お邪魔致します。「ED76109」でございます。 
             「イネ」「ロネ」に係り、小生の「鉄」親父の話を少し書かせていただきます。 
            参考にもならないかもしれませんが・・・。 
             「鉄」親父は、昭和20〜30年代に「某商店」の「集金」の仕事で、 
            週一度日本全国を国鉄で駆け回ったらしいのです。 
            しかし、何処に行くのも(東京から九州や東北が多かったとのこと)出張旅費は「三等普通運賃」。 
            日当が多少付くことはあっても「準急料金」など支給されず、「夜行鈍行の往復」で出張旅費を浮かすのが 
            当たり前だったと話していました。そうしないと自分の足りない給料では生活できなかったと・・。 
            (「はと」「つばめ」は、自分とは「世界が違う列車」だと笑っていました。) 
             その後、親父方の叔父達と昭和38年に「関西」へ出かけることになったのですが、 
            映画「天国と地獄」で有名になった「こだまの二等車(ハザ)」で西下する計画を、 
            同行する「祖母」(明治32年生)に「特急なんかに乗れる身分でない!!」と最後まで反対され、 
            当時1歳に満たない小生が同行することで、叔父達が「祖母」を渋々納得させたとのことでした。 
             その後、「鉄」親父は叔父の伝手で「都職員」に転職。 
            少し経済的に余裕が出て、ずっと親しんでいた「時刻表」を片手に「乗り鉄」の道を歩み出したようです。 
            (当然、小生も同じ道を辿っております) 
             「祖母」は、昭和20年の「東京大空襲」で夫である「祖父」を無くし、裸一貫から働き抜いた「市井の庶民」でした。 
             ですから、小生の自宅のある「北海道」に両親が遊びに来る際、「北斗星」や「カシオペア」の「個室」に 
            小学生が一人で乗っていると、「鉄」親父は要らぬ説教をしたくなってしまうようです・・・。 
            「前近代的な分相応」という考え方が理解されるか否かが、 
            今回の「イネ」「ロネ」の話の出発点ではないかと、小生は考えております。 
             
             失礼致しました。また、投稿いたします。以上、「道民球団」の最後の夢に期待をつなぐ「中年客車鉄ちゃん」でした。 |