倶楽部メモ(523)
平成21年 5月18日〜 5月20日



投稿者 なるみ
投稿日 2009年 5月18日(月)20時46分31秒
タイトル 客車諸元について
こんにちは、初めまして!
客車を紹介したサイトを立ち上げているのですが、
下記のことがどうしても分からなかったので、質問させてください。

○オハ50の台枠形式
○スハシ44の自重と定員

もしご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。



投稿者 コスモス
投稿日 2009年 5月18日(月)22時11分41秒
タイトル 磐越東線のロングシート客車
郡山市に親戚があり、子供の頃(昭和30年代半ば)に茨城県南部の地元から
水郡線又は磐越東線経由で何回か汽車旅をしました。
水郡線では気動車しか乗った記憶がありません。磐越東線ではD60牽引の客車でした。
昭和36,7年頃だったと思いますが、郡山発平行の客車列車に乗って帰途についたところ、
編成のうち1両がロングシート車だったように記憶があります。
ローカル線にロングシート車とは奇妙でしたが、当時の郡山客貨車区にはそんな客車がいたのでしょうか。
それとも私の思い違いでしょうか。



投稿者 千キウ
投稿日 2009年 5月18日(月)22時44分39秒
タイトル スハシの自重
こんばんは いつもROMしておりやっと役に立てそう?です。
スハシ441 自重35.7 全検63-3五稜郭車所
1988-5-2小樽確認 定員までは見てませんです。ちなみに9162レです。
C623
スハフ447 63-3五稜郭車所 昭和27日車名古屋
スハフ4427 63-2五稜郭車所
スハシ441 63-3五稜郭車所
スハフ4411 63-1五稜郭車所 昭和27川車 昭和40五稜郭工場改
スハフ446 63-3五稜郭車所 昭和27日車名古屋



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 5月18日(月)23時07分9秒
タイトル 味がある「三陸」の鉄路
 またまた、失礼致します。「ED76109」でございます。

 雑魚様及びど素人様
 >釜石線・山田線の名物循環急行「五葉」「そとやま」

  いつもの「昭和48年JTB時刻表6月号」では、次のようなダイヤで運転されております。

  「DC急行五葉」
 盛岡12:35→日詰12:51→花巻13:05→土沢13:23→宮守13:43→遠野14:06
→陸中大橋14:37→釜石14:55→大槌15:14→岩手船越15:29→
陸中山田15:36→宮古16:08→茂市16:36→陸中川井16:55→盛岡18:24

  「DC急行そとやま」
 盛岡8:54→茂市10:47→宮古11:07→陸中山田11:44→大槌12:06→釜石12:22
→陸中大橋12:46→遠野13:18→宮守13:44→土沢13:59→
花巻14:13→盛岡14:47

 「宮守」で両列車が交換するダイヤのようであります。
また、「花巻」から「山田線直通」の「盛岡」行の「DC鈍行」が2本、
「盛岡」から「釜石線直通」の「花巻」行の「DC鈍行」が1本運転されておりました。
なお、貨物輸送に関しても「鉄鋼」関係や「海産物」関係で、
古くは「C58」牽引の貨物列車が多数運転されていたようであります。
その中で、ループ線に準じた「陸中大橋・上有住」の山峡が羊腸の隘路となり、
有数の撮影地であったことは、先達の皆様には「釈迦に説法」でございましょう。
 また、「上米内」から「区界」の辺りにかけてと「岩泉線の押角」は「スイッチバック駅」であり、
特に「押角」で撮影された「C58」の勇姿を収めた市販VTRを持っていることから、強い印象を・・・。
しかし、いずれも現在はスイッチバックは全廃されてしまい、構内線の跡地に僅かな記憶を留めるのみとなっております。

 長々と失礼致しました。
以上、昭和54年の新春に、母校が「全国高等学校ラグビーフットボール大会決勝」で
「黒沢尻工業高等学校」を破って優勝の歓喜に湧いた「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2009年 5月18日(月)23時41分25秒
タイトル RE:和田岬線のオハ64の定員は?
>仙コリ(管理人)さま
いつもお世話になっております。
ご質問の件、ネガを拡大して取り込んで読んだところ、オハ64が150名、オハフ64が140名でした。
撮影は昭和48年8月3日和田岬駅、牽引機はDD13で中央扉増設前です。
中央扉の増設で定員が変わっている可能性もありますね。
右がオハフ64 2です。

投稿者のホームページ



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2009年 5月19日(火)00時08分59秒
タイトル RE2:和田岬線のオハ64の定員は?
中央扉の増設後もオハ64が150名、オハフ64が140名で変わっていませんでした。

昭和49年2月22日 兵庫駅(扉増設のニュースを見て再訪しました)
同じくオハフ64 2です。

投稿者のホームページ



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 5月19日(火)00時36分25秒
タイトル Re3:和田岬線のオハ64の定員は?
竹中@ノーブルジョーカー様

和田岬線のオハ64及びオハフ64の定員の情報ありがとうございます。
資料によって記載に違いがあった為に悩んでいたのですが、写真という決定的な証拠を示していただき
すっきりと解決いたしました。
公式とされている資料(図面)に記載されている定員に違っているものがあったので困惑してしまった
のですが、公式の資料にも間違い(当初の予定と実際が違った可能性もありますが)が散見されるので
やはり実車の写真などで検証しないといけないようですね。
今回は本当にありがとうございました。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 5月19日(火)01時00分4秒
タイトル Re:磐越東線のロングシート客車
コスモス様

郡山客貨車区にロングシートの通勤型客車がいたのか?という質問ですが、調べてみますと、
昭和40年代以降になってしまいますが、ロングシート車であるオハ41が数両配置されていた
ようです。

さらに調べてみますと、当サイトのリンク先でもある「70年代後半の客車編成」の中の
「普通客車列車の編成」→「奥羽・羽越・東北支線」に磐越東線の客車列車編成記録が掲載
されていて、その中にオハ41が連結されています。

お尋ねの年代と少々違ってしまいますが、昭和40年代には磐越東線にてロングシート客車の
オハ41が走っていたのは間違いないようです。



投稿者 なるみ
投稿日 2009年 5月19日(火)08時50分57秒
タイトル Re: 客車諸元について
>千キウ様

スハシ44の件、早速お教えいただきありがとうございます。
自分で撮った写真では文字が見えなかったので、助かりました。
定員は一説には48人らしいのですが、確証がありません。

引き続きオハ50の台枠についての情報もお待ちしています。
よろしくお願いいたします。



投稿者 コスモス
投稿日 2009年 5月19日(火)21時11分56秒
タイトル Re:磐越東線のロングシート客車
仙コリ(管理人)様

早速のご教示をいただき、ありがとうございます。

なにせ40数年前のことなので、鉄道少年ではありましたが、写真や記録を取っていないし
あいまいな記憶にたよりましたので、記憶と実際の年数の誤差があるものと思います。
子供のときに郡山へ行くと、幹線の拠点駅として、機関区や車両群、入れ換え作業などが醸し出す
雰囲気にわくわくしたものです。水郡線で帰るときには、分岐駅の安積永盛からしばらく
東北本線と並行したあと単線の細いレールが分かれていくのは、心細く感じました。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 5月19日(火)21時45分30秒
タイトル オハ50の台枠等について
なるみ様

オハ50の台枠についての質問について誰もお答えにならないようなので、詳細は分からないのですが
私なりの推測を述べさせていただきます。
各種資料等を見てみますと、20系客車までは台枠の形式が記載されているものの、オハ50に限らず
12系客車以降は台枠の形式が記載されていないようです。
このことから2つの事が考えられます。

1)10系軽量客車からモノコック構造といわれていますが、12系以降が完全なモノコック構造となり
  台枠という概念が無くなった?

2)20系以前はいくつかの基本的な台枠があって、その上に車体が構築されていたが、12系以降は
  台枠を含めてそれぞれの形式ごとの設計としたために台枠の形式というものが無くなった?
  (実際は20系客車の台枠もほとんどがそれぞれの形式専用設計です。)

推測ですが、上記2点のいずれかの理由で12系以降のいわゆる新系列客車においては台枠の形式
というものが存在しないのではないかと考えられます。

あくまでも私の勝手な推測で、間違っている可能性もありますので、詳しい事情をお知りの方が
いらっしゃいましたらフォローしていただければ幸いです。



投稿者 きむたお
投稿日 2009年 5月19日(火)21時54分22秒
タイトル オハ50の台枠形式
みなさまこんばんは。
表題の件、気になって部屋をあさり、国鉄車両設計事務所作成の51形の説明書および付図を引っ張り出してきました(^^;)

で、台ワク(図面では枠がカタカナ標記です)ですが、形式の記入が無いのです。
鋼材の寸法や溶接記号まで入った詳細図面があるのですが・・・。
従って、オハ50・オハフ50についても台ワクの形式は定まってないような気もします・・・。

ちなみに、オハ51、オハフ51とも台ワク図面は3枚から構成されており、図番は下記の通りです。

1.オハ51
台ワク 1/3 VB118009
台ワク 2/3 VB118010
台ワク 3/3 VC145680

2.オハフ51
台ワク 1/3 VB118330
台ワク 2/3 VB118331
台ワク 3/3 VB118332

以上の通りです。




投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 5月19日(火)23時08分33秒
タイトル Re:オハ50の台枠形式
きむたお様
オハ50の台枠形式についてフォローありがとうございます。
51形の図面で台枠の図面があるとの事で、推測1)ではありませんでしたか。
もっともモノコック構造であろうと当然下部フレームは存在するので台枠は当然ありますよね。
その上で、やはり詳細な図面においても形式の記載が無いという事は、推測2)である可能性が
高いのでしょうか?



投稿者 なるみ
投稿日 2009年 5月20日(水)07時21分59秒
タイトル Re:オハ50の台枠形式
>仙コリ様
>きむたお様

みなさま、お忙しいところ色々とお調べいただきありがとうございます。
私も手持ちの乏しい資料を当たっているのですが、おっしゃる通り近年の客車図面からは、
台枠形式の記載がなくなっています。

一方、オハフ51を気動車化改造する際、あるいはオハ51を3扉化改造する際に、
台枠強度の点に触れた本がありました(出典失念)。
また、50系客車について、「台枠は軽量構造・・・」という記述もあります(鉄道ピクトリアル2007年2月号P41)。
したがって、推測1ではないと考えられます。

かつては客車は国鉄客貨車課が設計を行っていたそうですが、
ある時期から担当部署が変わって(?)、台枠形式を表示しなくなったのかも知れません。
私は気動車も研究していますが、その台枠形式について触れた文献というのも、これまた見あたりませんし。
逆に、客貨車課では、台枠というものがとても重視されていたのかも知れません(当然でしょうけど)。
50系客車はどこが設計したんでしょうね。
※これらはあくまで想像です。

国鉄はお役所ですので、記述がなくなったにしても、形式そのものを廃止したとは考えにくいと思うのです。
吊革一つにも形式をつける組織ですから・・・。



 
 
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