倶楽部メモ(526)
平成21年 5月24日〜 5月26日



投稿者 急行越前
投稿日 2009年 5月24日(日)23時36分13秒
タイトル Re:中央東線山屋列車
遅レス失礼いたします。
私も、高校時代に「アルプスの広場」に並んだクチです。
大菩薩嶺や乾徳山に登るので、塩山まで2時間半くらいしか乗らないのに、夕方から並ばされてエラく不合理を感じました。

その臨時夜行ですが、旧型客車での運行の最晩年に撮った写真がございました。
昼間の返却回送です。品川区の43系が使われていました。
(写真は弊ブログからの転載です。ほかにも客車の写真がございます。よろしければご覧になってください。)

1982年5月2日高円寺

投稿者のホームページ



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 5月25日(月)07時28分8秒
タイトル 【訂正】時刻表1959年7月号(の余談)
急行「那智」改め「紀伊」について
> 1972年3月改正では特急に出世
と書いてしまいましたが、1975年3月の誤りでした。
また、新宮が「陸の孤島」だったというのは東京から見てのことですね。
大阪方面からはずっと前から紀勢西線が通じていました。
大変失礼しましたm(_ _)m。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 5月25日(月)10時10分10秒
タイトル 初代「雷鳥」
クモイ103様,千キウ様、ヒゲ無し雷鳥様:
詳細有難う御座います。時刻表付録では「名古屋-信濃四ッ谷」との事ですが、
1959.7.24に大阪駅で見ていますので、実際は大阪始発だったのでは?臨時準急が大阪
発20.25ですので矢張り「出雲」20.30発のハネに乗った時に,管理人さんがアップし
て下さったサボを撮影しています。リヴェットがないのでスロハ38の前のオハ35の
サボの写真の方です。当時中央(西)本線には名古屋−長野間に準急「信濃」
(最初はオハ61とオロ40のお粗末準急)が昼間、夜行は準急が2本あり、始発時刻が
遅い方にナハネ10が連結されていた筈です。(昭和31年に長野−名古屋間ナハネ10
初乗車),それから始発が早い方の準急に塩尻解結の(東線)経由新宿行併結があり
ました。
急行「聖火」(熊本−東京)は大阪駅でEF60牽引を写していますが、スハ43系と
スロ60で、スロ60のサボが盗まれていたのを撮影しました。「サボ泥棒」には公安
も手を焼いていた様でした。電関のヘッドサインはありませんでした。



投稿者 千キウ
投稿日 2009年 5月25日(月)11時13分46秒
タイトル 急行 聖火
マロネロ38様
またまた貴重なお話ありがとうごさいます。昭和35生まれの私には夢の様な話です。
これまた古本屋で収集した鉄道ピクトリアル165号の1カット(3031レ)
EF58の写真しかなくスロ60が連結されていたというのは初めて知りました。
近年、発刊された国鉄・JR臨時列車ハンドブック 新人物往来社(ネットで買いました)に記事だけ出ております。
急行 聖火 3031レ 1964.10.7−1964.10.25
東京9時18→大阪18時14→熊本8時27
3032レ 1964.10.8−1964.10.25
熊本19時47→大阪9時37→東京17時46

急行オリンピア(151)は結構文献があるのですが聖火はほとんどありません。
これからも貴重なお話お聞かせください。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 5月25日(月)13時58分16秒
タイトル 3032レ「聖火」
千キウ様:
大阪駅入構を写してすぐ10番ホームへ走り、スロ60のサボを撮影してから
11番へ廻ってスロ60全景(サボが盗まれていた)を撮影しましたが、あわてて
居たので甘ピンになって、60の2桁番号とだけしか解りませんでした。メモも既に
ありません。辛うじて「東シナ」だけ判明します。
「ロ」はスロ60x1両だけで,主に団体輸送用の「オール座席編成」の輸送力
急行だったのでした。「聖火」に就いては以上で全部です。



投稿者 プルマン
投稿日 2009年 5月26日(火)00時05分52秒
タイトル 日本海1号 函館最終
H18’3.16〜17
EF81 46(敦)  金沢総15−5
DE10 1690(函)函館駅構内
12↑オハネフ25 43 網干総13−5
   シール帯、貫通扉まで及ぶ。
11↑オハネフ25 143網干総17−8
10 オハネ25  71 下関部17−12
9  オハネ25  45 網干総16−11 洗面窓埋め
8 ↑オハネフ25 46 網干総13−6  洗面窓埋め
   シール帯、車掌窓下で切れる。
7  オハネ25  77 網干総17−12
6  オハネ25  64 網干総15−2
5  オハネ25  66 網干総14−10
4 ↑オハネフ25 142網干総16−7  洗面窓埋め
3  オハネ25  46 網干総16−12
2  オハネ25  60 網干総14−9
1  オロネ25  301網干総17−5
荷  カニ24   108網干総16−8
ED79 20(青函)  苗穂総15−7

シート色  オハネ25 60のみ赤。他全車、緑
デッキドア オハネ25 45,46のみ無。カニ、オハネフは除外。

また、4号大阪行き編成をご存知なら教えてください。




投稿者 ED76109
投稿日 2009年 5月26日(火)00時14分3秒
タイトル 「塩尻」で「逆編成」になった時代
 度々失礼致します。「ED76109」でございます。

 マロネロ38様
 >始発が早い方の準急に塩尻解結の(東線)経由新宿行併結がありました

 「遙かなる汽車旅(平成8年8月・JTB編 種村直樹氏著)」によりますと、
昭和30年「日本国有鉄道監修時刻表(JTB)」5月号に
「新宿・名古屋」を直通する「列車」の存在が明記されております。
 種村氏の記述によれば、
「新宿15時30分発松本行(417レ)」に「上諏訪(21時55分)」から、最後尾の「ハニ」に乗車。
その後は次のとおりであります。

 「塩尻」22時54分到着後、「417レ」から「ハニ」が切り離され、ホームに停留。
                   ↓
 「長野23時発名古屋行準急(808レ)」が「塩尻」に1時05分到着。
                   ↓
  種村氏らが乗車している、件の「ハニ」を「808レ」の辰野側に連結。
                   ↓
 「808レ」は長野側が先頭となる「逆編成」となり、「1時17分」塩尻を発車。
      (種村氏らが乗車した「ハニ」は「塩尻」に2時間23分間停車)
                   ↓
          終着の「名古屋」に5時39分に到着。

 昭和57年5月まで、「塩尻」は「新宿・名古屋」間直通が前提の古い構内配置だったことから、
「名古屋・長野」間の列車は全て「逆編成」として方向転換を行っていたことは、「釈迦に説法」でありましょう。
 しかし、現在では「しなの」の方向転換などは過去の話といった感じであり、すべて「スルー運転」。
前述しましたが、小生、「D51」牽引の「中央西線旧客鈍行」にお世話になった昭和45年の春、
初めて「塩尻」を通過しました。
小生が乗っていた最後尾の「スハフ」に、いきなり「DD51」が連結されて・・・。
小学2年生の子どもには衝撃的(!)光景であり、今でも鮮明な記憶が残っております。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 プルマン
投稿日 2009年 5月26日(火)00時20分32秒
タイトル 最終出雲
最終の函館行き日本海1号乗車後、東京へ向かい最終の出雲と113系を見に行きました。
運転士のお袋さんでしょうか。




投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 5月26日(火)00時41分17秒
タイトル Re:初代「雷鳥」
マロネロ38様
> 1959.7.24に大阪駅で見ていますので、実際は大阪始発だったのでは?
…左様でしたか。誌面の限られた別冊付録ですから、列車本体である長野行きの大阪延長だけしか
載せる余裕がなかったのでしょうか。
あるいは、本当に時刻表編集部に入った情報がそれだけだったのか?
 いずれにしても、今と違って駅員も多かったでしょうから、
臨時列車の情報は駅で問い合わせるのが基本だったのかもしれませんね。



投稿者 きむたお
投稿日 2009年 5月26日(火)21時15分43秒
タイトル 今朝の「日本海」
みなさまこんばんは。今朝は撮影と撮影メモを両立できました!
#最近はデータ採取も回を重ねて、番号だけで形式が特定できるようになってきました。

'09/5/26(富山)、4002、上り「日本海」
EF81 107
(1)オハネフ24 21
(2)オハネ25 210
 (3)オハネ25 147
 (4)オハネフ24 15
 (5)オハネ25 220
 (6)オハネ24 19
 (7)オハネフ25 117
 (8)オハネ24 44
 (9)オハネ25 211
 (10)オハネ25 151
 (11)オハネフ25 202
 (12)オロネ24 5
 カニ24 23


↓天気が良かったらばっちり光が当たるんですが・・・。




投稿者 きむたお
投稿日 2009年 5月26日(火)21時27分56秒
タイトル 引き続き、今朝の「北陸」
'09/5/26(富山)、3001、上り(北陸線内)「北陸」
EF81 141↑
・スハネフ14 20
・スハネ14 702
 ・オロネ14 701
 ・スハネ14 755
 ・スハネフ14 35
 ・スハネ14 756
 ・オハネ14 89
 ・スハネフ14 30


連休から3週間、先の「日本海」もそうですが、だいぶん組み換えが行われておりますね。
これが客車の楽しみ・面白味だと思います(^^)




投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 5月26日(火)21時33分52秒
タイトル 貴重な記録ですね。
今回きむたお様が編成記録を投稿してくださり、大変参考になりました。
前回の増結に組み込まれたオハネ25 38が「あけぼの」増結に回り、代わりにどの車番が入ったか、気になっていたのです。
オハネ25 211が代わりに入ったほか、増結からレギュラー6号車にオハネ24 19が入り、オハネフ25 202に差し替えられ、
予備に回っていたオハネフ25 117を入れたようです。
1号車もオハネフ24 21に差し替えられました。
この車両はオハネフ24 15、25同様、1997年以降、
長く「あけぼの」1号車レディースカー、レディースゴロンとシート専用だった車両です。
同僚の15、25が限定運用を解かれてからも「あけぼの」運用専用状態が続き、最近まで8号車ゴロンとシート専用でした。
したがって、「日本海」運用は結構珍しいということになります。
さらに余談ながら、「北斗星」お下がりの引戸オハネフ24 12と22は現在、
「あけぼの」8号車ゴロンとシート専用となっています。
30日の「日本海」2両増結運転の際は、単純に今回の9、10号車が抜かれるだけなのか、また変化があるのか、興味があります。
どなたか、時間の都合がつく方の投稿があれば良いのですが・・・。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 5月26日(火)21時53分2秒
タイトル おそれいりました・・・
「北陸」までおさえていらっしゃるとは、恐れ入りました。
負けじと(?)1週間まえの編成を載せておきます。
「北陸」もここ最近、検査時期に当たり始めた様子で、差し替えが活発です。
5/19上野着3012レ「北陸」
  EF64 1051 (20-10秋田総合車セ)
1↑スハネフ14 20(17- 7秋田総合車セ)
2 スハネ14  702(16- 4秋田総合車セ)
3 オロネ14  701(19- 6秋田総合車セ)
4 スハネ14  758(15-10土崎工)
5↓スハネフ14 31(19- 2秋田総合車セ)
6 スハネ14  756(15-12土崎工)
7 オハネ14  89(21- 4秋田総合車セ)
8↓スハネフ14 35(18-12秋田総合車セ)

5/22上野着3012レ「北陸」
  EF64  1052(13- 9土崎工)
1↑スハネフ14 32(19- 7秋田総合車セ)
2 スハネ14  703(15- 9土崎工)
3 オロネ14  702(16- 2土崎工)
4 スハネ14  759(18-12秋田総合車セ)
5↓スハネフ14 29(16- 6秋田総合車セ)
6 スハネ14  752(18- 4秋田総合車セ)
7 オハネ14  82(21- 1秋田総合車セ)
8↓スハネフ14 28(15-12土崎工)

以上、どちらも6:41、回送線踏切にて尾久入庫を捉える。
参考までに。



 
 
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから