管理人様 いつも楽しく拝見させていただいています。
ぷーさんへ
14日のらん丸さんの書き込みにもありますが、高崎線の普通客車列車は昭和57年11月改正まで一往復残っていました。
基本編成(北オク5両)は列車番号を変えながら長野経由で新潟まで運用されていました
(時刻表では一本の列車で表示されず 下りは2321レ〜321レ〜1321レだったか)。
朝6時過ぎに上野発深夜新潟着、上りはやはり朝新潟を出て、上野に22時頃に到着していたと思います。
ただし、長野での時間が長いので乗客は通しでは乗れなかったと記憶しています。
上野ー高崎間には高タカの6両が付いていました。プラス荷物が2両。
高崎線内の列番は2321レ、2326レで牽引は高崎のEF62ではなく58だったと思います。
上野口の普通客車列車のうち東北線のものは53年の改正でひと足早くなくなりましたが、
上記の高崎線のほか、常磐線の三往復も57年11月改正まで残っていました。
もちろん、上野口というだけでなく都内で最後まで見られた普通客レということになります。
ちなみに、当方のハンドルネームは米原発長岡行の列番を使わせていただいています。
大学受験の際、行きは米原から東海道線の鈍行乗り継ぎにて、
帰りは上野から長岡行733M、宮内で米原行522レに乗り換え滋賀県内の某駅まで乗車しました。
522レの写真を添付します(長浜ー虎姫間)。
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