倶楽部メモ(408)
平成20年 3月 8日〜 3月 9日



投稿者 ど素人
投稿日 2008年 3月 8日(土)18時56分12秒
タイトル スイ38の座席についての疑問その後
平成16年8月25日にスイ38の座席について質問した者です。ご親切にも何人かの方々から
有益な回答をいただきました。とくにクモイ103様が、きわめて具体的な回答をくださり
私の疑問は解決しました。

先日、車両史編さん会「スハ32形(スハ32800)の一族<下巻>」p262-265
を参照することにより、さらに理解が深まりました。

ところで、スハ32絡みで2つ質問があります。

たしか「おいらせ7_(?)号」がボロボロの雑形編成で盛岡〜(上り)に走る姿の記憶があります。
そもそも、この記憶は正しいのでしょうか?
正しいとしたら何年頃(昭和40年代末期〜50年代初期?)のことで、スハ32系の連結の可能性は
ありますか?

幼稚園頃(昭和41年頃)の記憶で、盛岡から乗り込んだ普通列車で、馴染みの室内とは様子の
異なる車両の中を通りぬけたはず...
たしか、肘掛まわりの工作に特徴があったような?
旧2等車(オロ35あたりか)だったのでは、と思っているのですが、その可能性はあるでしょうか?



投稿者 川崎
投稿日 2008年 3月 9日(日)01時33分1秒
タイトル 東サロの写真1
皆様こんにちは。
管理人様、いつもリンクではお世話になっております。
「国鉄車輌を訪ねて」の川崎です。
いつもは感心しながら拝見しているだけなんですが、
「東サロ」「銀河」「あかつき」等のお題との事、
遅まきながら参加させて頂きました。

「東サロ」は昔良く撮りました!その牽引車もたくさん種類がありますが
せっかくなので、あまりないかな〜と言う写真を・・・

1枚目はスロフ14701誕生!です。(S58.5.15)
(お恥ずかしながら拙HPにも出しております・・・)
従来のお座敷の和式イメージを大きく覆した密閉式展望室には
とても驚きました!

投稿者のホームページ



投稿者 川崎
投稿日 2008年 3月 9日(日)01時38分8秒
タイトル 東サロの写真2
そしてもう一つは
「特急色EF60 501牽引の東サロ」です。(撮影データ不明)
当時特急色に戻った同機ですが「東サロ」は一往復しかしなかったと
記憶しております。

末筆ですが100万アクセスおめでとうございます!!

投稿者のホームページ



投稿者 きむたお
投稿日 2008年 3月 9日(日)10時47分38秒
タイトル 遅ればせながら・・・
こんにちは、ご無沙汰しております。

さて、写真は「佐世保線を客車で乗れなくなる!」ということで、
「あかつき」に乗りに行った際、肥前山口で方向転換をするシーンです。

'00/2/12佐世保着4035:ED76 70+スハネフ15 19+オハネ15 37+オハネ15 16+オハネ15 352+スハネフ15 15

本当に客車に乗ること自体が難しい時代になってしまいました・・・。




投稿者 きむたお
投稿日 2008年 3月 9日(日)11時01分50秒
タイトル 運用持ち替えとなる日本海1・4号
連投失礼いたします。
写真は管理人様のテーマから外れますが、減便により青森持ちのみになるといわれる「日本海」(昨年5月3日大阪発の4001)です。
当日は私は自宅最寄の富山から秋田まで乗車しましたが、宮原唯一の青い0番台「カニ24 11様」がしんがりを務めておりました。
天気が悪く、暗かったのですが、RXPを+2増感することでなんとかモノにすることができました。
増結でフル編成の長い青い列がくねくねと発車していくシーンは感動を覚えました(^^)

EF81 106↑
オハネフ25 40
オハネ25 74
オハネフ25 145
オハネ25 66
オハネフ25 46
オハネ25 75
オハネ25 71
オハネ25 78
オハネフ25 142
オハネ25 176
オハネ25 60
オロネ25 301
カニ24 11




投稿者 雑魚
投稿日 2008年 3月 9日(日)14時15分46秒
タイトル 「ゆとり」 最期の日
▼川崎様
> 1枚目は スロフ14701 誕生!です。(S58.5.15)

これはかなり貴重な映像ですね。運用に就いたのが同年八月ですが、これに前後して、
名古屋局の車端部展望仕様の改造12系(御座敷)や大阪局の「サロンカーなにわ」が
デビューしており、これが、前面形状変更を伴う波動用客車の嚆矢だったと言えます。

まだ「ジョイフル・トレイン」という言葉が、特定編成の愛称に留まっていた1986年、
保育社「カラーブックス」シリーズから「イベント列車」が刊行されました。内容を
改めると以下の如しで、今にして思えば、垂涎のラインナップでした。

【盛 岡 局】「ふれあい・みちのく」
【高 崎 局】「やすらぎ」『くつろぎ』
【水 戸 局】「ふれあい」
【東京北局】(12系改造御座敷)
【東京南局】「サロンExp.東京」「江戸」
【新 潟 局】(12系改造御座敷・含サロンカー『佐渡』)
【金 沢 局】(12系改造御座敷)
【長 野 局】「白樺」
【静 岡 局】『いこい』
【名古屋局】「ユーロ・ライナー」(12系改造御座敷/展望仕様)
【大 阪 局】「サロンカーなにわ」「みやび」
【天王寺局】『ジョイフル・トレイン』
【岡 山 局】「ゆうゆうサロン」
【広 島 局】『旅路』『ホリデーパル』
【九州総局】『海』『山』

このうち『 』( )の表記列車は、青地に白帯の国鉄色、またはそれに準じた塗装で、
分割民営化直前、全国統一体としての国鉄の作風が窺える様でもありました。その後、
20年余で、こうした「普通の塗装」の12系が、東日本では高崎の一編成のみとなって、
自身の加齢をしみじみ実感します(哀)

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昨日の「ゆとり」惜別運転は、予想通り「レインボー」仕様機を含む、EF65による
プッシュ・プルでしたね。最終日の本日も好天なので、沿線は、かなり賑わっている
事でしょう。どうせなら、河津の観桜を絡めて、伊豆急下田まで直通すれば、かなり
面白かったのですが、そもそも、伊豆急に客レの入線実績はありましたっけ?




投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 3月 9日(日)20時07分30秒
タイトル Re:オハフ33Nゲージ
>旧保津峡駅様
 TOMIXのオハ35系はもうかなり古い製品ですから、
今のレベルから見ればいろいろ不満が出てくるのはやむを得ないでしょう。

 旅客車で車端部にデッキがある場合、原則として貫通扉は無いのが普通です。
貫通扉を持ったオハフ33というのは、私の記憶では写真を含めて見たことがありません。
 初代「あさかぜ」のマロネフ29には観音開きの扉が設けられていたようですが、優等列車ゆえの例外と考えて良いでしょう。
この扉自体、仮設のものだった可能性があると思います。
 また、本HPの5号車「客車列車写真館」のバックナンバー「2004年 2月 戦前型客車特集」(マロネロ38様ご提供)
にある昭和34年運転開始当初の「能登」のマロネフ38には、変な塞ぎ板?のようなものが設けられています。
これなどは、そもそも客車の貫通路を塞ぐこと自体が例外的なことであった証左のような気がします。
(余談ですが、この約20年後、飯田線で増結運用に用いられるモハ80に、これとそっくりな塞ぎ板が取り付けられていましたね…)

 なお、郵便車・荷物車では、一見デッキがあるようでも内部は直接荷物室や車掌室だったりするので、
妻面にも扉が設けられていました。
TOMIXの製品は、このへんを勘違いして旅客車も混同してしまったのではないでしょうか。



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 3月 9日(日)20時28分42秒
タイトル 臨時急行/並ロ格下げ車
>ど素人様

 お久しぶりです。まず「おいらせ7_(?)号」の件ですが、
昭和50年ごろまでは、多客期になると一般型客車による臨時急行が運転され、
これは各地の予備車をかき集めて編成されましたから、スハ32などが入ることも普通にありました。
私も小学生の頃(昭和40年代半ば…って、ど素人様と同い年でしたね(^^:)、
上越線で上り「佐渡52号」の最後尾スハフ32 2351に乗車したのを覚えています。
 往時の臨時急行の「寄せ集め」ぶりは、本HPのリンク先「70年代後半の客車編成」に
多数収録されている編成記録を見ると実感が湧くかと思います。

> 幼稚園頃(昭和41年頃)の記憶で、盛岡から乗り込んだ普通列車で、
> 馴染みの室内とは様子の異なる車両の中を通りぬけたはず...

 それは並ロの格下げ車でしょうね。
本HPの3号車「客車資料館」→「並ロの格下げについて」→「並ロ格下げ車両・初期配置区一覧」と進んでみて下さい。
青森と盛岡に格下げ車の配置がありますから、それに遭遇されたのではないでしょうか。



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 3月 9日(日)20時41分31秒
タイトル Re:運用持ち替えとなる日本海1・4号
>きむたお様

お久しぶりです。
そうそう、「日本海」は運用持ち替えで、東日本の運用が残るのですね。
しばらく前に「プルマン式ロネが」云々と勇み足をしてしまいました。_l ̄l○

> 肥前山口で方向転換をするシーンです
…方向転換って早岐では…?



投稿者 ど素人
投稿日 2008年 3月 9日(日)21時33分41秒
タイトル 【大感謝】クモイ103様
またまた、有益なご回答、深く感謝いたします!!
ど素人丸だしの質問を、もういくつかさせてください。

スハ32形のモケットの色は「青」になって久しいですよね?
遠い記憶を辿っても、普通車のモケットといえば「青」ばかり、の時代でした。
しかし、背ズリが木製のスハ32で、3等時代の深緑座布団の車両に乗った記憶があります。
これは、いつごろまで現役だったのでしょう?

モケットの色については、謎だらけ? で困ってます。
1等-赤、2等-青、3等-緑、というのが標準なんでしょうか?
これが受け継がれ...と思っていたら、
久々に乗ったB寝台がゴールデンイエローだったっけ...
もっとも、14系のA寝台は最初から緑でしたよね??



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 3月 9日(日)22時29分2秒
タイトル すみません、車内の色は…
車内の「色」に関しては私こそ“ど素人”ですので、詳しい方のフォローをお願いしますm(_ _)m。



投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2008年 3月 9日(日)22時34分12秒
タイトル 銀河
3/7発101レ。1113号機牽引でした。

投稿者のホームページ



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 3月 9日(日)22時52分20秒
タイトル 「なは」
あらためまして管理人様、惜別企画への写真の採用ありがとうございます。
また古い写真を発掘しましたので、貼らせていただきます。
レガートシートがつく前の「なは」
平成元(1989)年4月16日 塚本駅にて




投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 3月 9日(日)22時56分32秒
タイトル 「あかつき」
今夜は連投三昧となり申し訳ありません…
「あかつき」です。平成2(1990)年3月31日 肥前山口にて。あと2枚、メールでお送りします。




 
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