倶楽部メモ(359)
平成19年 3月14日〜 3月20日



投稿者 雑魚
投稿日 3月14日(水)14時49分46秒
タイトル あゝ上野駅
千葉と東京で仕事をして、常磐線の最終特急に乗込む前にアメ横界隈で一杯。かなり
イイ気分になり、翌朝、自宅で目覚めるまで、恥ずかしながら殆ど記憶が無いのです。
持参のカメラを改めると、この様な映像が(^^)泥酔しても趣味だけは全うしている
雑魚でした。それにしても、上野駅13番線は、いつ来ても独特の雰囲気ですねぇ。




投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 3月14日(水)18時48分19秒
タイトル 我が青春の上野駅
 管理人様・皆様御無沙汰しております。
 雑魚様の領地に先々週潜入致しました・・・梅とボンネットバスに誘われまして、青春18きっぷで・・・
一週間ズラして583常磐線疾走便に乗りたかったのですが・・・下総守様ったら!羨ましい!
 常磐線も103引退に続き415まで、客車は更に暫くありませんね・・・
 最近上野駅に行きましてもどうも落ち着きませんが、
唯一地平第一ホーム(13番線)の尾久方だけは昭和50年代の香りが微かに致します。
 国鉄が消えて&C623機復活からもう20年になります、
在来型一般車が上野に出入りしていた頃の上野駅大鉄傘の深夜画像(1982年冬)を・・・

投稿者のホームページ



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 3月15日(木)00時10分57秒
タイトル 水戸といえば
納豆ですよね(^^)
駅ビルの中に天狗納豆のお店があるのは知っているのですが水戸観梅が遅れたので買いに行けない。
でもホームの売店を覗いたらあった(^^)
納豆は小粒じゃなきゃだめだと言うお姑さんがいたら水戸へ行こう!
客車の長時間停車はご飯と買い物タイムでした。
鹿島鉄道では萩の月と笹かまぼこに納豆を持って乗車していました。
かまぼこは水戸観梅の車中でつまみになっていたのは言うまでも無いf(^^;



投稿者 ぱわつよ
投稿日 3月15日(木)11時25分17秒
タイトル 元鉄道小僧日記(大館偏)
気がついたら鉄道小僧になっていたので、記憶がある部分から始めようかと思います。
冬になると秋田はけっこう雪が降り、列車ダイヤが乱れます。
田舎の駅はホームがやたらと長く当事で普通列車(茶色の)なども10両以上連結していました。
祖父たちのいる弘前に向かうため大館駅にいましたが、雪の影響で急行むつは1時間程度遅れていました。
やっと到着したと思ったらブルーの客車に寝台車などがついてて「むつって気動車だったような?」
と不思議に思っていたら、大阪発青森行きの急行きたぐにがもっと遅れていたために、むつと併結していたのでした。
きたぐに+むつなので雄に15両はあったでしょうか?
きたぐにはグリーン車を除いてほぼ満席だったので、
ホームの端っこまで歩いていってむつの自由席に座った覚えがあります。
というのも当事急行むつにもグリーン車があったんですね。
窓も開いたし、小さなテーブルには「せんぬき」があったのを今でも覚えています。



投稿者 クモイ103
投稿日 3月15日(木)19時20分34秒
タイトル 上野駅 線路配置の魅力
トップページのカウンタ「900040」、ものすごい大台突破おめでとうございます。
昨夜遅く覗いて、「明日帰宅が早ければひょっとして…?」と思いましたが、残念(^^;。

上野駅と聞いては黙っちゃいられない…のですが、あいにく自慢できるような画像が見あたりませんので(^^;、
違った視点の話をさせていただきます。

上野駅は構内線路配置が独特の雰囲気を持っていますね。
台地の縁に張り付き、前後を急カーブに挟まれた地形上の制約を受けながら、
在来線の最盛期は20本の着発線を擁し、ダブルスリップやシングルスリップを駆使して、
運転経路の自由度の高い線路配置を実現したのは、見事としか言いようがありません。
5番線以降のいわゆる「列車線」については、東北・常磐の2ルートに対して大部分の進路が確保されており、
出入り不可能な組み合わせは、5・6番線への常磐上り到着と、10〜12番線の東北上下着発のみです。
地平ホームでは13〜20番線の全てについて、東北・常磐の上下列車が運転可能でした。
最近のピクトリアル誌の上野駅特集に、5番線で発車待ちするキハ81「はつかり」の写真がありましたが、
これは日暮里方のポイント群を大横断して常磐下り線へと発車して行った筈です。
地平線でも、20番線から出る東北下り列車が数多く設定されていた他、
逆に常磐線上り客車普通列車が13番線に到着する大横断運転がありました。

今では地平着発線が最盛期から3本減りましたが、まだまだスリップスイッチの多さでは目立つ駅に違いありません。
上野駅と並んでスリップスイッチの多かった新宿駅が、最近大幅な配線変更で単純な分岐器ばかりになりつつありますので、
線路配置マニア(笑)の私にとって、上野駅の存在はますますクローズアップしてきています。



投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 3月16日(金)06時24分7秒
タイトル 青春の上野駅(2)
 流石はクモイ様!
 上野の「死角」は高架第六ホーム(11・12番線)の本線着発と高架第三ホーム(5・6番線)の常磐上りで、
元来は高架第三を「常磐ホーム」としていた時代もあります。
 小生が上野に勤めていたのは臨雇時代から通算すると昭和55年5月2日から昭和61年11月30日まで、
この後構内業者として平成2年まで丁度10年出入りしておりまして、
最後の20系定期特急「あけぼの」のラストから始まり、BC幹開業による「はつかり」「みちのく」「在来車列車」廃止や
幹線上野開業・国鉄民営化まで「内側」から見ていた事となります。
 昭和57年11月14日の11M「みちのく」や昭和60年3月13日の801「天の川」最終列車の放送をさせて頂いた事は
何より深い思い出です。
 実は秋葉原連絡線(秋葉原〜東京間)が無くなった後も「設定陰スジ」で品川発着想定の列車が設定はされていたり、
各地の機材回送で回転が出来なかった大宮に代わり地平ホームで高崎〜東北・常磐間の列車組み換えを終列車の後にやったりと
なかなか刺激的でした(笑)
 更に旧乗客室倉庫に「山下口」と表記された階段が残っていたり、
出札室倉庫に右書きの「欧亜連絡」「浦塩」「大連」などと読める謎の看板があったり、
地平ホームの「輸送倉庫」に「はつかり」「つばさ」のキハ81用ヘッドや黄色の行先表示票があったり・・・
果ては現在レストランとなっている旧庶務室の裏手階段にRTOと読めたペンキの表記が残っていたりと
随所に日本史を感じさせるものがありました。
 何より、地平の電留線を「上野客車区」と呼び、
地平ホームに蒸気機関車を「ボイラー代用」として職員浴場や暖房用の蒸気を供給したその「バルブ」が残っていたりと・・・・
 最大の機密事項(笑)は貴賓室で、陛下の玉座となる椅子は「或る」場所から「その時」に持ち運んだものらしいのです。
 昭和48年の首都圏暴動で出札が焼き討ちされた時には特命を受けた職員が「武装」して死守したとも・・・
そんなもので「靴が沈む」絨毯の部屋は永く昭和4年落成時そのままの姿でした。
 東京駅が文化財なら上野駅は国宝、あんなチャチな売店入れて喜ぶセンスの無さがJRの致命傷です。

 上野に在来型一般車が出入りしている頃にはあの琺瑯引行先表示票をあちこちへ運ぶのは若い衆の役目でして、
常磐425列車なぞ13B=サボ26枚が肩に食込んで・・・これがなかなか重労働!
 2321〜2326列車は「結果的」新潟発着だったもので、ダイヤが乱れた後にサボを縛って新潟や長野へ回送したりしたものですが、
何故か「そちら」からの物資回送は急行302列車「妙高10」やら急行804列車「鳥海」やら・・・
 それにしても分割民営化直前までEG・SG管や兜(中間連結器)がゴロゴロしていた
高架第六ホーム(11・12番線)は謎でした・・・乗り入れる筈があったのでしょうか???
 「旅客」と言うより「旅人」が無数の人生を抱えて降り立ち、そして出発して行った国鉄上野駅に勤めていられたのは、
自慢するものが殆ど有りません小生にとり、数少ない自慢と誇りであります。
 その想いあらばこそ、全く無報酬でもC623機に没頭も出来ましたし、
今もNPOで夢の旗を降り続けられるのやも知れません。
 「旅人の送り手」として、見送るテールランプを目を閉じて想起すると、やはりスハフ42やスニ44が浮かびます。
 御無事で!良い旅を!
 真剣にそう念じ続ける事が「上野人」だと教えてくれた先輩も既に故人、
せめて小生は頑固にその精神を受け継いで行きたいものと思っております。
投稿者のホームページ



投稿者 クモイ103
投稿日 3月17日(土)08時45分49秒
タイトル Re:青春の上野駅(2)
岩崎安房様、「あの頃」の上野駅の貴重なお話し、興味津々で拝読いたしました。

 小生、昭和55年の夏休みからほぼ4年にわたり、
折り返し列車整備の下請業者に、繁忙期の学生バイトとして出入りしていました。
今「鉄道○すめ」シリーズの事業者のひとつにラインナップされている、あの会社です。
当時の上野駅にあっては、正社員は一定以上の年齢の人しか採用せず、
所謂「掃除のおじさん・おばさん」と「バイトのにーちゃん」ばかりでしたので、
よもやあの仕事と「むすめ」が結びつく時代が来ようとは…(笑)
 岩崎様の上野駅お勤めの期間の中に、私の関わった時期は収まっていますね。
ホームの雑踏を縫ってゴミカゴを引く「バイトのにーちゃん」の中に、私もおりました(^^;。

 細かいことを語りだしたらきりがありませんが、「上野人」の心意気のお話し、ずしっと来ました(^^;。
当時私がどの程度実践できていたか心許ないですが、
次に乗るお客様のために汚れた車内をリフレッシュするという清掃員の役目の大切さを、
バイトの私にも身をもって教えてくれる本職の先輩方がいたのは確かです。
 そういえば私自身、当時の正社員の方々の年齢に近づいているわけですが、
あの頃何気ない会話の中に人生の教訓や含蓄にあふれた話をして下さった先輩方に、
今の私がどれだけ近づいているのか?と反省の念を覚える、「我が青春の上野駅」の想い出ではあります。



投稿者 雑魚
投稿日 3月17日(土)16時54分27秒
タイトル 「ゆとり」 再び
上野駅………皆様「深い」ですね(^^)やはり、カラオケの五十音別曲目メニューで
かの「あゝ上野駅」が不動のトップを維持するだけの事はあります(^^)

さて、当座の「生き甲斐」が出来ました(^^)DJ誌情報によると、今月25日の昼間、
なんと「ゴハチ」+「ゆとり」が東北線を往復するとの事。私にとっては、数年前の
14系客レ惜別運転以来のネタです。全町内を敵に回そうとも、万難を排して臨まねば。
画像は、我が定番の氏家〜蒲須坂での撮影です。後方に高原山を望む好撮影地ですが、
最近、安全対策ゆえか、線路際にフェンスが張り巡らされてしまいました(涙)




投稿者 MIRAGE
投稿日 3月17日(土)19時10分48秒
タイトル 初めまして。
皆様
初めまして。

突然で申し訳有りませんが、
「研究者の為の客車デ-タベ-スキット」は
まだ販売されているのでしょうか。

前作の「文献調査 鋼製客車配置表(1958年)〜1987年」は
購入しましたが、購入直後、諸般の事情で鉄道趣味より離れざるを得ず、
後継版の本製品が発売された事は知っておりましたが、
購入も出来ないまま、時間だけが過ぎてしまいました。

最近、鉄道趣味への復帰を果たした際、本製品の事を思いだし、
購入を検討する様になりました。
色々探しましたが、販売しているとの
情報を得る事が出来ず、行き詰まっております。

現在も発売されているかご存じの方がおられましたら
ご教示頂けないでしょうか。

宜しくお願いいたします。



投稿者 車掌@仙コリ(管理人)
投稿日 3月18日(日)21時59分39秒
タイトル 「研究者の為の客車データベースキット」について
MIRAGE様、はじめまして。
「研究者の為の客車データベースキット」についてのご質問ですが、
以前このサイトでもご紹介させて頂いておりましたので、作者の方に問い合わせをしたところ
旧製品はWindowsXP以降非対応となっているため、現在のところ販売は休止中との事でした。
再発売時期は未定との事ですが、データベース自体は今も成長を続けているとの事でしたので
バージョンアップ版の再発売が決まりましたら、サイト及びここでも紹介させて頂きますので
それまで、今しばらくお待ち下さい。
投稿者のホームページ



投稿者 MIRAGE
投稿日 3月19日(月)23時10分33秒
タイトル 有難う御座います
管理人様
こんばんは。

お返事が遅くなり申し訳有りません。
突然の質問にも係わらず、作者の方へ問い合わせて頂き、
有難う御座います。

「研究者の為の客車データベースキット」発売休止中でしたか・・・
残念です。
ただ、DATABASE自体が成長しているとの事で
Ver.Up版の発売が楽しみになりました。

DATABASEの構築には時間が掛かると思いますが、
気長に待たせていただきます。

また、機会がありましたら
書き込みさせて頂きます。

有難う御座いました。



投稿者 ゆびづめ
投稿日 3月20日(火)00時24分32秒
タイトル ゴハチと客車
ゴハチ、客車?
天王寺23:00 924レ 新宮行 夜行列車よく使ったね。
東京から165系345Mを使い1日目は関西めぐり、
大阪のたこ焼きを食べて当時は難波の大蛸も知らず湊町駅前屋台のたこ焼きうまかった。
夕食は天王寺駅前の王将かな。924レは2時間前か並んだかな。
ブルートレインの12系座席車が発車45分前から9番線に入線したかな。
この待ち時間2時間は阪和線 鳳行きの電車をたくさん見てドアに「」ゆびをつめないように」とかいてあったね。
写真に撮り学校で関西の電車は怖いと話題になったね。今は209系電車になってないのかな。
さておき924レは天王寺駅を発車しゴハチの汽笛が響き本州南端を目指します。
ゴハチは66号機が好きですが42、99、147もありました。今は思い出。
この列車にて古座鉄橋、富田鉄橋を目指したものです。
一番忘れないのがゴハチ重連が走ると情報があるとき924レに乗りました。
昭和60年7月23日だったかな。古座で降り鉄橋で99号機の写真を撮り富田鉄橋を目指した。
66号機、99号機重連は最高でした。
20年以上経過した今でも写真を眺め涙 涙です。



 
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