倶楽部メモ(419)
平成20年 4月29日〜 5月 3日



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 4月29日(火)23時17分28秒
タイトル 10系のエンジン音
>赤まんと様
 10系寝台には何度か乗りましたが、エンジン音が気になったという記憶は私もありません。
10系の電源は自車のみの給電ですから、おそらく12系や14系のものよりずっと小型で、
その分音も小さかったのではないでしょうか。
 もっとも私は横になったらすぐ爆睡なので、たとえスハフ12でも寝るときはしっかり寝ますが(笑)。
スハフ14は固定窓のためかスハフ12より静かでした。



投稿者 らん丸
投稿日 2008年 4月29日(火)23時24分53秒
タイトル 中央線の客車列車
冷房付きマロネ49の件ですが、長年の疑問が晴れました・・ありがとうございます。


自分が旧型客車に乗ったのは意外に少なく、幼少の頃、中央東線の昼行客車列車を立川から茅野まで乗った位です・・・・
記憶だとEF64の牽引でした。
ただ、客車が何であったかは覚えていません・・・恐らく飯田町所属の車両ですからスハ32だろうと思います。
当時(昭和47年頃)、飯田町にはどういった車両があったのでしょうか?
投稿者のホームページ



投稿者 Yokoyama
投稿日 2008年 4月29日(火)23時47分2秒
タイトル 加古川線の旧客
こんばんは。マロネロ38様からご指名を頂戴いたしましたので、
あまり詳しくはないのですが、少々お写真の車両について記してみたいと思います。

>>ナハ10063について
すでに車歴については書き込みましたので、戦時改造の要領について抜粋します。室内の様子を想像して下さい。

2.二等室ノ二等腰掛ヲ撤去シ三等腰掛ヲ配置スル妻寄ニハ広場ヲ設ケル。
3.三等室妻寄ノ腰掛ヲ撤去シ広場ヲ設ケル。
4.車体中央ノ便所洗面所ハソノ侭トスル。
5.両端妻寄広場ニハ木製ノ長手腰掛(VB12157図参考)及電車式ノ釣手ヲ設備スル。
6.中仕切ノ引戸ハ撤去シ戸袋口ハ適当ニ塞グコト。
7.ニ等室ノリノリウムハ撤去スル。

>>ナハニ15813について
車歴は以下の通りです。

大正9年日本車輌製27000形ホハニ27021
大正13年27000形ナハニ27021へ改番
昭和3年15800形ナハニ15813へ改番
昭和30年高砂工場にてオハ61 1007へ鋼体化
昭和41年後藤工場にてオハフ61 1071へ緩急車化
昭和55年廃車

>>D区分について
木製客車の車両状況によりAからEまでの5段階に類別され、1位、3位妻面に
標記されました。D級車なのであまりいい状態ではないことを示しています。
余談ですが、休車復活工事施工車はこのアルファベットを9mmの丸で囲みました。
投稿者のホームページ



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 4月29日(火)23時50分45秒
タイトル Re:中央線の客車列車
>らん丸様
 リンク先の「ノーブルジョーカー」様のサイトに、昭和48年10月改正後の編成記録がいくつか載っていますよ。
トップページのメニューから「客車編成表」→「中央東線」と進んで下さい。
ご所望の時期から1年後ですが、車両はあまり変わらなかったのではないでしょうか。



投稿者 尼港線
投稿日 2008年 4月30日(水)09時22分39秒
タイトル Re: 好企画に心うきうき
お久しぶりでございます。尼港線でございます。
私が大好きな10系のお話でしたので、留置線から出て参りました(^^;)
「鉄道ファン」の連載記事は、私も楽しみにしております。

>赤まんと様
私が接した10系寝台車といえば「きたぐに」「だいせん」あたりになりますが、確かにエンジン音を聞いた記憶がありません。
ただ、10系の電源装置は冷房専用のはずですので、12系や14系とは違って夏場しか動かしていなかったのではないでしょうか?
乗車経験は「山陰」のオハネフ12しかありませんが、春先でした。
後に乗ったスハネフ14とは違い、これもエンジン音なぞ気にならず爆睡した覚えがあります。

なお、ご参考ですが、あまりの乗り心地の悪さゆえ、12系置き換え直前の「八甲田」から
ナハ11が外されてしまっていた旨の記述が、「鉄道ジャーナル」1979年8月号のP144にあります。
私がしばしば乗った福知山線のナハ10にも、窓枠がさびつき、開閉に往生した…といった思い出があります。



投稿者 尼港線
投稿日 2008年 4月30日(水)09時34分24秒
タイトル Re: D区分?
>バンブー様
横レス失礼いたします。
「鉄道ピクトリアル」2001年5月号(特集・60系鋼体化客車I)のP16に、
簡単ですが木造客車のA級車からE級車までのランク付け基準について、解説があります。
今では想像もつかないような、当時の客車の劣悪な状態が窺えます。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 4月30日(水)18時05分5秒
タイトル 保護者の悩み
▼赤まんと様:
> 本日も仕事帰りに東京駅へ行ってみましたが、撮影者でかなり賑わっていました。

駅撮りとなると、足場も一点集中気味でしょうね。あるいは、機回し時の単機撮影も
人気でしょうか。回送時の限定運用で良いので、ゴハチと「プッシュ・プル」ですと、
狂喜モノですけどねぇ。

> 回送線踏切で押さえるのであれば、場所にもよりますが 2〜3分前ということ

地図を見ただけの印象ですが、日暮里駅北側の陸橋からの俯瞰も、常磐線や京成線の
分岐が絡んで面白そうです。しかし大宮駅北側の大栄橋では、にっくき金網に阻まれ、
涙を呑んだ経験がありますので、地図のみでは判断できませんね。

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先日、我がセガレが「鉄」の父兄仲間から、この様なもの(画像参照)を貰いました。
う〜ん、本来ならば歓迎すべき事かも知れませんが、我が哀しき財布の事情に鑑みて、
幼少時より終始「禁じ手」として封印した事情を考えると、奨励すべきか否か、結構
悩んでいます。どこかに「エンゲル係数低下装置」とか 売っていませんかねぇ(^^)

………それにしても、この「清水港線」風味の意味するところは………??




投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年 4月30日(水)20時09分47秒
タイトル 10系の冷房機関
オハネ10―11、オロハネ10、オハネ17、オロネ10、オロ11、オハ12-14、等々す
べて乗車経験がありますが、そう気にならなかったですね。嫌だったのはスハネフ14
で「日本海」4001-4002レがこれに変更されてからは(食堂車連結も無くなった)
スハネフに当たるとやかましくて上段でも中々眠れませんでした。冷暖房電源(
車内灯)兼用だから四季を通じてやかましくて---
オロ11の窓変形は聞いた事がありますが、冷房電源と機器を屋根上ではなくマロ55
みたいに床下に入れたら台枠補強ぐらいで済んだのでしょうが。スハフ12とスロフ
12(ムーンライト高知)はやかましいですね。矢張り20系がベスト作品でした。
10系でフイリピンへ渡った車があるらしいですが、あんな線路状態が悪い国では
発電機関や冷房機に「砂を巻き込んで」故障してしまいそうです。
タイ国はまだ線路状態がマシな様でしたが-----



投稿者 スイロフ
投稿日 2008年 4月30日(水)21時35分6秒
タイトル 10系のディーゼル音
久しぶりに書き込みます。
私も10系寝台車は何回か乗りましたが、夏場は「山陰」のみで、やはりディーゼル音はうるさかった覚えがありません。
スハネフ14やスハフ14は五月蝿くてたまらなかった記憶があるのに...

そういえば、1978年頃の冬場に夜行で乗った10系座席車が隙間風がひどくて眠れず、往生した覚えがあります。



投稿者 きむたお
投稿日 2008年 4月30日(水)21時51分21秒
タイトル 10系客車の冷房機関の音
こんばんは。

表題の音、私も非常に興味があるのですが、残念ながら、10系寝台車の現役時代を知らないのであります・・・。
(まだ1歳の頃、父親に抱かれて北陸線の列車を眺めている、
母親が撮影したスナップの背景にナハフ11が写ってはいるのですけど・・・)

さてさて、本題とはやや離れるのですが、一度だけ、マニ30のエンジン音を聞いたことがあります。
目撃したのは寒い2月の早朝、貨物列車の機関車次位に連結されていました。
牽引機は電暖付きのEF81とはいえ、さすがに使っていないようでどうやら客車で自家発電により暖房をしていたようです。
この客車についている発電機関の型式は知りませんが、
10系客車などに使用されているのと外観は極めて似ていると思います。
当時は早朝であたりが静かだったためか、音は意外に響きましたが、気動車の4VKほどの甲高い音ではなく、
やや低い音質で、冷凍コンテナのエンジン音の音量を大きくしたような感じでした。

そういえば、貨車のケ10も似た外観のエンジンを床下に持っていましたよね。

↓写真は件のマニ30 2012です。'03/2/20、富山貨物駅にて。
#以前は時折問題になったこの客車の写真の公開も今は構いませんよね(^^;)




投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年 5月 1日(木)18時04分34秒
タイトル マニ30
日本銀行の車両ですね-外部からの撮影なら問題ないでしょう。
以前は殆どが急行列車に連結でしたが、同種の車が連結されると必ず延発する
ので「迷惑車両」?でした。一度浜松から「霧島」に乗車したら前に連結
されていて、県庁所在地(日銀支店がある)では1−2分延発していました。
大阪で下車したら公安官と日通と、それに自衛隊員が多数来ていたので、自衛隊
の給料も運んでいたのか?!でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 5月 3日(土)12時54分34秒
タイトル 血液輸送
重要貨物の輸送の話題に関連して、私もひとつ。

国鉄の分割民営化(1987年)直前に発行されたRJ誌別冊「国鉄最終列車」において、
様々な「国鉄列車」を惜別乗車する特集記事が組まれています。この中に14系時代の
急行「大雪」も含まれますが、最後尾スハネフ14の連結面の扉(車掌室の脇)付近に、
何と「血液」と大書された発泡スチロールの箱が置かれた写真が掲載されていました。

当然、人様相手の医療用と思われ、保冷材を配した上での厳重梱包かとは存じますが、
それにしても、写真を見た限りでは無造作な印象も受け、北海道はさすが大らかだと、
訳の判らない事を感じたものでした。

この別冊、客車便としては急行「津軽」「だいせん」そして、会津若松→新潟の50系
普通列車も紹介されており、つい先日の様に感じていた当時の様子を改めて読返すに、
結局は自身の加齢を実感するのでした(^^)

画像は、上記記事の当時、まだ駅弁の立ち売りが行われていた日出谷駅の西方にある、
磐越西線の阿賀野川橋梁です。昨年の撮影ですが、かつての蒸機時代を髣髴とさせる
重厚なトラス構造が何とも言えず、それにも況して「ハエタタキ」の「健在振り」は、
個人的に拍手喝采モノでした。




投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 2008年 5月 3日(土)13時43分37秒
タイトル 続 特別急行 燕
EF55が私にも牽かせてえ(^^;
もうスハ3両増結を考えなくてはありますまい。
市場の状況を見るとスハ32の丸屋根でまかなわなければと思うのですが。
時代考証的にこれでもいいのかな?
皆様のご意見を伺いたいと存じます。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年 5月 3日(土)20時22分9秒
タイトル 「燕」
運転開始が昭和5年ですからオール凸屋根ですよね。スハ32(円)の屋根を両側削っ
て誤魔化せませんか?ゲージが解らないですが0ゲージなら出来るでしょう。
「燕」は最初C51+増結テンダーだったのではありませんか?(東京―沼津)C53とな
れば沼津以西ですよね。



 
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