倶楽部メモ(517)
平成21年 4月29日〜 5月 2日



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 4月29日(水)14時06分38秒
タイトル 西武安比奈線
あるHPにNHKの朝ドラ「つばさ」のタイトルに出てくる、「落ち葉が敷き詰め
られた廃線跡」が川越近くの「南大塚」から分岐の「安比奈線跡」だとありましたが
、私はこの線について全く知識がありません。東京に居られたED76109先生や廃線跡
に詳しい方のご教示をお願いします。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 4月29日(水)17時55分48秒
タイトル 「あひな」線だそうであります
 弁論部の「声出し」指導で、今日は休日出勤であった「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >「南大塚」から分岐の「安比奈線跡」

  関係サイト等を精査確認した内容をお伝え致します。

 「西武安比奈線」は、昭和42年から休止されている「貨物線」であります。
元々は、「入間川」の砂利運搬を目的として、大正15年の2月に開業しましたが、
川砂利の採取が禁止されたことから、休止状態のままで現在まで至っております。
しかし、昭和末期に「西武新宿線」の輸送力増強を目的とした「上石神井・西武新宿」間複々線計画の発表を受け、
車両増備のために車両基地新設の計画が浮上いたしました。
この件を受けて、「安比奈線の通勤線」も一時計画されたのであります。
残念ながら、需要予測が下方修正されて計画は平成7年に凍結となっております。
また、川越市では、「安比奈線」の復活とともに将来的に通勤新線としての延伸計画が持ち上がっており、
市議会も関心を持っているとのこと。
西武サイドとしては、平成18年11月、「川越鉄道開業111周年記念」イベントの1つとして、
「幻の貨物線西武安比奈線を歩く」を開催するなど、廃線ではないことをアピールしているようです。

 資料 「レイルマガジン 287 (平成19年8月号)」等

 長々と失礼致しました。以上、「戯言」情報でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 4月30日(木)11時15分4秒
タイトル 安比奈休止線
▼ED76 109様:

安比奈休止線は、ここ数年の間に、二度「全区間踏査」しました。沿線の宅地や田畑、
雑木林に埋没しかけた朽廃振りや道路との交差(特に国道16号線や八瀬大橋)事情を
考えると、西武新宿線の複々線化計画を契機とした件の復活案は、事実上の棚上げと
感じていましたが、改めて「ウィキペディア」を参照すると、整備事業は、意外にも
少しずつ進捗しているのですね。

私が現地を訪れた時点では、新宿線から分岐する辺りの僅かな区間に限って、線路が
一新されていました。電柱や線路の朽廃振りに情緒を感じる立場としては、構想通り
車両基地の引込線として再整備されれば、それはそれで、少し勿体無いかな、などと
勝手な事を考えます。整備範囲を最小限に留めて、同じ西武の山口線を復元するのも
一興か………と思うも、あちらは軽便規格でしたね。

それにしても、いわゆる「トワイライト・ゾ〜ン」系趣味において、これだけ有名な
存在でありながら、肝心の現役時代の画像が、殆ど見当たらないのは珍しいですねぇ。

なお、NHK「つばさ」ヒロイン役の方は、三年前の夏、25日付拙稿「コンクリート
橋梁」掲出画像の界隈で主演映画のロケを行うなど、廃線跡との多少の縁が窺えます。
その際、原作ネタ元の関係者や地元を対象に「エキストラ出演」の話もあり、仕事が
カチ合わなければ、私も「華麗なる銀幕デビュー」を果たす筈でした(^^)




投稿者 高速貨A
投稿日 2009年 4月30日(木)14時13分53秒
タイトル 寝台車付き定期夜行普通列車について
長々としたタイトルですみません.
「山陰」「ながさき」「はやたま」「からまつ」の4列車が寝台車を連結した定期夜行普通列車なのは皆様方ご存じと思います.
(ここでは急行「大雪」のように特定区間が普通列車を除きます)
普通列車に愛称名がついたのは,みどりの窓口で予約する際,列車番号のみだと一般客にはわかりづらいからと考えております.
 さて,昭和55年10月改正以降廃止が相次ぎましたが,それ以前,特に昭和30年代の長距離普通列車が多数存在していた頃は,
全国各地に上記4列車のような寝台車付き普通列車が運行されていたのかなと思っていました.
しかしながら復刻版JTB時刻表によると,わたしが思っていたような事はなく,全国的に見ても珍しい存在でした.
「寝台列車=快適な睡眠が確保され,目覚めると目的地」が理想とすれば,やはり急行列車や特急列車が最適なのでしょう.
 それにしても当時は様々な長距離普通列車が存在していました.
18きっぷによる長距離移動計画を立てる際に,「昔のような列車があればなぁ」と考えるこの頃です.



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 4月30日(木)16時57分48秒
タイトル 安比奈線
ED76109先生、雑魚様
ご教示有り難く存じます。そんな経緯があったのですか?
旧常総筑波の「大田郷−三所」間の盲腸線がジャリ取り線兼用だったとは聞いて
いますが、西武は余り利用した事が無かったので知識皆無に近いです。雑魚様惜しい
事をしましたね銀幕デビユーを逃がされたとは----------
私は一度だけ大阪朝日放送のラジオ番組に「鉄道100年」で引っ張り出されて
大汗をかきました。
マイクロフォンがとてつもなく大きく見えて、噛みまくりのトチリまくりで---TV
ならもっとあがったでしょう。
ED76109先生:
先にも書きましたが次回に「甲子園」へ来られるときは、是非駅の神戸よりに
残っている「マンボ」(煉瓦巻きトンネルの水路兼用人道トンネル)を抜けてみ
てください。
(駅の山側へ出て神戸方面へ歩くと上り外側線の下にあります)、中が濱側近くで
コンクリート巻きに変っていますが、戦時中武庫川河口の川西航空機工場への引込
み線線増部分がコンクリート巻きで,接続部分がよく解ります)濱側出口はコンクリ
ートで解り難いです。
「細雪」に出てくるモデルの「マンボ」は阪神西宮駅の神戸より出口からJRの
築堤まで「えべっさん筋」を行くと,上り,下り側とも「煉瓦巻き」で残っています。
「マンボ」は武庫川から灘駅ぐらいまでの間に多く存在しましたが、道路立体交差や
下水道整備,阪神淡路大震災などで急激に数が減少しました。是非一度通リ抜け
てみてください。
「須磨」の近くに「山陽鉄道」の山形2本組み合わせの社紋入り「境界石」が残って
いますが長くなるので次回にします。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 4月30日(木)20時25分33秒
タイトル 「鉄」話あれこれ
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 高速貨A様
 >昔のような列車があればなぁ

  御意。小生も、最近は「昭和48年JTB刊6月号時刻表」を眺めることが多くなりました。
回顧趣味でしょうか、正直楽しいですね。
高速貨A様のお好みは、どのような列車でありましょうか。
現在、高速貨A様と同じ「北の大地」におりますので、以下のように記してみます。

  「121レ・122レ 函館・旭川(山線経由)」
  「425レ・422〜1422レ 釧路・滝川」「831レ・832レ 札幌・網走」
  「321レ・324レ 旭川・稚内」「240レ 室蘭・函館」などなど・・。

 全国レベルですと、まだまだございますが「東北以南」は別の機会にいたします。
しかし、「鉄」親父が仕事で使っていた「111レ(東京・門司)」や「145レ(東京最終夜行・大阪行、後の143レ)」
の復活など無理でありましょうか。
小生の希望は、「18きっぷ」の利用時期に「札幌・函館(当然山線経由です)」、「東京・大阪」、
「大阪・下関」及び「上野・盛岡」等に「臨時快速(全席指定)」を運転していただければ、
何があっても馳せ参じて「乗り鉄」するところであります。

 雑魚様
 >西武の山口線を復元するのも一興か

  昭和54年の春休み、小生の所属していた高校の「鉄研」で、
新入生部活動紹介用の「8o」映画撮影のために「山口線」を訪問。
西武鉄道に協力願い、車庫に入れてもらいナローゲージの「SL」を取り上げたことがありました。
現在は「我が道民球団」のライバルチームの総本山である「西武ドーム」が、
完成間近の頃(当時は「西武球場」)でありました。
同45〜46年にかけて、「鉄」親父が「狭山貯水池」に勤務していたことから、懐かしの地でもあります。
狭山湖畔の「桜」が見事でございました・・・。

 マロネロ38様
 >「マンボ」(煉瓦巻きトンネルの水路兼用人道トンネル)

  何か懐かしい「鉄道建築物」のようであります。
小学生の頃、「鉄」仲間と「品鶴貨物線」の古いガードを潜って「EF18牽引の貨物」や「0系」を眺め、
大森付近の「東海道線」の古いガードを潜って「ブルートレイン」を眺めに自転車で行ったことが多々ありました。
特に「東海道線の古ガード」は、「昭和初期(?)」建造で「複々線」を潜る代物であり、独特の風情が・・・。
きっと「マンボ」も同じ「鉄道レトロ」を感じさせてくれるものなのでありましょう。
「見学旅行」の引率の折に訪問させていただくことに致します・・。
ところで、小生も「鉄」に係り、「TV」と「ラジオ」に出演したことがございます。
平成12年、「NHK札幌」制作の「我が北海道思い出の駅」という番組に出演して
「旧上目名」の思い出話を「15分」程度の番組にしていただきました。
また、「はやぶさ・富士」の廃止に係り、奇しくも最終日に「ミュージックギフト〜音楽地球号〜」に出演し、
「谷村新司」さんの「浪漫鉄道・蹉跌編」を流していただきました。
生来の「脳天気」な小生、言いたい放題で、スタッフの方々に呆れられるやら笑われるやら・・・。
今となっては、恥ずかしい限りであります。

 長々と失礼致しました。以上、「高校教師」よりも「アナウンサー」になりたかった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雪だるま
投稿日 2009年 4月30日(木)21時45分33秒
タイトル 乗り鉄
ED76 109 さま
私、昨日は1日散歩きっぷで江別→岩見沢→苫小牧→南千歳→札幌→小樽→江別と乗ってきました。

遠くに行けないものですから。室蘭線のキハ40に乗ってる時が一番なごみました。
客車列車があればと悔やまれます。
室蘭線224レ岩見沢→長万部もリバイバルして欲しいです。

昨日キハ141に挟まれたマヤ34と安平ですれ違ってしまった!と思いました。
以上おじさんの妄想でした。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 4月30日(木)23時02分16秒
タイトル 「鉄」話あれこれパート2
 連投失礼致します。「ED76109」であります。

 雪だるま様
 >室蘭線224レ岩見沢→長万部もリバイバルして欲しいです

  お久しぶりでございます。「昭和48年JTB刊6月号時刻表」では、「岩見沢8時35分発→
苫小牧10時35分/10時44分→東室蘭12時32分/12時53分→長万部14時50分着」ですね。
きっと「狭窓のスハフやスハ」が「C57」に牽かれていたのでありましょう・・・。
初渡道の昭和48年の春は、「222レ」で「岩見沢」から「室蘭」まで、件の「スハフ」に揺られました。
その後、「ちとせ3号」で「札幌」まで行き、「DC鈍行」で「旭川」入り。
翌日の「122レ」の乗り通しに備えたのでありました。
今年の夏は、最低でも「道内フリーキップ」で日帰りでも良いから、
「道南」「道東」及び「道北」の「乗り鉄」に行くつもりであります。

 失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 5月 1日(金)10時47分38秒
タイトル 西武山口線の事など
▼高速貨A様:

かつて、客車による長距離鈍行が幅を利かせていた理由としては、機回し手間の軽減、
そして特急・急行が、現在ほど一般的でなかった世相の下、多少の時間を要してでも
普通運賃のみで移動という、ある意味、鷹揚な感覚が一般的だったという事でしょう。
私自身、所帯持ちの現在、経済的事情から、家族単位での移動は車に頼らざるを得ず、
当時の感覚が、この齢になって判る様な気がします。

▼マロネロ38様:

常総線から分岐する砂利専用線の件、良く御存知ですね。このテの路線は全国各地で
見られたと思いますが、私が実際に見た例で印象に残っているのが、高崎線新町から
上野方向に分岐し、神流川の上流方向(ただし、八高線橋梁のかなり手前で終点)に
伸びていた電化線です。かの「トワイライト・ゾ〜ン・マニュアル」によると、一見、
頼りなさそうな木製電柱の作風に反し、F級電機が入線していたとの事。秩父鉄道と
一駅間を輻輳していた東武熊谷線共々、高崎線の車窓風景におけるアクセントでした。

▼ED76 109様:

旧西武山口線が廃止された1980年代の半ば、私は東京都民でしたが、現役時代を一度
見て置くべきだったかと、今頃になって、臍を噛んでいます(^^)

その数年後、大井川鉄道を訪ねた際、千頭で井川線に乗り継いで間も無く、山口線で
稼動していた 白地に青帯(?)の凸型BLを、側線に一瞥しました。井川線は、確か
国内標準軌の筈だが、と悩むも、これは森林鉄道が三線軌条方式で千頭まで輻輳した
名残りだそうですね。うろ覚えですが、当該BLはその後、浜松界隈の何かの施設で
動態保存されたと聞きます。

ところで、長万部〜岩見沢の長距離客レは、秘境・小幌駅にも停車したのでしょうか。
陸路では、徒歩を含め、アクセスが極めて困難と聞きますが、かかる状況で、旅客駅
扱いという必然性が、良く判りませんね。駅から 1kmほど北西の辺りを、日本海側の
寿都を河口とする川が流れている辺り、一帯の太平洋岸の峻険振りが、良く判ります。

最後に、雪だるま様の旅をイメージして、十八番の苫東道路からの俯瞰を一枚。




投稿者 高速貨A
投稿日 2009年 5月 1日(金)13時57分39秒
タイトル 「乗り鉄」あれこれ
▼ED76 109様:
ワイド周遊券を使用して旅行していた当時は,長距離鈍行よりも急行列車を多用していました.
また,一人旅出来る年齢に達した頃は,長距離鈍行はもとより急行列車も廃止が相次いでおり,
私が乗車出来た長距離鈍行は函館〜札幌の「山線夜行」です.(長距離と言えるかどうか疑問ですが)
荷物輸送が主体で旅客はオマケ?のような編成でしたが,元をたどると函館〜釧路の長距離鈍行という
由緒正しき?列車でした.
「かつての長距離鈍行があれば・・・」と考えたりもしますが,長距離を乗換えずに乗車するメリットと,
室内環境(当然ながら非冷房)を考えると,現代の中短距離乗車・(場所によって)長時間ロングシート・冷暖房完備,
どっちが良いものでしょうか?
もちろん長距離輸送は他交通機関が主役なので,どうしても中短距離輸送に重点が置かれるのは当然と考えております.

▼雑魚様
小幌駅について,当初は信号場扱いだったのが駅に昇格しました.
保線関係の人,釣り人,マニア以外の利用は皆無かと思います.
函館本線・張碓駅のように廃止にならないのが不思議です.
後述する事情のためGW明けに視察しようと考えております.

▼雪だるま様
私の本拠地は旭川で,現在は札幌に単身赴任中です.
暦通り休暇のため,明日以降の休暇のうち1日は「道北一日散歩きっぷ」にて「増毛ノロッコ号」乗車を考えておりますが,
妻子の許可が下りるかどうか(妻子ともに”鉄分ゼロ”)
よって,GW後の休日に「休日出勤」と偽って「一日散歩きっぷ」にて小幌駅視察を計画しております.
最後に,私は長期出張が多く,特に冬期間は内地勤務をしております.
毎年春先に釈放?される生活ですが,その際に帰郷を兼ねて「18きっぷ」などによる長距離移動を実施しています.
その時つくづく思うのは(復刻版時刻表に記載されているような)「長距離鈍行があればなぁ」です.
鉄道会社の事情や世の中の動き等を考えると復活は無理でしょうが,乗継・乗継の連続乗車する度に,よく思います.

▼管理人様へ
客車列車に関する話題から離れてしまい,申し訳ありません.
旧型客車乗車は20年以上も昔だし,最近の客車乗車は「はまなす」と「ノロッコ号」なので.



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 5月 1日(金)20時12分14秒
タイトル またまた長距離鈍行
 長距離普通列車の話題が再燃し、ちょっと嬉しいクモイ103です。
 ブルトレブームの頃、高校鉄研では「特急・ブルトレはガキが追うもの」と歯牙にもかけず、
皆それぞれ独自の世界に没頭していました。
通学で利用する電車の編成調査をする者は私を含め何人かいましたが、それを「日常の共通活動」とすれば、
「非日常の共通活動」で大きな比重を占めるものが、「旧型国電」と「長距離鈍行」だったのです。
 私自身、文化祭発表用に上野発郡山行き121レと上野発一ノ関行き123レを同級生3人で追跡取材しましたし、
下級生で門司発福知山行き824レを完乗した者もいました。
 以前に書いたと思いますが、「憧れ」で終わったのが「最果て鈍行」宗谷本線321レでした。
C55の牽引で稚内入りしたかったです(私の高校時代すでにSLは過去のものでしたが…)。


▼雑魚様
> かつて、客車による長距離鈍行が幅を利かせていた理由

 長距離鈍行の最後の活躍を鉄道雑誌が盛んに追っていた当時(1980年前後の数年間?)、
長距離鈍行が残っているのは「荷物輸送」のためであると言われていましたが、
そういう記述をお読みになったことはありませんか?

 当時すでに、長距離を普通列車で移動する旅客は少数派でした。
しかし、今は無き「荷物輸送」のためのマニやクモニなどを直通させるため、
「お供」として旅客車の直通も残していた…というのが実状のようです。
 郵便車や荷物車は旅客列車に併結されるのが古くからの基本で、
これは国鉄末期に郵便・荷物輸送が廃止されるまで、脈々と受け継がれたスタイルでした。
荷物専用列車というのもありますが、これはまとまった輸送量のある大幹線に限られ、
それも戦後かなり経ってから増えてきた比較的新しい列車形態です。

 一方、雑魚様のご指摘にある

> 特急・急行が、現在ほど一般的でなかった世相の下、多少の時間を要してでも普通運賃のみで移動という、
ある意味、鷹揚な感覚が一般的だったという事

…は、さらに「ひとむかし」「ふたむかし」と時代を遡ってゆけば、だんだん当たってくるでしょうね。
なにしろ究極的には、全国どこへ行くにも普通列車に揺られるのが当たり前の時代が最初にあって、
後から急行や特急が現れ、さらに時間をかけて庶民化してきたのですから。
 それとは逆に、

> 機回し手間の軽減

…というのは、昔へ行くほど当たらなくなるのではないでしょうか。
「手間」とか「人手」に対する感覚は、ほんの数十年遡るだけで全く異なります。
機械力が限られていた当時、人手をかければ済むものは人手でやるのが当たり前で、
それを仕事の誇りに思いこそすれ、手間を軽減しようという感覚はきわめて希薄だったことでしょう。
 それに前にも一度書いたことがありますが、「国鉄が元気だった」頃、全国どこでも貨車の入れ換えが日常茶飯事で、
とにかく機関車で推したり牽いたり突放したり、普通にやっていましたから、
旅客列車の機回しくらい何でもなかった筈です。

 そうは言っても、東北新幹線開業後の仙台−盛岡間の在来線で、
客車普通列車による1時間ヘッド運転が行われたときは、さすがにたまげましたが(^^)。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 5月 2日(土)00時28分42秒
タイトル 荷物輸送と長距離鈍行
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 高速貨A様
 >どっちが良いものでしょうか?

  当然でありましょうが、「スハフ」や「オハフ」等がボックスシートである点や
「モーター」等の余計な振動が皆無であることから、「長距離鈍行」の方が居住性に優れていると判断いたします。
いくら鈍行の風情を感じながらも、「上野・青森」をトイレの無い「ロングシート」で、
乗り継ぎホームや階段を疾走するのでは・・・。
小生であれば、「仙台」あたりで「新幹線ホーム」を目指すでしょう。
 「クモイ103」様の主張を拝読して、「荷物輸送」に係り長距離鈍行が残っていたという部分は、
まさしく当を得たご発言であります。
つまり、「首都圏」から新聞等を地方に運搬する「ニ」の必要性から「長距離鈍行」が残り、他の運搬手段に移行した結果、
長距離鈍行が淘汰されたと考えるべきであります。
現在は「上野」から「青森」まで「直通する役割」を果たす列車ではなく、1分でも「青森」に「早着できる」列車が
必要なのですから。
 小生の前述した「旧客鈍行」は、全て「ニ」や「ユ」等が連結されておりました。
「121レ・122レ」は「2〜3両のニ・ユ」が、「41レ・42レ」「43レ・44レ」は
「荷物列車」に「2〜3両のハザ」が連結(他の旧客鈍行も然り)。
 「エコ対策」のために「高速道路」のトラック通行量を制限し、最もエネルギー消費の少ない「動力車牽引方式」で、
その貨物量を鉄道で全て引き受ければ、必然的に「貨物列車」や「荷物列車」が復活するという「暴論」が成り立つと
小生は考えます。

 長々と失礼いたしました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



 
 
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