竹中@ノーブルジョーカー様、管理人様、ヒゲ無し雷鳥様、更に御教示を頂きまして、
有難うございました。今では一大要衝となった尼崎駅の拠点性が、改めて窺えますね。
その一方、初めて在来線で畿内を訪れた1980年代「大垣夜行」から乗継いだ
113系の
網干行は京都〜三ノ宮が快速運転で、途中停車駅は確か、高槻・茨木・新大阪・大阪・
芦屋・六甲道だったと記憶しており、福知山線を分かつ尼崎の通過を、意外に感じた
記憶があります。
上記「快速区間」が、列車の振り分けで融通が効く「方向別複々線」との事情もあり、
速達列車の停車パターンも少しずつ変わりつつありますね。1970年に
153系「ブルー・
ライナー」仕様で新快速が新規設定された当時、京都〜西明石の途中停車駅は、大阪・
三ノ宮・明石のみで、後年追加された姫路発着便は西明石も通過という、子供心にも
印象深い陣容でした。
特別料金を必要としない意味における「普通列車」昼行便としては、当時の新快速の
京都〜大阪(42.8km)が、無停車の最長記録かと思いきや、よく考えたら、1986年に
私自身が利用した、山田線の特別快速「リアス」盛岡〜茂市(87.0km)という事例が
ありました。この程度の出力で区界峠が越えられるのか、ガラガラの車内も相まって、
不安になる様な、長閑な走りが、実に印象的でした(^^)
尼崎停車の有無は失念しましたが(多分、通過?)20系時代に何度か御世話になった
急行「だいせん」は、1986年の宝塚〜福知山〜城崎電化の際、14系寝台+12系座席に
置換されるも、相変わらず、大阪から一貫してDL牽引でしたね。旅客需要が大きく
切り替る訳でも無い倉吉から以西が普通列車扱いと云うのは、妙な話と思いましたが、
聞けば「山陰」廃止に伴う代替救済の意味もあったとか。 |