戦後の客車ではスハ43に対しての緩急車はスハフ42、オハ46に対してはオハフ45、スハ44にはスハフ43・・・ と言う風に
同じグループのでの緩急車形式はマイナス1の数字が命名されているケースが多いようですね。
ただし軽量客車以後はナハ10にナハフ10、ナハネ10にナハネフ10など、
新製時には原則として同じ数字で命名されているようですが、
後の改造等で生まれたものはナハネ10→オハネフ12のようなと飛番でのプラス2などと言うものも存在します。
一方、スハ32の緩急車はスハフ32と同じ32なので、戦前までは同じ数字が原則だったのでしょうか。
戦後の新形式客車第一号となる鋼体化客車もオハ60・61に対しオハフ60・61と同じ数字を用いていますので
ここまでは戦前の名残なのか・・・
と思いきや、同じ戦前生まれであるオハ35のそれはオハフ33とマイナス2だったりもします。
いったいこれらはどのような法則で命名されたものなのでしょうか。
くだらない質問で申し訳ありませんが、ご存知の方がおいででしたらご教示ください。 |