マロネロ38様
食堂車も丸屋根ということは、全室食堂車になっていたわけですね。
ピク誌の「国鉄急行列車愛称変遷史」では、S.10.3.15新設、S.18.2.15廃止で、
マロシ37900が連結されたとだけ記されています。
当時本州では珍しかった半室食堂車が使用された点について「ローカル急行的性格を物語っている」と評されていますが、
末期においては立派な幹線急行に成長していたのでしょうね。貴重なご証言、ありがとうございます。
現代の感覚からはつい忘れがちな事ですが、昔は格式の高い神社への参拝客が、
鉄道の大きな需要を形成していたようですね。
江戸時代の「お伊勢参り」の流れを汲む参拝行脚の需要は、現代の「初詣臨」とは違って、年間を通して安定しており、
定期列車の運行に値するものであったと察せられます。
実際、伊勢神宮のお膝元伊勢市へ向け、東京から急行「伊勢」が、近畿圏からは所謂「鳥羽快速」、
のち急行「志摩」が長らく運行されていたことは、「参拝需要」がかなりあった為ではないかと愚考します。
そう考えると、くだんの大社急行401-402レは「出雲大社への参拝列車」ということになり、
特急並の停車駅や、当時としては豪華版と言えるオール丸屋根の客車編成も、
この列車の性格から来る「格式」を表していた様にも思えてきます。
…なんて話は、考えすぎでしょうか? |