記憶しますが、ここも建設に当たっては、内原同様、上り線を
移設した上で、本線の合間に側線を敷いた印象を受けます。 |
投稿者 |
クモイ103 |
投稿日 |
2009年 6月 8日(月)22時41分12秒 |
タイトル |
TR73 |
|
一二等急行弓張様、はじめまして。
論より証拠と言いますから、もし可能であれば実物を観察なさるのが早道かと思います。
お住まいが東京付近なら、大宮の鉄道博物館にTR73の実物がありますので、じっくり触りながら観察できます
(画像参照)。
この同じ線路の右方にはマイテ39 11もありますので、装着状態もある程度わかると思います。
大阪付近ならば、弁天町の交通科学博物館にあるマロネフ59 1とスシ28 301がTR73を履いていますので、
覗き込むのは大変と思いますが、これもある程度わかるのではないでしょうか。
|
投稿者 |
仙コリ(管理人) |
投稿日 |
2009年 6月 8日(月)23時42分1秒 |
タイトル |
Re:三軸台車の構造について |
|
一二等急行弓張様
三軸台車におけるハの字型の大きな部品についてですが、私も詳しくは分からないので推測ですが…
私が大宮の鉄道博物館で撮影しましたTR73の写真を下部に掲載しましたが、この写真を見ると
ハの字型の大きな部品の真ん中上端に側受(車体が傾かないように車体の横方向の荷重を受ける部分)
があるのが確認できます。
通常二軸台車であれば、この側受は中央に横に走っている上揺れ枕の上に設置されているのですが
三軸台車の場合は当然ながら中央部には車輪があるために、各車輪間に上揺れ枕が二つある構造なので、
この二つの上揺れ枕の上部をつなぐ形で、かつ荷重をしっかりと受けるために、このようなハの字型の
構造となったものだと思われます。
あくまでも推測ですので、詳しい方がいらっしゃいましたらフォローしていただけると助かります。
|
投稿者 |
一二等急行弓張 |
投稿日 |
2009年 6月 9日(火)00時23分4秒 |
タイトル |
(無題) |
|
仙コリ様、丁寧な説明ありがとうございます。
横方向の負荷をこの部品を介して上揺れ枕に伝えているのですね。(違っていたらごめんなさい(爆)
クモイ103様、一度、弁天町まで見に行ってみようと思います。
幼少のころに幾度となく行った交通科学博物館ですが、三軸客車の展示まであるとは…
当時は新幹線やリニアの模型などしか見ていなかった気がします…
展示場所まで教えて下さりありがとうございました。 |
投稿者 |
クモイ103 |
投稿日 |
2009年 6月 9日(火)19時51分18秒 |
タイトル |
TR73追記 |
|
一二等急行弓張様
改めて交通科学博物館のHPを確認したら、マロネフもスシも両サイドをプラットホームに挟まれて、
台車の観察はちょっと厳しそうですね。無責任なご案内で申し訳ありません。
(→博物館HP:http://www.mtm.or.jp/index.html)
以前よく見える所に置かれていた時代の写真を見直しましたが、
残念ながら台車がはっきり写っているものはありませんでした。
こんど大宮に行った時はよく見てこようと思いますが、
大宮のマイテもホームがかかっていて台車の観察にはあまり条件が良くありません…orz |
投稿者 |
タクロウ |
投稿日 |
2009年 6月 9日(火)20時53分51秒 |
タイトル |
懐かしの旧型客車に乗って |
|
僕はSL(蒸気機関車)の牽く旧型客車に乗ったのを思い出す。
秩父鉄道のパレオエクスプレスと大井川鉄道のかわね路の旧型客車は国鉄時代に走った車両だ。
電気機関車やディーゼル機関車が青とチョコレート色の旅客用旧型客車を牽いて走ったのはJRの前だったんだ。
蒸気機関車は旧型客車が似合うわけだ。
松本零士原作のSFアニメ・銀河鉄道999は宇宙を驀進する架空の列車なんだ。
C62型の蒸気機関車をモデルにした宇宙列車だ。たとえば
999は蒸気機関車が主で茶色の旧型客車を牽くわけだ。
鉄郎とメーテルが999号に乗車するからだ。
1979年に劇場(映画館)で銀河鉄道999を公開したのは昔なんだ。
999を知らない人はいるんだ。
上野〜烏山間をJR東北線と烏山線経由する999は電気機関車とディーゼル機関車がミステリー列車として走ったんだ。 |
投稿者 |
千キウ |
投稿日 |
2009年 6月10日(水)00時24分5秒 |
タイトル |
等級について |
|
交通博物館にまだ現車は居るのですか?
今度じっくり見てみたいと思います。
雑誌にもありましたがC5345整備時に一緒に整備した模様ですね。MO-YAN様のHPに記録が残っております。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link-moyan13.html
小学校の遠足で青梅鉄道公園でマイテ3911などハーフサイズで写したのですが見事にピンボケでした。
写真より調査を熱心にした記録があります。
マイテ3911 C+0.2 34−2大船工
スシ28102 A
37−2盛岡工
等級A=2年 B=1年8カ月 C=1年
らしいのですが採用されていたのは43-10改正あたりまででしょうか?
私は昭和50年代しか知りません。 |
投稿者 |
クモハ32000 |
投稿日 |
2009年 6月11日(木)22時28分28秒 |
タイトル |
TR73の件 |
|
一二等急行弓張さま
初めまして。
古い資料で、客貨車図典と言うのがありまして、国鉄内部の車両部品の教科書なんですが、台車の構造図があります。
お尋ねの弓形の部分は「12
揺枕アーチ棒」ですね。
揺枕は前後2本共に台車内側でも結ばれていて、その中央に中心ピンが来ます。
模型の様に台車の回転中心がどちらかに寄っているわけではなく、真ん中の車輪真上が回転の中心になります。
ですから、通常の2軸台車同様、側受も真ん中で良いのです。 |
投稿者のホームページ |
|