雑魚様
遅いレスになってしまいました。雑魚様は水戸育ちですか。
水戸線の客車も常磐線同様に編成が長く、ハチマルの牽引でしたね。何度か乗車したことがあります。
また、晩年には内郷のハチマルが田端に転属してきて、水切りのないカマが上野に出入りし、
ゆうづる、十和田、雑客などの先頭にたったのも新鮮な感じがしました。
当方昭和55年春に上京し学生時代を尾久に下宿しました。
それにしても奇縁ですね。長浜出身の鉄分の濃い方と仕事で御一緒されましたか。当方も同じく長浜生れです
。高校を卒業するまで長浜に住んでおり、通学は自転車でしたが、
毎日写真の長浜ー虎姫間を列車を眺めつつ走り、かつ時々撮影もいたしました。
522レは(長浜17時29分)学校帰りによく見かけたものです。
EF70の次位にあった新ナカのマニ37は旧客の荷物車ながら青塗装(スロ50改造なんだそうですね)で
珍しく感じたものです。
522レの長岡発は朝の4時40分で、当時の私にとっては起床前に始発駅を出た列車が
学校を終える頃にようやくやってくるわけですから、それがまた大変な魅力でした。
この列車は、かつては青森発大阪行鈍行の夜行部分を廃止した残党(それでも十分長い運転区間ですが)でしたね。
オハ35,オハフ33を中心とした名マイの6連は523レの運用で0時近くに長岡に着くと、
翌朝522レとなるまで、長岡のホームに停泊したまま。知人でその中で一夜を過ごしたという人もいました。
急行越前様
昭和50年代、旧客末期の思い出は本当に尽きません。余計なことながら御参考までに
長岡運転所受け持ちの北陸と能登は昭和55年10月改正でEF641000番台(北陸は一時期一般型も充当)
に置き換えられましたが、高崎第二機関区受け持ちの鳥海と天の川は57年の廃止までゴハチでした。
きたぐには、昭和58年4月に完全にEF81化されるまではEF70でしたね。
御指摘のとおり北陸線電機はEG、ゴハチはSG、
また、津軽は20系化された57.11以降も宇都宮のゴハチが牽引していました。
日暮里付近で撮影した常磐線旧客列車をアップさせていただきます。仙台行221レ 昭和55年7月20日。
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