倶楽部メモ(501)
平成21年 3月17日〜 3月19日



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 3月17日(火)19時24分21秒
タイトル 旅は道連れ、世は情け!?
  度々御邪魔しております。「ED76109」でございます。

 「雑魚様」と「マロネロ38」様のお話を伺っておりますと、「旅は道連れ、世は情け」という語が
「死語」になりつつあることを痛感しております。
「鉄」親父に連れられていたころは、必ず同席となる方々へ挨拶を欠かさず、
迷惑を掛けずにお互いが楽しく旅できるようにと言われていましたが・・・。
(まあ、あまりしつこくお節介するのは、如何かと・・・)
 今日は、そんな「出会い」に係る「戯言」を述べさせていただきます。
先達の皆様方に話題として取り上げられれば、幸甚の限りであります。

 1 昭和59年の黄金週間の最終日、「下関」から上り「さくら」1号車に乗車。
ところが、自分のコンパートが大賑わい。
「いやぁ、よろしくお願いしますよ。」と声を掛けられ、先客の方々と「スシ14」へ移動しました。
聞けば、「長崎」で検札の際に「みなさん『沼津』までご一緒ですね。」とカレチ氏に声を掛けられたのがきっかけ。
偶然、「沼津」まで帰る女子大生、OLさん、そして自由業の御仁氏と3人で、旅の成果をご披露し合う内に
意気投合したとのこと。当然、23時すぎまで小生も加わり、「旅は道連れ」を満喫。
 翌日は、朝食をともにして「富士」の勇姿に4人で感動。
「沼津」で「また何処かで」と再会を期して別れました。
最後尾の窓からホームで手を振る3人を見て、小生改めて旅の感慨に浸りました。

 2 平成15年の春、所用で上り「トワイライト」に「大阪」まで乗車。
すると、「南千歳」から大きなバッグを肩掛けした「青年」が乗ってきました。
聞けば、関西の某大学を休学した後、「別海」の牧場で働いて「自分探し」をしているのだとか。
旅、人生、社会・・・、様々な話題で盛り上がって、あっという間に「新大阪」。
 正直、車窓風景を楽しむことは、ほとんどできませんでしたが、
彼曰く「楽しかったです。戻る時も、ぜひ「トワイライト」で同じように楽しい旅ができれば。」
と握手して降りていきました。
 「三都物語」が流れる中、「トワイライト」は「淀川橋梁」を通過・・・。
満足感と充実感に満ちあふれながら、眺めた「梅田のビル街」が今も心に残ります。

 3 平成17年の初夏、私用で「北斗星3号」に乗車。
途中「大宮」から親子3人連れのご家族と、「函館」までご一緒させていただきました。
聞けば、「鉄」ちゃんである息子さんの「北斗星に乗りたい」という希望を叶る旅とのこと。
周囲の方々が早めに就寝されていたことから、全員で「ロビーカー」に移動して
道南の「観光スポット」等をレクチャーしました。
 翌朝、朝寝坊の小生が目覚めると車窓には「噴火湾」が・・・。
すると窓際のテーブルに缶コーヒー2本と「お世話になりました。また、何処かで。」と記されたメモが。
特に、息子さんの「今度はおじさんと『カシオペア』で会いたいです。」の一言に感激。
小生には快晴の噴火湾の姿が、より一層映えて見えました。

 長々と失礼しました。
ところで、20日に「583系はつかり」が復活するそうですね。
以上、昭和の旅人でありたい「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 123列車
投稿日 2009年 3月18日(水)10時10分13秒
タイトル 保管・保存客車の解体が開始
ついに恐れていた事が始まってしまいました。宮原で保管のオハフ33 2両は既に
解体。梅小路保管のオハフ33も先日解体されてしまいました。オハ46も解体される
かもしれません。交通科学館保存の客車群も新鉄道博物館には継承されないそうです。
既にナシ20などの解体の話が飛び交ってるようです。ここに保存されてる客車は
他に保存例のない貴重なもので資料性も高いと思います。私は確認する手立てが
ないのですが、どなたか確認取れればお願いします。

なんでこんな酷いことが始まったんでしょうか・・・・・



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月18日(水)13時10分4秒
タイトル 狩勝峠
▼高速貨A様:

今月八日に旧根室線の築堤の画像を御紹介頂いた件につき、返礼を済ませた積もりが、
実は失念していましたので、大変遅れ馳せながら、御礼を申し上げます。この風景を
蒸機牽引の旧客が通過したかと思うと、実に垂涎モノの構図ですが、新旧路線切替が
1966年である一方、釧路発着「おおぞら」は、1962年の登場ですから、短期間ながら、
キハ80系も、画像の築堤を走っていたのですね(感慨)

▼ED76 109様:
>「旅は道連れ、世は情け」という語が「死語」になりつつあることを痛感

その格言「塩か醤油か、醤油か塩か」という、懐かしいカップ麺CMを思い出します。
それはさて置き(^^)線路際で三脚を構える際、見ず知らずの「同業者」と、趣味の
話題で盛り上がる事が、今なお間々ある私としては、決して否定されるべきではない
美徳かと思いますが、高度経済成長が終焉した「ゼロサム社会」の宿命らしきものを
感じてしまうのでした。

> 20日に「583系 はつかり」が復活するそうですね。

その日は仕事が………(滂沱)しかし、良く考えて見ると、仙台の 583系 6両編成は、
リバイバル「ひばり」「ゲレンデ蔵王」「日光新緑」など、最近、年に数回は撮りに
行っているので、好天も期待できないなら、まあ良いか(根性無し)

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先日紹介した、今週末の「門司車掌区百周年ツアー」の運行次第は、以下の通りです。
14日に大分・熊本で定期運用を終了した14系寝台車が充当されるものと思われますが、
別掲示板で、15日夕刻「富士・はやぶさ」回送と思しき上り寝台車編成を、岡山駅で
目撃した旨の書込みがありました。これは一体………?

○ 20日「さ く ら」 門司港0930頃発−小倉1000頃発−博多1145頃発−長崎1540頃着
○ 21日「あかつき」 長崎1100頃発−博多1445頃着−小倉1615頃着−門司港1640頃着




投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 3月18日(水)13時10分42秒
タイトル 急行津軽
「出世列車」の異名がありましたね。東北地方から東京へ就職した人達がある程度の
地位になったら、急行「津軽」を帰省するのに利用とかで。
一度横手で宿泊して駅で「津軽」を撮影しようとしたら、公安がやたらと多いので
聴いてみたら義宮様のお妃に決まった津軽華子さんがロネに乗車しているとの事で
身分を聴かれて「鉄道友の会」の会員証を出したら,駅長がOKしてくれて撮影出来
ましたが、その「津軽」が遅着で駅では気をもんでいました。オロネ10の左側の窓
には全部カーテンが掛かっていたのが印象的でしたが、乗り合わせた乗客はさぞ迷惑
だったと想います。
多分住所姓名を聴かれて身分証明書を出せで、「トイレ洗面所は前部だけ
を使え」とか:-------。
余談ですが吉田茂ワンマン首相が福井から京都まで時の602レに乗車だと言うので
金沢から最前部にマイネ40を増結。父と一緒だったのでスロ51の窓から本物の
ワンマン首相を見ましたが「ダンディーな貴族タイプの人」の印象でした。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 3月18日(水)17時45分16秒
タイトル 改正5日目にして・・・
皆さまこんにちは。
今日尾久を通りかかったところ、EF64 38に「あけぼの」ヘッドマークが着いていました。ゆえに本日の登板機です。
なお。「北陸」は普段通りの1000番台で、昨年検査出たてのピカピカ、1051号が担当します。
私はデジカメを持っておらず、ただただひたすらに編成記録にいそしむ、裏の裏、
日の当たらない(?)フィールドにいるため、証拠画像がなく説得力に欠けますが・・・。
幸運な方、是非記録におさめてみては?

「ピクトリアル」5月号早々と購入しましたが、荷物、郵便輸送特集で、すばらしい貴重な記録のオンパレードです。



投稿者 てりてり
投稿日 2009年 3月18日(水)19時41分6秒
タイトル もう5日目ですか…
 ご無沙汰しております。
 3月13日の夕刻、様々な思いを乗せて「富士」「はやぶさ」の最終列車が旅立ちました。
翌日から車両回送などの慌しい後片付けが行われました。
 本日、鹿児島本線の竹下駅横(博多運転所・昔の竹下客車区)を通りかかった時、
寝台客車が停まっている事に気が付きました。
話には聞いていたのですが、ホントだ…と呟きました。
 この週末に門司港〜長崎間を『さくら(20日下りのみ)』『あかつき(21日上りのみ)』が運転されるので
その為でしょうか。
 暫く眺めておりましたら、エンジン音始動し、回送表示が今にも動き出しそうな幻覚に襲われました。
以前『あさかぜ』『日南』が整備の為に停まっていた場所ではないのですが、そんな気持ちにさせられました。
 時計を見ると17時30分を少し過ぎた頃。そろそろ東京行「はやぶさ」の来る時間である事に気付きました。
最早列車は来ないのです。少し感傷的になってしまいました。
 それでは




投稿者 ED76109
投稿日 2009年 3月18日(水)21時31分59秒
タイトル 「鹿カコ」に戻っています
 呑気な「鉄」ちゃんである「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >「出世列車」の異名がありましたね

  有名過ぎて「多弁は無用」ですが、上京する際は「夜行鈍行のハザ」。
帰郷する際に「ロネ」や「ロ」でホームに降り立つことが錦を飾ることが成功の証であると、
まことしやかに言われているようでありました。
後には、「あけぼの」の「ロネ」で帰郷することが、最もステイタスあること。
とにかく、盆暮れ正月に「津軽」「あけぼの」での帰郷が、最重要事項であったようであります。

 >義宮様のお妃に決まった津軽華子さんがロネに乗車している

 「マロネロ38様」には「釈迦に説法」でありましょうが、「PCはと」の全盛期に、大阪の高槻にある「療養所」に
「はとガール」の方々が、「イテ」から手を振って「患者」さんを励ます「鉄路の友情」という行為がございました。
しかし、このことを苦々しく想っていた「国鉄上層部」が自粛することを強いたところ、
昭和天皇が「山崎に 病養ふ人見れば におへる花も 美しからず」という御歌を下賜されて、
「PCはと」の運転終了まで、「鉄路の友情」としての交流が続き、
当時の小学5年生の国語科の教科書に掲載されたという逸話が残っております。
 「皇室」の方々が、可能な限り「お召し列車」でご旅行されることで、
在来線の「長距離列車」に一筋の光明が見られることを心から望んでおります・・・。

 雑魚様
 >15日夕刻「富士・はやぶさ」回送と思しき上り寝台車編成を〜の書込みがありました

 「西日本新聞」のWebページによりますと、「鹿カコ」に「はやぶさ・富士」の車両が留置され、
今後の予定は未定との報道がございました。
小生、前述の「はやぶさ(若しくは富士)81号(仮称)」が夏休み、年末年始に運転されるという
一縷の望みを祈念しております。

 長々と失礼致しました。
以上、「函ハコの国鉄色の183系」が「はつかり復活ツアー」に係り、「函館・網走」間に「なつかしのおおとり号(?)」
として運転されるのだろうと思い込んでいる「中年客車鉄ちゃん」でございました。



投稿者 高速貨A
投稿日 2009年 3月18日(水)21時48分45秒
タイトル 急行津軽
雑魚様,マロネロ38様
急行津軽に関する話題を拝見しました.
 中学の修学旅行の帰りに青森駅で「急行津軽」を初めて見ました.12系座席車+10系寝台車の編成でした.
当時,道内の客車急行は全て旧型客車による編成だったので,12系座席車の客車急行は珍しく思いました.
(後に特急形車両である14系座席車による定期客車急行の存在を知りましたが・・・雲仙・西海など)
 数年後,ワイド周遊券による車中泊で「津軽」「八甲田」「十和田」などに乗車する機会に恵まれました.
「ワンカップ大関」片手にほろ酔い気分のオッサンと話す機会があったとか,寝過ごして周遊範囲を逸脱してしまい,
下車駅の駅員に事情説明の上”無賃送還”措置してもらったり等々,懐かしい思い出です.
 昭和57年10月のダイヤ改正で20系客車に置換えたものの座席需要が高くて(座席車はナハ21が3両程度だった)
雑魚様の記述にあるように寝台車の昼寝開放措置が図られ,まもなく14系座席車による編成になりました.
(20系客車は急行おがに転用)14系座席車については急行「ニセコ」で乗車済みでしたが,
ロックのかからない簡リクのおかげで夜中に姿勢を変えようとしてバタンと大きな音を立てたとか,
乗車した車両が発電機セット搭載のスハフ14で,うるさくて眠れない(そのうち熟睡しているのだが・・・)等々,
今となっては懐かしい出来事です.
 晩年の急行津軽は583系に置き換えられており,廃止直前に乗車する機会がありましたが
ガラガラ状態で「廃止もやむを得ないのかな」と思った次第であります.
 そして今となっては,定期客車急行が「はまなす」だけの状態であり,他の交通手段(高速バスや航空機など)
JRの経営,日常生活の向上などを考えると廃止も仕方ないと思いつつ一抹の寂しさを感じるこの頃です.



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 3月18日(水)21時49分49秒
タイトル 「鳥海」の牽引機
雑魚様

寝台特急「鳥海」の牽引機の件フォローありがとうございました。
確かにEF64-1000牽引であった区間は上野−新津間だったようです。
当時「出羽」も新津での機関車交換、今回は「北陸」と同じ長岡でというのも運用の都合等でしょうね。
さまざまな変遷をたどった愛称名は数々ありますが、「鳥海」も本当に数奇な運命だったようですね。

ところでEF64は私の気に入った機関車のひとつです。
あくまでも私の印象ですが、スマートなEF65・EF81、スピード感のあるEF66に対して、いかにも山の機関車
といった力強さを感じるEF62・EF63・EF64は無骨で男らしい機関車であると感じています。

画像は、先の「あけぼの」と同じ今月3日の「北陸」(上野駅)です。




投稿者 スイロフ
投稿日 2009年 3月19日(木)00時38分13秒
タイトル Re: 保管・保存客車の解体が開始
うぅ、するとスシ28 301やマロネフ59も、ですか.....



投稿者 滉淬
投稿日 2009年 3月19日(木)00時38分29秒
タイトル EF62・御召列車
失礼致します。

中央本線のちくま、信越本線の能登・14系そよかぜ・同軽井沢、そして北陸等関東甲信越
に於ける客車列車の先頭には不可欠な存在だったEF62・63・64。
此の三型は管理人様の仰る通り無骨さがありますが、62には丸みの包含と奥深い眼差しに
因って出来た独特の精悍さとスマートさがあるかと個人的には感じております。

ED76109様

初めまして。滉淬と申します。どうぞ吉名に御願い致します。

天皇陛下はあまり御召列車に乗られることを好まれない様ですが、
御召列車といえば客車は無論のこと機関車・機関士にとっても栄えある行事。
沿線では住民の方が国旗を振られ、艶々に磨かれた編成が颯爽と走り抜ける姿は
国民の心にも光明を齎すものだと存じます。紅・蒼、はたまたぶどう・漆黒どの色にせよ
機関車が牽く御召列車は秀逸です。
明治以来の伝統である客車文化の筆頭である御召列車。
一号編成には現役を続けてもらいたいものです。

長文失礼仕りました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月19日(木)14時35分44秒
タイトル 更に 「津軽」 の事
▼ED76 109様:
>「政治的意向」でなんとかならないものか…

所管大臣次第では 123列車様より御報告があった「宮原異変」についても、何らかの
保全を検討する旨、指示していたかも知れませんね。

閣僚と言えば、鉄道を含む多事に造詣が深いとされる農水相が「富士/はやぶさ」の
最終出発日となった13日、閣議後の記者会見で「所管外の事」と断りつつも、廃止を
惜しむ旨、コメントしたとの事。大臣は「読書、CD音楽鑑賞、食堂車での一席など、
貴重な時間を過ごせる便利な移動手段」として、ブルトレをよく利用されていたとか。

地元・鳥取との往来では「出雲」を多用された事でしょう。なお「出雲」が、新幹線
岡山延伸に合わせて、20系の寝台特急として整備された1972年の春は、大臣が進学で
上京された時期らしく、その意味で格別の感慨があったかと、勝手に想像しています。

▼マロネロ38様:
>「出世列車」の異名がありましたね。

十八番の保育社「国鉄の車両/奥羽・羽越線」での「津軽」関連記事では、第一刷の
1984年当時、故郷に錦を飾るのは「あけぼの」か航空機が相場との記述がありました。
上野駅の「ふるさとの訛懐かし」石川啄木の地元を通る「八甲田」でなく「津軽」が、
ふるさと列車たる印象を強めたのは、偏に奥羽山脈以西の内陸部特有の積雪量に伴う
地域色と、そこから導出される、出稼ぎ需要の相対的な多さを反映したものでしょう。

私自身、雪中の「津軽」で思い出深いのが、平成改元直前に小坂鉄道を訪れた時の事。
見渡す限り「真っ白け」の小坂鉄道を往復後、大館から投宿地どある秋田への移動で、
14系ハザを利用しました。動力音を伴わない客車の轍は、雪の中、妙に乾いた響きで、
既に辺りは日が暮れていましたが、これぞ北国の旅という雰囲気で、情緒満点でした。

秋田に投宿したのは、翌日、欧風改造気動車「エレガンス・アッキー」による、臨時
快速「やまどり」で、往年の「あおば」よろしく、北上線経由で仙台まで移動する為。
客レ以上に「ジョイフル・トレイン」に萌えだった、ウブな時代の話です(^^)

▼高速貨A様:
> 晩年の急行津軽は 583系に置き換えられており

これは、改軌工事に伴う仙山線迂回を巡り、山形でエンド交換の手間が発生した為と
思われますが(同様の理由で「はまなす」は、東北新幹線が新青森に到達した時点で、
動力車置換の可能性ありと予想します)1992〜93年は 485系が充てられました。当時、
同様の迂回経路で上野〜秋田を結んだ特急「つばさ」と共通運用だったのでしょうね。

最後に、当時の上野直通「つばさ」をイメージして一枚(^^)




投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 3月19日(木)18時31分52秒
タイトル 昨日に引き続き・・・
みなさまこんにちは。
昨日のEF64 38先頭の「あけぼの」は結構なフィーバーぶりで、驚かされましたが、
今日は明日からの連休前ということもあり、さらなる人手・・・?
ぶどう色2号のEF64 37が先頭です。もちろん、ヘッドマークつきです。
しかし、この手の情報は早く、みなどこでキャッチして撮影に臨んでいるのやら・・・。
ネットなどに疎い私には、ただただ唖然とさせられるばかり。
長岡の機関士と知合いの方やら、各地の機関車、列車の運用がワンルックでたちどころにわかるサイトでも、
あるのでしょうか?
撮りにきている人たちを悪く言う気は毛頭ありませんが、ここまで数十人単位で集まる光景を見るにつけ、
いまの情報化社会というものが、少々薄気味悪く感じられるのです。
私には上野は便がよく、全検出たてのスロネ24 553の検査時期が気になるため(21-3秋田総合車セ、でしょうが)、
機関車の全検も調査がてら、チラッと遠くから眺めてサッと帰ってくることにします・・・。

全検表記と車番を見て帰るなど、よほど常人にはわかりにくく、気味悪い行動ではありますが・・・。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 3月19日(木)19時03分18秒
タイトル 信濃に似合う「EL」です!
 失礼致します。「ED76109」であります。

 滉淬様
 初めまして。「ED76109」と申します。
産は東京なのですが、25年前に「北の大地」に渡りまして、札幌の某高校に勤務している「中年鉄ちゃん」であります。
 滉淬様の感じられるとおり、「お召し列車」は日本の鉄道史上、様々な部分での重要な「役割」を果たしてまいりました。
現在では「那須のご用邸」訪問の折、「新幹線」をご利用になることが多いようですが、
可能な限り「お召し列車」をご利用くだされば、在来線の活性化にも繋がるのではと、期待している次第であります。
 小生、「旧客鈍行」が御贔屓なのですが、小学生の折に初めて触れた
「西イイ仕立ての中央東線鈍行」の「EF64」には、強い憧憬がございます。
前述しましたが、昭和49年の春に、「421レ」で「篠ノ井線のスイッチバック」群を堪能した後、
帰路の「EC信州」で「横軽のEF62・63」に感動した「日帰り乗り鉄」経験がございます。
一時、ワンゲルに凝っていたので、件の「EL」には「山男」的なパワーを感じます。35年前の想い出です。
 是非とも、「滉淬様」の鉄旅の想い出が伺えれば、幸甚の限りであります。
 こちらこそ、よろしくお願い致します。

 長々と失礼致しました。
以上、「北の哲人」の大活躍に大歓喜の「道民球団応援団」の「中年客車鉄ちゃん」でありました。



 
 
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