倶楽部メモ(513)
平成21年 4月20日〜 4月23日



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 4月20日(月)22時16分31秒
タイトル おでこのアンテナは・・・
きむたお様こんばんは。
ご指摘のアンテナは東日本の緩急車に取り付けられていますが、大半の車両に取付けが行われています、
施行開始は2006年12月全検のスハネフ14 35やオハネフ24 22あたりからです。
高崎のスハフ32 2357にも取付けがされ、やや違和感があります。
全検に限らず、工場入場時に順次行ったのでしょう。
普段から編成記録で見ている限り、工事は終わったものと個人的には認識しています。
「日本海」の編成記録は大変興味深く、こちらも4/14の「北陸」と本日下り「あけぼの」を載せておきます。
4/14上野発3001レ「北陸」
↑スハネフ14 30
 スハネ14 701
 オロネ14 703
 スハネ14 756
↓スハネフ14 20
 スハネ14 759
 オハネ14 91
↓スハネフ14 32
 EF64 1053

4/20上野発2021レ「あけぼの」
↑オハネフ24 25(レディースゴロン)
 オハネ24 3(金帯引戸・「北斗星」のお下がり)
 オハネ25 210(金帯・元品川車)
↑オハネフ25 201(金帯・元品川・銀テープ文字)
 オハネ24 554(B個室・金帯・銀テープ文字)
 オハネ24 553(B個室・金帯・白ペンキ文字)
 スロネ24 553(A個室・金帯・全検出たて21-3秋田総合車セ)
↑オハネフ24 12(ゴロンとシート・金帯引戸・「北斗星」お下がり・21-1秋田総合)
↓カニ24 109(金帯・元品川車)
 EF64 37(今最も熱い茶ガマ)

「あけぼの」は本日は1号車のみ白帯でした。ヘッドマークは新調されたばかりで、それは美しいものです。
車両ごとの細かな形態差が多少でも伝われば幸いです。



投稿者 かじ
投稿日 2009年 4月20日(月)22時48分57秒
タイトル おでこアンテナ
きたむおさま、赤マントさま
おでこのアンテナは、デジタル列車無線に対応しているものです。
首都圏は、順次デジタル列車無線化しておりますので、
今後、アンテナの付いてない客車は、首都圏に入線できなくなります。
九州の客車にはデジタル無線が設置されておりませんので、
富士・はやぶさが、「復活」して再び東京駅に乗り入れることはできないのです。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 4月20日(月)23時02分55秒
タイトル カニ24 511博多「あさかぜ」使用実績
Uzuさまご質問の件について、やっと掲載誌を思い出しました。
何のことはなく、5ヶ月前にでた「j-train」Vol.32「富士」「はやぶさ」特集33ページにありました。
私も確実にボケが来始めた様子です・・・。
鉄道友の会・客車気動車研究会調査とあり、1991年7月1日下り分です。
ただし、他の列車の記録の配列から見て、1991年7月8日下りの間違いである可能性が高いです。
個人的にかなりお薦めの内容ですので、バックナンバー販売店や古書店等で手に入れておくと良いと思います。
著作権等あれこれ問題になるといけませんので、今回は敢えて掲載誌の紹介のみにとどめさせていただきます。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 4月20日(月)23時10分53秒
タイトル 楽しみが増えました。
かじ様ご教示ありがとうございます。
勝手に防護無線アンテナを何故、いまさら・・・などと考えていましたが、
客車にまでデジタル無線の波がきていたのですね。
全車への施行ではなかったと思います。
したがって、未施行の車両は中間にしか使わないことになるか、
時間をかけつい最近、全車への取付けがされたか、ということでしょうか。
事実はどうか、もしあれば未施行車両は?
いつから中間のみの使用になったか?

地味ィ〜に調べるネタがひとつ増えました。感謝いたします。



投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月21日(火)00時36分58秒
タイトル (無題)
ED76109様
夜行鈍行の詳しいご教示ありがとうございました。
当時は寝台券を買える場所も限られていたのですね。
それまでは二重発券などのトラブルがよくあったと聞くので、
特急と違い鈍行などは中央ではなく各主要な地域にまかせていたのでしょうか。
昭和40年のみどりの窓口登場以来、マルスの開発には苦労したと聞きますから。
そんな時代にあさかぜに乗車されたのですね。
ナハフ20は外されてると思いますが、まだ個室の多い豪華編成でしょうか。
翌年は全学連の暴動そして、あのヨンサントウの増発が控えてると言う、経験は無いですが、まさに時代を感じます。
北陸トンネルの事故は30人の死者を出す最悪の事故ですね。
その後DE10の重連にナハ10を連結して実際に燃やして、
トンネル火災では停車せず、走り抜けることが安全だと結論付けたようです。
電源集中式の24系が開発されたのもよく聞きますが、東京口や北陸など分散式の14系が結局、長寿を成してるようです。
北陸と名づけられた寝台特急が14系を使い、あの事故の教訓によって生まれた24系を使わないのは皮肉なことですが、
今となっては両者の姿を少しでも長く見ていたいです。

雑魚様
1976年電化以降の佐世保線・長崎線ですが、
電化されても鳥栖に64年以来増備され続けたDD51を使うことは考えられないでしょうか。
やはり、ED72,ながさき終点付近、門司区に配置されているED73でしょうか。残念ですが、わかりません。

マロネロ38様
鉄道ファンの古い資料に1967年の旧日本海編成がありました。
マロネロ38様の編成では牽引機は嘗てはC51にオロ31、スシ37だったのですか。
資料の編成はD51−763とDD51−4のプッシュプルでオロ61−2062の優等車が入り、
北陸トンネルで火災を起こしたオシ17−2018が入る編成を知っていますが、
それ以前の編成の体験は興味深く読ませていただきました。
今で言うグリ−ン車、オロの乗り心地はどうだったのでしょうか。


写真は横川駅での展示用車両EF70−1001。
北陸ずい道、敦賀・福井間祝賀列車では1灯のEF70−8,その後ろにはオロ60−116が連結されていたようです。




投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月21日(火)02時55分5秒
タイトル 最終瀬戸の不可思議旅
最終瀬戸の編成は雑誌などで公表済みですが奇妙な点をVTRから見つけました。
カニ24−108の次位1号車のオハネフ25−131はその名の通り、100番台車ですが、
この番台は方向転換が不可能な片栓構造のため、電源車寄りは通常は洗面所側となります。
しかし、この日は乗務員室側が電源車寄りにきているのです。不可能なはずなのに...
最後尾オハネフ25−153のHMも変わってました。みずほ、つるぎと失われたHMを掲げていたのです。
つるぎに乗れなかった私にはうれしいサ−ビスでしたが...
高松に着くと、方向幕を回送にする作業が始まりましたが、全車うまく切り替りません。
まるで引退を拒むかのように。
そして、方向幕は富士宮崎、あさかぜ広島、あさかぜ東京、富士品川、富士大分、富士東京、
はやぶさ西鹿児島、はやぶさ長崎、はやぶさ東京、はやぶさ熊本、はやぶさ品川、
さくら品川、さくら佐世保、さくら長崎、さくら東京、臨時、回送と換わり静かに高松を後にしました。
は私はすぐ東京にトンボ帰りして、サンライズエクスプレスの出発式を見て上野へ。
北陸に乗り帰途しました。
H10’7.9〜10          H10’7.10〜11
EF65−1118田(瀬戸)     EF64−1031長岡 大宮工5−12
カニ24−108           (12)スハネフ14−20
(1)オハネフ25−131      (11)オハネ14−82
(2)オハネ25−176       (10)オハネ14−91
(3)オロネ25−301       (9)スハネ14−754 B1
(4)オハ25−301        (8)スハネ14−753 B1
(5)オハネ25−159       (7)スハネ14−757 B1
(6)オハネ25−175       (6)スハネフ14−32
(7)オハネフ25−138      (5)スハネフ14−33
(8)オハネ25−161       (4)スハネ14−758 B1
(9)オハネフ25−153      (3)オロネ14−703 A1
EF65−1101田(出雲)     (2)スハネ14−703 B1 シャワ−
                   (1)スハネフ14−29
                   EF81−150長岡

画像のカニ24−108はこの後、数奇な運命をたどる。オロネ25−301と組み、
最終日本海1号函館行き、最終日本海1号青森行きを担当。最終を3回経験して、
オロネ25−301はタイ王国ヘ? カニ24−108はトワイライトの臨時運用?
いずれにしても最終を飾ったのは偶然か、それとも意図的なのか、運用や編成の組成には
不思議なことがよくあるように思えます。
日本海1号A寝台初投入のカマEF81−106はつるぎの24系25形初投入76’2.19を担当。
不思議に思うのは私だけでしょうか。




投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 4月21日(火)08時09分2秒
タイトル よくぞ気づいてくれたものです
プルマンさまご指摘のオハネフ25 131ですが、たしかにカニ24とおなじ方向を向くように改造されています。
同僚だった130、132も同様で、私も実は詳細をつかめずにおります。
ただ、1990年刊行の「とれいん」誌(と記憶しております)に、
オハネフ25 350番台なる車両に改造予定だったと記述があり、
スハ25組込みにオハネフ25 300を、カニ24組込みにこのオハネフ25 350なる車両をあてがう計画があったのか、
そのタネ車に考えていたのが影響しているのでしょう。
トミックスで1990年以降の「瀬戸」「あさかぜ2,3号」を、忠実に再現したい方は、
したがって1号車のオハネフをカニと同じ向きにし、車番も130〜132のみに限定されることになります。
一応、オハネフ25 133も当時1号車用になっていましたが、
私が編成記録した中では一度も1号車に入らず、7号車に入り続けました。
カニ24 108が「瀬戸」「日本海」最終に充てられたのは、個人的には運用の関係と認識します。
最終全検は2007年7月。「瀬戸」末期のときは一時塩漬け状態のことがあり、1992年12月出場から、次が1998年2月出場と、
全検インターバルがやたらと開き、エンジンも何やら不整音を発する時期がありました。
その後は概ね状態は良いように思われ、おそらく調子の良いカニの1両だったことが理由でしょう。
個人的にも好きな車番の一つです。「彗星」にも貸し出されました。よろしければ記録を公開いたします。

「北陸」編成は短縮される8ヶ月まえの編成で、尾久が実家の身には、今となっては懐かしいです。
5号車と、7〜9号車は短縮のあおりで、廃車となりました。
10、11号車は7年を超えるインターバルを経て今年相次いで全検出場し、さらにピカピカになっています。
「北陸」も「あけぼの」もじつに車体がきれいで、記録におさめ甲斐があろうかと思います。上野口の誇りですね。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 4月21日(火)20時32分20秒
タイトル 「鉄」話あれこれ・・・
 おばんでございます。中1日で登場致しました。「ED76109」であります。

 プルマン様
 >特急と違い鈍行などは中央ではなく各主要な地域にまかせていたのでしょうか。

 おそらく、現在のような「鉄」ブームとなる前の話でありますので、
列車の性格上、地元客の利便を考えた措置であったのかもしれません。
しかし、小生が小学生の頃の当時でも、件の鈍行は珍しい存在。
EC鈍行では、「新宿・長野」や「上野・長岡」の「115系夜行」に乗車しております。
「鉄」親父の話では、昭和20〜30年代に仕事で「東京・門司」や「東京・大阪」、
「上野・青森(奥羽本線・東北本線・常磐線経由の3本)」等の「旧客夜行鈍行」に、
年間25回程度乗っていたという話を聞いた記憶がございます(小学生当時は、ただ「羨ましい」の一言でしたが)。

 >「あさかぜ」に乗車されたのですね

 小生が乗車したのは、「20系はやぶさのハネ(東京・出水)」です。
前述のとおり、昭和42年の夏のことであり(小生4歳半)、記憶は全くありません。
ただ、同行した伯父達の想い出話であれば、通路側の補助椅子にちょこんと座っていたとのこと。
特に「C61」を見た時は大騒ぎだったとのことでした。「あさかぜ」は、平成4年の夏に「下関あさかぜ」を制覇。
確か、「荷物室付きのオハネフ25(?)」でありました。
まさしく、プルマン様ご乗車の「瀬戸」との共通運用がされていた頃の話であります。
寝台の乗り心地は「20系」がベストでありましょうか。

 >北陸トンネルの事故は30人の死者を出す最悪の事故

 プルマン様の仰るとおり、件の事故により「長大隧道内の火災」の折は、
隧道を走り抜けるように規定が改善されております。
本件に係り、「青函隧道の竜飛海底、吉岡海底駅」で「消火設備」が整備されていることは、
先達の皆様の周知の事実であります。
事故原因については詳細は不明でありますが、「配線作業に係るミス」が原因(?!)のようであります。
「北陸」が「14系」で運転という話は、因縁めいたものを感ぜざるを得ませんね。

 長々と失礼致しました。
以上、夜行の経験上、「銀河」と「あおもり」の「20系」の乗り心地がベストであろうと考えている
「中年客車鉄ちゃん」でございました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 4月22日(水)10時12分34秒
タイトル 北陸トンネル501レ火災
ED76109先生:
501レのオシ172018火災は、喫煙室から出火で「電気暖房のフユーズに鉛製では無く
鉄線」が付けられていて過熱した為と聞いています。それもシートが窓側まである
ソファー式の2次車両だった為に「過熱発見が遅れた」との事(一次車は座席
式の対向式シート)でした。正式な「鉛」のフユーズならば過熱しそうになれば飛
んでしまって通電しなくなりますが----工場のミスか客車区のミスか結局「国鉄式
うやむや」に終わり、急行の食堂車廃止のきっかけになってしまいましたが---
あの時は丁度反対側の上り線を走ってきた急行電車「立山」が相当数の乗客を
救出して今庄へバックで逃げたのでした。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 4月22日(水)20時07分23秒
タイトル 命を賭した「鉄魂」
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >反対側の上り線を走ってきた急行電車「立山」が相当数の乗客を救出して今庄へバックで逃げた

  事故発生当時、「立山3号(475系・506M)」が上り線を走行しておりましたが、
「軌道短絡器設置」による停止信号により、事故発生現場から約2km手前の「木ノ芽信号場」で停止しておりました。
その後、何らかの事情により「軌道短絡器」が軌道から外れ、信号が青に・・・。
乗務員は異常を感じながらも徐行で運転を再開し、300mほど進んだところで「きたぐに」から避難してきた乗客を発見。
「金沢鉄道管理局指令」の指示により、ドアを開放して「225人」を救助後、
「北陸隧道」を「今庄」側に逆走して脱出に成功しております。
「立山3号」にとって幸運なことに、交流相互のセクションであったことから、
「きたぐに」の停車区間では火災のために停電していたにもかかわらず、
今庄方にわずか2kmほどの「立山3号」の停車位置では、給電が継続されていたのであります。
件の事故記録では、「きたぐに」の乗務員たちが絶望的な状況の中で、救援活動を繰り広げ、
「敦賀」と電話連絡を繰り返して「隧道内の緊急送電」を要請。
機関士が、受話器を握りしめて絶命されていたという記述があり、小生思わず熱いものがこみ上げた記憶がございます。
いつの時代にも、命を賭けて仕事をした「プロ意識の職人」がいたことを忘れてはならないと思います。
併せて、本事故で亡くなられた方々のご冥福を心から祈念申し上げます。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月22日(水)22時23分27秒
タイトル 20Sホリック
ED76109様
20系の乗り心地が好きなことと、一番好きな客車は違うと思いますが、
私が好きな客車の本命は20系です。
私の20系との始めての出会いは、小学生の頃、臨時の絵入り日本海でした。
その時間、東三条駅は営業を終了していましたが、駅員の好意により、ホ−ムの電灯を点けて入場させてくれました。
せっかく入れてくれたのですが、カメラがいい物ではなく当時は使い捨てカメラも無かった時代で
眼鏡型のフィルムを使うポケットカメラで撮影したため結果は写真と言う物ではありませんでした。
次は高校時代にあおもりの撮影で新津に何回か行きましたが、乗車は果たせませんでした。
ED76109様のあさかぜ乗車とは比較にならない初対面でした。
その後、廃車体を探すようになりました。
小岩井農場のSLホテルは宿泊しないと側での撮影は厳しい上、改造されて原型とは言えません。
次に天竜浜名湖鉄道天竜二俣駅のナハネは状態も良く撮影ができ、福岡の貝塚公園のナハネフ22も良好でした。
ただJR西のナハネフ22−25は宝塚市内にあるらしいですが、今も有るでしょうか?
乗ることができなかった後悔の念から、20系を求め放浪する旅を続けましたが、
大宮の鉄道博物館ナハネフ22−1の展示は喜ばしく関係者への感謝の念でいっぱいです。
24系より乗り心地がいいと言われる20系。コルク敷きの感触はどんなものだったのでしょうか。

H14’8天竜二俣駅側 ナハネ20−347 大宮工59−5
ブルトレの終焉を演じる後輩達。始祖である彼らにはどう見えているのでしょうか。




投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月23日(木)00時15分24秒
タイトル (無題)
赤まんと様
広セキのオハネフ25−100の件、ようやく解決しました。ありがとうございます。
彗星の編成、興味深いです。
彗星といえば、つるぎが臨時格下げの際につるぎの使用客車を彗星用にしたと聞きました。
つるぎにも地元新潟でありながら乗車を逃しました。
できるならば、つるぎの末期8両編成(電源含む)24系25形の車番をご存知ならば教えてもらえないでしょうか?
特に馴染みのあるカヤ24が入る編成、臨時格下げ前の最終編成を公表可能ならばご教示ください。お願いします。

最終瀬戸オハネフ25−131 追記:最終瀬戸 岡山車掌区担当・北陸 金沢列車区担当




投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月23日(木)02時05分19秒
タイトル さよなら はくつる
さよなら はくつる上野⇔宇都宮間を乗車した記録です。
東三条から最終みのり新潟行き→新潟からあさひ346(今改正でときに改名)
はくつる編成は記録に失敗していました。
参考までに一部記します。

みのり3号
H14’11.30
T22編成・直江津運輸区
(1)クハ481−1503  11−6土崎工 新カヌ
(2)モハ484−1024  11−9土崎工 新カヌ
(3)モハ485−1024  11−9土崎工 新カヌ
(4)クハ484−1502  10−3土崎工 新カヌ
 *折り返し最終高田行き

さよなら はくつる上野行き
H14’11.30〜12.1 青森運輸区
EF81−135(青)      土崎工10−10
(1)オハネフ25−205(金帯)
(2)オハネ25−152 (金) 土崎工12−3
(3)オハネ24−54  (白) 土崎工12−4
(4)オハネフ25−118(金)
(5)オハネ25−220 (金) 土崎工12−10
(6)オハネ25−213 (金) 土崎工13−1
(7)オハネフ      (白)
(8)オハネ       (白)
(9)オハネフ      (金)
(10)オロネ25−703(金) 土崎工11−5
(11)オハネ25−148(金)
    カニ24−102 (金) 土崎工12−10

見苦しくすみません。

H14’11.30 さよなら はくつる青森行き




 
 
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