倶楽部メモ(496)
平成21年 3月 1日〜 3月 5日



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 3月 1日(日)20時25分13秒
タイトル 北見鉄道
ED76109先生
鉄道友の会会報RF3月号(No.679)に止別−小清水間にあった、「北見鉄道」が出て
います。
何とテンダー機関車が2両在ったのですね。また先日お知らせした北海道支部
事務局へ購読依頼されたら如何ですか?
札幌郊外電気軌道(札幌温泉)の2軸単車ガソリンカーキハ1とか定山渓鉄道の
中古客車とかが出ています。
ご参考までに。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 3月 2日(月)00時36分8秒
タイトル 重ね重ね心からお礼申し上げます。
 山陽路をひたすら東へ急ぐ「2レ」の姿を思い浮かべる「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 「北見鉄道」は、昭和5年6月3日開通、昭和14年8月25日廃止の短命に終わった「狭軌」の地鉄であります。
 う〜ん、・・・。妻を説得して、4月から「鉄道友の会」に入会しようか、真剣に悩んでおります(!)。
 重ね重ね、小生への御教示に係り、心からお礼申し上げます。ありがとうございます。

 雑魚様
 >最上階にある展望室「T38」から、寝台特急を含む函館線の撮影も、容易ではないか
  小生、まだ最上階にある展望室には、「登頂」しておりませんので・・・。
 ただ、「登頂経験者」からの情報によれば、「駅と線路は見えたよ〜」とのこと。
 何とか今月中に確認したいと存じます。しばしお待ちを・・・。

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 さて、先週「旭川」で、「三浦綾子」氏の代表作「塩狩峠」の講演会が開催されました。
小生、「塩狩峠」のモチーフとなっている「明治42年発生の列車事故(下り勾配を客車が逆送)」に係り、
当時の「客車構造」について先達の皆様方にお尋ねしたいことがございます。
  小説は「デッキの手ブレーキを回しても、停止する見込みがない」と判断した主人公が、
「車輪に身を投じて列車を止める」という行為がポイントとなっております。
しかし、一説によると、「手ブレーキを回している最中に、手を滑らせてデッキ後部から車外に転落した」
のが真相ではないかとも言われております。
  当時の客車は「ハボ1〜9の木製車(RJ9月号別冊・平成12年編より)」とあり、
車掌室には「手ブレーキ」が設置されていたはずですが・・・。
車両構造や形式に疎い小生としては、先達の皆様方で詳細をご存じの方がいらっしゃればと考えております。
昨年の「蜜柑」のような明解な結論が得られるのであれぱ、幸甚の限りです。どうぞ、よろしくお願い致します。

 以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 3月 2日(月)09時45分59秒
タイトル 鉄道友の会=ED76109先生
ED76109先生:
入会して見られるのも良いかと思います。4月からなら丁度良いですし初年度が
入会金¥1,000-余計かかるだけで、次年度から \6,400−+北海道支部費¥800-
(安い)です。
以前お知らせした北海道支部に入会希望連絡されると良いでしょう。
以前ほどの活発な活動や面白さは,正直に申しあげて薄れましたが、月例会での
研究発表や撮影会などもありますので活動の途も広がるでしょう。



投稿者 滉淬
投稿日 2009年 3月 2日(月)19時56分17秒
タイトル 20系日本海
失礼致します。御初にお目にかかります。滉淬と申します。
此の度は皆様に質問があり書込仕りました。

20系日本海についてなのですが、最後尾は基本的にナハネフ20・21でしたが、
同22・23が使用されたことは無かったのでしょうか。又EF65のF型としては524が
牽引歴があった様ですが他のF型の牽引歴は無かったのでしょうか。

以上二点について御存じの方がおられましたら御教示下さると有難く存じます。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月 3日(火)16時26分47秒
タイトル 「日本海」 組成
▼滉淬様:
> 同22・23が使用されたことは無かったのでしょうか。

初めまして。茨城の湿地帯に棲息する雑魚と申します。このテの調べ物では「ARC
編成室」という頁を重宝していますが、これによると、1968年の登場以来、御指摘の
車両が充当された旨の記録は無さそうです。その一方で、1970年代後半には、14系が
充当された時期もあった様ですね。以上、御参考まで。




投稿者 ED76109
投稿日 2009年 3月 3日(火)23時58分52秒
タイトル スーパー北斗は夢の中・・・
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 久しぶりに、出張でした。「スーパー北斗」で「函館」まで往復(!!)。
前日は「卒業式ご苦労さん会」で、早く帰ろうと心に誓ったのですが・・・。
睡眠時間3時間で、ほとんど意識のないまま「札幌駅4番ホーム」へ立つはめになりました。
「あれ、『スーパーおおぞら』?」と思ったのですが、「283系仕立て」と気付いて一安心。
しかし、「車内放送」も上の空で「札幌ドーム」が見えた途端、意識が・・・。
目覚めた時は「あれ、赤い電機?ED79?」。「五稜郭発車」とあっては、もう「函館」まで3分・・・(絶句)。
 兎に角、高校2校の視察を終えて、「よし、帰りだけでも『乗り鉄』じゃ。」と心に誓ったのです。
しかし、寄る年波と睡眠不足には勝てず、「藤城線の高架橋」から美しい夕日を眺めた途端に、また意識が・・・。
再び意識を取り戻したのは、「えっ、新札幌(!)」(絶句及び無念の涙・・・)。
 せっかくの「スーパー北斗」だったのに・・・。「1レ・2レ」とのすれ違いも夢の中。
傷心のまま、「731系」で帰路につきました(あ〜あ)。今度は、いつ「乗り鉄」できるかわかりません。
旅立ち前日は、絶対に深酒せずにと涙ながらに(!?)リベンジを誓った「中年客車鉄ちゃん」でありました。
(愚痴話、本当に失礼いたしました。)



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月 4日(水)08時14分28秒
タイトル 車中転寝
▼ED76 109様:
>「えっ、新札幌 (!)」(絶句及び無念の涙…)

やあ、御同慶(^^)青函隧道の開業直前、夜行連絡船から繋いだ「北斗」にて、私も
同様の痛恨事がありました。バイトで比較的潤っていた為、連絡船は寝台「北斗」は
ハイデッカーG車を奮発したのですが、大沼の美しい眺めに、頭の中が薔薇色になり、
連絡船寝台の効能も虚しく、気がつくと画像の場所でした(滂沱)

この時利用した「北斗」は函館発が四時半という超早朝便で、自由席需要を30分後の
続行便に譲る全席指定制。その後「北斗星」の昼寝開放(函館回転で、14系座席車が
連結された事もあります)に集約されています。

御蔭で、札幌から乗り継いだ「昼寝用寝台」込みの14系客レ「天北」では目が冴えて、
日没後の稚内到着まで、たっぷりと車窓風景を楽しめだのでした(^^)




投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 3月 4日(水)09時04分55秒
タイトル 日本海14系
湖西線開業のダイア改正で14系になりましたが、食堂車が無くなりましたので大変
不便になりました。朝食用にパンと缶コーヒーを買って乗車するなんて、「弁当もち
の戦時中」の再現で-駅弁は秋田ぐらいまで買えませんでしたから。
知らずに乗って夕食,朝食抜きの経験をした乗客も多かったので,後年は車内販売
がありましたがーーー。
14系は2回乗車しましたが一度目がスハネフ14で煩くて中々寝付けません
でした。矢張り20系が最高でした。例え寝台幅が狭くても良かったです。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月 4日(水)14時17分7秒
タイトル 湖西線事情
▼マロネロ38様:
> 湖西線開業のダイア改正で14系になりましたが、

なるほど、経路変更に連動した措置だったのですね。なお「日本海」を含む大阪発着
北陸線特急が湖西線経由に切替えたのは、1975年の春ですが、湖西線自体は、前年の
夏に開業しています。京葉線でも、全通から特急の経路となるまで、一年間の猶予が
ありましたが、湖西線における半年間の時間差は、何なのやら。なお「日本海」では、
75〜76年に 2往復、76〜78年に 1往復、14系が充当されていますね。

画像の光景が見られるのも、残り十日となりました。




投稿者 滉淬
投稿日 2009年 3月 4日(水)15時35分57秒
タイトル 日本海組成
雑魚様

初めまして。滉淬と申します。同サイトは自分も使用しております。
然様ですか・・・理論上代用は可能でしたが無かったですか・・・
御回答有難う御座いました。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 3月 4日(水)22時43分32秒
タイトル えさ無し列車に「えさ」を・・・
 二日酔いから醒め、「スーパー北斗の悲劇」が改めて身に染みる(!)「ED76109」であります。

 雑魚様
 >「北斗」は函館発が四時半という超早朝便

 青函隧道完成前、件の話題となった「本州・北海道黄金ルート」ですね。小生も幾度となく利用しました。
しかし、「北斗」で上手に寝られないと、その日はまず体調不良に見舞われてしまうケースも少なくありませんでした。
 さて、今回の出張に利用したのは「超特割キップ」。
連続する平日の2日間、道内の特急・急行の自由席(4回ほど「指定席」利用可)全てに乗り放題で「11,000円」。
かなりの「お得キップ」です。平日のみの限定キップですが、本道の撮影行にはかなり有効であります。

 マロネロ38様
 >知らずに乗って夕食,朝食抜きの経験をした乗客も多かったので

 当時の「RJ誌の読者論壇」に、標題名で改善を求める読者の文章が掲載されて、小生の印象に残っております。
併せて「14系日本海」は、「門ハイ仕立て」だったことが特徴でありました。
昭和52年ころの「冬の大阪駅」では、「本日、『あかつき1号』は東北地方の豪雪のために運休となります。」
という(?!)放送があったという話を聞いたことがあるのですが、果たして真偽の程は如何だったのでありましょうか。

 長々と失礼致しました。
以上、「スーパー北斗」の乗り心地の素晴らしさを、別な(!)意味で実感した「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 3月 5日(木)09時55分22秒
タイトル 104
雑魚様
14系切り替えは1975年(昭和50)春の改正(改悪?)でした。間違って済みません。
その1ヶ月前に秋田出張で20系最後の往復をして、夏の出張はもう14系でしたので
パンとコーヒーを持って乗車しました。「あかつき」と共通運用だったのは知って
いましたが、「日本海」ウヤで「あかつき」もウヤは記憶にありません。冬場には
ありそうな事です。
「日本海」には余り乗車していませんでしたが:
大館−弘前(ナハネフ20自由席開放)
大阪−秋田往復(ナハネ20)
秋田−大阪(スハネフ14)往きは東京経由で「あけぼの」
秋田−大阪(オハネ14)-:-
大阪−函館往復(オハネ24)1,4号
大阪ー青森(オハネフ25)3号
今では1本だけですが、それなら食堂車を復活して「函館」で又延長して欲しいです。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月 5日(木)16時47分10秒
タイトル オシ 14
▼マロネロ38様:
> 14系切り替えは1975年(昭和50)春の改正(改悪?)でした。

その一方、14系編成で「オシ」を連結した事例が、どの程度あるのか、件の「ARC
編成室」で調べて見ると「あさかぜ」72〜75年「出雲」78〜84年「さくら」72〜99年、
そして「みずほ」72〜94年という処でしょうか。なお「さくら」「みずほ」は91年に
営業を休止しています。また「さくら」では、94年から長崎・佐世保発着の両編成に
それぞれオシ連結の記載がありますね。その後の「はやぶさ」との「同棲時代」には、
14系と24系の「道ならぬ恋」の記録があり(^^)かかる遣り繰りに、既にブルトレの
先細り状態が反映されていたのか、とも感じます。

> 食堂車を復活して「函館」で又延長して欲しいです。

青森→函館の移動の際、丁度「日本海 1号」が来たので利用しようと思えば、かなり
混雑していた事から、数十分後発の14系「海峡」に変更した事があります。こちらは
ガラガラでした。考えて見れば、料金と居住性の両面で「海峡」の方が断然おトクで、
それでも「日本海」ばかり混雑していたのは「北斗」との接続事情のゆえでしょうか。
函館発着「日本海」といえば、江差線内で後続電車特急を待避する一幕もありました。



 
 
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