倶楽部メモ(395)
平成19年12月 7日〜12月20日



投稿者 初瀬春日
投稿日 2007年12月 7日(金)19時21分16秒
タイトル 暖房管・ウェバスト温気暖房
はじめまして
16番で五能線の混合列車を作ろうと計画し、ロコと客車の間に貨車をはさむ編成では暖房は
ダルマストーブか、といろいろ調べていたとき、この掲示板の過去ログでウェバスト暖房を
見つけました。
新しい発見で思わず叫びそうになるほど嬉しかったです。
自分の撮った写真のなかでそれが写っていたのがあったのでアップします。
昭和54年8月五所川原での撮影です。
(ちょっと古い話題ですみません)
ちなみに、同時期の日中線の混合列車では61系2000番代でした。

それはさておき、本題は質問です。
このようなウェバスト暖房器が装備されている客車でも、他のものと同じように
蒸気暖房管はあるのでしょうか。
私の不鮮明な写真からは判断できません。
どなたか教えて頂けませんか?

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投稿者 雑魚
投稿日 2007年12月 8日(土)09時32分43秒
タイトル またまた常磐線の夕景
仕事で北茨城に行きました。帰途、トイレ休憩に寄った国道沿いの市営駐車場からの
眺めが良い雰囲気で、急遽撮影開始(^^)直前にカマの単機回送らしきがありました。
しかし三脚が無かったので見事失敗。で、石垣に突っ伏す様な「恥ずかしい格好」で
ようやくマトモに撮れた一枚です。常磐線磯原〜大津港にて。




投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2007年12月 9日(日)22時13分39秒
タイトル Re:ウェバスト温気暖房
>初瀬春日さま
ウェバスト温気暖房を装備したからといって、蒸気暖房を撤去してしまったら、
運用が制約されて使いづらい車両になってしまうのではないでしょうか。
写真にも蒸気暖房のトラップが見えますから、蒸気暖房の設備も残されていたと考えるのが妥当のように思います。

昭和51年7月 弘前 オハフ61 600

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投稿者 初瀬春日
投稿日 2007年12月13日(木)11時30分44秒
タイトル Re:ウェバスト温気暖房
竹中@ノーブルジョーカー様
お答えいただき、どうもありがとうございました。
がんばって作ってみたいと思います。
このサイトは貴重な資料の宝庫ですね。
これからも色々と参考にさせて頂きたいと思いますので、
よろしくお願い致します。
掲示板からで失礼ですが、当方のサイトからリンクを張らせて頂きましたので、
ご連絡致します。

五能線列車 五所川原 昭和54年8月

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投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 2007年12月13日(木)23時56分57秒
タイトル 短信ですが・・・
用件のみで失礼致します。
 ウェバスト(一部ではベバスト)=温気暖房装備車でも在来型一般客車の場合、
蒸気暖房引通はそのままと言うのが「本社指示」だったそうです。
(道総局での話ですが・・・なので妻の引通に変更はありませんね・・・)
 ちなみに秋鉄・道総局と一部盛鉄車に「温気暖房装備在来車」はあったそうです。
 形は局(改造施工工場)によって違いがある様ですが・・・
 以上、御参考にもなりませんが・・・
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投稿者 仙コリ@車掌(管理人)
投稿日 2007年12月14日(金)09時45分29秒
タイトル Re:ウェバスト温気暖房
初瀬春日様

ウェバスト温気暖房装備車における蒸気暖房装置の有無についてですが、私も残してある
とは思いながら確信が持てずに書き込みを躊躇していたのですが、岩崎安房守義将様の
書き込みによると、やはり残してあったようですね。

当時の客車は広域的な転属・運用がたくさんあったので、温気暖房装置に限らず、それが
制限されるような改造は基本的にしていなかったと考えるのが妥当ではないかと考えます。

ちなみに碓氷峠鉄道文化むらに展示保存されているオハユニ61 107 が五能線で運用されて
いた車両で、ウェバスト温気暖房装備車ですので、機会がありましたら実車で詳しく確認
されるのも良いかと思います。

また、リンクの設定ありがとうございました。当方からもリンクさせていただきました。
今後ともよろしくお願いいたします。
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投稿者 雪だるま
投稿日 2007年12月14日(金)23時25分15秒
タイトル 北斗星の遅れ
札幌の雪だるまと申します。
今日の夕方札幌周辺のJRは防護無線を受信したということで運休になってました。
北斗星2号は5時間遅れ、4号は札幌を23時頃の発車予定になっています。
撮影や赤まんと様編成のチエックをするなら遅れていますから注意してください。



投稿者 赤まんと
投稿日 2007年12月15日(土)17時37分56秒
タイトル 情報提供ありがとうございます。
雪だるま様初めまして。
情報提供ありがとうございます。
今日は私、夜勤期間でして、朝7時ころ帰区(?)し燃料補給、洗車(??)し夕方たった今まで寝ていました。
ちょうど今朝やってきた「あけぼの」のようなスケジュールです。
「北斗星」はこの時期とくによく遅れてやってきますね。
ヒトが休みだからと尾久駅そばへ出向いたときに限って、一向にやってこない、なんてことがしばしばあります。
「エルム」の設定がなくなり、81,82号の設定期間も今年は短く感じます。
いよいよダイヤ改正の詳細プレスリリースがまぢかになり、削減対象が北海道、東日本なのか、おおいに気になります。
車両の状態がいいのは東日本のほうなのですが...。
こちらでは廃止まで3ヶ月となった「銀河」に注目が集まりだして、
今朝も冷え込んだ中、10名以上が東京駅でカメラを構えていました。
6両でしたが週末だからか、降車は多く、にぎわっていました。
早くもお名残乗車が増えているのかは、わかりませんが...。



投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年12月16日(日)21時51分9秒
タイトル 銀河
14日に銀河に乗り大阪に行き交通科学館と梅小路(他に東淀川区内でDF50とEH10)を見て、
帰りはきたぐに+あがので郡山に帰りました。
銀河は満席できたぐにより込んでました

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投稿者 赤まんと
投稿日 2007年12月17日(月)10時12分15秒
タイトル 週末は盛況でしたね。
13日夜から4日間夜勤で、いずれも順調に終わり定時に上がれたため、連日東京〜上野を行き来し、
「北陸」「銀河」「あけぼの」の順に編成記録を押さえてから帰宅しました。
14日朝到着の「銀河」は1112号機が引いてきましたが、16日朝は1103号機が担当しましたから、
理左衛門(バロン)さまが今回乗った編成は1103号機が先頭だったのでは?
14日下り列車は大阪着後、1号車オロネを差し替えて16日朝上京してきました。
6号車のみ0番台でやや統一感に欠けますが、編成中唯一、宮原を離れたことがない車両です。
15日と今朝の編成は100番台で統一されていました。
オロネを除き全て下関からの移動組、「瀬戸」「あさかぜ」のお下がりです。
4日間ともまとまった降車があり、降りて一目散に写真撮影に走る姿も見受けられました。
焦らなくても、到着して23分間は停車しているので、充分かとは思いますが...。
機回しから連結までも少なくとも5〜6分ほどの余裕はあります。
昨日の「北陸」「あけぼの」はヘッドマークの下にうっすら雪化粧して到着。
いよいよ上野駅で雪を見ることのできる季節到来です。



投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年12月17日(月)22時21分12秒
タイトル 間違いなく1106です
先頭はEF651106、しんがりはオハネフ2547でした。乗車は2号車のオハネフ25133、電源車は108番でした。
15日の上りも機関車、電源車、後尾車は同じでした。中間は確認していません。

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投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年12月17日(月)22時26分30秒
タイトル ちなみに
15日到着の日本海2号と、15日発の日本海3号の機関車も同一の107号機で、少しがっかりしました。
ピンクのEF81を見たのは20年ぶりぐらいのことです。
 5年前に日本海3号に乗ったときは、トワイライトカラーの47号機牽引でした。
このピンク色がEF81本来の色だということを知らない方もいるのではないでしょうか。
 機関車愛好家の私としては、列車廃止による機関車の廃車が気がかりです。
廃止にならなくとも、電車化でも機関車はなくなりますので、悲しいです。

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投稿者 雑魚
投稿日 2007年12月19日(水)22時07分40秒
タイトル EF81 本来の色
▼理左衛門(バロン)様
> ピンク色がEF81本来の色だということを知らない方もいるのではないでしょうか。

地元・常磐線で、星カマや「レインボー」仕様ばかり観ていると、つい失念しがちな
基本事項ですね。以前、羽越線で貨物列車を撮っていた際、牽引機の色が褪せたかと、
一瞬勘違いした自分がもどかしい………

画像:常磐線内原にて




投稿者 急行音戸
投稿日 2007年12月20日(木)00時17分6秒
タイトル 富士はやぶさ
管理人様、皆さま、こんばんわ。
久々のカキコになります。急行音戸です。

ブルトレ赤信号の新聞見出しから、休みに富士ぶさ詣が日課になっております。
やはり1往復のみの東海道〜山陽〜九州直通の最後のブルトレですが、あの大きい屋根、
車体の色、今でも『特別な存在』です。
しかし、前後を通勤電車、コンテナ列車に挟まれながら、独り走る姿は、
20年前、あれほど雁行して、南へ西へと、終着駅を目指した当時を知るものとしては、
いささか、寂しさ、哀れさを感じてしまいます。

夜行列車、決して『時代に取り残された列車』ではないと思うのですが・・・・



 
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