度々お邪魔して失礼しております。「ED76109」でございます。
「カウントダウン」なのですか・・・。いよいよ「はやぶさ・富士」のラストランに向けての・・・。
「ブルートレイン」が走り始めて、50年の佳節にこんなことになるなんて。
小生にできることは、乗車の想い出を綴ることです
。一人でも多くの先達の方々、サイトを御覧になった方々がブルートレインに乗車して頂ければ、幸い至極であります。
1 「20系」の初体験は、前述した昭和42年の「はやぶさ」でした。
叔母の在する「出水」まで、親戚一同で東京から乗車。
小生には全く記憶がないのですが、叔父や「鉄」親父の話では、
通路の「折り畳み椅子」に座って車窓風景に見入っていたとか・・・。
叔父たちは、「冷房が効いていてゆっくり眠れた。『さつま』じゃ、汗びっしょりで眠れなかったよな。」と話し、
昭和30年代に東京から2泊して鹿児島入りしていた急行の「ハザ」との違いに感心しきりだったそうです。
2 昭和51年の夏、「鉄」親父と「銀河」に乗車しましたが、「20系」は暑すぎず寒すぎず、快適そのもの。
東京発車直後、すぐに小生は「夢」の中へ・・・。
しかし、慣れぬ夜行列車の旅に「静岡」で目が覚めてしまい、通路の「折り畳み椅子」に座って闇を見つめていました。
その時、「銀河」を牽引していたのは「EF58」。
金谷辺りの連続カーブをヘッドライトを光らして走るELの姿が、今でも小生の脳裏に残ります。
3 平成3年の夏に「大阪」まで利用したのが、臨時急行「あおもり」。
「トワイライト」・「日本海」は勿論、「エルム」までも満員で、「飛行機」にするかと諦めていた時、
札幌の窓口氏が「『あおもり』は往復ともガラガラだよ。」と一言。
「20系」に15年ぶりに乗車することになりました。
「50p強幅」の寝台は、横になると少々狭さを感じたものの、
座席利用区間では、「24系」とは異なる座り心地の良さを体感。
のんびりとした汽車旅を堪能することができました。
「24系」よりも狭い寝台幅が、ちょうどよい座席幅だったようです。
そして、何よりも「静かな走行音」と心地良い「揺れ具合」。
寝台車として「20系」は優れていたのだということを、改めて実感する旅となりました。
長々とした想い出話、失礼しました。また、投稿いたします。
以上、「はやぶさ・富士」のお別れ乗車費用捻出のため、再び秋のGT戦線に参戦予定の「中年客車鉄ちゃん」でした。 |