▼:雑魚 様
福島駅と機関区(交流機)の間は,奥羽本線とは別の出入区専用の機走線がありました。
交流電化以前は,構内の奥羽線ホームや奥羽線貨物列車用副本線などは直流架線が張られていたのでしょうね。
別の資料によると,白河ー福島間の交流電化が完成した昭和35年3月に福島第一機関区と第二機関区が統合されて
福島機関区になっています。
福米間の直流電化が完成した昭和24年4月に,既存のSLに対するELの機関区として第二機関区が誕生し,
それまでの福島機関区がSL配備の第一機関区になっていたものが、再整理されて新生福島機関区になったように思われます。
国鉄時代に第一,第二と2つの機関区が設置されたところは,
岩見沢,長岡,富山,高崎、稲沢,吹田,姫路,広島などが思い出されます。
客車の話題に結びつきにくくて恐縮ですが,福島駅も当時の東北線南部の客車運用の要でしたね。
去年の6月に運転された矢祭町民ふれあい号を石岡駅停車中に見ましたが、12系6両編成がほぼ満席でした。
80人×6両=480人ぐらいは乗っていたようです。
年に1度のお楽しみとして、車内で町民同士の交流の場としての役目も果たしていたのでしょうね。 |