早岐駅の謎に関して 1983年発行の保育社「国鉄の車両 14/山陽線
1」巻末編成表を
改めると、共に「門ハイ」管轄の「あかつき」二往復とも、電機牽引の表記しかなく、
一方、翌84年に発行された同シリーズ「九州各線」における筑豊線の頁では、同線の
冷水峠付近を通過する、DD51牽引「あかつき」の写真が紹介されており、かえって、
謎が深まってしまいました(^^)
同誌掲載の編成表で、やはり懐かしさを覚えるのが、ワイド周遊券による貧乏旅行に
欠かせなかった夜行急行「かいもん」「日南」ですね。下り便における牽引機関車の
次位が「マニ」「スユニ」の違いはありますが「鹿」ED76牽引、スハフ12・オハ12・
オハフ13・スハフ12・ナハネ20・ナハネフ22、という「鹿カコ」編成は共通で、共に
門司港始発という点も、旅情満点の演出であると同時に、自由席が確保し易い点では、
有り難い存在でした。
その当時、座席指定料金が通年
300円で統一されていた四国・九州の気動車急行には、
グリーン車の格下げ、またはグリーン車用腰掛の転用車が充てられるという、破格の
サービスがあり、周遊券利用ながら、指定急行料金(最大
1,500円)を負担してでも、
何度か利用したものです。急行間合の高松〜中村の夜行快速も、度々重宝しましたが、
こちらは後年、50系に置換。空いていれば横掛部分は「簡易寝台」になりますけどね。
その後、かかる腰掛転用は「かいもん」「日南」にも及び、当時からあのアコモなら、
夜行明けの行動で寝不足に苛まれる度合も、多少は軽減されただろうか、と感じます。
一方、十日以上の夜行連泊も吝かではない(^^)旅慣れた友人によると、割と広目の
12系ボックス席の方が、14系の簡易リクライニング・シートより、よほど快適との事。
確かに14系は(後年、ストッパー装備仕様が増えましたが)夜中、上体を起こす度に、
あちこちで「バタン、バタン」と、煩い印象でしたからね(^^) |