内原の操車場については,計画だけで完成はしなかったという話といちおう完成し使わ
れたが戦後は使われなくなり廃止されたという話と両方伝わっていたように思われます。
ED76109先生のお父様の目撃談などを勘案すれば,後者の可能性を感じさせますね。
「停車場変遷大辞典 国鉄・JR編」(1998,JTB)のデータによれば内原操車場駅
として昭和20年2月14日に開設され
戦後の23年3月1日に小原という名称の信号場に改称され,24年11月1日に信号場も廃止
されています。小原は操車場所在地の地名です。
たぶん沿海海路輸送が戦時状況の悪化により逼迫し,鉄道輸送の増強に迫られたので作られ
,完成した部分から使い始めたが,全面完成に至る前に終戦になってしまったのではと
想像します。跡地の内原寄りにターンテーブルの円形ピット跡が有りました。小学生の
頃ここを通ったときに何度か車窓から見ています。
国交省の空中写真閲覧ページで見られる昭和50年代ごろの空中写真でも判別できます。
今は,新設された電留線を整備したときに整地されてしまいました。 |