「敗戦までの階級制度」と「一般庶民の生活」というものの「認識」に関してこういう話もあります。
「戦前は皆が貧しかった」という認識は敗戦後、アメリカによって押し付けられた「史観(ヤルタ・ポツダム史観
と言われている)」であり、「事実」を歪められたものであるという説です。
現に、大正時代(25歳以上の男子のみであるが普通選挙が施行され、英国型議会制民主主義が行われていた。
都市部において、新中間層が勃興し、彼らが消費を牽引していたという今と変わらぬ豊かな時代であった)
の事は全く語られず、昭和初期の東北大凶作と世界恐慌の時の農村部の人身売買に代表される「影の部分」
ばかり強調した物(小説・ドラマなど)があまりにも多い。
「昔は生活にゆとりが無かった」という考えで完結させるのはおかしい。
ならば、翌年に太平洋戦争が始まる昭和15年(既に国家統制経済になっていた)に、
安月給の中からなんとか費用を捻出して岡山から九州全土の軽便鉄道の撮影に行った
牧野俊介氏(「岡山より汽車を求めて」の著者)の様な「一般庶民の趣味人」は時代がどうであれいるのですよ。
「3食塩かけ飯でも二コンFを買った学生さん(私の職場の大先輩です)」の様に「何かを犠牲にしても乗るぞ」
ということでなけなしのお金をはたいて「イネ」に乗った名も無き趣味人は絶対にいると思います・・・。
この議論はあまり突っ込みすぎると「イデオロギー論」になり不毛の論争になりますが、
「趣味人」という「人種」は洋の東西問わず、どの時代にも存在したという事実をわかっていただきたいです。 |