倶楽部メモ(412)
平成20年 3月26日〜 3月28日



投稿者 bell
投稿日 2008年 3月26日(水)00時02分13秒
タイトル ご報告
赤まんと様 こんばんは。
先日投稿させていただきましたムーンライト松山に使用中の14系座席車について、
オハ14 165と確認できましたので、ご報告させていただきます。
話題変わりまして、1往復に減便された北斗星。
多客期に臨時便が設定されるかどうか、非常に気になります。
できることなら、以前のようにトマム行や山線経由の設定があると嬉しいですが…。



投稿者 スイロフ
投稿日 2008年 3月26日(水)00時42分46秒
タイトル Re:スエ38 3
久しぶりに書き込みいたします。
私も写真を見てびっくりしました。保存されている方に心から
敬意を表したいと思います。
元車のカニ39550といえば、特急「富士」に連結されていたのが
有名?でしょうか。

話は脱線しますが、スエ38というと、総武本線佐倉駅外れの留置線に
いたのを見たことがあるスエ38 8(元カニ38)が思い出されます(^^;;)。



投稿者 くらやみのまろ
投稿日 2008年 3月26日(水)01時42分9秒
タイトル 「十和田」のカニMB-3201
皆様はじめまして。
こちらのサイトと掲示板は、数年前より拝見しておりました。
今までも何度か書き込みしたいと思いましたが、今回、個人的に非常に思い入れの深い事に関する話題が出ていまして、
ついに我慢できなくなりましたので(笑)、書き込みさせていただきます。

>VIVIO T-TOP様
スエ38 3の写真を拝見して、感激してしまいました。
クモイ103様も触れられている「国鉄事業用車博物館」に1999年5月撮影の写真が掲載されていますので、
以前から「まだ現存しているかも?」と思っていたのですが、おかげさまで現存が確認できて大変うれしく思います。
ちなみに、写真を拝見してすぐに「カニMB-3201だ!」と確信していました(笑)


>ホエ7030様
当方は1950〜1960年代の常磐線の列車に強い思い入れがありますので、以前よりホエ7030様の書き込みと写真は、
非常に興味深く拝見させていただいております。
…しかしまさか、「十和田」(当方の最も好きな列車です)のカニMB-3201をご覧になっているとは驚きです。
この車両の形式図からも、『全窓の外側に取り付けられた縦棒や、全てのドアの窓が塞がれていた』ことが伺えはしたのですが、
実車をご覧になった方の証言に接することができるとは思いませんでした。
ところで、差し支えなければ、カニMB-3201の連結された「十和田」をご覧になった時期をお教えいただけないでしょうか?

当方は1970年代後半生まれでしたので、「十和田」という名前の列車すら見ることは叶わなかったのですが、
最寄の路線が常磐線だった関係もあり、昔の常磐線への興味が強くなり、十数年前に資料を探しているうちに、
下記の編成記録を発見することができました。
(『鉄道ジャーナル別冊23 JR急行・快速列車』より引用)

1954.10.24 急行「十和田」 1201列車 東京→青森
 EF56 9 浜
 ホシ3307
 マロネフ38 2 仙台行
 スハフ42 259
 スハフ42 125
 スハ43 251
 スロハ32 2
 マシ29 2
 スロ60 29
 マロネ29 25
 マロネ29 31
 マイネ38 5
 カニMB-3201
 マニ31 28
(客車の配置区は全て東シナ)

地元の常磐線に、かつて、これほどの豪華列車が運転されていたことに驚くとともに、
これを見たことで、この頃の常磐線の客車列車への傾倒がますます激しくなってしまいました(笑)
そのようなわけで、この編成は当方にとって一種のバイブルとも言えるのですが、
それに連結されていたカニMB-3201(スエ38 3)が現存していることは、本当に嬉しく思いますし、
筋違いかもしれませんが、所有者の方には感謝申し上げたく思います。


長々と駄文を連ねてしまい、失礼いたしました。
それでは皆様、今後もよろしくお願いいたします。
http://blog.goo.ne.jp/kurayaminomaro/ (←この書き込みとは全く傾向が異なるブログですが…(汗))



投稿者 Yokoyama
投稿日 2008年 3月26日(水)09時55分15秒
タイトル カニMB-3201
皆さま、こんにちは。
管理人さま、たいへんご無沙汰しております。「国鉄事業用車博物館」のYokoyamaです。

VIVIO T-TOPさんの画像を見て私もたいへん懐かしく思いました。
弊サイトに展示してある画像はもう今から9年前に許可を頂いて撮影したものです。
個人の所有物ですので、あえて撮影場所は記述していませんでした。今も変わらない
姿で保管されている様子を拝見しうれしく思いました。

くらやみのまろさん、はじめまして。スエ38 3の前身であるカニMB-3201にたいへん
思い入れがあるご様子ですね。何かの参考になるかと思いその画像をご紹介しようと
思います。本来であればこちらの掲示板に投稿したいのですが、使用上の制約があり
弊掲示板にてご覧下さい。管理人さま、リンクご容赦下さい。
投稿者のホームページ



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 3月26日(水)11時52分53秒
タイトル トワイライトカニ「つるぎ」
壁線さまのご質問のトワイライトカニ「つるぎ」ですが、実際にありました。
とはいえ私はこの目ではみておらず、雑誌写真での確認です。
2003年2月刊イカロスMOOK「名列車列伝シリーズ19 寝台特急日本海&急行きたぐに+583系大全」16ページに載っています。
1994年春に大阪到着目前をとらえた写真です。
トワイライト機の20系「あおもり」牽引はやはり雑誌でどこかで見たような気がしますが、思い出せません。
関西の夜行列車では「つるぎ」「だいせん」をついぞ編成記録に収めることができず、惜しいと思っています。
bell様、「ムーンライト松山」のご報告ありがとうございます。
件のオハ14 165は「銀河81,82号」に組み込まれたことがあり、先月回送された宮原車も、
岡山、下関配置当時は多客期に組み込まれて東京に顔を出していました。
廃車を免れた165には少しでも長く活躍してほしいものです。
事業車は私には未知の世界ですが、オエ61 21は国鉄末期まで田端に残っており、
機関区の定位置にポツンと置かれていたのを思い出します。
道路沿い一番手前におり、子供心に「客車って間近でこうやって見ると、デカイなあ」と凄みを感じていました。
なにせ上野駅停車中か、尾久通過の夜行列車ばかり見ていましたからね。
足回りが見える位置からしげしげと見上げる、なんてことがあまりなかったのです。
当時はまだ田端の橋も青く、初期形DD13がせわしく動き回り、EF80がたくさん休んでいました。
オエ61との初対面は1980年夏のことです...。



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 3月26日(水)19時51分58秒
タイトル スエ・カニMB
 スエ38 3が個人所有とは、私も驚きました。大切に管理されている様子で、所有者の方に敬意を表したいと思います。

 くらやみのまろ様、貴ブログはしばらく前から拝見しております
(琴電の関係で、まろねふ様にお引き合わせしたら面白いかな?と勝手に…)。
当サイトとは一見縁が無さそうに見えて、実はディープな客車ファンの片鱗を感じさせるお話しがありましたが、
やはりお詳しいのですね(笑)。

 Yokoyama様、江本氏によるカニMBの写真、拝見しました。
向かって左から2番目のベンチレーター脇にあるものは、軍用改造で設けられたトイレの臭気抜きでしょうか?



投稿者 Yokoyama
投稿日 2008年 3月27日(木)08時17分24秒
タイトル Re:スエ・カニMB
皆さま、こんにちは。

>クモイ103さま
トイレの臭気抜きで間違えないと思います。
この車両は「連合軍用客車改造形式図」にVC03265として室内図が残されており、
この場所には種車にはなかった便所が設置されています。
モデラーの方は要チェックのポイントですね。
車掌室の座席も2等用に変更されるなど、外観同様に室内も特異な雰囲気を感じます。
投稿者のホームページ



投稿者 きむたお
投稿日 2008年 3月27日(木)11時27分11秒
タイトル 北陸線夜行編成など
こんにちは。美しいスエ38の発見、すごいことですね!
私は3軸の客車といえば宮原のマイテ49 2、高崎のスエ78 15しか見たことがなく、
この端正なサイドビューと重厚な台車の取り合わせに感動が収まりません。
70年前の客車をこれだけの状態で維持しているオーナーの方に敬意を表しますm(__)m


▼ 雑魚様・赤まんと様
すばらしいお言葉ありがとうございます。m(__)m
じつはここでシュプール白馬栂池の回送編成の20系も撮っているのですが、車番を控えていないのであります・・・。
せめて、最後部だけでも車番が分からないとその写真の価値は限りなく「0」に近いと私は思っております。
編成の記録は客車のほかに気動車でもいろいろ取っておりますが、
運転台の向きや更新・未更新などまだまだ楽しいです。


▼ 壁線様
おたずねの件につきまして、古いメモをあさってみました。
恥ずかしながらメモを取り始めたのが1992年頃からであり、かろうじて20系臨時列車に間に合ったという感じです。
というわけで、トワイライト色のEF81と20系の組み合わせの記録が1件ありました。
このほかにも同色の機関車と20系の組み合わせは見ておりますが、
残念ながら写真を撮っただけ(懺悔)とか、団臨運用のみであります。

'92/12/26、9503レ、「急行あおもり」、大阪にて。
EF81 103
ナハネフ22 25
ナハネ20 219
ナハネ20 227
ナハネ20 233
ナハネ20 102
ナハネ20 229
カヤ21 15

*EF81はトワイライト色。


なお、「つるぎ」は最寄の富山が通過(一時期運転停車していたこともあったようですが、
私が記録を撮り始めたころにはすでに本当に通過でした)だったために記録が皆無に近いです。
また、トワイライト色の電源車の入ったメモはありませんでしたm(__)m

↓は「つるぎ」の運転が終わった翌日、返却回送を金沢に出向いて記録したものです。
宮原のスター「カニ24 11様」が組み込まれているのが感慨深いです。

'94/12/4、回8006レ、金沢(2:55)にて。
EF81 45
カニ24 11
オハネフ25 22
オハネ25 83
オハネ25 82
オハネフ25 20
オハネフ25 31
オハネ25 88
オハネフ25 32

・すべて24系25形の基本番台で揃った美しい編成でした。
ハネフがやたらとたくさん入っているのは模型屋さん泣かせであります(^^;;;


添付写真は本題とは直接関係ありませんが、トワイライト色のEF81が牽引する20系の団臨です。
'95/1/14、9515レ、富山にて。
EF81 104
ナハネフ22 26
ナハネ20 306
ナハネ20 360
ナハネ20 338
カヤ21 16




投稿者 壁線
投稿日 2008年 3月27日(木)13時31分28秒
タイトル PF日本海は実在したのか
きむたお様、『あおもり』やその他の情報提供、どうもありがとうございます。
臨時でもトワイライト+20系が見られたのですね。

ところで、カトーのPF前期型には『あけぼの』と『日本海』のHMが付属していますが、『あけぼの』は実物通りです。
しかし、『日本海』を牽いていたという話は聞いたことがありませんし、写真も見たことがありません。
個人的意見としては、『日本海』の代わりに『彗星』や『あかつき』のHMを入れた方がいいと思っています。
PF(それも前期型)牽引の『日本海』のこと、ご存じでしたら回答をお願いします。
※前期型の『彗星』『あかつき』は昭和47年3月(彗星は45年10月)から10月まで実在したので念のため。
(寺本光照氏の著書「国鉄在来線黄金時代の奇跡」に20系を牽いて新大阪へ向かう(つまり上り)
PF前期型の『彗星2号』『あかつき3号』の写真が載っています)



投稿者 きむたお
投稿日 2008年 3月27日(木)14時52分55秒
タイトル EF65PF初期タイプ+20系
▼ 壁線様

標記の写真がRF誌1993-11、P37に載っております。'72/5で1020号機が牽引しております。
他の雑誌でも見たこともあります。
おそらく、壁線様ご記入の「彗星」「あかつき」と共通だったのではないでしょうか?

なお、同誌を手にされましたらP18もチェックしてみてください。



投稿者 くらやみのまろ
投稿日 2008年 3月27日(木)19時04分54秒
タイトル Re:カニMB-3201
>Yokoyama様
はじめまして。
Yokoyama様のHPは以前より拝見しておりまして、膨大な数の貴重な写真は、多いに参考にさせていただいております。

カニMB-3201の画像掲載、ありがとうございます。
Yokoyama様のHPと、VIVIO T-TOP様の写真で、スエ38 3としての姿が見れただけで十分嬉しかったのですが、
貸渡客車当時の写真を拝めるとは夢にも思わず、ますます感激してしまいました。
前出のスエ38 3の画像では、窓が数箇所埋められ、車掌室側の妻面にはHゴム支持の後方監視窓が設けられていますが、
貸渡客車当時からそうであったのかという点がわかりませんでした。
しかし、今回掲載していただいた画像を拝見しますと、各扉窓の閉塞、側窓外側の保護棒以外は原形に近い形態だったようで、
おかげさまで、貸渡客車当時における形態上の不明点の大部分が解消されました。
また、クモイ103様も指摘されている臭気抜きは、室内図通りにトイレが設置されていたことを伺わせ、
模型を作るとしたら再現したい特徴です。
ただ、臭気抜きはあるのに、流し管が見当たらないのが気になります…(台車の内側に設けられているのでしょうか?)。

>クモイ103様
当方の拙いブログをご覧いただいているようで、ありがとうございます。
こちらのHPと、当方のブログの内容はあまり関係がないのでリンクを貼るかどうかは少し迷ったのですが、
少しは客車ネタも掲載するようになったので(近年の寝台車ネタですが)、貼らせていただきました。
元々当方は、在来形客車に最も興味がありましたので、ブログでもそういったネタを扱いたい気もしますが、
それの実車は保存車くらいしか接する機会が得られず、写真も保存車を撮ったものしかありませんので、
結局、最近の客車ネタの端々に、昔の客車の話が混ざる形になってしまっています(笑)



投稿者 VIVIO T-TOP
投稿日 2008年 3月27日(木)21時04分27秒
タイトル スエ38 3
しばらくアクセスしていない間にずいぶんと話題が広がっていたようで驚きました。
それぞれの方が思い入れを持っているようで興味深く掲示板を読ませていただきました。
私自身、最初このハコに出会ったときにはまさか戦前の欧亜連絡特急「富士」の荷物車などと考えもしませんでした。
次回見てみるときには少し違う気分で見ることができそうです。もちろん所有者の方の邪魔にならないようにですが。




投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2008年 3月27日(木)23時17分50秒
タイトル Re:PF日本海は実在したのか
壁線様
牽引機についてはあまり詳しくはないのですが、特急「日本海」の大阪-米原間の牽引機について
調べてみると、特急格上げ時から昭和47年3月改正までは東京機関区のEF65Pが牽引
昭和47年3月改正で下関運転所のEF58に変更される事になりましたが、EF58に元空気だめ管の引き通し
工事が必要なため、暫定的にEF65PFが牽引していたようです。
昭和47年10月改正では米原機関区および下関運転所のEF58となり、その後EF81になったようです。
この昭和47年3月改正から昭和47年10月改正までの間の下関運転所のEF65PFが前期型であったようで、
「あかつき」同様に、この期間のみ前期型EF65PF牽引の「日本海」が実在していたようです。
私が調べた範囲では以上のようになりますが、実際に牽引している写真等は見つけられませんでした
ので、詳しい事情をお知りの方がいらっしゃいましたらフォローしていただけると助かります。
投稿者のホームページ



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 3月28日(金)16時11分22秒
タイトル 週末の駆け引き
▼きむたお様:
> すばらしいお言葉ありがとうございます。

こちらこそ、立山連峰との素晴らしい組み合せを有難うございました。呉羽山からの
撮影事例も御持ちでしたら、御紹介を頂けますと、幸甚に存じます。

………などと言っている傍から、夜の富山駅での20系団臨の画像、思わず丼飯三杯は
行けそうな美味しさですね(^^)1984年刊・保育社「国鉄の車両/北陸・高山線」で、
深夜の直江津駅における夜行列車の本数の多さが紹介され、富山駅にしても、同様の
状況から、夜行便目当てのバルブ撮影組が少なからずいらっしゃった事と拝察します。

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週末の上り「夢空間」撮影に関し、仕事を早目に切り上げ得る可能性が出て来ました。
しかし、仕事先からの移動の手間を考えると、十八番の矢吹付近で撮るのが精々です。
本来は、喜久田〜安子ヶ島の辺りで 583系「あいづライナー」3・4号を撮り、至近の
日和田〜五百川の辺りで「夢空間」を………という段取りだったのですが。

先日、管理人様やバロン様が寄稿された画像から判断して、特別車三両の連結位置は、
青森側の様ですね。そうなると、牽引機は度外視、肝心の特別車三両を後追いで撮る
構図を優先する事になりますが、二度とリベンジが効かない状況下、もし連結位置が
違っていたら………(^^)

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宮原14系の廃回への感慨から、2002年三月末に運転された、JR東日本最後の国鉄色
14系座席車編成の画像を添付します。往路は直流機同士、復路は交直流機同士という
重連編成が、何ともニクい演出でした。




 
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