倶楽部メモ(482)
平成21年 1月 6日〜 1月 8日



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 1月 6日(火)07時53分8秒
タイトル 動画情報
遅れ馳せながら、今年もよろしく御願い申し上げます。

先日「You Tube」で「はやぶさ」を検索した処、東京→品川の後方展望映像を見つけ、
拝見しましたが、東京では、眼前のEF65を置き去りにしての出発でした。機回しを
省く為、田町から「プッシュ・プル」で回送したものと思われますが、かかる措置は
いつ頃、行われていたのやら?

asahi.com では、下り「はやぶさ」の同乗記「前編」が、動画で配信されていますが、
さすが、新聞社の制作だけあって、画像・音声共にクリアー。例の「セレナーデ」も
しっかり収録され「鉄心」「旅心」を擽られます。

なお、今週から改装工事に入った、浜松町の「世界貿易センタービル」展望室ですが、
営業再開は 3月 6日との事。最後の十日間は、東京→田町の回送のみ撮影可能ですね。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 1月 6日(火)17時34分54秒
タイトル 北海道拓殖鉄道臨時列車です。
ED76109先生
鉄道友の会会報が道立図書館にあるかどうか?存じませんが、無ければ次の所で
見られると想います(生徒さんに会員が居たら見せてもらえば--)
鉄道友の会北海道支部:061-1373:恵庭市恵み野西6丁目9-14:恩田英史方
北海道支部事務局。
記事の内容は「車両本位」です。蒸気機関車8620系や客車の写真も2枚ありますが、
最後の新造DC(キハ22タイプのTR29台車)や2軸単車のキハは出ていません。
HP:http://www.geocities.jp/jrc_hokkaido/
以上ご参考まで。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 1月 6日(火)20時44分25秒
タイトル 客車航送の資料
 「国鉄鋼製客車1」に気を取られて、同じJTBのキャンブックスで
同時にもう一つ興味深いものが発売されていたのを見落としていました。
題して「鉄道連絡船細見」、私が虎の巻としている「鉄道連絡船100年の航跡」の著者である古川達郎氏の最新作です。

 その中で、本掲示板の皆様のご興味を惹くと思われる「青函航路の寝台車航送」が、
独立した章を立てて詳細に記述されています。
また、関連事項として「宇高航路の客車航送」も、コラム扱いながらしっかり紹介されています。
 それらを含め、全体に写真や図版が豊富な読みやすい構成になっており、
「連絡船」に興味をお持ちの方にはお勧めの一冊です。




投稿者 関西の鉄道ファン
投稿日 2009年 1月 6日(火)22時50分38秒
タイトル 妻面のテールライト
初めまして。関西の鉄道ファンと申します。
一つ質問したいことがあるのですが、
スハフ12・スハフ14・オハネフ25・スハネフ14形の妻面(トイレのある側)にテールライトがありますよね。
あれは何のためにあるのでしょうか?そして使うことはあるのでしょうか?



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 1月 7日(水)12時48分15秒
タイトル 空想旅程
廃止まで二箇月余りを残すばかりの「富士/はやぶさ」の惜別乗車として「富士」で
大分に赴き、豊肥線で熊本に出て「はやぶさ」で帰る、あるいはその逆回り、更には
往路は立席利用に留める………という感じで、週末旅行を考えている御同慶も、多々
いらっしゃる事と存じます。

そこで、遠征に足る金も暇も無い癖に、時刻表を紐解き行程を詮索しますと、意外や、
使えるのは大分→熊本の「九州横断特急 3号」のみで、熊本→大分は、長距離バスが、
大分駅から微妙に離れた停留所に「富士」発車時刻間際に到着するという、今ひとつ
使えない陣容で設定されているのみです。という訳で、金曜夜に発つ下り「富士」と
土曜夜に発つ上り「はやぶさ」更に土曜「九州横断特急 3号」の指定券は、競争率が
かなり高いのではないか、と拝察します。

それにしても、この「九州横断特急」どう考えても、大分〜人吉で一体的旅客需要が
多いとは思えず(急行「火の山」時代の三角直通は、島原発着フェリーの接続という
合理的事情が窺えました)どの様な必然性を以て、一本の列車に纏められたのやら?

豊肥線といえば、部分電化される以前「ハイパー・サルーン」運用を含む「有明」が、
塗装を揃えたDL牽引で(ただし電源車のスハフ12は「ブルトレ」塗装の侭)1987〜
94年に水前寺まで直通した事が思い出されます。

この種の電車運用としては、1988〜92年に新宿〜清里で運転された 169系「葉ッピー
きよさと」も想起され、今思い出しても、良くぞ、小海線の急勾配を克服したものと
感心しますが、こうした発想の嚆矢と云うと、やはり、1964年から博多直通を始めた
151系特急「つばめ」「はと」という事になりますか。

………などと考えていると、2000年夏に新大阪→博多を約10時間かけて復活運転した
485系による 9003M「はと」を思い出すのでした。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 1月 7日(水)22時55分51秒
タイトル 重ねて御礼申し上げますとともに一つお伺いいたします
 失礼致します。「ED76109」でございます。

 マロネロ38様
 北海道拓殖鉄道に係る「鉄道友の会会報」については、小生が直接北海道支部事務局へお尋ねしようと思います。
様々なご配慮について、心からお礼申し上げます。ありがとうございます。

 さて、連日道立図書館に所用(指導資料検索)で訪れているのですが、様々な「鉄」資料を漁り読んでいる内に、
小生の知り得なかった「ブルートレイン」の存在を知ることができました。
それは、「阪神・淡路大震災による不通区間」に伴う「福知山・播但線経由の臨時ブルートレイン」です。
「JR西日本社員の大震災後の奮闘記」の一節に、「東海道本線全通までの約3ヶ月間、
2本の臨時ブルートレインに乗務したこと」が「福知山車掌区のカレチさん」によって述べられており、
幼子を連れた女性に満員の車内で座席を提供しようとする涙ぐましいエピソードも掲載されておりました。
震災当時、小生が知り得なかったことであります。
先達の皆様方から、当該列車について御教示いただければ幸いであります。どうかよろしくお願い致します。

 長々と失礼致しました。
以上、○○町史等の「簡易軌道」の記述に夢中になっている「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 青列車
投稿日 2009年 1月 8日(木)00時42分8秒
タイトル Re:妻面のテールライト
>>関西の鉄道ファン様
あくまで推測に過ぎませんが…
お問い合わせの連結面側のテールライトですがやはり必要に迫られて設置されたものと思われます。
あれはおそらく1970年代前半の頃だったか?関西〜九州間のブルトレで14系を使用した列車でしたが、
何らかのトラブルがあって急遽差替えたのか?編成端のスハネフが逆向きに繋がっているものを見かけたことがあります。
車掌室側が隣の車輛とつながり、トイレ側が最後尾になっていました。
そこにテールライトらしいものは見当たらなかったように思います。
(もっとも夜中に遠方から見ただけなので或いは引っ掛け式の赤円板があったのかも知れません)
電源エンジンを持つスハフ・スハネフの場合、万が一の時予備車と差し替える際、
切羽詰っていれば車輛の向きに贅沢を言えない事もありましょうから、トイレ側にもテールライトがあると助かります
(ブレーキ配管も給電回線も、車輛の向きは関係なくつなげるので運転には支障なし)。

また、オハネフ25も100番台では編成の分割の際、トイレ側が編成端になって引き上げて行きます。
そのまま本線上を走ることは普段は無いとしてもそこに後部標識が欲しくなったのでは?

更に推測をたくましくすれば?当時の国鉄の労使関係も影響していたのではないでしょうか?
労働組合から指摘があったなら無視も出来ません。
たとえ滅多な事が無い限り使う事の無いパーツであっても、万が一の際の余裕・冗長性を持たせておかないと
安全性に問題ありなどと言われては反論できますまい。

(丁度蒸機のシールドビーム副灯やサロの回送運転台の前後部標識灯のような感覚なのでしょう。
後者はともかく前者は労組側の提案によって付けられた由。
交流架線下での前部標識灯の電球交換の危険性排除との事で北海道や東日本では採用されましたが、
九州や北陸地方では採用されていません。
同じ交流架線=周波数の違いはありますが=があるのですが何故だったのでしょうね?)

或いは?在来型の緩急車=オハフ33やスハフ42など=では前後とも装備しているから
これに倣えという事だったのでしょうか?
もっとも在来一般型に於いては運用の都合でどっち向きででも編成の端っこになっていましたので
前後に装備していないと不都合だったのでしょう。

裏付けの無い話で恐縮です。

添付画像は2009(平成21)年01月06日下関駅で撮影したスハネフ15-20のトイレ側妻面です。
検査表記を狙ったカットなのでテールライトは半分しか写っていませんが関連画像として紹介します。

投稿者のホームページ



投稿者 Yokoyama
投稿日 2009年 1月 8日(木)08時27分14秒
タイトル Re2:妻面のテールライト
遅ればせながら、本年もよろしくお願いいたします。

>>関西の鉄道ファン様
はじめまして。少し興味がありましたので手持ちの資料で調べてみました。
車両に関する基本的な事項は国鉄の場合、全て規程によって定められています。
ご質問のテールライトに関する件ですが、「車両構造基準規程」の第94条に次の
ように記載されています。

(以下引用)

車両には、次に掲げるところにより尾燈(赤色燈)及び尾燈掛を端バリ上部側寄り
(2個の場合は両端が水平になるよう)に取り付けるものとする。

(引用終り)

この文章の下に表があって、客車(緩急車・郵便車・荷物車)は尾燈・尾燈掛を「両端
に2個ずつ」と定められています。さらに特急形客車(荷物車・緩急車)及び職用車(
マヤ20)は尾燈は一端に2個、尾燈掛は両端に2個ずつとあります。

ここにある特急形客車とは明らかに20系客車を指しており、実際にマニ20やナハネフ22
などは規程通り一端にしかテールライトが設備されていません。

しかし、ご質問の14系や24系も車両称号基準規程によって「特急形客車」と定められて
いますので、尾燈は一端でも規程上は問題なかった気がしますが・・・。しっかりと20
系のみ例外と定めていた方がわかりやすかったと思います。
投稿者のホームページ



投稿者 かじ
投稿日 2009年 1月 8日(木)12時13分3秒
タイトル Re3:妻面のテールライト
いつもはROMをしており、たま〜に書き込みをさせていただいております。

12系客車がローカル運用に就いていたころ、スハフ12(あるいはオハフ13)の切妻面が、
編成端になっている列車を見たことがあります。
乗務員室を少しでも編成の中央に寄せて、無人駅での車掌によるドア扱いや、
集札等の便宜を図ったのかな、と想像しています。

オハフ50,51は両端に乗務員室及びテールライトがありますが、
同様に、編成の中間で車掌業務を行う目的があったのではないでしょうか。



投稿者 かじ
投稿日 2009年 1月 8日(木)12時36分23秒
タイトル Re3:妻面のテールライト(追記)
ちょうど頃合いのサイトがありました。
「モデルショップさがみ」さんのブログ「ガラクタ雑談室」
(トップページ)
http://sagami-m.cocolog-nifty.com/garakuta/
(当該ページ)
http://sagami-m.cocolog-nifty.com/garakuta/2008/02/post_8d8d.html



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 1月 8日(木)15時04分16秒
タイトル 阪神淡路大震災の迂回運転
ED76109先生
1/17に拙宅も半壊し、鉄道撮影どころではありませんでした。
ブルトレは大阪‐和田山‐姫路がDD51牽引だったと想います。(和田山で逆向き)
加古川線(旧播丹鉄道)は線路容量と交換設備線路の延長が不足で、谷川‐加古川間
最大4-6両の(定期に増結と臨時列車)だったと想います。「スーパ^−はくと」の
車両で、大阪‐和田山‐姫路の快速列車が設定され、「特急車両に普通運賃で乗
れる」と乗りに行った鉄道ファン連中も居ました。
震災後加古川線を改良電化したのも「いざと言う時のバイパス」利用を考えての
投資です。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 1月 8日(木)18時59分42秒
タイトル Re4:妻面のテールライト
 こんばんは。面白い話題なので参加させて下さい。
 私も、yokoyama様の言われるような「規程」がらみの措置ではないかと思います。
そこでyokoyama様にお尋ねしたいのですが、お手元の「車両構造基準規程」はいつの時点のものでしょうか?
 「車両称号…」や「車両塗色及び標記…」などの規程類は、けっこう頻繁に小改正が行われていましたよね。



投稿者 関西の鉄道ファン
投稿日 2009年 1月 8日(木)19時53分42秒
タイトル 妻面のテールライト
皆様、質問にお答えいただきありがとうございます。
スハフ12以外は特に意味も無いのに付いていたって感じですね。



投稿者 Yokoyama
投稿日 2009年 1月 8日(木)22時27分40秒
タイトル Re5:妻面のテールライト
>>クモイ103様
こんばんは。手元にあった「車両構造基準規程」ですが、
昭和41年12月10日工達12号を元として昭和50年3月10日工達5号で改正されたもののようです。
仰るように小改正は頻繁に行われていますね。
投稿者のホームページ



 
 
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