▼himeikanai様:
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東横線は銀一色の車輛が横浜で国鉄の上を悠々と横断し
幼少時における東横線と云うと、私自身も「銀色一辺倒」の印象が強かったのですが、
当時は「青ガエル」やそれ以前の3000系も、まだまだ「大所帯」だったのでしょうね。
社名の「東京急行」から「急行しか走らない高速路線」などと勘違いしておりました。
横浜側に続いて渋谷側でも四年後を目処に、来月開業する地下鉄副都心線の渋谷駅に
集約される予定で、跡地がJR湘南新宿ライン・埼京線のホーム移設に供される点は、
歓迎すべき事ながら、あの独特の風格を感じる東横線のターミナル駅が無くなるのは、
元東横線沿線住民として、寂しい限りです。
画像は、桜木町を発車直後の根岸線列車から横浜方向を眺めたものです。東横線跡は
何に転用されるでもなく、高架橋が、ほぼ全区間で残っています。正面の「中線」は、
鶴見に短絡する高島線(東海道貨物支線)で、私も、今春に廃止された「ゆとり」の
前身「サロン東京」を充てた臨時快速「サロン横浜博」で、乗り通した事があります。
週末特急「はまかいじ」編成の田町車セ回送にも供されるそうですね。その後「MM
21地区」の整備で、東高島〜桜木町の一部が地下化され、試乗当時とは印象が大きく
変わりました。
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153・155系時代の日光集約臨の乗客となり(中略)東京上野回送線を通過しました。
四日前書き込んだ拙稿「品川駅にて」の撮影足場となった臨時ホームでは、その当時、
盆暮の上野駅の混雑緩和の為、ここを始発とする東北方面臨時急行が設定されたとか。
ただし、東京〜上野の列車線ではなく、山手貨物線を経由したそうです。
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羽田空港の場面で、当時の東京の空の広さに大変感激しました
廃止後、架線柱が撤去された日立電鉄跡の沿線で、同様の所感がありました。況して、
後発的な高層建築群が林立する東京では、なおさらの事でしょう。
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