丹波様、あさかぜ様
「高千穂」の2号車スロ53は東京−大分間連結でした(下記参考文献より)。
当時大分に急行用2等車の配置はありませんので、品川持ちだったと考えられます。
従って、当時の鹿児島持ちの急行用2等車は、
・「霧島」3号車スロ53・4号車オロ(鹿児島−東京間・4組)
・「高千穂」1号車スロ51(西鹿児島−東京間・4組)
ということになります。
配置車両は、オロ35×4、オロ40×1、スロ51×4、スロ53×5ですから、
スロ51の検査時には53を使用したと考えれば、特ロ・並ロともに1両ずつの予備車がいることになり、
適正な配置状況だったと言えるでしょう。
参考文献:
・鉄道ピクトリアル第282号(1973年8月号)
「国鉄急行列車・愛称変遷史[15]」(寺本光照氏筆)
・レイルNo.9「国鉄四半世紀前の急行列車」(1983.10.31)
東京駅発着主要列車編成順序表(昭和33年10月1日改正)
・時刻表1958年11月号(復刻版)
# あさかぜ様のご質問の方は、手頃な資料がなくよくわかりませんm(_ _)m。 |