倶楽部メモ(493)
平成21年 2月14日〜 2月18日



投稿者 青雷鳥
投稿日 2009年 2月14日(土)22時58分50秒
タイトル 2/12〜13『はやぶさ』乗車記その1
皆様こんばんは。
いつも楽しく拝見させて頂いております。
表題の通り、2/12〜13にかけて『はやぶさ』に乗車してきました。
まずは当方の地元最寄り駅である福井から京都まで『雷鳥』48号に乗りましたが、
その直前に来た下り『日本海』の編成から。
2/12大阪発『日本海』(4001レ)
    EF81 106
    カニ24 102
(12)オロネ24 2
(11)オハネフ25 121
(6) オハネ25 147
(5) オハネ25 218
(4) オハネフ24 22
(3) オハネ25 213
(2) オハネ25 32
(1) オハネフ25 129
オロネ以外全て金帯車だったような気がします。
『雷鳥』は22:04定刻に京都に到着し、それから2時間半程時間を潰していました。
<続く>



投稿者 急行越前
投稿日 2009年 2月14日(土)23時25分54秒
タイトル 急行越前
彩稀さま

すみません、このころ私は車号はメモしておりませんでした...

編成は上野寄りから

マニ   37
オロネ  10
オハネフ
オハネフ
スロ(フ)62
オハ
オハ
オハ
オハフ  45

でした。

代わりに、廃止1年前の1981年の金フイの配置車両を載せておきます。

お座敷6両以外は「越前」用の以下の車両とオエ6146の計34両しか配置がありません。

マニ37  :2006、2007、2008、2150
オロネ10 :2020、2043、2044
オハネフ12:2041、2052
オハネフ13:2606、2607、2608
スロ62  :2060、2108
スロフ62 :2032
オハ46  :2498、2515
オハ47  :2032、2033、2067、2207、2231、2233、2235
オハフ45 :2014、2015、2016

これくらいの規模の配置なら模型でも全車両再現できるかもしれませんね。

急行越前 82年11月3日大宮




投稿者 青雷鳥
投稿日 2009年 2月14日(土)23時36分4秒
タイトル 2/12〜13『はやぶさ』乗車記その2
日付は変わって2/13の0:36、定刻に『はやぶさ』・『富士』が京都駅に到着しました。
2/12東京発『はやぶさ』・『富士』(1レ及び1〜41レ)
    EF66 47(東京→下関)
    EF81 411(下関→門司)
    ED76 90(門司→熊本)(『富士』の門司から先の牽引機は不明)
(1) スハネフ15 21
(2) オロネ15―3005
(3) オハネ15―2005
(4) オハネ15―4
(5) オハネ15―1122(乗車)
(6) スハネフ14―3
〔ここまで『はやぶさ』・ここから『富士』〕
(7) スハネフ15―20
(8) オロネ15―3006
(9) オハネ15―2003
(10)オハネ15―1201
(11)オハネ15―2
(12)スハネフ14―6
指定された場所が「5号車1番下段」。
ちょうど台車の真上に位置し、車輪のきしむ音や客車独特の揺れが気になり、ほとんど寝ることができませんでした。
列車は途中、遠賀川附近で“春一番”の影響による減速運転がありましたが、11:49定刻に熊本駅に到着しました。
<続く>



投稿者 青雷鳥
投稿日 2009年 2月15日(日)00時40分52秒
タイトル 2/12〜13『はやぶさ』乗車記その3
熊本で市内を観光した後、2/1〜28限定のヒルネ扱いを体験すべく、熊本駅から上り『はやぶさ』に乗車しました。
15:57定刻に発車。同席の方々との会話をたのしんでいたら、あっという間に博多に到着(17:32)。
ヒルネ扱いはここまでだったので後続の『有明』24号に乗り換え、さらに小倉で快速に乗り換えて門司へ向かい
『富士』との併結作業〜発車まで見守り、これが最後の別れとなりました。
2/13熊本・大分発『はやぶさ』・『富士』(2レ及び42〜2レ)
    ED76 90(熊本→門司)
    ED76 94(大分→門司)
    EF81 411(門司→下関)(下関から先の牽引機は不明)
(12)スハネフ14―3(乗車)
(11)オハネ15―1122
(10)オハネ15―4
(9) オハネ15―2002
(8) オロネ15―3005
(7) スハネフ15 21
〔ここまで『はやぶさ』・ここから『富士』〕
(6) スハネフ14―6
(5) オハネ15―2
(4) オハネ15―1201
(3) オハネ15―2003
(2) オロネ15―3006
(1) スハネフ15―20
上記の通り門司で見送った後急いで小倉に戻り、『のぞみ』56号〜『こだま』596号〜『しらさぎ』65号と乗り継ぎ、
途中東海道線で発生した人身事故の影響で『しらさぎ』が遅れ、
福井駅に戻ったのは日付が変わった2/14の0:08頃でした。
今回特に印象に残ったのは『はやぶさ』は勿論ですが、22:30頃の京都駅八条口。
そこではこれから夜行バスに乗ろうとする人々でごった返していました。
これから『はやぶさ』に乗ろうとする前に、夜行列車の厳しい現実を見せつけられたかの様でした。
以上、長文・乱筆失礼致しました。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 2月15日(日)08時43分24秒
タイトル 「鉄」話で感動しました・・・・
  毎度毎度、お邪魔しております。「ED76109」であります。

    雑魚様
  >終始「立席」でしたが、足場が何処かは当然、御判りですね?
 「キハ281系」ですね。いつもの「釈迦に説法」で失礼致します。
平成6年3月デビューの「JR北海道のエース」であります。
厳冬期の振り子装置の凍結を防止する技術を施し、各車に搭載された350馬力のエンジン2台で
「函館・札幌」を当初は「2時間59分」で運転。
運転席は2階にあり、前面の貫通扉には「小窓(ここからのアングルでございますね!)」があります。
時速130qの眺望は人気があるのか、大抵は「鉄」な方が占拠(!)しております。
 最近は「スーパーおおぞら」用の「キハ283系」が「スーバー北斗」にも運用されるケースもあります。
おそらく、雑魚様の撮影直後、「白石」通過の折は長笛一発とともに、
隣のホームの「711系」を抜き去ったことでありましょう。

 さて、昨日「NHK・BS2」の「あなたのアンコールサタデー」に、
「肥薩線真幸駅の一年」と「旭川・北見間のDD51乗務員の奮闘記」が放送されました。
「真幸」周辺の棚田を守るご夫妻や故郷の想い出を大切になさっている方のエピソードに思わず涙、涙・・・。
そして、空転に苦しみながらも、動脈を支える厳冬の峠越えに、鉄道員の「プロ意識」を垣間見て感動・・・。
時たま、取り上げられる「NHKBS」の「鉄」ネタ番組は、要チェックであります。

 長々と失礼しました。以上、改めて「鉄道」に永遠の夢と浪漫を感じた「中年客車鉄ちゃん」でございました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 2月16日(月)10時45分17秒
タイトル 昼寝特例
▼青雷鳥様:
> 2/1〜28限定のヒルネ扱いを体験すべく、熊本駅から上り『はやぶさ』に乗車

この処、時刻表代を節約していたので、こうした措置は初めて知りましたが、これは、
寝台券を取り損ねた方の惜別乗車需要への対応でしょうか。だとすれば、JR九州も
粋な事をするものですね。こうなると「富士」昼寝→「九州横断」3号→「はやぶさ」
昼寝で良いので、私も、名残り乗車に赴きたい処ですが、件の不況下での九州遠征は、
雑魚家の家庭裁判所において「人民の敵」との烙印を押されかねません………

運転日数が残り四週間を切った現在、当該列車の寝台券は、実際に遠征するか否かは
不確定ながら、とりあえず寝台券を押さえて置こう、という手合を含め、下手すると
全便、満席かも知れませんね。もし、発行枚数に制限が無ければ、私も「昼寝券」を
記念に一枚、欲しい処ですが、沿線域から離れた地域でも、窓口購入は効くのかな?

余談ですが、そちらが事前に御利用になった「雷鳥」も、今年六月の改正で部分的に
新型置換される様ですね。昨年秋、畿内出張の帰り道に、和邇・蓬莱・比良・北小松・
近江中庄と、湖西線で「雷鳥」を取り捲って来ましたが「こだま色」には、普遍的な
安定感を覚えて止まない雑魚でした。




投稿者 雑魚
投稿日 2009年 2月16日(月)11時24分26秒
タイトル 新札幌
▼ED76 109様:
> 時速130qの眺望は人気があるのか、大抵は「鉄」な方が占拠(!)しております。

そうでしょうねぇ(^^)この時も、私より一歩遅れて来た「そのスジ」と思しき方が
残念そうな顔をして、早々に退散していましたっけ。私が利用したのは苫小牧までの
40分間でしたが、ポイント通過時に何度か転びそうになった事を除けば、立席も何ら
苦にならない、素晴らしい道中でした(^^)

画像は函館線との分岐点の様子です。直後の新札幌が、今や「北斗星」を除く全便の
停車駅になった事を、この時初めて知りました。どうせなら、函館線との並行区間に
かかる拠点を集約出来なかったのか、とも思います。特に、新札幌乗降の「スーパー・
カムイ」利用者は、新札幌・厚別両駅の位置関係に鑑みて(その近接性から、定期券
乗降の場合、どちらの駅でも利用可能という特例措置を聞いた事があります)何かと
思う処がありそうですね(^^)

この高架区間を通過する「北斗星」「カシオペア」「トワイライト〜」を、新札幌駅
界隈の高層ビル上階から俯瞰出来ないかと思うこの頃です。




投稿者 ED76109
投稿日 2009年 2月16日(月)20時45分38秒
タイトル 「東西線」と「千歳線」の相互乗り入れは?
  おばんでございました。「ED76109 」であります。

 雑魚様
 >函館線との並行区間にかかる拠点を集約出来なかったのか
  またまた、「釈迦に説法」で失礼致します。
旧千歳線が新札幌ルートに変更になったのは、昭和48年9月であり、
当初「月寒・東札幌」付近の急曲線解消と札幌市の開発計画に基づき、第2の中心部として計画されたのであります。
そのため、「函館本線」との接続は「白石」となりました(あくまでも「札幌」経由での折り返しが基本だったと思います)。
地下鉄「東西線」や札幌近郊部のバスとの接続で、「新札幌」の地位は不動のものとなりました。
「地下鉄東西線」は、旧千歳線のルートに沿っております。
ただ、札幌市が「地下鉄東西線」がゴムタイヤ走行の「案内軌条式」にしたことが・・・。
小生、通常の「架線集電式」であれば、「千歳線の731系や721系」が「大通方面」に、
「東西線の○○○○系(!)」が「新千歳空港」に相互乗り入れさせることが可能だったのではと考えます
(「北海道新聞」にも特集記事になりました)。
そうすれば、日本で唯一の「交流2万Vの地下鉄」が走り、
赤字で悩む札幌の公営交通の切り札にもなった気がしてなりません。
前任校が「白石区の某高校」だったことから、生徒に「旧千歳線」のことを話しても、全く話が通じませんでした・・・。

 長々と失礼いたしました。
以上、「DC急行ちとせ」で「旧千歳線」に「乗り鉄」した経験を持つ「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 2月17日(火)14時48分47秒
タイトル 「はやぶさ」 肥薩線へ
昨日、自宅最寄の旅行代理店に所用で赴いたところ「さよなら、ブルートレイン」と
大書された近畿日本ツーリストの旅行パンフが山積みされ、参加する当ても無い癖に、
十数部、頂いて参りました(^^)

三日間と四日間、二通りのコースが設定され、前者は、往路が空路、広島市内・宮島・
錦帯橋を経て湯田温泉泊。翌日は、萩市内・秋吉台・下関市内を経て、門司から乗車。
後者はまず、空路、福岡に赴き、太宰府天満宮・長崎市内を経て雲仙温泉泊。翌日は
フェリーを介し、熊本市内・阿蘇を経て赤水温泉泊。最終日は、湯布院・別府を経て、
大分から「富士」に乗車するコースと、高千穂を経て、熊本から「はやぶさ」に乗る
コースが設定されています。

この企画「はやぶさ 近畿日本ツーリスト」で 関連頁が検索できるので、御参考まで。
豊肥線を介して「はやぶさ」「富士」両方を網羅する「鉄向き企画」は、残念ながら
見当たりませんでした。当り前か………(^^)

==================================================================

気になる情報をもう一つ。報道によると 3月1・7日、惜別企画として「はやぶさ」が
熊本〜人吉間を一往復し(往路 09:03→11:45/復路 13:12→15:31)撮影会も併せて
行われる様です。一般公募の団体便扱いで、申込期限は過ぎていますが、風光明媚な
球磨川沿いの渓谷を走行する様子を撮るだけでも、現地に赴く価値がありそうですね。
個人的には、熊本以北に比べると、開けた田園風景での直線区間が多い、鹿児島線の
川尻以南で三脚を構えるだけでも、十分に満足です。

編成は六両フルとして、牽引機はDE10でしょうか。いや待てよ、四月から肥薩線で
往年の「あそ BOY」用の復活蒸機が運用される予定らしいので、事の次第によっては、
並行道路が、物凄い騒ぎになる様な事態も考えられますね(怖)

==================================================================

なお、先週13日に発売開始された「最終便」寝台券は、僅か十秒足らずで完売との事。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 2月17日(火)16時39分29秒
タイトル 定山渓鉄道
▼ED76 109様:
> 札幌市の開発計画に基づき、第2の中心部として計画されたのであります。

新札幌駅設置が、千歳線の経路変更を契機とした「新札幌副都心構想」に拠るとして、
別名を「厚別副都心」と称しながら、近所に位置する、1894年設置の老舗・厚別駅を
度外視したのは、新都心の拠点性に鑑みて、実際に白石で何度か乗り換えた事がある
立場から、些か違和感を覚えるのです。

経路変更の一因である、東札幌駅前後の急曲線は、白石を起点とした定山渓鉄道との
接続事情も、少なからず影響した様子ですね。苗穂・白石・東札幌で「デルタ線」を
形成していた様ですが、それ以前に、東札幌駅構内での千歳線と定山渓鉄道の間柄は、
平面交叉仕様だったのでしょうか。

温泉客の観光需要を兼ねた大都市近郊鉄道の印象が強い定山渓鉄道は、元々、木材や
鉱石の輸送も多かった様ですが、なぜか同鉄道に関する貨物や客レの印象は皆無です。
画像検索しても、なかなか見当たりませんね。

都心志向を反映して、千歳線を苗穂まで直通する運転体系が主流だった様で、挙句に
自社の都合だけで、乗り入れ先の国鉄線を直流電化するという大技を行っていますが、
気動車による札幌直通が実現すると、これを解消していますね。苗穂までは到達した
自前の電化が、札幌まで及ばなかった理由は判りませんが、結果、電車は東札幌にて
折返しとなった訳で、上記直通気動車の運転頻度次第では中途半端な印象を受けます。

苗穂・札幌直通体制強化の陰で、蚊帳の外となった東札幌〜白石は、その後、国鉄の
貨物線として編入された様ですね。学生時代、函館線の車窓から、それらしき線路が
分岐する様子を一瞥した記憶があります。

> 札幌市が「地下鉄東西線」がゴムタイヤ走行の「案内軌条式」にしたこと

国道36号線との平面交叉の解消問題に端を発し、定山渓鉄道の用地を継承した地下鉄
南北線は、開業当初、軌道仕様の特異性ゆえに、全国各地から視察・見物客が、後を
絶たなかった様ですね。画像は、藻岩山から同路線の地上区間を俯瞰したものですが、
一帯の宅地を概観すると、国道230号線の渋滞の可能性に鑑みて 簾舞地区辺りまでは
路線を延長しても良い様に感じます。




投稿者 ED76109
投稿日 2009年 2月17日(火)22時03分15秒
タイトル 地下鉄に乗って温泉に行こう!!
  しつこくお邪魔して失礼しております。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >東札幌駅構内での千歳線と定山渓鉄道の間柄は、平面交叉仕様だったのでしょうか

  詳細は確認できないのですが、昭和6年〜同30年代前半まで「東札幌・苗穂」間は
 「直流1500V」の架線が張られ、定山渓鉄道の「EC」が乗り入れておりました。
 定山渓鉄道廃止の一因となったのは、交通量が増大した「国道36号線の踏切」。
 道警から、立体化等への移行を勧告された定山渓鉄道が、都市化計画を推進していた札幌市へ用地を売却し、
 現在の「南北線」建設へとつながったのであります。
 また、当時の定山渓鉄道の経営母体「東京急行電鉄」が「上江別」方面へ新線を建設した後、
 「夕張鉄道」を経由し「東札幌・夕張」間を直通させる計画があったという話がありました。
 実際には、莫大な赤字が見込まれてしまい、計画は頓挫しました。
 なお、「上り函館本線」の「豊平川橋梁」付近で、東札幌方面からの「旧千歳線の道床跡」が合流しております。

 資料 国鉄の車両「北海道各線U」(保育社) 等

 >国道230号線の渋滞の可能性に鑑みて簾舞(みすまい)地区辺りまでは路線を延長して  も良い様に感じます

    恒常的な「国道の渋滞」に悩む、この地域在住の小生の同僚も雑魚様と同じように考えております。
 延長させるのであれば、「定山渓温泉」まで延長させて温泉客も取り組むことで「黒字」になるかどうかでしょうか。
 ただ、「定山渓」まで「南北線」を延長するのに必要とされる「膨大な建設費」を考えると、実現の可能性は・・・。
 小生としては、「北神急行を有馬温泉に延長させる」ようなイメージで考えますが。

 >「北斗星」「カシオペア」「トワイライト〜」を、新札幌駅界隈の高層ビル上階から俯瞰出来ないか

 小生、札幌駅前の「JRタワーホテル日航札幌」からの眺望に一縷の可能性があるのではと考えますが、如何でしょうか。

 長々と失礼しました。
以上、入学試験の事務、就活中の生徒の相談、そして学年末考査の作成と、
ひたすら多忙な日々を過ごす「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雪だるま
投稿日 2009年 2月17日(火)23時39分2秒
タイトル じようてつ
苗穂から東札幌へは単線で到着し千歳線と定鉄が分岐していたという感じではなかったでしょうか?
幼い頃函館線と並走するあずき色の気動車を覚えています。
札幌駅の隅っこの0番ホームに滑りこんでいました。

後に十和田観光電鉄で電車には乗れました。

新札幌での俯瞰は商業施設の駐車場がありますが金網があり適しません。

あとはマンションと企業のビルですから立ち入りはできませんね。
札幌の地下鉄はゴムタイヤにこだわってましたから国鉄との相互乗り入れは考えていなかったのでしょうね。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 2月18日(水)08時54分32秒
タイトル 「はまなす」 ぐうたら撮り
▼ED76 109様:
>「夕張鉄道」を経由し「東札幌・夕張」間を直通させる計画があったという話

夕張鉄道については、高砂付近の分岐点に、永らく腕木式信号機が残っていましたね。
そう言えば、室蘭線の栗山付近で、夕張鉄道の遺構と思しき築堤の類を見かけた様な
気もしますが、岩見沢で「大雪」から乗り継いだ直後で、とにかく眠く、はっきりと
覚えていないのが悔やまれます(^^)栗山以東の山越えでは、運炭鉄道にも拘わらず、
多重構造のスイッチ・バックが名物でしたね。

>「定山渓」まで「南北線」を延長するのに必要とされる「膨大な建設費」

同温泉の地位は、人口約二百万の大都市の奥座敷として、かなり高いとは存じますが、
この御時勢、行楽動機に基く路線延長は、仮に用地確保が容易だとしても、採算面で
腕組みものですねぇ。いっその事、そのまま無意根山を貫いて、倶知安へのバイパス
路線として整備するとか(^^)

> 札幌駅前の「JRタワーホテル日航札幌」からの眺望に一縷の可能性がある

そういえば、JRタワーへの訪問も予定していたのですが、眺望性において藻岩山を
優先して、行かず終いでした。まぁ、この再掲の画像も、宿泊先の部屋から寝巻姿で
就寝中の女房を跨いで撮影したものですけどね(^^)雪だるま様の御教示からすると、
新札幌での俯瞰は、期待できない様ですね。残念………

▼雪だるま様:
> 幼い頃函館線と並走するあずき色の気動車を覚えています。

当時から、函館線と千歳線は別線路だったのですか? 実は 既に複々線だったとか?

> 札幌駅の隅っこの0番ホームに滑りこんでいました。

確か頭端式でしたね。1987年の夏に利用した「アルコン」充当の臨時「おおぞら」が、
ここの発着かと記憶します。末端の快速格落ち区間となった帯広→池田では「鉄」が、
座席指定が解除された展望室に集中。車掌さんを囲んでの一時は、楽しい思い出です。
その当時「ジョイフル・トレイン」にありがちな話として、特急区間では「銀河伝説
クルール」が上映され、以来「同作品=石勝線」の印象が 染み付いております(^^)




投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 2月18日(水)22時36分8秒
タイトル 驚異の乗車率96%
みなさまこんばんは。
いよいよ廃止までひと月を切った「はやぶさ/富士」ですが、先月に続き今シフトでも2連休があったため、
そいつを利用し、強行軍で2/9下り「富士」にお名残乗車をしてきました。
切符の手配は1/23で、もはや個室は無理だろうと、念のため訊いてみると、個室はおろかB寝台下段まで満席とのこと。
上段もほとんど埋まってきており、12号車8番上段を確保。
先月乗った「はやぶさ」は、先日青雷鳥さまが乗車された編成と同じで、オハネ15 1122に当たりました。
今回はスハネフですから、100%生粋の14系に当たります。
見事15形ではなく、スハネフ14 12に当たり、15形は「あかつき」で体験済みだっただけに、結構得した気分。
「満席」と断るだけあり、1:06着の大阪までしっかりと乗車があり、車内を回ってみますと、
「はやぶさ」が定員160に対し154、乗車率96.3%。
「富士」は定員162に対し155、乗車率95.7%。12両トータルで96%の実績でした。
大半はお名残乗車組でしたが、今回相席になった方は夜行列車は初めてという、社会人大学生の方。
昨年春の夜行列車廃止報道を見てにわかに興味がわき、現在研究している日本人の文化の研究ともリンクすること、
別府の友人と会う機会に恵まれたことなどから、「富士」を選んだとのことでした。
海外留学の経験もあるとかで、いろいろと貴重な話を聞くことができました。
お名残乗車の思い出にかけがえのない収穫がありました。
驚異の乗車率、本で繰り返し書かれてきた通り、スハネフ14の床下エンジン音は想像よりうるさかったこと、
今回の出会い。
乗って大正解でした。
ちなみに、私も相席の青年も、きっちり熟睡できました。
「我々が本能的に求める人間的な揺れだとおもう」と上機嫌でした。
なるほど、いろいろな感じ方があるものですね。
2/1〜28の期間、区間限定「はやぶさ」「富士」座席利用対策で、
寝台の区分柱には、切符の座席番号に呼応したステッカーが貼られていました。
九州も粋なことをするものですが、今までの無策ぶりがあまりに切なく、惜しい気持ちにもなりました。



 
 
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