倶楽部メモ(414)
平成20年 3月30日〜 4月12日



投稿者 6181
投稿日 2008年 3月30日(日)22時34分36秒
タイトル 「夢空間」「ゆとり」
管理人様,皆様,はじめまして。尾久近在の中年です。
当方軟弱者にて寄与できることもあまりありませんが,現認報告を少々。
「夢空間」は定時に尾久に帰着,今晩はこのまま到着線でしょう。さきほど食堂車の灯も消されたようです。
「ゆとり」は,なぜかオロ14 705だけが抜かれてホーム脇の着発線にいます。明日大宮でしょうか。
残り5両は再組成されて元の洗滌線脇におさまっています。
今後が気になりますね。

>赤マント様
精力的なご活動,尾久になじみのある者として誇らしい思いです。
高崎の12系,「津軽」の新系列化時に尾久に投入された車両でしたでしょうか。30年も経つのですね。
撮影マナーについては全く同感です。事故がおきないよう願うばかりです。



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 3月31日(月)18時26分43秒
タイトル おッ、先を越されましたネ
昨夜の6181様の投稿にありましたように、「ゆとり」に変化アリ、です。
出勤のため今朝5時半すぎにホームに上がりますと、オロ14 705だけがポツンと側線に留置されていて、びっくりしました。
夕方5時すぎに帰ってきたのですが、既に移動済みで、姿が見えませんでした。
大宮にもいなかったようです。
現在は長野で解体を行っているようですから、早々回送されたのか、
まだ尾久構内の、予備車や廃車前提車を留置する線に移されたか、だと思います。
「夢空間」は夕方時点で、洗浄線奥の留置線に移されていました。
「ゆとり」の残り5両は幌がすでに離されていて、このまま解体なのか、どこかに譲渡する気なのか、気になります。
3月も今日で終わり。過去最高の月間79本の編成記録を取り、慌しく過ぎていきました。
尾久在住の6181様の存在は地元民として心強く、情報提供を期待しています。



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 3月31日(月)21時51分45秒
タイトル 「銀河」にちなんだ創作
>103列車機関士様
 小説拝見しました。なかなか深いテーマのお話しとお見受けします。
勢いで作った瞬間芸のような私の作品とは取り組み方が違いますね…
 模型は最近暖かくなったので(笑)、少しペースが回復してきました。
で、夏になると「塗装時の換気がたいへん」という大義名分(爆)でまたペースが落ちるんだなこれが(^^;。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 4月 1日(火)07時48分51秒
タイトル エイプリル ・フール
▼赤まんと様
> 回送されたのか、まだ尾久構内の、予備車や廃車前提車を留置する線に移されたか、

水郡線専用に短編成化されて、永らえるという、未確認・無責任情報があります(^^)




投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 4月 1日(火)09時28分11秒
タイトル 粋な話題ありがとうございます
雑魚様。
そうですか、短編成化され水郡線専用になるのですか。
撮影記録が豊富ですと、ときにこういった粋な投稿ができるのですね。
2両プラス機関車というのもかわいらしくていい雰囲気ですね。
KATOから近日予定品として「ゆとり」リリースが予告されており、
同時期に発売されるという、EF65 1118とともに狙っています。
模型の世界では現役バリバリ、
いつまでもいろいろな牽引機との組み合わせ、車両との顔合わせを演じてくれることでしょう。
余談ながら、「ゆとり」スロフ14 701,702のタネ車は、私めと同い年でもあります。
スハフ14時代から終始品川、尾久を離れなかった車両です。



投稿者 103列車機関士
投稿日 2008年 4月 1日(火)23時06分27秒
タイトル RE・「銀河」にちなんだ創作
クモイ103様
ありがとうございます!ちょっと・・重すぎかなあ(笑)

大義名分・・僕はその理由・・冬にもあてはめてます(爆)
何時塗るんや・・・お互いがんばりましょうね!
投稿者のホームページ



投稿者 くらやみのまろ
投稿日 2008年 4月 2日(水)01時23分52秒
タイトル 昭和31年11月改正前の「十和田」
>ホエ7030様
質問にお答えいただき、ありがとうございます。
「十和田」をご覧になられたのは、昭和31年4月からでしたか。
カニMB-3201の連結された編成記録は、先日の書き込みで転載した昭和29年10月のものしか知りませんでしたで、
31年4月以降にもカニMB-3201が連結されていたというのは、大変貴重な情報です。

当時の常磐線における、急行列車のロネの連結両数は大抵1両だったようですが、
そうした中で、戦前の特急「富士」で使用されたマロネ49(マイネ37130)、マロネフ49(マイネフ37230)などの
優等寝台車を連結した「十和田」は、際立った存在感を示していたのではないかと想像されます。
昭和29年10月〜31年11月改正までの「十和田」は、もし叶うのなら、最も見てみたかった列車です。
(この改正後、ナハネ10やスハシ38などを連結するようになった「十和田」にも、違った魅力を感じますが)

マハネ29は、側窓下に「寝台」と三等の標記もあり、外観上はれっきとした三等寝台車に見えますから
『マハネ29があるのに戦後初というのはおかしい』と思われたのも、無理はないように感じます。
ところで、手持ちの資料の中で、31年11月改正以前の「十和田」の編成記録は6本ありますが、
この内、昭和31年11月19日、最後の東京着となった「十和田」にも
軍番号マハネ3430・3435(マハネ29 8・27)が、機関車と荷物車の間に連結されていたようです。
このマハネの連結は、この日だけの例外的なものかと思っていたのですが、
『たまにはマハネ29も連結されていた』とのことで、模型でも、たまにマハネを増結してみると楽しそうです。

『MB車やマロネ49が入っていた当時の「十和田」の編成を模型化』ですか…。
1/80ですと、素晴らしく迫力のある編成になりそうで、できるものなら、是非とも拝見してみたいと思ってしまいます。
また、この頃の「十和田」は、数少ない編成記録や写真を見るだけでも、
荷物車・マロネ29・食堂車・特ロに様々な形式が使用されていたことが伺えますが、
どのような編成で模型化を考えられているのか興味深いです。
…戦災復旧荷物車群というのも興味津々ですが(笑)

当方は、約13年前に1/150で、昭和29年10月の「十和田」を製作しましたが、
資料・知識共に不足していた学生時代の作のため、
今となっては考証ミスが多過ぎる、恥ずかしい品になってしまいました…。
そのうち、考証ミスを是正した同時代の「十和田」を作って、
さらに昭和34年9月までの編成を網羅できるだけの車両も揃えたい…と、かなり前から考えてはしていますが、
実現するのはいつの日になるのかわかりません…(汗)



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 4月 9日(水)18時56分35秒
タイトル 瀬戸大橋20周年
明日4月10日は瀬戸大橋開通20周年です。
写りが悪くて恐縮ですが、今から20年前の1988年4月10日朝、東京から初めて四国上陸を果たした「瀬戸」を、
宇多津の街の背後にある青ノ山中腹の展望台から迎え撃ったショットです。
この風景も、今はだいぶ変わっているんでしょうね。




投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2008年 4月10日(木)23時59分54秒
タイトル Re:瀬戸大橋開通20周年
今日が瀬戸大橋開通20周年なんですね。
客車「瀬戸」には乗れずじまいで「サンライズ」になってからようやく乗車という客車ファンとしては情けない状態ですが…
今年は瀬戸大橋とともに青函トンネルも開業20周年ですので、
これを記念して瀬戸大橋と青函トンネルに関する写真を投稿いただければと思います。
特に客車時代の「瀬戸」の写真などを希望いたします。
ある程度の数がそろいましたら、また特別記念写真館を作成したいとも考えていますので、よろしくお願いいたします。
投稿者のホームページ



投稿者 壁線
投稿日 2008年 4月11日(金)15時32分35秒
タイトル 両側HMの「出雲」
お久しぶりの投稿です。
質問ですが、「出雲」牽引のEF65のヘッドマークはいつまで両側についていたのでしょうか。
始まりはゴーマルサン(昭和50年3月改正)あたりだと思いますが、
終わりが列車廃止時なのかそれとも途中で片側のみになったのかは載っている資料を見たことがありません。
また、今はサンライズになった「3・2号」には同様の処置が行われたのでしょうか。
もしそれが行われていたとしたら時期もご教示願います。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 4月12日(土)12時00分12秒
タイトル 瀬戸大橋所感
▼管理人様:
> 今日が瀬戸大橋開通20周年なんですね。

客車便としての「瀬戸」は、大橋開業の前後に一度ずつ乗りました。最初の乗車時は、
岡山が目的地でしたが、寝台券は宇野まで購入、今となっては貴重な思い出の品です。

それにしても、現在の宇野駅は、かつての要衝振りが信じられない程、簡便化されて
いますね。機回しの都合上、中間駅より構内が広くなる事が多かった街中の終着駅が、
再開発の関連で(時として移転を伴い)縮小した例は全国に数多ありますが(身近な
事例としては、小規模ながら、水郡線常陸太田駅を連想します)宇野駅の変貌振りは、
代表格と申せましょう。

なお、宇野駅の所在自治体は岡山県「玉野市」これは、宇野地区と、少し西側にある
港町・玉地区の合成地名と思われます。三箇所の隧道を介して両者を結ぶ自転車道は、
1972年に廃止された市営電鉄の跡です。宇野駅と造船所を結んでいた専用線を転用し、
のちに琴電に転出した電車が充当されていましたが、赤字対策として、架線や電柱を
残した侭、熊延鉄道などから導入した気動車に置換されました。

同路線が当初、児島までの延伸計画において、接続を意図したであろう下津井電鉄も
既に無く、瀬戸大橋開業当時、JRと下津井電鉄が並走する構図は、今考えると実に
貴重な光景だった様に思います。

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今回は、赤まんと様の真似事です(^^)埼玉での仕事帰り、尾久駅に到着する直前の
車窓風景です。良〜く見ると、奥に「夢空間」がいますね。いつまで永らえる事やら。
構内の上野寄りには、ボンネット型「能登」も留置されていましたが、作業用足場に
阻まれ、撮影不能。早朝・深夜しか稼動しないこの人気被写体、せめて、尾久駅では
もう少し露出度を上げても良いのでは(^^)




投稿者 雑魚
投稿日 2008年 4月12日(土)13時10分59秒
タイトル 今更ながら 鉄道博物館
開館してそろそろ半年というこの時期、今更ではありますが、前記の埼玉出張の際に、
無理矢理捻出した空き時間(^^)を利用して、漸く鉄道博物館を見物して参りました。
春休みが明けた平日の朝一番、空いているだろうと高を括れば、入口は既に長蛇の列。
面食らいつつも、一方で「鉄」の社会的地位が向上した様な気分でした。

時間制約上、運転シュミレーターもジオラマも度外視、ひたすら画像の「ヒストリー・
ゾーン」に張り付いていました。上野駅の御約束・チキン弁当を購入し「ひばり」の
車内で頂いたのですが、最近まで水戸駅を住処としていた車両での食事は実に感動的。
これで、冷凍みかんとプラスチック容器の緑茶、そして、ダミーの車内放送があれば、
そのまま走り出しても、何ら違和感を覚えないであろう雰囲気でした(^^)

隣の急行電車も、東北線や常磐線の沿線域にとっては、長年慣れ親しんだ塗装ですが、
惜しむらくは、車内が通勤用のセミクロス・シートに改良した後の状態だった事です。
まぁ、これはこれで、急行運用を退いた後の貴重な記録ではありますが。

そのまた隣の「とき」は、信越線と白新線の分岐点付近に静態保存されていたものを
搬入したと聞きます。私自身、この「赤帯ボンネット編成」は、両親と新潟の親類を
訪ねる際に、食堂車ともども利用しています。私と御袋は「青い座席」一方、なぜか
親父は「赤い座席」………今思うに、自分だけG車利用か!!………と、怒りが沸々と
込み上げて来ます(^^)

その「とき」車内から眺めた、今は亡き路線で印象に残っているのが、東武熊谷線や
高崎線新町分岐の電化貨物線(神流川河川敷の砂利採取用)越後交通栃尾線、そして
蒲原鉄道などですが、林の中へ去って行く非電化時代の川越線も情緒がありましたね。
その分岐点付近こそ、この鉄道博物館の所在地と考えると、感慨に堪えません。

昭和のオヤジには、刺激が強い内容でした(^^)連投にして長々と失礼しました。




投稿者 bell
投稿日 2008年 4月12日(土)22時23分34秒
タイトル 寝台特急『瀬戸』の思い出
管理人様 こんばんは。
青函トンネルと瀬戸大橋は開業20年なんですね。つい先日のような気がしてなりません。
さて、寝台特急『瀬戸』といえば、四国の50系客車列車探訪のアプローチとして
昭和62年2月と平成2年11月の二度利用したことが思い出されます。
平成2年乗車の際は堂々の13両編成。
東京駅のプラットホームも結構混んでいたように記憶しています。
まだまだ、寝台特急が輝いていた時期でした。

平成2年11月6日の記録
瀬戸 13レ 東京21:00−高松7:35
   EF65 1052 田
1  オハネフ25  301 広セキ B寝台・禁煙車
2  オハネ 25  207 広セキ B寝台
3  オロネ 25  305 広セキ A寝台個室
4  スハ  25  302 広セキ ラウンジカー
5  オハネ 25  176 広セキ B寝台
6  オハネ 25  177 広セキ B寝台
7  オハネフ25  147 広セキ B寝台
8  オハネ 25  163 広ヒロ B寝台
9  オハネ 25  170 広ヒロ B寝台
10 オハネ 25  194 広ヒロ B寝台
11 オハネ 25  199 広ヒロ B寝台
12 オハネ 25  169 広ヒロ B寝台
13 オハネフ25  152 広ヒロ B寝台



 
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