倶楽部メモ(366)
平成19年 5月19日〜 5月23日



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 5月19日(土)17時50分40秒
タイトル 茨城の アレ
> 北赤羽徒歩 4分で東北上越新幹線高架橋脇

それは、中々よろしい環境ですね(^^)北赤羽駅というと、新河岸川の橋梁を兼ねた
独特な構造が印象的で、阪神電鉄の武庫川駅に通じるものを感じます。

> まだ目蒲線は地上ホームからの発着で初乗りも90円だった気がします。

東横線に「青蛙」が健在だった頃、東京都に納税していた私の感覚からして、当時の
目蒲線は短編成の旧型車(ステンレス車の運用は希少でした)が往来するローカル色
著しい作風で、昨今の地下鉄直通体制は、隔世の感著しいですね。高校時代の友人で
大岡山の大学に進学した者が数名おり、彼らと飲んだ際にも、その話題が出ましたね。

さて、ここで唐突に問題です。私は目蒲線の一部区間を、ロマンス・シート仕様車で
乗った事があります。そのココロは………?

> 次の電車は通勤快速。それで次は赤羽止まりと20分も待たされた経験から

タイミング次第では、その程度の待ち時間は今でも間々あるそうですね。私の場合は、
さいたま新都心駅が開業する以前、近くの仕事先に赴いた帰り、埼京線の北与野駅で、
似た様な経験が何度かありました。

> 人里離れた山の中(中略)のちにギネスブックに認定される大構造物の現場

もしや、掲出画像(鹿島鉄道の撮影の序でに、沿線の旧玉造町域から、霞ヶ浦越しに
撮影したものです)対岸中央に見えるアレですか。約20km離れてこれだけ見えるとは、
かなり大きなものと感じていましたが、ギネス・ブック級だったのですね。

アレの所在地は確かに長閑な田園地帯ですが、ここが「人里離れた山の中」とすると、
我が実家の一帯は「人跡未踏の地」という事になりそうです。何しろ、私が幼い頃は、
集落全体で一本の電話回線を共有する「農集電話」が当り前でしたし、80年頃までは、
非電化世帯が存在しましたからねぇ。

鉄道関係では、遠足で利用した水郡線の某駅にて、通過する急行から身を乗り出した
運転手が投じたタブレットが、見事に螺旋状のキャッチャーに収まる様子が、非常に
印象的、そんな長閑な時代でした。




投稿者 555
投稿日 2007年 5月19日(土)22時56分55秒
タイトル 弘前 旧客の頃
 昭和59年2月まで、奥羽本線、五能線では旧客が走っていました。
最後の頃は、奥羽本線は秋田から青森への往復の1往復、
五能線ではオハフ61中心の弘前−東能代の1往復が走っていました。
奥羽本線の列車はスハフ42とスハ43の5両編成、五能線はオハフ61にオハユニ61が最後の活躍をしていました。
スハ43系は元急行用の車両で窓側にも肘掛があり。当時奥羽本線の主力の50系よりも高級な感じがあったものです。
一方、61系は背もたれもクッションがなく木のままでした。
鉄道ファンではない私の友人には不評で、冬は雪が降ってくる列車ということで、
61系にはSGがないので、あまり暖かくないということで、不評だったようです。
そのあたりは過去ログに出ていましたね。
 私は、進行方向右側に陣取り、奥羽本線の43系のテーブルにひじを乗せて外を見てました。
物心つく前からそんなことをしていたと母親に言われたほど好きだったそうです。
当時の旧客のダイヤは朝5時過ぎに秋田を出た列車が弘前を過ぎた後、あけぼのに抜かれ、むつと交換し、
弘前から青森まで37.4キロを1時間20分ほどかけて走る列車でした。
 その列車に乗って青森に着くと仙台行きのスハフ32が待っているという青森では旧客のゴールデンタイムでした。
管理人さんのおられた仙コリの車両も東北本線の青森の運用に入っていたと思います。



投稿者 車掌@仙コリ(管理人)
投稿日 2007年 5月20日(日)17時24分2秒
タイトル 客車資料館・掲載資料の一部訂正について
皆様、いつもお世話になっております。
先日のオロ42の話題の際に、以前まとめました「客車資料館」の「並ロの格下げについて」を見直していたところ、
一部間違いを発見しましたので訂正致しました。
(具体的には、オロ35とオロ42の格下げ車の年度別両数推移一覧表の、年度等の表記がずれていました)
すでにご覧になっていた方には本当に申し訳ありませんでした。

今回、問題の部分を訂正するとともに、確認のために作成した、
各形式の車歴詳細を年表状にまとめたものを追加掲載致しました。
今後も少しでも皆様のお役に立つ資料を作成していきたいと考えていますので、
ご意見や間違いの指摘なども書き込んでいただければ幸いです。
今後ともよろしくお願い致します。 管理人



投稿者 クモイ103
投稿日 2007年 5月20日(日)21時53分32秒
タイトル 鋼製・全金属製…?
 車掌@仙コリ様、掲載資料の見直しに加えて新規データのアップ、お疲れさま&ありがとうございます。
 座席未改造の格下げ車が多く存在した時期は、昭和39〜40年頃のピンポイントだったことがわかりますが、
これらの資料を見ていると、格下げ車ばかりで組成された豪華二等車編成を作りたくなってしまいます(笑)。

 ところで、
> 電車における区分けもわからないのですが、当然各扉や窓枠が鋼製であることは必須であると思われ、
 …実は、クハ79920番台の乗務員扉は木製でした。
細かい部品まで突っ込むと、モハ72920番台のパンタ横のランボードは木製と思われますし、
さらに101系の室内で、床面よりわずかに高い貫通路との段差を埋めるために、
三角断面の木製部材が貼り付けてありました(細かすぎ?(^^;)。
「半鋼製」「全鋼製」「全金属製」の区別、どのような基準があったのでしょうか。
詳しい方、おられましたら何卒フォローをm(_ _)m



投稿者 ED12
投稿日 2007年 5月21日(月)10時27分0秒
タイトル 客車最後のツアー?
20日に銀座の老舗模型店さん模型部創設58周年を記念する「客車の旅」イベントがありました。
品川から金谷へはブルトレ客車、金谷からは大井川鉄道で千頭終点までは旧型客車を蒸機が引っ張る
「新・旧客車づくし」の一日でした。
このツアー企画は担当者の方が大変な苦労をされたようです。
牽引機関車の希望(EF5861はJR東日本から東海に入れなくなったそうで)、
ブルトレ型客車の希望(急激に数が減っていて揃わないそうで)など以前では考えられない事態だったそうです。
またJR各社が「客車を嫌って」いるためこれを最後に各社またがりの“客車ツアー”は消滅するのも間違いなさそうです。
今回のイベントには鉄道にはあまり縁のなさそうな若い女性の参加も多く見られ、
モーター音のしない往復約12時間の新・旧客車旅のよさを新発見したようでした。
効率一辺倒のJRさんも、本気で“日本の魅力ある在来線の旅”を考えないと若い女性も味方にできっこないでしょう。
もう一つ、必死に頑張る大井川鉄道。老朽化した設備やボロボロの車体塗装は哀れでした。
イラクに自衛隊を派兵する金があるなら、こんなところにこそ税金を援助しろやい”と憤りを感じた次第です。



投稿者 ぱわつよ
投稿日 2007年 5月21日(月)19時37分54秒
タイトル 元鉄道小僧日記(茨城編2)
>さて、ここで唐突に問題です。私は目蒲線の一部区間を、ロマンス・シート仕様車で
 乗った事があります。そのココロは………?
雑魚様、申し訳ありません。
当時はボロ雑巾状態で電車に乗ったら即死状態で電車云々まで頭が回るような状態ではありませんでした。
現在は地下鉄線となり蒲田にいけなくなってしまったとわかったのはつい最近の事でして・・・
さて、愛すべき茨城の現場というのは本来、スーパーゼネコンが組んで受注する大規模な現場でしたが、
背伸びしすぎたのか?弱小ゼネコンが単独受注したもので何から何まで手探り状態でした。
社員だけで20名・作業員は300名を超え、大仏班・造成班・建築班にわかれていました。
休憩時といえば競馬の話題ばかりで、毎週末赤羽に戻って東京暮らしを満喫していた小僧は
先輩社員にとって格好の馬券買い係でした。
土曜の夕方に牛久駅から上野まで乗っていましたが、まず必ずといっていいほど特急列車の待ち合わせがありました。
中でもひたちは(フレッシュではない)自分の好きな485系でしたが、
端部の車両が通常タイプとボンネットタイプを連結させていたので、おかしかった記憶があります。
スーパーひたちは当時としては画期的な在来線130km/h走行と先進的なデザインで一度でものりたかったのですが、
ほとんど上野〜水戸間ノンストップのダイヤだったのでなかなか乗る機会が無かったのですが、
時刻表を調べてみると土浦に停車するのを見つけたので、わざわざ牛久から土浦まで逆戻りして
(当時ひたちの牛久は無かったです)独身だったこともあり上野までグリーン車で帰りました。
肘掛の中に液晶テレビが内蔵されており、テレビを見ることができましたが、
衛星の状態が悪いのか?今より全然性能が悪かったのか?
歌番組で八代亜紀がフリーズしたまま38分間の旅が終わってしまいました。
各駅停車も今と違い三河島と南千住は通過していたので各駅停車を利用しても一時間弱でした。
マンションから見える東京の夜景はどんな嫌なことでも忘れさせてくれる元気の源でした。



投稿者 Maverick
投稿日 2007年 5月21日(月)23時14分12秒
タイトル re客車最後のツアー
皆さまこんばんわ。
はじめまして、Maverickと申します。
ED12さんはじめまして。
JR各社、客車を嫌がってるんですね。
あくまでも噂ですが、来年3月で、『富士・はやぶさ』が、
それより早く、秋のダイ改で『なは・あかつき』が廃止と聞いております。
GWには、各列車、満席に近い乗車率だったのに・・・



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 5月22日(火)16時30分27秒
タイトル 今夏の 客レ 臨時便
> 20日に銀座の老舗模型店さん模型部創設58周年を記念する「客車の旅」イベント

同日、御指摘の「東京 501」とDJ誌の同欄に記載があった「夢空間」込みの尾久車
24系運用が東北線を上るも、見事に見落とし、脱力の週明けとなりました(^^)なお、
同様の便が来月中旬にある様なので、今度は見逃さない様に(^^)

> 電車云々まで頭が回るような状態ではありませんでした。

そのココロですが、1985年に「田園都市線開通20周年記念号」として、落成したての
伊豆急「リゾート21」第二次編成が、東横線・目蒲線・大井町線・田園都市線を経て、
渋谷〜長津田を往復した運用です。実は私、抽選で、先頭車の展望室が当たりまして、
普段は通勤電車しか走らない都市路線を、一味違った視点で堪能するという、貴重な
体験を味わえたのです(^^)詳しくは「東急線を走ったリゾート21」を、御参照あれ。

> 当時ひたちの牛久は無かったです

やはり「アレ」絡みだったのですね(^^)今や、列車によっては藤代〜土浦の各駅に
停車する特急も存在し、つくば学園都市の影響ゆえか、人口伸張が著しい牛久界隈の
活況振りを実感します(一昨年には、牛久独自の警察署が新規に開設されました)

> 各駅停車も今と違い三河島と南千住は通過していたので

その少し以前の「中電」は、朝方上りを除いて北千住も通過扱いで、あの一大要衝を
通過するとは、さすが茨城方面と、妙な処に郷土の誇りを感じたものです(^^)

> 来年 3月で『富士・はやぶさ』が(中略)秋のダイ改で『なは・あかつき』が廃止

今の処、報道等で正式に取り沙汰されている話ではない為、直接の感想は控えますが、
そうした動きがあっても、不思議ではない、という背景事情が醸成されつつあるのは、
残念ながら事実でしょうね。完全な廃止ではなく、繁忙期の臨時枠で存置という事も
あり得ますので、直ちに悲観する様な話ではないと考えます。

本日現在、新しい時刻表を入手していないので、詳細は判りませんが、JR東日本の
今夏の臨時列車に関する、プレス・リリースによると「エルム」や烏山線の「山上げ
祭り」の運転は無さそうです(もっとも、今月末や来月初頭「エルム」のスジで24系
集約臨が設定されています)機回しなど、運行管理に特段の手間隙を擁する客車便の
設定を、いよいよ敬遠し始めたか、とも感じます。

もっとも、東北地方では「SL北東北DC」「レトロむろね」などの新規設定があり、
イベント性の強いSL列車などは健在の様です(そう言えば「SLばんえつ物語」用
12系がリニューアルを期に、DD53牽引の臨時急行として羽越線で運転されましたね)
個人的には、従前の「近場」で運転して欲しい処なのですが(^^)



投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 2007年 5月22日(火)20時21分9秒
タイトル 豪華二等車編成
>格下げ車ばかりで組成された豪華二等車編成を作りたくなってしまいます(笑)。
さすがクモイ103様、着眼点が違いますね。
豪華二等車編成、現実にはたぶん…ですが、私も興味を持ちましたので、
配置的に可能であったのかどうか調べるべく、各格下げ車両の初期配置区の一覧票を作成してみました。
格下げ車のみで編成するとなると、緩急車2両を含む数両の格下げ車が
ある程度の期間配置されていたというのが条件となるので、
該当区を調べると千ナタ(成田線管理所)と大ヒメ(姫路客貨車区)であれば可能でありました。
参考までに?該当車(特に転換式座席車のみ)で組成してみると

千ナタ(成田線管理所)配置車
オハフ52 1
オハ53 48
オハ53 49
オハ53 50
オハ53 62
オハフ52 2
可能期間 昭和40/9/30 〜 42/1/6

大ヒメ(姫路客貨車区)配置車
スハフ51 1
スハ52 13
スハ52 16
オハ53 35
オハ53 36
オハフ52 5
可能期間 昭和40/9/30 〜 41/8/31

こんな豪華な二等車編成列車がその時代に存在した?と想像すると楽しいですよね。



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 2007年 5月23日(水)01時15分26秒
タイトル > 豪華二等車編成
千葉にも二等格下げ車いたんだ〜(^^)管理人殿このことは知りませんでした。不勉強ですねf(^^;
となるとオハフ52とオハ53我が家の編成にも組み込みたくなりました。Nゲージで作れるかな。
千葉で二等車というと粗悪だったと感想の内田百關謳カ。ちょっぴり見直していただけたかな(^^)



投稿者 クモイ103
投稿日 2007年 5月23日(水)02時06分27秒
タイトル Re:豪華二等車編成
車掌@仙コリ様
 なんとわざわざそこまでお調べ下さり、感謝の極みです。
まさにかゆいところに手が届くサービス(笑)ですね。
ここまでして戴いたら…いやそのげほんげほん…



投稿者 103列車機関士
投稿日 2007年 5月23日(水)08時04分5秒
タイトル 実は・・・
クモイ103殿、車掌@仙コリ殿・・・・・
実は・・私やってしまいました・・
成田線のやつを・・(爆)
その逆を行く編成、「オハ71」ばかり・・と言うのも
いかがでせう?



投稿者 車掌@仙コリ(管理人)
投稿日 2007年 5月23日(水)12時56分34秒
タイトル Re:実は・・・
103列車機関士様
早速、成田線の豪華二等車編成を実践されたのですね、さすがです。
とっくにやっていたとか…
以前格下げ車の話題になった際に作製なさっているだろうとは思っていましたが、編成が組めるほど作製されていたとは。
ぜひ写真を拝見したいところですが、編成となると写真ではわからないですかね?
もし、いいアングルで撮影できましたら投稿していただければ幸いです。

ところで先の書き込みで言葉足らずでしたが、
作成した初期配置区一覧表と多数配置された配置区の車両一覧をサイトの方に追加掲載していますので、
興味がある方はご覧いただければ幸いです。
純粋な格下げ車だけの編成でなければ、大部分が格下げ車という編成が可能な配置区は多数ありますので。



投稿者 ホエ7030
投稿日 2007年 5月23日(水)18時22分35秒
タイトル 並ロの思い出
 皆様、お晩方です。
先般のやまざき様のオロ42に関するご質問以来、3等級制時代の2等車、
いわゆる「並ロ」からその格下げ車や通勤型改造車までの話題が取り上げられていますので、
私も、思い出話を記して見たいと思います。
 私の並ロ乗車体験はたったの1回限りで、汽車に物心がついたばかりの頃でした。
当時、水戸局に勤務していた叔父に頼んで、初めて交通博物館に連れて行ってもらった時に、
何と、水戸〜上野間を快速気動車のキロハ47000の「ロ」に乗せてもらったのでした。
それ以降、オハ27、オハ55、オハフ53、キハ26401〜などの格下げ車や、
グリーン車であるサロ451やサロ651、サロE531などには乗りましたが、
昭和40年代前半で消滅してしまった客車の並ロには乗ったことがありません。
 しかし、キロハの乗車体験の当時から、客車には特に興味を待っていましたので、
オロ30,31からオロ42、スロ43、スロハ31,38などの現役時代や、
これらの格下げ後の姿まで、結構記録に留める事ができました。
 これらの中でも、やまざき様と同じように、オロ42は非常に印象深い客車ですね。
初めてオロ42を見たのは水戸駅で、本来東オクのオロが組み込まれているはずの急行に、
何らかの事情で東シナのオロ425が入っていたのです。
当時のメモには、屋根が電車のようで、ノーシル、ノーヘッダであること、
妻面の屋根との境目にRがあることなどが記されています。
その後、交博に行った際に、たまたま模型の運転会が行なわれていて、
登場時のブドー色のDF90が牽く夜行急行が走っていましたが、
マロネ40やマロネ41などの中にオロ42が組み込まれていて、とても魅力的な列車でした。
(実際には、DF90とマロネ40などの組み合わせはあり得ませんが)
 管理人様ご提案のオール格下げ編成も魅力的ですね。
私は、成田の格下げ車群はS41.11.14にある会の行事で撮影に行き、
オハ5310,5350、オハフ521〜3を撮っています。
5両以上くらいの編成でオール格下げと言うのは現実にはほとんど無いと思いますが、
並ロの団臨は何度か見かけたことがあります。
その一例を記して見ますと、
C57165(平)・オハユニ635・オロ412・オロ363・スロ432028・スロ432029・スロフ311
(S36.7.21 水戸にて)と言うものです。
S38.7に函館で見た団臨は、編成記録はとりませんでしたが、
スロ336・オロ3567・オロ3568・オロ401・スロフ3020
(いずれも二重窓で札サツ又は札オタ)を撮っています。
同月に旭川客貨車区で見た団臨は寝台車6両の中間に食堂車を挟んだ豪華版で、
両端はマロネフ29101と102、中間はマロネ4014のみ確認、
中央4号車はマシ381で、サボ受けに「航送車」の札が入っていました。
 我が常磐線の水戸には、オロフ33格下げのオハフ531〜3が居ました。
当初は、両端を客扱い最後の戦災復旧車であるオハユニ7111、20に挟まれた
水戸線用の「水2」編成に2両も組み込まれたりしましたが、
その後は主としてDD13牽引の水郡線でオハ61やオールロングシートのオハ63などと共に運用されていたようです。
同一列車で、どのハコに乗るかでものすごい違いですね。



 
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