しつこくお邪魔しております。「ED76109」でございます。
雑魚様
>「日本海」ばかり混雑していたのは「北斗」との接続事情
小生、「はくつる」が「24系」で運転されていた平成8〜10年ごろに、
何回か「青森」で乗り継いだことがあります。
接続する「北斗」が「札幌」で「オホーツク」や「スーパーおおぞら」等に接続して、
道東や道北に直行できる点で重宝しておりました。
さて、いよいよ「はやぶさ・富士」が最後の週末運行を迎えました。
小生は、ライブでの見送り等はできませんが、1人でも多くのファンの方が
「ブルートレイン」の想い出を心に刻んで頂ければ・・・。
今回は「鬼籍入りしたブルートレイン」に係る「戯言」であります。
先達の皆様方の話題にしていただければ、眼福の限りであります。
1 九州ブルトレでは、最も地味であったのは「みずほ」ではないかと、小生は考えております。
しかし、昭和56年春、初めて「下関」から「東京」まで「寝っぱなし」の経験を味わい、
平成6年の夏には、同じコンパートの遠距離恋愛のカップルに、「東京」から「門司」まで悩まされた(!)経験もあり、
小生には鮮烈な想い出がある「ブルトレ」であります。
しかし、基本的には「はやぶさ」「さくら」「あさかぜ」等の「補完列車」的な存在。
そのためか、九州ブルトレの中では早い時期に廃止されてしまった寂しい列車でもありました。
2 「東京」から山陰方面へ直通していた「出雲」は元々2往復。
現在は「EC仕立てのサンライズ出雲」が活躍しております。
この「サンライズ出雲」の前身は「出雲3・2号」であり、当初は「紀伊」との併結運転でした。
昭和55年の春、件の「山陰鈍行紀行」のために利用したのが「出雲3号のハネ」。
「EF58」に牽引されて一路西を目指し、朝の目覚めは日本海に映える「餘部鉄橋」が迎えてくれるなど、
小生には「出雲1号」よりも心惹かれるブルトレでありました。
しかし、現在は「山陰本線」を直通する列車すら無い有様。まさしく「昭和は遠くなりにけり」といった心境であります。
3 平成9年11月に「西鹿児島直通はやぶさ」が運行を終えました。
小生、たまたま「福岡市」で研究会があり「上りのはやぶさ」にお別れ乗車できたことは前述したとおりですが、
その際「博多」から「西鹿児島」まで利用したのは、「なはのレガートシート」。
「485系の改造車のオハ24」の座席は予想以上に快適で、甑島の浮かぶ有明の眺めは格別なものがありました。
現在では「八代・川内」は第三セクター化されてしまい、往年の姿はありませんが、
「阿久根」に「ハイケンスが聞こえる24系」による「列車ホテル」が開設されたとの知らせを聞き、
いつか訪れてみたいという思いにかられております。
長々と失礼しました。
以上、「はやぶさ・富士」の思いを、13日の「JOQR『ミュージックギフト〜音楽地球号〜』」でご披露する
「中年客車鉄ちゃん」でありました。 |