倶楽部メモ(453)
平成20年 9月11日〜 9月16日



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 9月11日(木)17時21分2秒
タイトル 幻の20系乗車
▼赤まんと様:
> 残念なことに、私はついぞ20系に乗る機会を得ぬままになってしまいました。

私の場合、1986年春に急行「だいせん 5号」で、普通車自由席扱いの「ナハフ21」を
利用したのが唯一の経験です。同年夏、九州旅行で利用した「かいもん」「日南」も、
20系寝台車を連結していましたが、我々「万年金欠・周遊券族」は、12系自由席車と
相場が決まっており、迂闊に寝台車を利用しようものなら「人民の敵」の烙印の下に、
仲間から自己批判を迫られかねない雰囲気がありました(^^)

私自身、初めて寝台車を利用したのがその頃ですから、考えてみれば、20系どころか、
三段式寝台に遭遇する事それ自体、割と珍しくなりつつあった時期の様にも思います。

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ED76 109様との遣り取りにおいて話題に挙がった「ハエタタキ」ですが、全国でも
ここだけではないか、と思われた「水郡線型」を、記憶を頼りに「エクセル」作図で
復元して見ました(^^)先述の東海道線の例と比べると、横軸の段数など、明らかに
規模の違いがあり、ある意味で「路線の格」を体現した印象です。この型は、横軸が
一本少ないバージョンを含め、上菅谷〜西金で展開していたと記憶します。




投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 9月11日(木)21時40分42秒
タイトル 鹿児島の24系
明日の休日をイイコトに、冷酒4合をあおって回る、飲んだくれ赤まんとでございます。
Uzu様ご指摘の鹿児島のオハネ25ですが、フルで使用されることは少なかったため、回せていたように記憶します。
多客期であっても、どちらか1列車を減車させて間に合わせていたのか、熊本から借りていたか、でしょう。
現に、多客期であっても、例えば「富士」はフルで上ってきても、「はやぶさ」は5号車欠のことはしょっちゅうでした。
品川滞泊時に列車名が入れ替わるのは、改めて書くまでもないのですが、
当日下りの需要に影響がないのか、疑問に感じたものです。
また、付属編成7号車が、オハネフではなくオハネだったり、
突発的な不具合からか、オハ24が欠けた編成を見たこともあります。
当時の私の記録には、熊本からの借り入れはありませんが、検査等の都合で、貸し借りはあったはずです。
カニ24の貸し借りは2005年の記録にも残っていますが・・・。
オハネ25 125は97年当時鹿児島所属です。
余談ですが、「あかつき」は多客期14両フル、通常は3両減車が2000年3月までの編成でしたが、
じつは3両増結は存在しなかったのです。
2両までが限度で、3両フル増結はせずと明記された資料を見せてもらったことがあり、驚かされました。
話がそれました。
オマケに、
97年8月に、大学の友人と九州旅行をした折に押さえた編成記録を添えておきます。
これはさすがにあまり知られていないはずです!

97/8/12 9003レ「なは81号」・・・熊本駅にて。

ED76 92〜カニ24 105〜オハネフ25 132〜オハネ25 166〜オハネフ25 152〜オハネ25 192
〜オハネ25 84〜オハネフ25 30
※後方0番台2両は京都車(「彗星」用)、ほか下関車(「瀬戸」「あさかぜ」用)

97/8/13 9003レ「なは81号」・・・熊本駅にて

ED76 92〜カニ24 15〜オハネ25 202〜オハネ25 204〜オハネ25 201〜オハネ25 130
〜オハネ25 179〜オハネフ25 109
※熊本、鹿児島車混成。

ほんの10年少々前までは、当時すでに不振だった九州ブルトレにも、
他区予備車寄せ集めの救済便が設定されていたのです!
なんだか、ものすごく遠い昔のような、つい最近のような・・・。



投稿者 急行越前
投稿日 2008年 9月12日(金)00時25分31秒
タイトル Re:蒸気暖房引き通し管
みなさま、この掲示板で発言させていただくのは記憶にないほど久しぶりな「急行越前」と申します。
よろしくお願いします。

12/14系の蒸気暖房引き通し管の話がいろいろ出ていますが、
混乱しているようなので僭越ながら整理させていただくしゃしゃり出てきました。

らん丸さまご指摘の14系の量産先行車ですが、急行「瀬戸」組み込みによる試用のため
蒸気暖房と電気暖房の引き通しが装備されており、量産化改造の際に撤去したとピクトリアルの791号に記載があります。
そもそも特急用ですから、量産車には最初から装備がなく、北海道向け改造の際に新設したとのことです。
一方、12系は蒸気暖房引き通し管は装備されていたものの、実際在来客車との併結で蒸気暖房を使用したのは、
「音戸」と末期の「山陰」だけだったのではないでしょうか。
マロネロ38さまご指摘の「きたぐに」ともうひとつ「津軽」の在来客車は電気暖房ですね。

以上、大変失礼いたしました。



投稿者 ED76109
投稿日 2008年 9月12日(金)11時06分33秒
タイトル 記憶だけの話ですが 2
御邪魔しております。「ED76109」でございます。
雑魚様
>「水郡線型」を、記憶を頼りに「エクセル」作図で復元して見ました
「お見事!!」(拍手)。懐かしいですねぇ。
昭和40年代前半、親類が在する鹿児島本線「西出水」駅付近に、このサイズより一回り大きめ(横軸の数がプラス3程度?)
の「ハエ叩き」が立てられていて、朝早起きして眺めた「C61」牽引の旧客にマッチしていた印象があります。
雑魚様の「鉄道博物館に移設」の御提言に大賛成です。これは立派な鉄道の「歴史的建造物」ですよ。

赤まんと様及びUzu様
>「はやぶさ」「富士」基本編成
「乗り鉄」専門の「ED76109」でございます。
あまり得意な分野ではないのですが、記憶していることを述べさせていただきます。
確か当時の「はやぶさ」と「なは」は共通の運用が組まれており、
14時過ぎに「西鹿児島」に到着した「はやぶさの基本編成」が、
そのまま19時過ぎ発の「なはの基本編成」として運用される
(同様に10時半過ぎに到着した「なはの基本編成」が13時過ぎ発の「はやぶさの基本編成」に運用される)
という話を「博多車掌区」のカレチさんから聞いた記憶があります。
何かのご参考になれば幸いです。(次のとおりだったと記憶していますが・・)

 1日目「はやぶさ」(西鹿児島発)
 2日目「はやぶさ」(東京着)・・「富士」(東京発)
  3日目「富士」(南宮崎着)・・留置(一泊)
 4日目「富士」(南宮崎発)
 5日目「富士」(東京着) ・・「はやぶさ」(東京発)
 6日目「はやぶさ」(西鹿児島着)・・「なは」(西鹿児島発)
 7日目「なは」(新大阪着)・・「なは」(新大阪発)
 8日目「なは」(西鹿児島着)  ※1日目へ  なお、付属編成は「熊本」及び「大分」回転。

「銀河」の乗り心地は、小生の独断で「20系」>「10系」>「24系」(全てハネです)と考えております。

長々と失礼しました。また、投稿致します。以上、「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年 9月12日(金)15時01分50秒
タイトル 急行越前様
「きたぐに」は電暖でしたねアノ時代‐‐‐失礼しました。
「越前」と言えば大阪‐金沢間のDC急行がありましたねヘッドサインが「梅」?の
紋のデザインで‐‐‐大阪駅で写しています。いつも満員でした。
それと福井電化の時に471系新車で年末年始に大阪‐福井間の臨時急行が運転されていました。
試運転を米原と田村で写しました。表記は無かったですが----



投稿者 Uzu
投稿日 2008年 9月12日(金)19時14分47秒
タイトル なは81・82号
赤まんと様、度々貴重な情報をありがとうございます。

増結車両の運用は以外といい加減なものなんですね。
赤まんと様が記録された「なは81・82号」のJR西日本車、九州車相互運用も興味深いですね。
また、運転日は「なは81号」が新大阪発8/9〜8/13、「なは82号」が西鹿児島発8/14〜17と、
上り下り別々の時期に運転されていたのも興味深いです。



投稿者 きむたお
投稿日 2008年 9月13日(土)08時42分3秒
タイトル なは82号編成記録
みなさま、こんにちは。
話題が盛り上がっている臨時なは号ですが、当方の手許にも編成記録が1件ありましたので、
ここに紹介させていただきます。

1997/5/2熊本〜5/3新大阪乗車
9014レ〜8038レ
ED76 78↓(熊本発時)
EF65 1120↑(新大阪着時)
(6)オハネフ25 109
(5)オハネ25 118
(4)オハネ25 102
(3)オハネ25 106
(2)オハネ25 246(乗)
(1)オハネフ25 107
カニ24 18


今、こうして見ると寝台車がすべて100番台で揃った美しい編成ですね。
なお、機関車の「↑」ですが、ED76はSG排気口のある向き、EF65は屋上排風口のある向きです。
方向幕、愛称幕ともに「臨時」表示、機関車にもヘッドマークは付きませんでした。
当方、将来の模型化のことを考慮して向きなどはチェックしているのですが、
所属標記をチェックしていないのが痛いところです・・・。
写真は新大阪におけるオハネ25 246(左)とオハネ25 106(右)ですが、106の妻に熊クマの文字が確認できます。




投稿者 Uzu
投稿日 2008年 9月13日(土)12時02分16秒
タイトル 臨時なは
きむたお様が記録された編成も熊本、鹿児島ごちゃまぜですね。
オハネフ25 107・109、オハネ25 118、カニ24 18は鹿児島車、それ以外は熊本車です。

しかし、愛称幕ぐらいは掲出して欲しいですね。



投稿者 アーノルドカプラー
投稿日 2008年 9月14日(日)20時51分39秒
タイトル RE : 12系蒸気暖房引き通し管について
 私もかなりお久しぶりのアーノルドカプラーでございます。
よろしくお願い致します。

 マロネロ38様、急行越前様他皆様のお話の12系蒸気暖房引き通し管に関しまして、
急行「きたぐに」は、使用していたようです。
 確かに併結する10系寝台やスロ62は電暖装備車ですが、
東海道本線 米原〜大阪感牽引のEF58に電気暖房は装備されておりません。

 また、こちらの掲示板で紹介されており、私も図書館で読ませて頂きました坂本衛氏執筆の
「車掌乗務裏手帳」山海堂にて冬場の大阪行き「きたぐに」では、米原〜大阪感は寝台やグリーン車の暖房が効かなくて
乗客からの苦情が多いという趣旨の記述がございました。

 他にもこの本では20系「だいせん」のナハネフ22や、急行「銀河」81/82号の常務の話など
今となっては懐かしい列車名が散見できます。

 ちなみに出版社は解散したそうです。
 以上ご参考までに投稿させて頂きました。



投稿者 らん丸
投稿日 2008年 9月14日(日)22時09分15秒
タイトル 旧型客車終末期の頃の暖房
57.11の改正の頃の鉄道ジャーナルの「列車追跡・津軽 オハネフ13との別れ」で、
ダイヤ改正のちょっと前から上野−黒磯を牽引していたEF58がEF65に置き換えられ、
それにともない10系寝台車の電気暖房を自車の発電機(元来は冷房電源用)で賄える様にした
という記事を覚えていますが、他の列車(電気暖房付きのEF62が牽引していた「越前」「妙高」以外の
通常はEF58牽引だった「能登」「鳥海」、そして「きたぐに」)についても
この様な「暫定的な改造」を行ったのでしょうか?

高崎線の客車普通列車(早朝にあった高崎から長野行き、長野から新潟行きに変わる列車)
に運用されていたナハ11にも電暖用発電機があったみたいです。

55.10と57.11で北海道に転属した14系を北海道用改造を行った時に蒸気暖房引きとおし管を設置しましたが、
これをフルに使ったのは10系との混結の暫定運用時の「利尻」「大雪」「まりも」、
荷物・郵便車を繋いでいる時の「ニセコ」だけでしょう(スハ45との混結のSL列車はどうでしょうか?)。



投稿者 ED76109
投稿日 2008年 9月15日(月)00時36分33秒
タイトル 懐かしき汽車旅
 何度も失礼致します。「ED76109」でございます。
 小生も、坂本衛氏のエッセイは何度か読んだ記憶があり、大幅に遅延した「日本海」に乗務した折に、
乗客の食糧確保のため、秋田の運転指令と大喧嘩したくだりは大変印象に残っています。
旅を安全にかつ楽しく盛り上げてくださる鉄道員の方々に、心からお礼申し上げます。
 さて、今回は「鬼籍入りした鈍行列車の想い出」を「戯言」させていただきます。
いつものように、話題の一つにしていただければ幸甚の限りであります。

1 小生が、東北や北陸に鈍行紀行に出かけるルートの一つに、「湘南色115系仕立て」の
上野・長岡間の直通鈍行電車がありました。
朝6時過ぎの便であれば、長岡乗り換えで「新津発郡山行」や「新津発秋田行」の旧客鈍行に、
23時過ぎの夜行便であれば、「宮内」で「長岡発米原行」の旧客鈍行に接続する便利な代物。
昭和58年の冬、「新清水隧道」を出た「土樽」の構内の積雪量には驚きました。
麓の「水上」と比較して、約10倍はあろうかという「2.5mの雪」。まさしく「豪雪」でしたね。
(上り便は、雑魚様写真ご提供の「上越ループ線」が体感できる楽しい「鈍行」でした。)

2 振り子式特急が走る「中央西線」。
しかし、昭和40年代後半までは旧客鈍行が幅をきかせ、非電化の「中津川・塩尻」間は「SL」が牽引しておりました。
昭和45年の春休み、「鉄」親父と名古屋発長野行の長距離鈍行を乗り通し、
山深い木曽谷に響く「D51の汽笛」が記憶に残ります。
また、篠ノ井線の連続する「スイッチバック」は、「姥捨からの長野市内の眺望」と合わせて
子ども心に強烈な印象を与えられました。
そういえば、「塩尻」は構内が移動して、「逆編成」となる列車はもうありませんね・・・。(かなり前からの話ですが)

3 国鉄時代、幹線の時刻表の末尾に記載されていた「荷物列車」。
小生は「ニレチ」さんの経験はありません
(「雪だるま」様は、昔「オユ」の車中でアルバイトをされていたと伺いました。羨ましいですね・・。)
が、「荷物列車」の後尾に2、3両の客車を連結した「旧客鈍行」がお気に入りで、
「トホホセ」の「44レ」(青森発仙台行)はそんな「荷物列車」の一つでした。
当時としては珍しい「10両」以上の長編成。
先頭の「ED75」の赤い勇姿を遙か最後尾の「オハフ35」から眺めては、「鈍行紀行」を満喫しておりました。

 長々と失礼しました。また投稿致します。
 以上、連休は部活動指導の「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 9月15日(月)15時04分44秒
タイトル みすずかる鉄路
▼ED76 109様:
> 23時過ぎの夜行便であれば「宮内」で「長岡発米原行」の旧客鈍行に接続

同列車を重宝していた友人によると、冬季、停車中に一両当たり一箇所の割合で扉が
開放状態となる為、デッキの無い近郊型の車内では、かなり寒い思いをしたそうです。

> 昭和58年の冬「新清水隧道」を出た「土樽」の構内の積雪量には驚きました。

私が圧倒されたのは、飯山線や妙高高原付近の信越線ですね。特に前者は、長野から
始発列車に乗り、夜が明けて眼前に広がる「真っ白な景色」が実は雪の壁と判るまで、
暫く間がありました。路面凍結の踏切では、制動機能を失った軽トラックが、目前に
突っ込み「ガリガリガリ………」御互い低速だったのが幸いでした。

> 電化の「中津川・塩尻」間は「SL」が牽引しておりました。

1973年の電化に対し、特急「しなの」は翌々年まで一部便に気動車運用が残り、当時
子供用読本に「食堂車を使うなら気動車便を選ぼう」という趣旨の記述がありました。

> 篠ノ井線の連続する「スイッチバック」

先頃の羽尾信号所廃止で、篠ノ井線のスイッチ・バックも、姨捨駅と桑ノ原信号所の
二箇所のみとなりました。善光寺平の眺望を加味すれば姨捨駅の風情は一級品ですが、
貨物側線が絡む信越線二本木駅も、かなりオススメですよ。

>「姥捨からの長野市内の眺望」と合わせて子ども心に強烈な印象を与えられました。

松本と長野は、犀川を基準に上流・下流の位置関係にありますが、明科以北の山間は
急峻な谷が続き、鉄道敷設が困難な為、わざわざ明科〜西条、冠着〜姨捨〜稲荷山で
峠を越え、犀川支流の麻績川沿いの盆地(聖高原)を経由するという事情があります。
特に松本→長野の移動で、劇的な演出材料となる姨捨の眺望は、かかる山越え事情の
産物ですが、姨捨では目を凝らせば、戸倉付近の しなの鉄道も見えます(逆も然り)

>「塩尻」は構内が移動して「逆編成」となる列車はもうありませんね…

塩尻駅の移転は、中央線が東海道線の「バイパス路線」としての機能を、ほぼ完全に
喪失した事の象徴かと感じます。街の玄関が移転した事で、その当事、塩尻の街では
少なからぬ葛藤があった事でしょうね。

塩尻駅移転の翌年には「塩嶺ルート」が開業していますが、その結果、主要経路から
外れた辰野〜塩尻は、辰野→松本における岡谷経由の利便性など、現行の列車体系を
考えると、信濃川島・小野の両駅利用者の為だけに存在している印象すら受けますね。




投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 9月16日(火)20時56分25秒
タイトル まだ居ますよ。
みなさまこんばんは。
最近都内に用事があり、休日ごとに尾久でブルトレウォッチをしていますが、
3月で引退した「夢空間」がまだ構内奥にいます。
数日前には「ゆとり」のスロフ14が1両留置されているのも見えました。
維持していくのにも大変なのでしょうが、早い段階で鉄道博物館入りをさせてやれないものなのでしょうか?
JR東日本の英断に期待です。
余談ですが、「夢空間」3両は昨年秋の全国縦断運転を前にお化粧直しをしたため、
妻面の全検表記が「14-1大宮総合車セ」と、やや不思議な内容です。
平成16年6月から改組ですから、本来は「14-1大宮工」だったのですが、
塗り直しを行ったため、このようなアンバランスな内容の表記になったのでしょう。
鉄道博物館でこの表記が一般の目に触れるようになれば、と願います。



投稿者 bell
投稿日 2008年 9月16日(火)22時31分47秒
タイトル 臨時客車列車
雑魚様、こんばんは。
長岡発米原行といえば522レですね。昭和58年8月に全区間乗車するために長岡駅で夜明かし。
長岡発車後まもなく、長い鉄橋上で車内に差し込んだ朝日の眩しさが印象に残っています。

さて、この秋、JR東日本では宮城と長野で臨時客車列車が設定されています。
宮城出身の自分としては客車列車の魅力を教えてくれたED75+旧型客車の『仙台・宮城DC号』に
乗車したいところですが、指定席は押さえられませんでした。やはり人気がありますね。



 
 
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