倶楽部メモ(420)
平成20年 5月 3日〜 5月 6日



投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2008年 5月 3日(土)21時49分17秒
タイトル オハフ612752
日中線記念館に行ってきました。
http://nesq.schoolbus.jp/jb_trainbox/ohafu612752p.htm
http://nesq.schoolbus.jp/kikouhd/nicyp.htm
驚くほど状態がよく、29日に見た船岡の同型車のカンバスがはがれているのと大違いです。
船岡のも3年前は機関車ともども綺麗だったのに・・・。

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投稿者 EF5841
投稿日 2008年 5月 3日(土)22時27分32秒
タイトル C53+ミキ20
運用の都合で、C53がC51の代役を務めることになり、実家に保存している資料の中にミキ20付の写真の掲載がありました。



投稿者 仙コリ
投稿日 2008年 5月 4日(日)09時14分14秒
タイトル Re:続 特別急行 燕
「燕」の編成や牽引機については過去に何度か話題になっていますが、当時の国鉄を代表する列車でしたから
基本的には最新鋭の車両が使われていたようです。
三等車についても同様で、スハ32二重屋根(スハ32600)→スハ32丸屋根(スハ32800)
→オハ35(スハ33650)と変更されていたようで、基本的には一斉に変更されていたものと思います。
キングスホビーの製品ということはスハ32は二重屋根(スハ32600)なんですよね。
したがって時代考証的なことを考えると、丸屋根(スハ32800)を増結するのはNGではないかと思います。
また、スハを丸屋根(スハ32800)に統一(昭和9年頃〜14年頃)するとなると、スハニ・スシも
丸屋根の車両に変更する必要があるのではと思います。
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投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2008年 5月 4日(日)12時35分34秒
タイトル 片上鉄道 ホハフ301の画像です。
マロネロ38様に送っていただいた画像の第3弾として、片上鉄道 ホハフ301の画像を掲載いたします。
以下はマロネロ38様のメモです。
「車暦は資料によると 山陽鉄道2625(2・3等合造車)→ホロハ9400(明治42年・官鉄)
→ホロハ8200(昭和3年改番)→オハ8513(その後の改番)→昭和23年5月17日広島局で廃車
→片山鉄道ホハフ301
写真ではTR11系台車ですが、片山へ来た時は山陽の3軸台車だったそうです。
あの軸バネが板バネの台車だと思いますが。
製造が明治40年兵庫工場ですが、明治39年12月で官鉄に買収され、完全な移管が明治40年3月末だった
との記録がありますから、移管中の作品でしょう。」

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投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2008年 5月 4日(日)12時36分37秒
タイトル オハユニ716(大カコ)の画像です。
同じくマロネロ38様に送っていただいた画像の第3弾として、オハユニ716の画像を掲載いたします。
以下はマロネロ38様のメモです。
「TR34みたいな台車ですが、吹田工場に居た野口昭雄氏が「電車用のDT13系の改造ではないか?」と
言っておられました。
コロ軸承ではあったのですが、70系は千差万別で、なかなかトレースが行届きません。」

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投稿者 bell
投稿日 2008年 5月 4日(日)18時53分11秒
タイトル 北海道の夜行急行
雑魚様 こんばんは。
急行 大雪の列車追跡記事、私も記憶に残っております。
昭和62年3月当時、北海道では大雪・利尻・まりもの14系夜行急行に加えて、宗谷・天北が客車で活躍してましたね。
この14系夜行急行はその後特急化されましたが、JR北海道のホームページによると廃止が決まってしまったようですね。
季節列車化されてから行く末を気にしておりましたが、学生時代に何度となく利用しただけに寂しいです。
昨日(5月3日)の日経新聞には夜行バス乗車記が掲載されておりました。
個人的にはスキーバスの狭いイメージがあり、東京−大阪の夜間の移動は『銀河』を利用してきましたが、
今後はドリーム号などバスの利用も考えざるを得ませんね。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年 5月 5日(月)10時13分30秒
タイトル 片上鉄道
ホハフ301の窓配置から合造車だったとお解りでしょう。但し山陽鉄道は3扉客車が
あったから2−3等の間がデッキだったのか?
台車も阪鶴式の板バネとTR71タイプがあったみたいで多分何度か履き替えている筈
です。耶馬溪のは最初からホイールベースが短い2軸(イクオライザー式)だったと
記録にありますが。
オハユニ716は合造車ですが、トイレが客室扉を入った所にありました。
(洗面所ナシ)、車内灯ブラケットはオハ60-61と同じ物でした。乗車当時はこれ
一両だけが谷川行きでした



投稿者 らん丸
投稿日 2008年 5月 5日(月)11時01分20秒
タイトル 四国には配属されなかった?「特ロ」
最近気付いたことですが、日本全国の優等列車に連結された「特ロ」ですが、色々な資料を見る限り
四国には配属されていません。

同じ時期に作られた急行用3等客車スハ43系は運用(準急南風・せと)されているのに
2等車は「並ロ」のオロ35・・・。
最初、スロ51かスロ60、もしくはオロ61が配属されているかと思っていましたが、
四国最初の「特ロ」はキロ28、客車に至ってはムーンライト高知用のオロ12まで一切配属がありませんでした。

やはり気動車急行四国号が登場するまで四国は「準急」だけだったので「特ロ」の配属は見送られたのでしょうか?
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投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 2008年 5月 5日(月)22時33分1秒
タイトル 燕の件 御礼
管理人様ご教授ありがとうございます。
EF5841さん、マロネロ38さんありがとうございます。
どうやら私の能力では7両編成で行くしかないようです。でもEF53は捨てがたいのでそのまま牽引します(^^;
鉄道模型は何でも有りですが実物に忠実なのが醍醐味ですよね。まだまだ精進が足りません・・・



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 5月 5日(月)23時19分11秒
タイトル Re:北海道の夜行急行
>bell様
 ご指摘の通り、「道内夜行特急列車の運転終了について」と題して、
> 「はなたび利尻」「オホーツク81号・82号」については今後運転を行わず
> 「まりも」についても平成20年夏をもって運転を終了いたします。
 …と明記されていますね。
 (JR北海道公式サイト:http://www.jrhokkaido.co.jp/

 学生時代、「北海道ワイド周遊券」と共に大いにお世話になった道内夜行急行群ですが、
 その後出現した北海道名物「キサハネフ」(と仲間内で呼んでいた(笑))には、興味がありながら一度も乗っていません。
 残念ですが、静かに見送ろうと思います。
 写真は昭和62(1987)年5月3日、追分にて上り急行「まりも」です。




投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 5月 5日(月)23時45分57秒
タイトル Re:四国には配属されなかった?「特ロ」
>らん丸様
 少なくとも36-10改正の頃まで、特ロは急行以上の列車専用でした。
 おっしゃる通り、当時四国には客車による急行列車が無かったことが、特ロの配置がなかった理由でしょう。
 改めて時刻表復刻版昭和36年9月号を見たら、客車による優等列車は高松−高知間109レ・110レ準急「南風」
 ただ1往復でした。
 他の準急は全て気動車で、普通列車でも客レは少数派、この時点ですでに四国は気動車王国でした。
 4島で最初に無煙化を達成しただけのことはありますね。



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2008年 5月 6日(火)21時16分7秒
タイトル 軽量客車?
ご無沙汰しております。
先日手持ちメモの中から、どこからか書き写した寝台車用品取扱細則なるものが出てきました。
寝台形式別にふとんや毛布、枕の備え付け数が記されているのですが、
オイネ30やスイネ30マイネ37等9形式の中にナロネ10も入ってました。
当時10系客車はまだ世に出てないはずで写し間違いか気になっております。
他のメモにもマイロネ1302マロネ1403など聞き覚えのない車番が散見されます。
ご存知の方がいらっしゃればご教示頂けませんでしょうか。
宜しくお願い致します。



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 5月 6日(火)22時12分16秒
タイトル 指定客車と軍番号
>ヒゲ無し雷鳥様
 オイネ30やスイネ30といえば、占領時代の連合軍指定客車、いわゆる接収客車または連合軍専用車ですね。
 マイロネ1302・マロネ1403の「1302」「1403」は、「軍番号」ですね。
 カタカナの読めない連合軍関係者が、数字部分だけが同じ別の車両を取り違えて混乱したのに懲りて、
 自分たちに分かり易い整理番号を定めたものです。用途別の番台区分になっていました。
 ちなみに、カタカナ記号と軍番号を組み合わせた標記は国鉄部内のものであり、
 連合軍に対しては記号部分を用いず軍番号のみでやりとりするよう指示されていたとのことです。
 この辺の事情は、河原匡喜(かわはらまさき)著「連合軍専用列車の時代」(2000年5月光人社刊)
 のP.95〜97に述べられています。

 マイロネ1302は国鉄番号マイロネ38 7、これはマロネ38 7の特別室を1等扱いしたために形式変更されていたものです。
 マロネ1403は国鉄番号マロネ37 124、これは昭和28年の車両称号規程改正でマロネ29 116となっています。
 ナロネ10というのは、手持ちの資料では該当するものが出てきませんでした。
 10という番号を持つ車両としては、寝台車でなく展望車で、軍番号2101の「スイテ10」こと10号御料車
 (現在も大宮の鉄道博物館で保存展示)がありますが…



投稿者 ど素人
投稿日 2008年 5月 6日(火)23時22分54秒
タイトル 10系の冷房機関
10系時代の「急行北星」を間近に何度も鑑賞(?)したものですが、
全車両にエンジンが響く様は、なかなかの迫力で、大好きでした。
しかし、たしかに車内の騒音はさほどでもありませんでしたね。

14系のスハネフにも何度も乗りましたが、あまり気になりませんでした。
ただ、スハネフに当たると、隣の車両に乗ってみて「う〜ん、静かだなぁ」と
比較して楽しんだ記憶は、たしかにあります。

昨日、高崎でD51の引く12系に遭遇し、電源用エンジン音に萌えました。



 
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