倶楽部メモ(485)
平成21年 1月17日〜 1月21日 |
投稿者 |
ヒゲ無し雷鳥 |
投稿日 |
2009年 1月17日(土)20時00分49秒 |
タイトル |
アルプスと穂高 |
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ご無沙汰しております。横レスで申し訳ありませんが
ED76109様ご指摘の準急上高地の前身について気になりましたので調べてみました。
昭和23年7月改正で新宿松本間に設定された夜行準急2402,2403レが
改番、定期化、運転区間変更のうえ26年4月改正でアルプスと命名され、
同改正で別に新設された昼行準急405,406レが後年穂高を名乗ったようです。
列車の変遷は列車番号、愛称、種別、運転区間等切り口によって違ってきますが
オロハネ10を連結した列車をたどっていくとアルプス>穂高>上高地の順番でした。 |
投稿者 |
赤まんと |
投稿日 |
2009年 1月17日(土)20時12分46秒 |
タイトル |
もちろんです! |
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多摩川橋梁を渡っている時に、なにやらアツイ視線を感じましたが、雑魚様のものだったとは・・・
気づかず失礼いたしました。
うまい具合に2月9〜10日連休シフトですから、「富士」お名残乗車にもアタックしてみようとおもっています。
エンジン音は一向に平気ですので、スハネフ狙いでいこうか、一度はA個室に乗っておこうか、
イヤしかしもう個室は確保が難しいか、など、あれこれ考えています。
最終日の編成記録は外せませんから、3月13〜14日は、シフト調整が必要になってきます。
近年よく考えることですが、ここまでブルトレが減ってしまうと、
わがライフワークの編成記録も、いつまで続けられるか、気になるところです。 |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2009年 1月17日(土)22時38分37秒 |
タイトル |
中央東線回顧 |
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先達の皆様方、夜分に失礼申し上げます。「ED76109」であります。
ヒゲ無し雷鳥様
「アルプス」と「穂高」の補足、ありがとうございました。
お恥ずかしい話、昭和30〜40年代に「旧客仕立の夜行便」があることは知っておりましたが、
「オロハネ10」が「101系」や「73系」とすれ違っていたとは全くもって・・・。
また、色々とよろしくお願いいたします。
雑魚様
>やはり旅をするならボックス席
前出しましたが、昭和45年の「高尾山初詣」の帰路に「高尾」から「424レ」に乗車した際も、
ボックス席で「母の山行」や「暖房車」の話で盛り上がったことを憶えています。
家族3人が「暖房車」見学で盛り上っていた光景を、「新宿のホームの一般客の方々」は
どのように見られていたのでしょうか?
中央東線は、いにしえの「西イイ仕立の旧客鈍行」が想い出に残ります。
昭和49年の春休みに「EF64牽引の421レ」で「長野」まで行き、
「EC急行信州」で「上野」まで戻ってきた日帰り「乗り鉄」は、「笹子隧道」・「姨捨のスイッチバック」
そして「横軽」が堪能でき、幼い心にも「鉄心」を満たしてくれる「旅」でした。
長々と失礼しました。
以上、あの『相棒』御出演の『六角精児さん』も「鉄ちゃん」だったことを知った「中年客車鉄ちゃん」でした。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2009年 1月18日(日)10時04分15秒 |
タイトル |
快速「ちどり」 |
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312レ:昭和32年8月末にC56105に牽引された3両編成を「亀嵩」で撮影しました。
(ヘッドサイン付き)、客車はオハ35+オロハ30+オハフ33でした。
当時は「夜行ちどり」と2本立てでしたが、312レは超満員でした。 |
投稿者 |
ヒゲ無し雷鳥 |
投稿日 |
2009年 1月18日(日)19時07分8秒 |
タイトル |
銀河とマロネロ |
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たびたびの書き込みで申し訳ありません。
>>マロネロ38様
昭和25年1月から17・18レの付属編成が3号車に移動し
マロネとマロネロが交互に運用されるようになりました。
その後同年4月には編成の見直しが行われ、付属編成は
オロに差し替えられそのまま本編成化されています。
遅レスで恐縮ですが三宮でのご記憶の時期と一致しましたでしょうか? |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2009年 1月19日(月)08時30分55秒 |
タイトル |
銀河 |
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矢張りそんな事があったのですか。
「銀河」のマロネロ38を見たのは25年3月頃でしたから時期は一致します。
ご教示有難う御座いました。17-18レ戦前の1.2等急行と同じ列車番号
で、「名士列車2代目」がわかります。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2009年 1月19日(月)14時51分31秒 |
タイトル |
EF55 |
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昨日で引退ですか-----「ムーミン」だなんて現代的な渾名をつけられて。
あれ「富士」を主に牽引して居たのではないでしょうか?それに戦後の
「平和」(後「つばめ」に復帰)一時牽引。
始めて見たのは昭和15年夏に沼津で、乗車していた「鴎」の車窓からでした。
写真や絵本で見ていた実物が下り線に入ってきたので聊か興奮したもの
でした。
流線型-----NHK国民歌謡「新鉄道唱歌」の「-------流線一路、富士、桜、
燕の影もうららかに」と詠われたぐらいですから、当時はもてはやされた
様でした。 |
投稿者 |
太田拓也 |
投稿日 |
2009年 1月19日(月)17時58分3秒 |
タイトル |
寝台特急「銀河」 |
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17・18列車で少し思い出したことがあるので話します。
国鉄末期に「銀河」が24系25形になったとき特急格上げが検討されましたが、
このとき設定されたスジが特急17・18列車でした。
当時の大阪方面行き寝台特急は1〜14レまでしかなかったのに
なぜ不自然に番号が飛んだのでしょうか?
名士列車のリスペクトなのか、それとももう1本ブルトレが予定されていたのか。 |
投稿者のホームページ |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2009年 1月19日(月)23時16分10秒 |
タイトル |
「15レ・16レ」は「瀬戸」ではないでしょうか? |
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何度も失礼しております。「ED76109」でございます。
太田拓也様
>当時の大阪方面行き寝台特急は1〜14レまでしかなかったのに
小生の記憶違い(最近はちょっと当てにならないので・・)でなければ、
「15レ・16レ」は「瀬戸」ではないでしょうか?
昭和50年代の「東京発着ブルトレ」は、次のとおりだったの思うのであります。
「1・2レ さくら」、「3・4レ はやぶさ」、「5・6レ みずほ」、「7・8レ 富士」、
「2001〜2004レ 出雲(2往復)」、「9〜14レ あさかぜ(2〜3往復)」、「15〜16レ 瀬戸」
これら以外に「紀伊」や「いなば」がありました。
しかし、「15・16レ」は「瀬戸」だったと思っております。
他の先達の皆様方からの御指摘等をお願い致します。
小生は、晩年の「銀河」については、「60・3・14改正」(だったと思うのですが)の折、
「583系」を投入しようとした話が記憶に残ります。
このプランは、「583系」に当時「A寝台」がなかったこと、
さらに「東京・名古屋」に同形式が営業列車として運転されたことが無く、
要員がネックになったこと等から、ご破算になったという話です。
おそらく、先達の皆様方が詳細をご存じでしょうが・・・。
長々と失礼致しました。以上、「銀河51号」がご贔屓だった「中年客車鉄ちゃん」でした。 |
投稿者 |
太田拓也 |
投稿日 |
2009年 1月20日(火)07時40分31秒 |
タイトル |
61・11ダイヤ時の列車番号 |
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>ED76109様
「銀河」が24系化された当時のダイヤである「JR時刻表1987年5月号」によると、
「出雲」が1001〜1004レ、「あさかぜ」が2往復で12レまで、「瀬戸」が13・14レです。 |
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投稿者 |
太田拓也 |
投稿日 |
2009年 1月20日(火)07時50分46秒 |
タイトル |
補足 |
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当時、「紀伊」は既に廃止されていました(存在しても「いなば」→「出雲3・2号」と同じ列車番号)。
あと583系ですが、同様にそれまで実績の無かった臨時「日本海」(現在の急行「あおもり」)に使われましたし、
東海道本線は21世紀になって走っているためやろうと思えばできます。
ただ当時は東西の客車の融通を「銀河」で回送していたため電車化ができなかったようです。 |
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投稿者 |
仙コリ |
投稿日 |
2009年 1月20日(火)22時55分53秒 |
タイトル |
Re:寝台特急「銀河」 |
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太田拓也様
列車番号の話題は大変難しい点も多く、当時の時刻表等の資料を持ち合わせていないので推測なのですが…
昭和50年代の時刻表(昭和55年3月号)で東海道本線の下り寝台特急を見てみると
1レ さくら (東京駅16:30発)
3レ はやぶさ (東京駅16:45発)
5レ みずほ (東京駅17:00発)
7レ 富士 (東京駅18:00発)
9レ あさかぜ1号 (東京駅18:25発)
8011レ あさかぜ51号 (東京駅18:43発)
13レ あさかぜ3号 (東京駅19:00発)
15レ 瀬戸 (東京駅19:25発)
2001レ 出雲1号 (東京駅18:20発)
2003レ 出雲3号・紀伊(東京駅20:40発)
といった状況で山陽本線直通特急列車は、1レ「さくら」から15レ「瀬戸」まで発車時刻順に並んでいますが
ここで注目すべきは臨時列車である「あさかぜ51号」で、臨時列車である事を示す8000番台になっていますが、
下2桁は他と重複しない発車時刻順の連番である「11」が割り振られています。
時代は進んで、「博多あさかぜ」「みずほ」廃止後の平成7年の状時刻表(平成7年5月号)を見てみると
1レ 富士 (東京駅16:55発)
3レ さくら (東京駅17:58発)
5レ はやぶさ (東京駅18:12発)
7レ あさかぜ (東京駅19:10発)
9レ 瀬戸 (東京駅21:00発)
8011レ あさかぜ81号(東京駅18:58発)
1001レ 出雲1号 (東京駅18:41発)
1003レ 出雲3号 (東京駅21:18発)
となっていまして、相変わらず臨時列車の「あさかぜ81号」に+8000番での連番が割り振られています。
しかし、ここで以前とは異なる点があり8011レ「あさかぜ81号」の東京駅発車時刻は7レ「あさかぜ」の前で、
この時点で臨時列車は列車番号こそ東海道・山陽寝台特急の連番となっていますが、発車時刻順からははずれて
定期列車の後の番号が割り振られている点です。
いつの時点でそうなったのかが不明なのですが、平成6年のダイヤ改正までは「博多あさかぜ」「みずほ」が
加わり、山陽本線直通寝台特急列車の定期列車は7往復となりますので、「瀬戸」の列車番号が15レ・16レから
13レ・14レに変更になった時点が臨時列車の番号変更時期になると思います。
平成7年の時点でも「臨時あさかぜ」に上記のような列車番号が付けられていた点から考えますと、昭和62年の
時点でも同様であったと思われるので、定期列車7往復の後に「臨時あさかぜ」として8015レ・8016レが設定
されていたと考えるのが自然だと思われますので、特急化の検討時点では次の番号である仮の17レ・18レとして
検討されていたのではないでしょうか?
もっとも特急化が現実となって上記の法則どおりとすると、定期列車である「銀河」が15レ・16レとなり、
「臨時あさかぜ」が8017レ・8018レになったものと思われますが… |
投稿者 |
旧型客車ファン |
投稿日 |
2009年 1月20日(火)23時25分7秒 |
タイトル |
本日発売の「レイルNo.67」 |
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今日会社の帰りに書店を覗いたところ「レイルNo.67」が並んでおり、
タイトルの「山陰本線の客車たち」に惹かれて見たところ、オロハネ10の写真があり、
急行「さんべ」かと思ったところ、行先板は「出雲市行」、場所はどう見ても京都駅の山陰線ホーム、
キャプションには「山陰号の増結車」となっていました。
その他、スロハ32、オハ611、元省電の戦災復旧車等、
今まであまり見たことの無い珍しい写真が多数掲載されており、思わず衝動買いしてしまいました。
それにしても、ここ最近「鉄道ピクトリアルアーカイブス」JTBキャンブックスの「国鉄鋼製客車1」等
客車に関する本が次々発行されるのは嬉しい限りです。 |
投稿者 |
太田拓也 |
投稿日 |
2009年 1月21日(水)17時55分53秒 |
タイトル |
資料はJR名義の第1号です |
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「JR時刻表」の創刊号は国鉄名義でしたから。
仙コリ様>
情報ありがとうございます。臨時「あさかぜ」をカウントしているのですか。
当方の昭和62年5月号で確認したところ
1レ さくら
3レ はやぶさ
5レ みずほ
7レ 富士
9レ あさかぜ1号
11レ あさかぜ3号
13レ 瀬戸
8025レ あさかぜ81号
1001レ 出雲1号
1003レ 出雲3号
となっており、なぜか臨時が8020台になっていますが下1桁はつながっています。
ちなみに臨時を通算するのは東海道ブルトレだけらしく、昭和62年の「日本海」は1号の4001レに対し81号が8001レ、
東海道でも平成初期の臨時大垣夜行が定期に9000を足しただけの9375Mでした
(現場側、利用者側とも「375M」を列車名として認識していたという側面がある)。 |
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