倶楽部メモ(416)
平成20年 4月19日〜 4月21日 |
投稿者 |
Yokoyama |
投稿日 |
2008年 4月19日(土)01時08分37秒 |
タイトル |
ナハ10063について |
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>マロネフ38さま
>>すみません拡大鏡で見たら10063でした。
ナハ10083は北海道を出た形跡がないのでおかしいと思っておりました。
>>当時加古川線は雑型客車の展覧会で・・・(略)
因みにこのナハ10063は雑形ではありません。形式からわかるように中形に属します。
>>ナイロフ20500型の車掌室を客室改造して窓を増設したら・・・(略)
ナイロフ20550形ではありませんか?いずれにしても大形ですので種車ではありません。
10000形ナハ10063の車歴は以下の通りと思われます。
5335形ホイロ7428 T04 日車製
5335形ホロ7428 T09 改造
5335形ナロ7428 T13 改称
10700形ナロ10711
S03 改番
11500形ナロハ11547 S05 大宮工改造
10000形ナハ10063
S19 名古屋工改造
S30.03.14付達第93号で用途廃止され、高砂工場で解体されました。
最終配置はもちろん大カコです。 |
投稿者のホームページ |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2008年 4月19日(土)08時45分52秒 |
タイトル |
ナハ10063 |
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Yokoyama様
ご教示有難う御座います。矢張り1,2等車でしたか。
2+2の方が多分1等室ですね。吹田に居たということは廃車解体か種車改造の
工機部回送だと想っていましたが、3ヶ月あとに解体でしたか-最後に近いの写真と
言うわけですね。 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2008年 4月19日(土)09時27分17秒 |
タイトル |
50系の乗車経験 |
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話ついでに、東北・四国・九州以外で、50系を利用したのは何処か、記録を改めると、
奥羽線の大曲→横堀および新庄→山形、大曲→横堀、芸備線の新見→三次、山陰線の
益田→長門市→下関のみで、快速「海峡」は14系編成の利用でした。
奥羽線は「青春18切符」で大曲→山形を一気に移動した時のものですが、山形・秋田
県境前後の超閑散区間で接続が無い為、やむなく、横堀→新庄のみ特急を使いました。
乗換えの横堀で居眠りの為、あわや乗り過ごしそうになり、もしそうなれば、終点の
院内で、通過する特急を呆然と見送っていた事でしょう(^^)
この一帯、特に山形県側は好撮影地が多く「こまくさ」撮影で、あちこち歩いた事が
ありますが、それだけ沿線の人口分布は極小の印象でした。山形新幹線区間の延長で、
新庄前後の直通性を失った結果、閑散区間の趣著しく、県境付近の複線区間は素より、
当該区間の列車を陸羽東・西線と共通運用扱いにすれば、新庄〜横堀の電化施設自体、
使わずに済むのではないか、とすら思えます。
芸備線は、津山投宿の翌朝、姫新線の始発便に接続したものですが、当時の津山駅は、
前後で異なる多層建を組む「みささ」に象徴される、風格ある優等列車の要衝でした。
現在、快速に混じり昼行唯一の定期急行が残るのは、幹線経路から外れた地元沿線の
意向ゆえですが、車両内容、運行実態とも輻輳する快速と同じ「遜色急行」の侭では、
遠からず快速化されるものと予想します。
ちなみに三次で接続した広島行の気動車は、急行の間合い運用なのか、各駅停車にも
かかわらず、車内販売があり、何かトクをした気分でした。
十八番の「国鉄の車両/山陽線
1」によると、当時、伯備線の新見以南にも、50系が
設定されています。既に電化されるも、機関車配置区の関係か、DD51の牽引でした。 |
投稿者 |
クモイ103 |
投稿日 |
2008年 4月20日(日)11時29分12秒 |
タイトル |
訂正:旧客を牽いた65PF |
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このところ管理人様が「倶楽部メモSP 主な話題」の整備を精力的に進められ、有難く読み返しております。
つい先日「倶楽部メモ270」まで行ったと思ったらもう「330」とは、リアル進行に追いつくのも時間の問題でしょうか。
ところで、私の過去の発言に大間違いを発見しました。
「その他の話題」→「旧型客車を牽引できる機関車は?」に収録されている、
9月24日(土)20時49分36秒 タイトル 旧客を牽いた65PF の投稿で、
「上野発一ノ関行き123列車」をEF65−1000が牽引したと書きましたが、
正しくは「上野発福島行き125列車」であり、記憶違いでした。
リンク先の「70年代後半の客車編成」に、しっかり牽引機も含めた編成記録があります。
# 仙コリ(管理人)様、お手数ですが本書き込みの本文を
「旧型客車を牽引できる機関車は?」の末尾に追加して頂けないでしょうか。 |
投稿者 |
壁線 |
投稿日 |
2008年 4月20日(日)16時13分16秒 |
タイトル |
ナシ20について |
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素朴な疑問ですが、▲マークの付いたナシ20は実在したのでしょうか。
鉄道ビクトリアルで読んだのですが、防火対策でオ級になってしまった20系に
その印として▲マークを書き加えたのは(電源車はカなのでなし)
ゴーサントオの前後当たりだったと思います。
基本的に電源車以外の全ての車種についたようですが、
ナシ20は同年(S53年)2月の博多「あさかぜ」25型化で運用を離脱し、
保留車となっていたので▲マーク付きのナシ20が実在したのかは謎です。
ちなみに交通科学博物館のナシ20 24は実見してませんので念のため。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2008年 4月20日(日)17時25分24秒 |
タイトル |
50系 |
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50系は播但線と払い下げ先の樽見鉄道で乗車していますが。アレは冷房取り付け可能
構造で、Push-Pull運転も視野に入れての設計だったそうですね。
オハフ以外にトイレがないのが欠点だったけれど播但はオハフ+オハ+オハフx2の
6両でで636レや寺前折り返しをやっていたのでトイレの事を考慮していたのでしょう。
四国では50系の臨時急行が走ったらしいですが、急行に使用しても乗り心地は遜色な
い車でした(オハ二36に似た感じだったが)。もっと活用できたのに早く廃車になっ
たのは惜しいです。 |
投稿者 |
仙コリ(管理人) |
投稿日 |
2008年 4月20日(日)20時45分19秒 |
タイトル |
Re:訂正:旧客を牽いた65PF |
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クモイ103様
>(前略)「倶楽部メモSP 主な話題」の整備を精力的に進められ(後略)
何とかゴールデンウイーク頃までには掲示板本体に追いつこうと努力していますが、ここ数日没頭しすぎて肩こりが…(笑)
また、話題がかなりの数になってしまい項目分けがわかりにくい状況になってしまっているので、
追いついた時点で項目分け・見出しを訂正するつもりでいますので、もう少々お待ちください。
過去の発言の訂正についてですが、「倶楽部メモ」本文を訂正したほうがわかりやすいかと思い、
勝手ながら本文を訂正させていただきました。
「倶楽部メモ」(過去ログ)については、私の方で訂正可能(あたりまえですが…)ですので、
他にも訂正がある方などはご連絡ください。
最後に本文とは関係ありませんが、画像は本日撮影してきた磐越西線の「SLばんえつ物語」です。
上野尻駅近辺の桜並木と共に撮影してきました。(撮影者がざっと100名程はいたようです。)
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投稿者 |
クモイ103 |
投稿日 |
2008年 4月20日(日)21時00分52秒 |
タイトル |
Re:50系 |
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50系は東北地区で何度か乗車したような気がします。山陰方面でも乗ったかな…
50系の編成でよく中間にオハフが入っていたのは、無人駅での集改札のため車掌がしばしばホームへ出る関係で、
編成中のどこにいてもドア操作が出来るようにする配慮だったのではないでしょうか。
気動車でも、2両固定の運用に片運車+両運車を組み合わせることがよくあったと聞いたことがあります。
JR四国の111系電車も、中間のモハに乗務員スペースが設けられていたような気がします。
JR東日本の新系列気動車では本格的な2両固定編成を組んでいますが、
もはや時代が変わって、ワンマン運転を前提としているのでは? |
投稿者 |
クモイ103 |
投稿日 |
2008年 4月20日(日)21時09分24秒 |
タイトル |
訂正ありがとうございます |
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仙コリ(管理人)様
本文を訂正して頂いた方がいいですね。ご配慮ありがとうございます。 |
投稿者 |
tokkoto |
投稿日 |
2008年 4月20日(日)21時24分11秒 |
タイトル |
所属標記ついて |
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はじめまして。
所属標記ついてなのですが金ヒミというのはいつごろのものかご存知でしょうか?
家にある氷見線のサボなのですが金ヒミなるものがあります。
青いサボなのでけっこう古いものかと思いますが金ヒミなど聞いたことがないので・・・。
他には白の釣り、挿しをそれぞれ持っていますがそれは金タカになっています。
高岡所属は通常、金タカと思っていましたが、ヒミは相当古いのか、一部のみ
ヒミであったのか、何か情報無いでしょうか・・・ |
投稿者 |
bell |
投稿日 |
2008年 4月21日(月)00時34分31秒 |
タイトル |
Re.50系の乗車経験 |
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雑魚様 こんばんは。
昭和57年、『青春18のびのびきっぷ』が発売された時期に初めて50系客車に乗車して以来、
北海道から九州まで50系客車を追いかけてきました。
今は全て思い出の彼方ですが、印象に残っている客車列車を挙げてみます。
稚内−旭川の 324レ(オハフ51が1両のみ)
京都−柘植の2720レ(50系の長大編成が京都−草津間で113系に負けじと疾走)
長門市−門司の841レ(ステンレス機+50系) |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2008年 4月21日(月)08時46分50秒 |
タイトル |
金ヒミ? |
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金沢局管内にはよく行きましたが「金ヒミ」は初めてです。
氷見に検支区があったとは聞いていませんし、「青」というのはホーロー引きですか?
行き先は高岡か氷見、城端?
氷見線は元中越鉄道で大正時代に官鉄に買収されてからも、城端線は「中越線」で
したが、その時代は「金」で無く「名」ですから――――本物なれば珍品ですね。 |
投稿者 |
雑魚 |
投稿日 |
2008年 4月21日(月)08時51分36秒 |
タイトル |
草津線 |
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▼bell様
> 稚内−旭川の 324レ(オハフ51が
1両のみ)
宗谷線での50系運用自体、初耳です。機関車込みで僅か二両編成という事でしょうか。
以前言及した、キハ40単行の急行「大雪」と良い勝負ですが(^^)殆ど客レとしての
意味を成していませんね。
>
京都−柘植の2720レ(50系の長大編成が京都−草津間で 113系に負けじと疾走)
十八番の1984年刊「国鉄の車両/東海道線
3」では、DD51が牽く八両編成の写真が
紹介されており、電化後まもない頃は一日二往復の設定があったそうです。
同書では、甲賀駅で
113系が交換する急行「志摩」も紹介されています。当時は確か、
亀山〜柘植の「加太越え」区間で名古屋〜奈良の「かすが」と多層建てを組んでおり、
僅か20kmの併結は、違和感もあったのですが、スルー交換ができない中在家信号所の
構造を踏まえたダイヤ上の制約や、相互乗換えの需要を考慮した措置かも知れません。
同じ「幹線」同士ながら、非電化線から電化線が分岐する柘植駅は珍しい陣容ですね。
駅を擁する伊賀市では柘植駅周辺に限り、草津線を介して大津・京都方面を志向する
独自の旅客導線があるのでしょうね。
余談ですが、草津駅の案内所では、群馬県の草津温泉と取り違えた遠来の旅客の為に、
同温泉から取り寄せた湯の花を用いた銭湯「草津温泉」を案内しているそうです。 |
投稿者 |
マロネロ38 |
投稿日 |
2008年 4月21日(月)09時02分55秒 |
タイトル |
金ヒミ?の件(2) |
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書き忘れましたが、小杉に管理人が居られる「北陸の私鉄」の掲示板にでも
質問されたら如何ですか?
地元だし管理人さんがJRにも詳しいですよ。 |
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