倶楽部メモ(481)
平成20年12月30日〜21年 1月 5日 |
投稿者 |
赤まんと |
投稿日 |
2008年12月30日(火)22時24分6秒 |
タイトル |
「出雲1、4号」の記録も参考になりますね。 |
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きむたお様。
連日のご披露ありがとうございます。
件の「出雲」ですが、EF65の位置からして、4号でしょうか?
これも知る方はあまりいらっしゃらないと思いますが、この92年春頃から、品川配置の金帯車は、
オハネ、オハネ、オハネフの3両1ブロックで固定運用を組んでいました(検査等によるイレギュラーもままありました)。
オハネ同士で順列が入れ替わることはありましたが、基本的には3両1ブロックでいつも同じ車番の組み合わせです。
当日の編成のB寝台は、オハネ25 212を除き、偶然にも全て94年改正で「はくつる」用として
青森に転じた車で占められており、全車健在です。
ちなみに、3号車のオハネ25 212はイレギュラーと思われ、本来はオハネ25 211が入るところです。
(212は保留車になり、98年までに廃車されました)
「はくつる」24系置き換え直後はこの3両1ブロックの車番組み合わせのまま運用されましたが、
ほどなく銀帯の初期車などとごちゃ混ぜになっていきました。
3両1ブロックと書きましたが、これらに現場で編成番号のようなものがついていたのかは不明です。
国鉄時代のような、ある種の大らかさがあったり、当時のように熱心に車番を研究される方がいらっしゃれば、
明らかになったのでしょうが・・・。
あくまで、過去の編成記録と、自身の13年弱3800本余りの記録から掴んだ法則(?)です。
当時「あさかぜ1、4号」1号車にオハネフ25が入っていたことから、オハネフ25 119、121、127、204といったあたりが、
このブロックから抜けたりしています。
3両1ブロックで全検時期も一致していて、検査や入れ替え作業の効率化を図ったものと推察され、興味深いです。
例外は最後まで「出雲」に運用されたオハネ25 217、オハネ25 225、オハネフ25 120のブロックで、
こればかりは走行距離等から、どうしても検査時期が一致しなかったようです。
オハネフ25 120は「カートレイン」に使用されたりもしています。
参考までに、青森に転じた残りの3ブロックを記しておきます。
オハネ25 151、オハネ25 218、オハネフ25 205。
オハネ25 149、オハネ25 216、オハネフ25 118。
オハネ25 148、オハネ25 215、オハネフ25 125。
※オハネ25 149、オハネフ25 118は「はくつる」廃止の余剰で廃車、現存せず。
以上、長々とディープな投稿、失礼しました。 |
投稿者 |
赤まんと |
投稿日 |
2008年12月30日(火)22時32分27秒 |
タイトル |
今度は、メジャー(?)な話題です |
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連続投稿失礼致します。
本日の下り「北斗星」はレインボー機が先頭でした。
故障等による運用変更がなければ、元日に上野へやってくる上り先頭も、レインボーということになります。
定時でやってくるかは甚だ不安ですが、雪を付けた姿を拝めるかもわかりません。
なお、休日ということで、尾久や田端に撮影に訪れる方もいらっしゃるでしょうが、
近辺は12月から路上たばこ禁止となっております。
ゆめゆめ、ポイ捨てなどなさらぬよう。
私もたばこを吸うのにだいぶ肩身の狭い思いでおります・・・。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2008年12月31日(水)12時09分0秒 |
タイトル |
新鉄道唱歌 |
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ED76109様
「新鉄道唱歌」は大別2種類あるのです。有名なのは昭和12-13年にNHKが流した
国民歌謡「新鉄道唱歌」の方でした。東京‐神戸、名古屋‐二見ケ浦(堀内敬三
作曲)これは鉄道ファンだった堀内敬三氏作曲ですから、コロンビア盤のイントロ
など、今の東海道新幹線のオルゴールに使っても「古くない」メロデイーです。
後、東北、高崎、信越、、北陸(直江津‐金沢)は杉山長谷雄作曲。
作詞も土岐善麿、西条八十、佐々木信綱、与謝野晶子、土井晩翠、相馬御風(北陸)
等々当時の「超一流詩人」でした。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2008年12月31日(水)13時23分53秒 |
タイトル |
NHK新鉄道唱歌(51号) |
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ED76109様
書き切れなかったので臨時列車を運転します。
次のURLでメロデイー(14番東北、高崎、信越、北陸)=杉山長谷雄作曲。
(18番堀内敬三作曲)東海道、関西、参宮が聞けます。(これが有名です)
演奏は管理人
http://my.reset.jp/~anima/kkk/tetsu/index.html
「シュシュポツポの研究」
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東京‐名古屋(堀内敬三作曲)コロンビアのCD 番号COCP30710
「ラジオの時代-1」=NHKの国民歌謡集の一部収録。
以上ご参考までに--- |
投稿者 |
青列車 |
投稿日 |
2009年 1月 1日(木)12時51分59秒 |
タイトル |
【恭賀新年】2009(平成21年)01月01日 |
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謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
旧年中は格別のご高配を賜り誠に有難く厚く御礼申し上げます。
旧年中賜りましたご厚情に深く感謝いたしますと共に本年も倍旧のご指導ご鞭撻の段宜しくお願い申し上げます。
適当な画像が無くて恐縮ですが、添付画像は1レ「はやぶさ・富士」車内から撮影した日の出です。
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投稿者のホームページ |
投稿者 |
仙コリ(管理人) |
投稿日 |
2009年 1月 1日(木)21時30分24秒 |
タイトル |
謹賀新年 |
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あけましておめでとうございます。
昨年も皆様には大変お世話になりました。
本年も皆様にとって楽しく役に立つサイト及び掲示板運営を目指したいと思いますので、
よりいっそうの書き込みとご意見等をいただければ幸いです。
本年もよろしくお願いいたします。
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投稿者 |
クモイ103 |
投稿日 |
2009年 1月 2日(金)21時09分1秒 |
タイトル |
私も謹賀新年 |
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1日遅れとなりましたが、仙コリ(管理人)様、ご乗車の皆様、新年あけましておめでとうございます。
今年も客車の歴史を紐解き、その歩んできた道が僅かでも身近なものになるよう、頑張りたいと思います。
今年も宜しくご指導、ご鞭撻のほどお願いいたします。
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投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2009年 1月 2日(金)22時05分36秒 |
タイトル |
先達の皆様方、おめでとうございます |
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新年おめでとうございます。「ED76109」でございます。
昨年は、先達の皆様方のお陰で、知り得なかった「鉄」知識が少しずつ蓄積されてまいりました。
今年も「戯言」を述べつつも、先達の皆様方の「客車の想い出」や「鉄道への思い」を共有させていただければ、
幸甚極まれりであります。それでは、愚歌を一首・・・。
「旅人の 夢を紡ぎし青列車 永遠に走れや 北の大地を」
今年もよろしくお願い致します。 |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2009年 1月 2日(金)22時39分44秒 |
タイトル |
古くて新しいメロディーですね |
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連投失礼致します。「ED76109」でございます。
マロネロ38様
>有名なのは昭和12-13年にNHKが流した国民歌謡「新鉄道唱歌」の方でした。
小生には思いもよらない展開で、正直驚いております。
件の「昭和25年版」とは異なる上品なメロディーは、素人にも「旅への憧憬」を感じさせ、
かつ「ハイケンス」とは一味違う「ソフトな響き」に聞こえました。
一度「北斗星」や「トワイライト」の車内放送の前に流してみたいものですね。
>作詞も土岐善麿、西条八十、佐々木信綱、与謝野晶子、土井晩翠、相馬御風(北陸)
等々当時の「超一流詩人」
近代文学史上、蒼々たるメンバーですね・・・。
特に「土岐善麿」は、「石川啄木」にも影響を与えた詩人ですので、「文学的」にもこれは「大きな業績」です(!!)。
小生の偏見ですが、「漱石・百間」と同様に「文学と鉄道の繋がり」をここでも感じることができました。
今年も、御指導御鞭撻を賜れれば幸いであります。よろしくお願い致します。以上、「中年客車鉄ちゃん」でした。 |
投稿者 |
きむたお |
投稿日 |
2009年 1月 2日(金)23時05分45秒 |
タイトル |
謹賀新年・平成21年 |
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みなさま、あけましておめでとうございます。
本年も数少ない現役客車列車を見守りつつ、今まで活躍した客車たちについての話題でも盛り上がっていきたく思います。
とりあえず、今回の正月休みは仕掛のグリーンマックス製のキットを4両(ナハ10×2、マニ36×1、スハフ42×1)、
立体に組み上げました(^^;)
写真は平成21年にちなんでカヤ21です。
(平成6年2月5日、呉羽→富山にて)
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投稿者 |
ホエ7030 |
投稿日 |
2009年 1月 3日(土)11時54分32秒 |
タイトル |
謹賀新年 |
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客車ファンの皆様,明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
とんでもない社会・経済状況の下での新年となりましたが、客車列車にとっても厳しい年になりそうですね。
でも、客車と客車列車は、鉄道開業以来今日まで存在し続けて来ており、
また、皆様の乗車体験や観察記録なども際限なくあるわけですから、
さまざまな角度からの話題には事欠かないと思いますので、
今年も、本掲示板を拝見するのを楽しみにするとともに、私も時々参加して行きたいと思います。
私は、模型(1/80)もやっておりますので、今日は朝から、
5両まとめて製作中の荷物車群に使用する荷物扉に取っ手を取り付けるための穴あけを行ないました。
同時併行で連合軍用客車も5両手がけており、その中には、
病院車として使用された両開き扉付きのマロネ37131(軍2902)も含んでいます。
欲張っていますので、完成はいつになることやら。
画像は、平成21年に因んで茨城交通湊線のナハニフ21です。(S39.8.1 勝田にて)
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投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2009年 1月 3日(土)23時31分6秒 |
タイトル |
正月旅の想い出です・・・ |
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新年早々失礼致します。「ED76109」でございます。
この年末・年始の休暇、先達の皆様方はいかがお過ごしでしょうか。
小生、様々な意味で落ち着いてしまい、遠出も無縁となって3年目になります。
今年こそ、何処かへ旅に出たいものです。さて、新年最初の「戯言」は年末・年始の想い出を記してみます。
今年も小生の衰えた記憶を辿りながら、皆様方の話題にしていただけますように・・・。
1 昭和45年の元旦の午後、家族で「高尾山」へ初詣へ行きました。
夕焼けの富士の姿に感動した後、帰路は山歩きが趣味だった母親の好みに合わせたのか、
「高尾」から「101系特快」ではなく、「長野始発の424レ」に乗車。
その時、小生の印象に残っているのは、「EF13(15?)」の次に連結されていた「暖房車」。
当時小学1年生の小生は、煙を吐く「珍妙な客車」にびっくり仰天。
「鉄」親父に頼んで、終着の「新宿」でゆっくり見学した記憶があります。
2 昭和48年の元旦、「成田山」からの帰路に「我孫子行830レ」に乗車。
現在では想像もつかないローカル線の雰囲気が溢れる「成田線」。
「鉄」親父と小一時間、DLに牽引されながら、「背づりが木製の旧客鈍行」の旅を楽しみました。
当時、「成田・上野」には早朝「2本の旧客鈍行」が設定されており、別名「担ぎ屋さん列車」。
DL化前は「C57」が牽引するなど、関東では個性の強い「旧客鈍行」でした。
3 昭和55年の1月6日、母校の「高等学校ラグビーフットボール大会」の応援のために
「鉄」仲間と「347M大垣行」で西下。
京都から「近鉄電車」に乗り換えて「花園」へ向かいました。
その際、小生の印象に残っているのは大逆転負けした決勝戦よりも、「生駒トンネル」を抜けた「大阪平野の眺め」。
冬晴れの澄んだ大気の中、遙か遠くまで広がる市街へ滑り降りていく風景は、
当時の関西の私鉄には「乗り鉄」したことが殆どない小生には、刺激的な車窓でありました。
長々と失礼しました。また、投稿致します。
以上、ラグビー中継での「古豪復活はまだ遠い!」の一言に意気消沈してしまった
「某高校鉄研OB」の「中年客車鉄ちゃん」でした。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2009年 1月 5日(月)19時54分29秒 |
タイトル |
北海道拓殖鉄道 |
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ED76109先生
以前話題になった件ですが、鉄道友の会会報1月号に出ています。先生が会員なら
当然読んで居られるでしょう。(会員外だったらお知り合いの会員に見せてもらった
ら如何)。隙間風のDCは(佐久鉄道キホハニ54,55→鉄道省キハニ40704,40705→キハ
111,112→拓殖キハ111,112拓殖でエンジンを日野DS40B:150HP/2400rpmに換装。
これだと想います。窓配置は西武で改造。
以上ご参考までに。 |
投稿者 |
ED76109 |
投稿日 |
2009年 1月 5日(月)23時56分20秒 |
タイトル |
ありがとうございます |
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度々失礼致します。「ED76109」でございます。
マロネロ38様
>鉄道友の会会報1月号に出ています
ありがとうございます。
残念ながら、貴会には未所属であることから、道立図書館等でチャンスがあれば・・・と思います。
しかし、鉄道史的な研究記事でしょうから、小生にとって興味津々な部分であります。
>佐久鉄道キホハニ54,55
マロネロ38様には「釈迦に説法」でしょうが・・・。
「佐久鉄道」は、「JR小海線」の前身であり、「甲府から直江津・長岡」を結ぶ鉄道建設を構想し、
「JR身延線」の前身である「富士身延鉄道」と結んで太平洋と日本海を結ぶ路線建設を計画しました。
その後、紆余曲折を経て「小海から小淵沢」間が国鉄線として小海側と小淵沢側の双方からの建設され、
「佐久鉄道」から買収した区間と合わせて、昭和10年に「国鉄小海線」が全通したのであります。
前述しましたが、小生は昭和49年の黄金週間に「完乗」しております。
「キハ58(?)」から「件の国鉄線路最高点」を通過したときは、興奮することなく「ふーん」といった感じでした。
>窓配置は西武で改造
確かに、都心より所沢の冬は寒いでしょうが、十勝野の「1月」は最低気温が「−20℃」は当たり前。
二重窓だったのでしょうが、件の保護者の方の思い出話ではないですが、凍傷で顔が腫れてしまうのも当然かな・・
と思われます。
貴重な情報ありがとうございます。
また、長々と失礼致しました。以上、「西武」に対抗意識を燃やす「道民球団応援団」の「中年客車鉄ちゃん」でした。 |
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