倶楽部メモ(525)
平成21年 5月23日〜 5月24日



投稿者 タクロウ
投稿日 2009年 5月23日(土)07時44分25秒
タイトル 1979年の夏に走った999
松本零士原作のアニメ・銀河鉄道999が1979年の劇場版として2009年で30年がたった。
上野〜烏山間をミステリー列車999が東北線と烏山線で走ったんだ。
上野〜宝積寺間を電気機関車が12系客車を牽引し、
宝積寺〜烏山間をディーゼル機関車が12系客車を牽引して走ったのは昔のことだ。
原作者の松本零士や声優の方5人(野沢雅子、池田昌子、肝付兼太、井上真樹夫、麻上洋子)が
ミステリー列車の999に乗車したわけだ。
アニメではC62型の蒸気機関車がチョコレート色の客車をけん引するからだ。
999は架空の列車なんだ。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 5月23日(土)10時04分49秒
タイトル 中央線(東)山屋列車
ED76109先生:
本当にあの列車特に超満員でしたね。立川から乗車(西荻窪に下宿の国営大学生
だった義弟を訪ねたので)では座れないと「ロ」を奮発したのですが、オロ31だと
想っていたらスロハ32で----それでも何とか端っこの客室扉向き席が一つ空いて
いたので助かりました。

大阪の「山屋列車」は「ちくま」で、信濃四ッ谷(白馬)行きの「雷鳥」を併結
していましたが、一度見たときはオハ35+スロハ38(W)+スハフ32でした。まだ大
阪−富山間の特急「雷鳥」が出現する前の事でしたが。(サボを撮影している)
山屋さん=夜行列車が定石でしたがこれも殆ど消滅して----今は大阪方では583系
の「きたぐに」新潟行だけです。シーズン外でもそこそこ乗車率がある様で、
糸魚川以北なら(夏は富山以北)なんとか使えますので,「貴重な急行」です。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 5月23日(土)11時00分47秒
タイトル 分岐点
▼コスモス様:
> おひざ元の友部もこの範疇でしょうね。

歴史的経緯の産物ではありますが、正に「水戸線」を名乗る面目躍如という処ですね。
もっとも、以前に比べると、乗務員や車両の合理的配置を目的としている為か、友部
折返し便が増えた様で、我が高校時代には散見された、下館や結城(越境特例により、
栃木県立の受験が可能です)からの通学動機に影響が出ているのでは、とも感じます。

水戸線と同様、他線乗入れで名実が一致する事例としては、奈良線が挙げられますね。
名目上の終点・木津も京都府内ですが、近接する近鉄京都線・高の原駅界隈を見ると、
府県境や分水嶺に関係無く街が形成される「京阪奈」のボーダーレス振りが窺えます。

> 宇都宮の日光線,豊橋の飯田線,岩沼の常磐線,新庄の陸羽東線、佐倉の総武本線、

個人的に理想と感じる分岐形態は、少なくとも一方に電化線を擁し、街中の駅を出て
暫く並行した後、郊外の田園風景で、立体交差を伴わず、少しずつ離れて行くという
構図です。その意味で、岩沼や佐倉は正に理想的ですね。

特に前者の場合は、初めて通過したのが昭和40年代、仙台七夕に赴く際、旧客による
臨時昼行急行「十和田」によるもので、四ツ倉以北の単線区間で運転停車を繰り返し、
空調なぞ皆無の蒸し暑い車内で憔悴しきった頃、清々しい川風と共に阿武隈川を渡り、
やがて西側から現れた、堂々たる電化複線の東北線には、心底 感動しましたね(^^)

こうした趣旨から、羽後本荘・会津若松・松岸・倉賀野・新発田・小諸・豊野・津幡・
肥前山口・八代(球磨川橋梁直前の立体交差部分より手前)山野線が健在だった頃の
水俣なども御気に入りです。

小諸の場合、並行区間に支線のみの駅が複数ある点も、旅情をそそりますね。ここも
初めての通過が昭和40年代で、信越線が離れる辺りで漸く「ハエタタキ」が登場する
構図も印象的でした。RF誌で、十数年前「横軽」廃止特集の一環として、信越線が
非電化だった頃の当該区間の写真が紹介されましたが、当時は「ハエタタキ」同士も、
本線施設から支線施設が分岐する形状だったのですね。

なお、豊橋における、名鉄と飯田線の輻輳区間については、船町・下地に名鉄電車の
停車要望は無いのでしょうかね。それ以前に、人口40万近い中核市・豊橋の中心部を
目前にして、凡そ大手私鉄のターミナル構造には程遠い一面一線構造という制約から、
少なからぬ名鉄電車が、手前の伊奈で折り返す状況も、要改善と言えそうですが。

なお、かかる「理想的構図」を貨物線にまで求めるなら、常磐線の神立(廃止?)も
良い味を出していますね(^^)以前は、ここから石岡寄りの掘割に面した事業所内に
常磐線とは全く無関係な河川柱が数本建てられ、謎の存在でした(^^)




投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2009年 5月23日(土)23時11分31秒
タイトル Re中央線(東)山屋列車
>>マロネロ38様
私、列車愛称の変遷を勉強中でして、電車特急以外の列車で雷鳥を名乗っていた
列車があることを初めて知りました。いつ頃のことかご教示いただけませんでしょうか。
宜しくお願い致します。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 5月24日(日)08時07分47秒
タイトル Re中央線(東)山屋列車
  失礼致します。「ED76109」であります。

 マロネロ38様及びヒゲ無し雷鳥様
 >大阪の「山屋列車」は「ちくま」で、信濃四ッ谷(白馬)行きの「雷鳥」を併結していました

 関係サイト等を精査いたしましたが、「雷鳥」が「信濃四ッ谷行の準急」で運転された状況は確認できませんでした。
しかし、白馬岳登山の方々の記録からは、昭和30年代前半に「『ちくま』となる前の信濃四ッ谷行の準急で〜」
の記述が散見されており、「マロネロ38様」のご記憶のように、「大阪」から「トカホセ経由」で
「信濃四ッ谷行の準急」が運転されていたようであります。さらなる先達の皆様からの御教示をお願い致します。
 「ちくま」は、小生の記憶では「千曲川」ではなく
「筑摩(長野西部及び飛騨の一部)」から愛称名を取ったはずではなかったでしょうか。
長年にわたり「大阪・長野」を結んでいた名門急行。
前述しましたが、小生は昭和49年の夏に「高校野球観戦」のために、
「鉄」親父と「臨時ちくま2号(7804レ)」に「名古屋」から乗車しました。
最前部の「スハフ」から「EF58」の後尾を眺め、「琵琶湖」の夜明けに感動。
そして、6時前の「大阪」に到着。「明石」の従兄宅に2泊して「甲子園」を堪能。
そして、帰路は「神戸」から「桜島・高千穂(1102レ)」に乗車。
「トカホセ」の旧客急行の晩年の頃の想い出であります。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました、



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 5月24日(日)10時49分33秒
タイトル 臨時準急「雷鳥」
ヒゲ無し雷鳥様、ED76109先生:
信濃四ッ谷行き「雷鳥」は昭和34年7月24日に大阪駅でサボを撮影しています。
サボは○に大,宮(宮原客車区)の記号があります。車両はスロハ38です。
基本編成は「長野行」で「雷鳥」は松本開放だったと想います。長野行が「ちくま」
だったと想いますが、「雷鳥」の方が珍しくてサボを撮影しました。



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2009年 5月24日(日)17時53分32秒
タイトル レス御礼
>>マロネロ38様
早速の御回答有難うございます。
1959・7月号を確認してみましたが
付録が残っていないため確認できませんでした。
>>ED76109様
当時の時刻表は多客時の臨時列車を別冊に
まとめているため記録に残りづらいようです。
実際に利用者された方々の記憶が数少ない
手がかりといえそうです。



投稿者 コスモス
投稿日 2009年 5月24日(日)17時59分52秒
タイトル 友部の分岐
雑魚 様

分岐に関するご考察を興味深く読ませていだきました。

本日、東京近郊区間の乗り歩きをして、友部、小山の分岐を堪能してきました。
友部から水戸線の744Mで小山へ向かいました。
水戸線列車から見ると、歴史的には常磐線の方が後から開通したことを思わせるかのように、直線で進む水戸線に対して、
常磐線はホームから外れた途端に何の未練もないかのように左へカーブして去っていきます。
そして直ぐに両線の間にある林に視野を遮られ、分岐の感傷にひたる暇すら与えてくれません。ドライな分岐でありました。
小山も水戸線は、ホームの直ぐ先から左へカーブして離れていき、ドライな分岐でした。
逆に合流するときは、唐突の出会いですね。

岩沼の場合、常磐線から仙台方向へ進んだときの合流については、全く雑魚様の
指摘の通りの心情です。頼もしい本線に合流する安心感でほっとします。
常磐線をここまで乗りとおした回数はそう多くはありませんが、変化の少ない車窓の景色に飽きて寝ていても、
阿武隈川鉄橋を渡る轟音で目が覚めます。

神立の貨物側線(既に廃線)は2Kmちかく石岡側へ並走したあと、工場敷地に突然隠れてしまいますね。
ある種の潔さを感じます。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 5月24日(日)19時31分55秒
タイトル 臨時準急「雷鳥」
ヒゲ無し雷鳥様:
1959.10月改正号がありますが、「別冊付録」が無くなっているので、臨時列車に
関しては不明ですが、7月24日は確か「出雲」の大阪からの増結ハネに乗るときに
「雷鳥」を見たので、「出雲」の前後の発車だと存じます。スロハ38も所属客車区が
大ミハだったのか?サボだけの借入車だったのか?記録がありません。「雷鳥」は
9番ホームでした。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 5月24日(日)20時08分39秒
タイトル 「雷鳥」のサボ
マロネロ38様からお預かりしている貴重な写真の中に、話題の「雷鳥」のサボの写真がありましたので、
掲出させていただきます。




投稿者 千キウ
投稿日 2009年 5月24日(日)20時18分3秒
タイトル 臨時準急 雷鳥
脇から失礼致します。
マロネロ38様。貴重なお話ありがとうございます。
かなり前に古本屋にて収集した鉄道ピクトリアル134号に記載はあり存在は知ってはおりました。
やはりナマのお話にはかないませんね(笑)
<一部抜粋>
雷鳥は昭和34年の夏山シーズンに、初めて大阪から松本経由信濃四谷までの直通臨時準急が運転され、
その愛称は大鉄局で公募により決定した愛称である。
しかし、その後直通列車がなかったり不定期観光モデルコースのスジで運転されるため彩雲となったりして
その後雷鳥の愛称はきかない。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 5月24日(日)21時34分36秒
タイトル 時刻表1959年7月号
マロネロ38様、皆様、横から失礼します。
時刻表復刻版1959年7月号+別冊付録を所持しておりますので、所載データをご紹介します。

【東海道本線欄】
大阪20:25発→準急3402レ→名古屋23:45着0:05発(→長野着6:54・名古屋長野間3805レ)
運転月日:7月18日〜8月11日

【中央本線欄】
(大阪発20:25→)名古屋0:05発→準急3805レ→松本5:31着5:32発→長野6:54着
運転月日:7月17日〜8月19日

【大糸線欄】
(名古屋発0:05→)松本5:31着5:39発→3113レ→信濃四ッ谷8:05着
(7月19日〜8月17日運転)

なお、列車名の記載はありません。誌面が限られていた為でしょうか。
全車自由席なので実用上の問題はなかったと思われます。
大糸線3113レの始発駅は名古屋と記され、これと対になる上り3118レの行き先も名古屋となっていますので、
大阪発長野行き3402レ〜3805レに名古屋から増結されていたと思われます。
また、長野行きも名古屋始発の日があったようです。


全くの余談ですが、実は急行でも「名無し」扱いの臨時列車がありました。
1959年7月15日、紀勢本線が全通し、陸の孤島だった新宮に初めて東京から直通の臨時急行が運転されました。
この列車、当時のピクトリアルによると「那智」と命名されていましたが、
くだんの時刻表別冊付録では名無しになっています。
ちなみにこの「那智」は南紀への観光アクセスを担っていたためか、
短い編成の中にマロネロ38を組み込んで優等客に対応しており、
直後の9月22日ダイヤ改正で早くも定期化されました。
のち1968年10月改正(ヨンサントオ)で「紀伊」と改称、1972年3月改正では特急に出世しました。
しかし登場時は、「『伊勢』に新宮行併結」と題したわずか2行の注記扱いで、
途中停車駅などの情報も書いてもらえない、不遇のデビューだったのですね。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 5月24日(日)21時45分34秒
タイトル 久しぶりに、魅せてくれました。
画像がないのでいまいち、説得力に欠けますが・・・。
既報通り、久しぶりに「あけぼの」2両増結での運転となりました。
雷雨の予報が出る中、愛車を駆っていつものように編成チェックです。

1↑オハネフ24  25(19- 9秋田総合車セ・白帯・レディースゴロン)
2 オハネ24   3(20- 6秋田総合車セ・金帯・引戸)
3 オハネ25  152(18-10秋田総合車セ・金帯)
4↑オハネフ25 121(19- 7秋田総合車セ・金帯)
5 オハネ24  554(19- 7秋田総合車セ・金帯・B個・銀シール文字)
6 オハネ24  553(19- 1秋田総合車セ・金帯・B個・白文字)
7 スロネ24  553(21- 3秋田総合車セ・金帯・A個・銀シール文字)
8↑オハネフ24  19(18- 7秋田総合車セ・白帯・ゴロン・銀シール文字)
9 オハネ24   49(18- 7秋田総合車セ・白帯・銀シール文字)
10 オハネ25  38(18- 1秋田総合車セ・白帯・白文字)
 ↓カニ24   112(20-11秋田総合車セ・金帯・機関更新車)
  EF64  1053(20-12秋田総合車セ)

フル編成であればなおいいのですが、なかなか実現しません。
金帯、白帯混在は編成美重視派には落胆モノでしょうが、今夜は比較的、金、白が固められスッキリしたナリに見えます。
EF64 0は最近検査に入ったようで、このところ1000番台、1032と1053が登板します。
26日と30日は「日本海」がまたまた増結予定とのことで、残された夜行列車も勇姿を見せてくれます。

タイミングが良かったとみえ、編成チェック中と、家への出入りの時はうまい具合に雨がやんでくれました。
列車のダイヤに響かないと良いのですが。



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2009年 5月24日(日)23時15分30秒
タイトル 再度レス御礼
マロネロ38様、管理人様、千キウ様、クモイ103様
皆様、様々な情報を有難うございました。
大鉄局では昭和25年春に新設の紀勢準急にくまのと命名しておりますが
やはり時刻表では表記がありませんでした。
また17・18レも愛称公募を行っており、結果は未確認ですが
選定された愛称が流星だった可能性が高いと考えております。
他にも広島急行のひばり、S.34のことぶき、S.39の
オリンピアや聖火等公社全国版時刻表では名無しでありながら、
愛称がついていた列車というのは他にもありそうですね。


 
 
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