度々御邪魔しております。「ED76109」でございます。
「雑魚様」と「マロネロ38」様のお話を伺っておりますと、「旅は道連れ、世は情け」という語が
「死語」になりつつあることを痛感しております。
「鉄」親父に連れられていたころは、必ず同席となる方々へ挨拶を欠かさず、
迷惑を掛けずにお互いが楽しく旅できるようにと言われていましたが・・・。
(まあ、あまりしつこくお節介するのは、如何かと・・・)
今日は、そんな「出会い」に係る「戯言」を述べさせていただきます。
先達の皆様方に話題として取り上げられれば、幸甚の限りであります。
1 昭和59年の黄金週間の最終日、「下関」から上り「さくら」1号車に乗車。
ところが、自分のコンパートが大賑わい。
「いやぁ、よろしくお願いしますよ。」と声を掛けられ、先客の方々と「スシ14」へ移動しました。
聞けば、「長崎」で検札の際に「みなさん『沼津』までご一緒ですね。」とカレチ氏に声を掛けられたのがきっかけ。
偶然、「沼津」まで帰る女子大生、OLさん、そして自由業の御仁氏と3人で、旅の成果をご披露し合う内に
意気投合したとのこと。当然、23時すぎまで小生も加わり、「旅は道連れ」を満喫。
翌日は、朝食をともにして「富士」の勇姿に4人で感動。
「沼津」で「また何処かで」と再会を期して別れました。
最後尾の窓からホームで手を振る3人を見て、小生改めて旅の感慨に浸りました。
2 平成15年の春、所用で上り「トワイライト」に「大阪」まで乗車。
すると、「南千歳」から大きなバッグを肩掛けした「青年」が乗ってきました。
聞けば、関西の某大学を休学した後、「別海」の牧場で働いて「自分探し」をしているのだとか。
旅、人生、社会・・・、様々な話題で盛り上がって、あっという間に「新大阪」。
正直、車窓風景を楽しむことは、ほとんどできませんでしたが、
彼曰く「楽しかったです。戻る時も、ぜひ「トワイライト」で同じように楽しい旅ができれば。」
と握手して降りていきました。
「三都物語」が流れる中、「トワイライト」は「淀川橋梁」を通過・・・。
満足感と充実感に満ちあふれながら、眺めた「梅田のビル街」が今も心に残ります。
3 平成17年の初夏、私用で「北斗星3号」に乗車。
途中「大宮」から親子3人連れのご家族と、「函館」までご一緒させていただきました。
聞けば、「鉄」ちゃんである息子さんの「北斗星に乗りたい」という希望を叶る旅とのこと。
周囲の方々が早めに就寝されていたことから、全員で「ロビーカー」に移動して
道南の「観光スポット」等をレクチャーしました。
翌朝、朝寝坊の小生が目覚めると車窓には「噴火湾」が・・・。
すると窓際のテーブルに缶コーヒー2本と「お世話になりました。また、何処かで。」と記されたメモが。
特に、息子さんの「今度はおじさんと『カシオペア』で会いたいです。」の一言に感激。
小生には快晴の噴火湾の姿が、より一層映えて見えました。
長々と失礼しました。
ところで、20日に「583系はつかり」が復活するそうですね。
以上、昭和の旅人でありたい「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |