> 北赤羽徒歩
4分で東北上越新幹線高架橋脇
それは、中々よろしい環境ですね(^^)北赤羽駅というと、新河岸川の橋梁を兼ねた
独特な構造が印象的で、阪神電鉄の武庫川駅に通じるものを感じます。
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まだ目蒲線は地上ホームからの発着で初乗りも90円だった気がします。
東横線に「青蛙」が健在だった頃、東京都に納税していた私の感覚からして、当時の
目蒲線は短編成の旧型車(ステンレス車の運用は希少でした)が往来するローカル色
著しい作風で、昨今の地下鉄直通体制は、隔世の感著しいですね。高校時代の友人で
大岡山の大学に進学した者が数名おり、彼らと飲んだ際にも、その話題が出ましたね。
さて、ここで唐突に問題です。私は目蒲線の一部区間を、ロマンス・シート仕様車で
乗った事があります。そのココロは………?
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次の電車は通勤快速。それで次は赤羽止まりと20分も待たされた経験から
タイミング次第では、その程度の待ち時間は今でも間々あるそうですね。私の場合は、
さいたま新都心駅が開業する以前、近くの仕事先に赴いた帰り、埼京線の北与野駅で、
似た様な経験が何度かありました。
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人里離れた山の中(中略)のちにギネスブックに認定される大構造物の現場
もしや、掲出画像(鹿島鉄道の撮影の序でに、沿線の旧玉造町域から、霞ヶ浦越しに
撮影したものです)対岸中央に見えるアレですか。約20km離れてこれだけ見えるとは、
かなり大きなものと感じていましたが、ギネス・ブック級だったのですね。
アレの所在地は確かに長閑な田園地帯ですが、ここが「人里離れた山の中」とすると、
我が実家の一帯は「人跡未踏の地」という事になりそうです。何しろ、私が幼い頃は、
集落全体で一本の電話回線を共有する「農集電話」が当り前でしたし、80年頃までは、
非電化世帯が存在しましたからねぇ。
鉄道関係では、遠足で利用した水郡線の某駅にて、通過する急行から身を乗り出した
運転手が投じたタブレットが、見事に螺旋状のキャッチャーに収まる様子が、非常に
印象的、そんな長閑な時代でした。
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